洗濯洗剤の化学、シラミと貧困の撲滅
庶民の不潔とシラミの温床
高級石鹸「理清の玉」は富裕層の心を掴み、練太郎と佐和に莫大な利益をもたらしたが、練太郎の潔癖症的な目は、まだ解決されていない庶民の不潔さに向けられていた。
「佐和殿。富裕層が体を洗っても、庶民の衣類に巣食う**シラミ(虱)**が、街全体の衛生レベルを押し下げている。シラミは、感染症の媒介者だ。この不潔の根源を断たねばならない!」
練太郎は、従来の固形石鹸は高価であり、衣類に染み込んだ汚れやシラミ、その卵を効率的に洗い落とすには、コストと使い勝手の面で不向きだと判断した。
「衣類に残った汚れがシラミの温床となる。この問題は、貧困層にこそ安価で強力な洗浄力を持つ洗濯用洗剤を普及させることでしか解決できない!」
練太郎は、固形化させず、より高い溶解性と浸透力を持つ、ペースト状またはゲル状の洗剤の開発を決意した。
高濃度アルカリと安価な原料
練太郎は、洗濯用洗剤には、皮膚への優しさよりも、衣類の汚れ(油分とタンパク質)を徹底的に加水分解する力、すなわち高濃度のアルカリ分が必要だと判断した。
彼は、石鹸製造で培ったアルカリ濃度の精密な調整技術を応用しつつ、高価な天然油分ではなく、松脂などの安価な天然油分を組み合わせた。そして、生成された石鹸分に水分と炭酸カリウム(木灰由来)を加え、高洗浄力を持つゲル状の洗剤を開発した。
「この洗剤の界面活性作用は、水への溶解性を高めている。水に溶けやすく、安価。これこそが、庶民の衛生レベルを向上させる**経済的な理**だ」
「清潔サービス」という新たなビジネスモデル
練太郎が開発した洗濯洗剤は、従来の灰汁よりも遙かに高い洗浄力を持っていた。しかし、佐和はこの新しい洗剤の販売戦略に一つの論理的な懸念を提示した。
「神崎様。この洗剤は安価ですが、貧困層は銭に余裕がない。いくらシラミが減ると言っても、目先の銭が優先されます」
佐和の答えは、練太郎のビジネスモデルの核心を突くものだった。
「私たちは、洗剤を単体で売るのを止めます。銭湯や共同井戸の場に、洗剤を常備した**『共同洗濯場』を設けるのです。庶民は、洗剤代ではなく、『洗い代(わずかな手間賃)』を払うだけで、清潔な衣類が手に入るサービスモデル**を確立するのです」
このシステムは、初期投資の負担を庶民から取り除き、共同で清潔を維持する仕組みを街に作るという画期的なものだった。また、シラミを抱えたまま共同浴場に来ることを防止する衛生上の効果もあった。
シラミ撲滅と次の課題
練太郎と佐和は協力し、江戸の各所に安価な**「共同洗濯場」を展開した。練太郎は「洗濯場」の管理者に、シラミの卵のついた衣類を見つけたら熱湯による殺菌**を徹底するよう指導した。
この施策は、特に子育てに忙しい女性たちに熱烈に歓迎された。シラミの発生率は目に見えて減少し、練太郎と佐和の事業は、**「個人の清潔」から「共同体の清潔」**へと領域を広げた。
練太郎は、洗濯場が清潔な衣類で溢れる様子を見て、深い満足感に浸った。
「佐和殿。シラミという不潔は、貧困と無知の象徴だ。安価な科学が、その両方を撲滅する第一歩となった。だが、この作業はすべて手動だ。品質の安定と大量生産には、限界がある」
練太郎の視線は、洗濯場を動かす人足の、ムラのある手作業に向けられていた。彼の次の課題は、**「手動技術の限界を打破し、水車による全自動化を実現すること」**だった。




