本当の魔法
翌朝、エルヴィラが迎えに来た。
「リゼロッテ殿、今日は王立魔術研究院をご案内します。あなたの力を、正しく知っていただきたいのです」
研究院は王宮の東棟にあった。石造りの回廊を抜け、重厚な扉を開けると——広大な空間が広がっていた。
息を呑んだ。
壁一面の本棚に、何千冊もの書物が並んでいる。革表紙に金文字が刻まれた古い魔導書から、新しい研究論文の束まで。天井からは魔力の青い光が降り注ぎ、室内を柔らかく照らしていた。空気の中に、古い羊皮紙とインクの匂いが漂っている。
机の上には見たこともない測定器具や魔法陣の図面が広がり、白衣の研究者たちが忙しそうに行き交っていた。誰もが真剣な表情で議論をし、記録を取り、実験に没頭している。
「ここでは魔力の研究が、学問として体系化されています。属性分析、共鳴理論、魔力循環の法則——」
エルヴィラが誇らしげに説明する。
「ガルディアでは、こうした学術的な研究は行われていましたか?」
「……いいえ。ガルディアでは魔力は、使うか使われるかのどちらかでした。研究するという発想自体がなかった」
「やはり、そうですか」
エルヴィラが小さくため息をついた。その瞳に、悲しみに似た色が浮かんだ。
「魔力とは本来、理解し、敬い、共に歩むものです。搾取するものでは断じてない」
その言葉に、胸が熱くなった。五年間、私の魔力は理解されたことがなかった。ただ吸い上げられ、消費されるだけの燃料。何の説明もなく、ただ奪われるだけ。
ここでは違う。魔力が——大切にされている。学問として、敬意をもって向き合われている。
◇ ◇ ◇
「では、正式に魔力を測定させてください」
研究院の奥にある測定室に案内された。薄暗い部屋の中央に、大きな水晶球が台座に載っている。表面に複雑な紋様が刻まれ、淡い光を放っていた。私の背丈の半分ほどもある、巨大な水晶だ。
「この測定水晶に手を触れてください。魔力の総量と属性、波長を同時に計測します」
水晶球に両手を乗せた。冷たく、滑らかな感触が掌に伝わる。
目を閉じて、体の中の魔力に意識を向ける。王宮にいた頃は、自分の魔力を感じることすらできなかった。常に吸い取られていて、空っぽだったから。
でも今は違う。指先から全身に、温かい力の流れがはっきりとわかる。心臓の鼓動に合わせて、魔力が体の中を巡っている。
——行きなさい。
心の中でそっと呼びかけると、魔力が手のひらから水晶に流れ込んだ。
水晶球が光り始めた。
淡い碧色の光が、みるみる強さを増していく。部屋全体が青い光に包まれた。エルヴィラの瞳が大きく見開かれる。周囲の研究者たちが手を止め、息を呑んでこちらを凝視していた。
光はさらに強くなり——突然、水晶球の表面にぴしっと亀裂が走った。
「——止めてください! 水晶が耐えきれません!」
慌てて手を離した。水晶球は蜘蛛の巣のように細かくひび割れ、余韻のように碧い光を放ち続けている。部屋の隅々まで、青い光の粒子がきらきらと漂っていた。
測定室が、しんと静まり返った。研究者たちが顔を見合わせ、何かを確認し合うように頷いている。
「エルヴィラさん……すみません、壊してしまって——」
「謝らないでください」
エルヴィラの声は震えていた。だが、怒りではない。畏怖に近い何かだった。
「この測定水晶は、聖堂級までの魔力を計測できるように設計されています。我が国の最高位の魔術師でも、壊したことはありません。それが耐えきれなかったということは——」
彼女は手元の記録板に視線を落とし、大きく息を吸い込んだ。
「聖堂級を超えています。これは……『始源級』です」
「始源級……?」
「建国以来の記録にも、片手で数えるほどしか確認されていない、最高位の魔力等級です。リゼロッテ殿——あなたは、この国の歴史に残るほどの力を持っている」
頭が真っ白になった。
そんな力が、私の中にあったのか。五年間搾取され続けていた、この体の中に。アレクシスに吸い取られながらも、消えなかった力。
「もう一つ、重要なことがあります」
エルヴィラが真剣な目で私を見た。
「魔力共鳴理論をご存じですか? 魔力は他者に奪われ続けると、供給側の潜在能力が抑え込まれます。体が防衛反応として、魔力の生成を抑制してしまうのです。つまり——」
「つまり……?」
「あなたは五年間の搾取によって、本来の力の一割も発揮できていなかった可能性がある。搾取が解けた今、あなたの魔力はまだ成長途中です。これからさらに、強くなります」
めまいがした。今でさえ水晶を壊すほどの力が、まだ一割だというのか。
◇ ◇ ◇
午後、エルヴィラに連れられて研究院の庭園に出た。
「ここで自由に魔法を試してみてください。制限はありません。あなた本来の力を、ご自身の目で確かめるのです」
広い庭園だった。手入れされた芝生が広がり、所々に花壇がある。だが秋も深まり、花はまばらになっていた。枯れ葉が風に舞い、少し寂しい景色だ。
深呼吸をした。秋の空気が冷たく、肺に沁みる。
——花を咲かせよう。
ブランシュ家の女性に受け継がれてきた、植物を育てる魔法。領地の庭園で何度も使った、一番得意な魔法だ。
地面にそっと手をかざし、魔力を流し込んだ。
足元の芝生が——波紋のように揺れた。
そして。
花が咲いた。
足元から始まって、波のように庭園全体に広がっていく。白い花、青い花、紫の花、金色の花。見たこともない色の花々が次々と芽吹き、茎を伸ばし、花開いていく。
庭園の端まで——いや、庭園の外にまで。塀の向こうの並木道にまで花が溢れていく。空気が甘い花の香りで一杯になり、蝶が何十匹もどこからともなく集まってきた。花弁の間を飛び交い、光の粒子を振りまいている。
止められなかった。魔力が堰を切ったように体から溢れ出して、大地に染み込んでいく。心地よかった。体の中の力が、自然と外に流れていく感覚。痛みも苦しみもない。ただ、温かい。
ようやく魔力が落ち着いたとき——庭園は、一面の花畑に変わっていた。
「……すごいな」
いつの間にか庭園の入口に立っていたルーカスが、呆然と呟いた。手に持っていた書類を落としたことにも気づいていない。
「あんた、花の魔女だな」
悪意のない、純粋な感嘆だった。子供のように目を丸くして、花畑を見渡している。
私は自分の両手を見下ろした。指先がまだ、かすかに碧い光を帯びている。
——これが、私の本当の力。
五年間奪われ続けて、それでもなお消えなかった力。いや——奪われていたからこそ、解放された今、堰を切ったように溢れ出してくるのかもしれない。
目頭が熱くなった。嬉しいのか、悲しいのか、自分でもわからなかった。
◇ ◇ ◇
夕刻。研究院の一室で、エルヴィラと向かい合っていた。
窓から差し込む夕日が、部屋を琥珀色に染めている。彼女の表情が、それまでとは違っていた。学術的な好奇心ではなく——何か重大なことを告げようとしている目だった。
「リゼロッテ殿。一つ、お伝えしなければならないことがあります」
「……何でしょうか」
「今日の測定で、あなたの魔力の波長を詳しく分析しました」
エルヴィラが一枚の古い羊皮紙を取り出した。そこには複雑な波形の図が描かれている。色あせたインクの線と、その隣に——今日測定されたばかりの新しい波形。
二つの線は、ほとんど重なっていた。
「あなたの魔力には、特異な性質があります。この波長は——ヴェルムント王家の始祖に伝わる『大地の魔力』と、同じものです」
心臓が跳ねた。
父の声が蘇る。
——お前の母は、ヴェルムントの出身だった。
「始祖の魔力は、血筋を通じてごく稀に受け継がれると伝えられています。何世代もの間、誰にも発現しなかった力が——あなたの中に眠っている」
エルヴィラが言葉を切り、まっすぐに私を見た。その碧い瞳に、畏敬の色が浮かんでいる。
「リゼロッテ殿。あなたは一体——何者なのですか」
答えられなかった。
母の形見のペンダントが、胸元でかすかに脈動していた。まるで何かを伝えようとするかのように。
——私は、何者なのだろう。
その答えは、まだこの国のどこかに眠っている。




