異世界転生と、潔癖な理系の絶望
大学の工学部化学科研究室。蛍光灯の白々しい光の下で、神崎錬はゲロのような顔色で、目の前のPC画面を睨みつけていた。時間は午前4時。徹夜明けの錬の耳には、友人から押し付けられた異世界転生アニメのチープなBGMが鳴り響いている。
「ああ、もういい加減にしろよ…」
錬は苛立ち、画面の中の主人公が魔力を放つシーンで声を上げた。
「魔力って何だよ?そのエネルギー源は何なんだ。熱効率が$100%$だとしたら、それはエントロピーの法則を無視している。だいたい、チートって言うなら、その魔法で水道インフラを構築してみろ。できないだろう?結局、都合のいいファンタジーごっこだ。俺なら剣や魔法じゃなく、熱効率とpH調整で世界を改変する方がよっぽど現実的で面白いわ!」
錬は日頃から手洗いを欠かさず、共有スペースの清潔度にこだわる軽度の潔癖症だった。そんな彼にとって、非論理的でご都合主義的な設定のファンタジーは、生理的な不快感を覚える代物だった。
膨大なレポートの山と睡眠不足の限界を迎えた錬は、椅子にもたれる間もなく、そのまま机に突っ伏して意識を失った。脳裏には、画面の中で光る青い魔法陣だけが焼き付いていた。
目覚め、理系の絶望
激しい頭痛とともに、錬は目を覚ました。
「うっ…」
最初に感じたのは、現代の家屋ではありえない得体の知れない埃と異臭だった。鼻腔を刺激する、土壁の湿気、古い木材の黴、そして何か動物的な匂いが混じった不快な複合臭。
錬は反射的に体を浮かせた。この畳には、一体どれほどのグラム陽性菌とグラム陰性菌が住み着いているのか。すぐにでも手を洗いたかったが、見慣れない木造の部屋には水道などない。
周囲を見渡すと、自分の体が子供のものになっていることに気づいた。そして、部屋の隅には、ちょんまげを結った男(父親らしき人物)が座しており、壁には刀が掛けられている。
「ちょんまげ…刀…まさか、俺が最も嫌悪した『異世界転生』か?」
しかし、ここは剣と魔法の世界ではなかった。
錬(練太郎)は、手を洗うために台所を探して部屋の外へ出た。そこで見た光景は、彼の理系知識と潔癖症の全てを否定するものだった。
悪臭が立ち込める汲み取り式の便所、泥と生ゴミが放置された台所、そして何より恐ろしいのは、不衛生な飲料水だ。濁った井戸水や溜め水には、様々な浮遊物が見て取れる。
「無理だ!耐えられない!この汚染レベルは、もはや生活できる環境じゃない!便所も台所も、大腸菌とサルモネラの培養所だ!剣と魔法なんてどうでもいい。俺がまず倒すべきは、目に見えない病原体と、この非科学的な生活構造だ!」
錬の胸は、潔癖症からくる生理的な嫌悪と、化学科の知識が喚起する公衆衛生の危機感で満たされた。
科学こそが、最強のチート
夕食時。粗末な飯、魚の煮付けが並んだ。練太郎はまず、使われている箸の木目に潜むであろう微生物に嫌悪感を抱き、次に魚にかかった醤油を嗅いで、戦慄した。
「くそ…この醤油、生臭くてひどい酸味だ」
練太郎は醤油の小皿を取り、匂いを嗅いだ。
「父上、母上。この醤油は…腐敗菌が優位になっています。アミノ酸の分解が不完全で、揮発性アミン類が過剰に発生している。これでは料理の味が台無しです!」
家族は怪訝な顔をする。「何を馬鹿なことを」という顔だ。この生臭い醤油が、彼らにとっての**『普通の味』**なのだ。練太郎は悟った。この不潔な世界で生きていく唯一の方法は、この世界を自分の基準に合わせて変えることだ。
彼は意を決して父親に頭を下げた。
「父上。私に一分金をお貸しください。この一分金を元手に、私は銭を五倍に増やします」
父の弥助は呆れた顔で聞き返した。「何を根拠に五倍などと!」
「根拠は、科学と計算です。粗悪な醤油は安価ですが、私が熱の力(加熱殺菌)で微生物を殺し、品質を安定させれば、それは別次元の商品となります。失敗の確率は、この醤油の腐敗率よりも低いことを保証します!」
弥助は、その理屈は全く理解できなかったが、練太郎の狂気的なほどの真剣さに、渋々一分金を貸し付けた。
練太郎は七輪と鍋を探し、買ってきた醤油の小瓶を持って台所へ向かう。彼の心は燃えていた。
「俺のチートは『剣』でも『魔法』でもない。**『科学』**だ。まずはあのクソ不味い醤油を、**火入れ直し(殺菌)**でマシにしてやる。そして、この不潔な江戸を…物理と化学で根本から変えてやる!」
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