兵器と呼ばれた朝
朝食の席に届けられた封筒は、蝋印が二重に押されていた。
ヴェルムント宰相府の紋章。その下に、もうひとつ——評議会の認証印。公文書ではない。だが公文書と同等の重さを持たせたい、という意図が透けて見える。
私は紅茶を一口含んでから封を切った。カモミールの甘い香りが鼻を抜ける。指先に羊皮紙の乾いたざらつきが触れた。
文面は簡潔だった。
『リゼロッテ・フォン・ヴァイスハウプトの魔力特性に関する管理方針案』
管理方針案。その五文字を、私は二度読んだ。
『本人の意志に関わらず、管理対象とすべきである』
紅茶の味が、舌の上から消えた。カモミールの甘さも、カップの温もりも、すべてが遠のいて、文字だけが目の前に残った。
起草者の署名——カイル・ヴォルフハルト。
ガルディアでは、養父が似たような書面を書いていた。あれは「管理」ではなく「運用」という言葉だった。運用計画書。家畜の飼育計画と同じ棚に綴じられていたのを、私は覚えている。
羊皮紙を丁寧に折り直し、封筒に戻した。指先は動いている。呼吸も乱れていない。
「ルーカス」
扉の向こうから、革鎧の擦れる音がした。
「評議会の開始時刻を確認してください」
「……九刻だ。あと二時間ある」
「ありがとうございます。少し、身支度を整えます」
扉越しに沈黙が降りた。ルーカスが何か言いたげにしている気配が、木の板を通して伝わってくる。しかし彼は何も訊かなかった。
私は鏡の前に立った。髪を編み直す。指が覚えている動作を、ひとつずつ丁寧に。ガルディアで毎朝やっていたこと——自分の手で、自分の形を整えること。
誰かに整えてもらう必要はない。
◇ ◇ ◇
評議会の広間は、石造りの天井が声を硬く反響させる場所だった。
長机の上座にフリードリヒ国王が座り、その左右に文官と武官が並んでいる。窓から射し込む朝の光が、埃の粒子を白く浮かび上がらせていた。空気に混じる蝋燭の燃え残りの匂いが、昨夜も遅くまで議論があったことを物語っている。
私は末席に案内された。椅子に腰を下ろすと、座面の革が冷たかった。使い込まれた革の匂いが、かすかに鼻に届く。
ルーカスは壁際に立っている。彼の顎が、わずかに引き締まっているのが視界の端に映った。あの封筒のことは話していない。けれど彼は、朝の私の声の調子だけで何かを察したのだろう。扉の前に立つ姿勢が、いつもより半歩前に出ていた。
カイル・ヴォルフハルトは、中央やや上座の席から立ち上がった。銀縁の眼鏡の奥にある目は、感情を排した職務の色だけを湛えている。
「本日の第三議題について申し上げます」
彼の声は、よく通る低音だった。抑揚が少なく、一語一語が等間隔に配置されている。報告書を読み上げるように、彼は私の魔力特性に関する分析結果を述べた。
出力の異常値。制御の不安定さ。ガルディアでの運用記録から推定される潜在的危険性。
どれも正確だった。数値も、分析も、結論の導き方も。私が聞いても反論できない精度がある。だからこそ厄介だった。正しい分析の上に、歪んだ結論を載せてくる。そしてその先にある言葉を私は予測できた。
「——よって、リゼロッテ・フォン・ヴァイスハウプトは、その魔力特性において兵器に相当すると判断いたします」
広間がしんと静まった。
兵器。
その単語が石の天井に跳ね返り、もう一度、耳に届いた。椅子の木目に沿って指を滑らせる。硬い樫の手触りが、今この場所が現実であることを確かめさせてくれた。
「管理下に置くことで、ヴェルムントの安全保障に資するものと——」
「兵器ですか。ガルディアでは道具と呼ばれておりました。呼び名が上品になりましたね」
私の声は、自分でも驚くほど静かだった。
カイルの言葉が途切れる。広間の視線が私に集まった。蝋燭の残り香の中に、自分の声だけが浮かんでいる。
一瞬、ほんの一瞬だけ、カイルの瞼が動いた。想定外の反応だったのだろう。彼は泣くか、怒るか、あるいは怯えるかを計算していたはずだ。
私はそのどれも選ばなかった。
「道具、と」
カイルが繰り返した。眼鏡の位置を直す仕草は、間を作るための癖だろう。
「はい。養父は私を魔力供給装置と記録しておりました。運用計画書の項目名は『消耗品管理』でした。それに比べれば、兵器という呼称はずいぶんと格が上がったように思います」
皮肉を言いたかったわけではない。事実を述べただけだ。けれど広間のあちこちで、息を呑む音が聞こえた。紙を繰る手が止まり、羽根ペンが机に置かれる小さな音が続いた。
「カイル殿。兵器とは、所有者の意思でのみ動くものです。私は誰の所有物でもありません。あなたの計画書に、その前提が欠落しています」
私は立ち上がった。椅子の脚が石の床を擦る音が、静寂の中でやけに大きく響いた。
カイルは沈黙した。
「……管理とは、所有を意味するものではありません」
「ええ。しかし『本人の意志に関わらず』という文言は、所有と何が違うのでしょうか」
あの書面の一節を正確に引用した。カイルの指先が、わずかに机の上で動いた。
「フリードリヒ陛下」
私は視線を上座に向けた。国王は、片手を顎に当てたまま、じっとこちらを見ていた。
「私の魔力が危険であるという分析には異論ございません。カイル殿の調査は正確です。しかし、管理の方法について、当事者の同意なく方針を決定することは——この評議会の理念に反するのではないでしょうか」
フリードリヒは数秒の間を置いてから、ゆっくりと頷いた。指先で机を一度叩く。その小さな音が、広間の空気を変えた。
「……本議題は保留とする。カイル、方針案を再考せよ。リゼロッテ嬢の意見を踏まえた修正案を、次回までに提出すること」
カイルは一礼した。その表情に変化はなかった。ただ、眼鏡を直す仕草が、先ほどより一度多かった。
席を立つ文官たちの間を縫うように、私は広間を出た。背中にカイルの視線を感じた。振り返りはしなかった。廊下の石畳を踏む自分の足音が、規則正しく響いている。まだ大丈夫だ、と足音が言っていた。
◇ ◇ ◇
自室に戻り、扉を閉めた。
鍵を回す音が、やけに大きく聞こえた。部屋の中は朝出たときのまま、紅茶のカップが机の上に残されていた。冷め切った液面に、窓からの光が細い線を引いている。
窓際まで歩いて、椅子に腰を下ろす。中庭の木々が朝の風に揺れているのが見えた。葉擦れの音が、薄い硝子越しにかすかに届く。どこかで鳥が鳴いていた。遠い声だった。この城に来てから、鳥の声に耳を傾ける余裕ができたことに、今さらながら気づく。
膝の上に置いた手を見た。
震えていた。
評議会の間はまったく気づかなかった。声も、思考も、視線も——すべて制御できていたはずだった。なのに、身体だけが正直に怖がっていた。
両手を握り締めて、開いて、また握った。指の関節が軋む感触を、一つずつ確かめる。
怖くなかったわけではない。兵器と呼ばれた瞬間、ガルディアの書庫の匂いが蘇った。黴びた紙と、乾いた革の表紙。運用計画書を見つけたあの日の、喉の奥に貼りつくような空気の味。
でも、自分の言葉で、自分の論理で、あの場に立った。
それだけのことが、ガルディアにいた頃の私には、できなかったことだ。
震える手を膝の上に置いたまま、私は窓の外を見た。中庭の木の枝先に、小さな蕾がついているのが見える。昨日まではなかったものだ。
あの花がいつ咲くのか、私にはわからない。
けれど、枯れてはいない。
それだけで今は、十分だった。
——今度はもっと巧妙に来るだろう。
それまでに、私も準備がいる。あの書面に書かれた私ではなく——本当の私を、見せるために。




