壱.プロローグ
人里離れた、木々が連なる森林。
のどかな自然が広がるこの広大な森の一角から、突然土埃と共に木々がなぎ倒れた。
倒れた木の元には、ふたつの人影が足速に駆け無数の細い閃光が飛び交っている。銀閃がひとつの木を通り過ぎると、木が斜めに滑り落ち、地面に転がった。
それが二度、三度と幾度となく繰り返される中、ふたつの人影がピタリと止まる。
相対する二人は、人間ではなかった。
片方は銀色の鱗に覆われた、大柄な龍。
もう片方は漆黒の鱗に覆われた、小柄な龍。
龍人、と称されている地上最強とされる人族。龍を人族の骨格に置き換えた様な容姿を持つ彼等は、個々が莫大な魔力を有し、魔法を扱う事に長けているのだという。
だが、打ち合い稽古でもしているらしい彼等は、魔法を用いていなかった。
「シィッ!」
黒龍が駆け、一息で白龍まで距離を詰め手にある剣を振るう。
彼等の手にあるのは両刃の剣ではなく、緩やかな反りのある薄い片刃の剣。
東の果ての島国に伝わる“カタナ”なる剣。両刃の剣以上に扱うのが難しいとされる反面、優れた切れ味を持っているらしい。
そんな剣を、ふたりの龍人は手足のように取り扱っている。
黒龍の振るった剣を、白龍は自らの手にある剣の刀身の反りに流す形で、斬撃の軌道を逸らす。
斬撃を逸らしながら構えた剣を、反撃する形で振り抜くと、黒龍は頭の位置を僅かにずらした。逃げ遅れた鬣の数本が斬られるが、彼は気に留めずに構え直した剣を横薙ぎに振るった。
轟速で振られた剣。
その光景を観戦する者が居れば、誰もが入ったと思うだろう。
しかし白龍は左手の鞘を自身と、振り抜かれる剣の間に割り込ませてその斬撃を防ぐと、瞬く間に右手にある剣の柄で黒龍の頭を叩く。
予想外の攻撃を受けて体勢を崩した黒龍の手足を即座に制し、地面に組み敷いた白龍は、手にある剣を黒龍の首元に添える。
「……一本。私の勝ちだな。リューク」
「あークソ! もうちっとだったのによォ!」
リューク、と呼ばれた黒龍は悔しそうに両手足を伸ばして大の字となる。
負けた事が余程悔しいらしいリュークは、不機嫌そうに尾を叩く。それでも白龍は気にせず剣を鞘に納める。
「鞘はナシだろ師範。オレは極力使わねェようにしてんのによ」
「おや。私はいつ鞘を使うな、と言ったかな」
「……言ってねェな。クソが」
「仮にも父親に対して、そんな事は言うんじゃない」
文句を言うリュークに、リンウェルという白龍は楽しそうにそう返した。
ふとリンウェルは空を見上げる。青よりも赤の面積が増えた空を見ていると、隣から腹の虫が鳴った。リュークだ。
「日も傾いてきたな。今日はここまでにしよう」
「オォ、飯だ飯。今日は師範が作んだろ? 何にすんだ」
「リュークの好きな、鹿肉のスープだ」
「やりィ」
容姿も違い、鱗の色も異なる。ふたりに血の繋がりはないが、それでも親子と言っても遜色のない彼らには、確かな絆があった。
◇◇◆◆
「なァ、師範」
夕飯の席を囲み、食事をしている中で頬杖をついたリュークが声を掛けた。
「行儀が悪いぞ」
「悪ぃ。……じゃなくて。師範はなんでこんッなのどかな森ン中で隠れて暮らしてんだ?」
リンウェル・ムリフェイン。
リュークはリンウェル以外の剣士を知らぬが、不思議と彼以上の剣士など存在しないとすら感じている。
かれこれ十年と数年。リンウェルという剣士に鍛えられて育ち、未だにリンウェルに一撃を入れた試しがない。
故に不思議だった。彼ほどの剣士が、何故こんな場所でひっそりと暮らしているのだろうか。
「……別に、特に理由などないさ」
「嘘付け。オレが師範の嘘を見抜けねェ訳ねェだろ」
「…………」
そう言われては、リンウェルは押し黙る。
実際、リュークに嘘を吐いて欺けた試しもまたない。幼子の頃から妙に勘が鋭く、秘蔵の酒やつまみなどを巧妙に隠しても、初見で見抜かれたのは一度や二度ではないからだ。
そこを突かれてもなお、リンウェルは話したがらない。
リュークは特に詮索するつもりこそないが、それでも気になるものは気になる。
「……いつかは、話すかもしれないな」
「いつかッて……いつだよ」
「いつかはいつかだ。……まぁ。いつか、必ず話すと約束する。それまで待っていてほしい」
「言ッたな? 約束、破んなよ」
「勿論だ」
リュークも、リンウェルも、交わした約束だけは何があっても違えない。それは、彼らがこうやって家族のように過ごし始めてから今に至るまで、ずっとそうだったのだ。
───そう、だったのだ。
この約束だけは、二人が初めて違える事になる。
片方が、もう間もなく死ぬからだ。