ちーこと修理屋さん
乾いた風が頬を打つ。意識がぼんやりと戻る中、陽大は砂の上に倒れていた。顔を上げると、赤茶けた大地がどこまでも広がり、空には赤みがかった雲が漂っている。「……どこだよ、ここ。」頭を押さえながら起き上がると、記憶が曖昧で、何が起こったのか全く思い出せない。見たことのない景色が目の前に広がる中、遠くには崩れかけた塔がそびえていた。
「こんにちは、陽大さん。」突然、背後から軽い声が聞こえた。驚いて振り向くと、手のひらサイズの白い球体が浮いている。金属製の外殻に、液晶のような目が表示され、くるくると回転していた。「なんだお前……?」陽大は警戒しながら一歩下がるが、球体は笑顔をディスプレイに浮かべたまま動かない。「私はAI700339です。この世界を修理するために派遣されました。そして――」一瞬の間を置いて、明るい声で続ける。「あなたは、この世界を修理するキーパーなんです!」
キーパーという言葉に引っかかりを覚えながら、陽大は呆然と球体を見つめた。「修理って……俺が?いやいや、意味わかんねぇし。」そう呟く陽大をよそに、球体はさらに回転しながら軽やかに動き続ける。「そうです!あなたはこの世界の歪みを直す役割を担っています!」何もかもが唐突すぎてついていけない。だが、周囲の異様な景色を見れば、これが現実とは思えないし、夢だと片付けるにはリアルすぎた。
「てか、お前さ……そのAIなんちゃらって名前でずっとやっていくのか?」陽大は話題を変えるように球体を指差した。「はい。それが私の正式な識別番号です。」無邪気に答える球体に、陽大は苦笑いを浮かべた。「いやいや、そんな番号みたいなの呼びづらいだろ。もっとこう、普通に名前とかねぇの?」そう言われて、球体は一瞬だけディスプレイを暗くした。「名前……ですか?必要性を感じたことはありませんでした。」その声には微かな戸惑いが混じっている。
陽大は膝に手をついて立ち上がり、ふと空を見上げた。「名前ってのはな、ただ呼びやすいだけじゃなくて、自分だけのもんなんだよ。番号じゃ味気ないだろ?」彼の言葉に、球体は少し黙り込む。「……では、私に名前をつけていただけるのですか?」その言葉に陽大は小さく笑い、「いいぜ。そうだな……お前、小さくて可愛いし……よし、今日から『ちーこ』だ。」と軽い調子で言った。「ちーこ……。」球体はその名前を反芻し、ディスプレイを少し明るくする。「なんかしっくりくるだろ?これからよろしくな、ちーこ。」陽大の言葉に、ちーこは「はい!これからよろしくお願いします!」と明るい声を返した。
その瞬間、遠くから轟音が響いた。陽大とちーこが音のする方を振り向くと、崩れかけた塔が不気味に揺れ始めている。「あの塔……危険です!魔法炉が暴走しています!」ちーこが突然慌てた声を上げた。「魔法炉……なんだそりゃ。てか、暴走ってどういうことだよ?」陽大が問い返す間にも塔の揺れは大きくなり、崩壊寸前のように見える。「このままでは周囲が壊滅します!急いで止めなければ……!」ちーこがせき立てるように言うが、陽大は困惑した表情を浮かべる。「いやいや、止めるって、俺に何ができんだよ!」そう叫びながらも、崩れそうな塔を見て放っておくこともできなかった。
「……くそっ、わかったよ!やるだけやってみる!」陽大は覚悟を決めると、ちーこと共に塔へ向かって走り出した。その背中には、迷いと不安を抱えながらも、人一倍努力を重ねる彼らしい強さが宿っていた。
赤茶けた荒野を駆け抜ける陽大は、遠くにそびえる崩れかけた塔を見上げた。地面はところどころ亀裂が走り、塔の周辺から吹き出す青白い光が空を照らしている。「なんだよ、あれ……。」息を整える間もなく、耳をつんざくような轟音が響き、地面が震えた。陽大は足を止めず、塔に向かって走り続けた。
「陽大さん、塔が限界です!急がないと……!」
浮かぶちーこが急かすように声を上げる。「わかってるって!だけど……おい、あれって煙か!?」陽大が指差す先には、塔の中腹から立ち上る黒い煙が見える。その光景に、彼の表情は一層険しくなった。「中に人がいるんじゃねぇだろうな……?」
「可能性は低いですが、確認しないとわかりません!」
「くそっ……結局そうなるのかよ。」陽大は歯を食いしばり、ペースを上げた。
塔の麓にたどり着いた陽大は、崩れた壁を見上げた。足元には瓦礫が散乱し、時折落ちてくる小石が地面を叩いている。近くにあった大きな穴を覗き込むと、内部から強烈な光と熱気が吹き上がってきた。
「ここから入るしかなさそうだな……。」
「注意してください、陽大さん。塔全体が不安定です。」
「言われなくてもわかってるって!」陽大は瓦礫を踏み越え、塔の内部へと足を踏み入れた。
中は想像以上に荒れていた。壁には無数のひびが走り、床のあちこちが崩れ落ちている。耳に響く低い振動音が、塔全体に不気味な命を吹き込んでいるようだった。
「魔法炉はどこだ?」
「このまま奥へ進んでください。中心部にあります!」
陽大はちーこの言葉に従い、崩れた瓦礫を避けながら奥へと進んだ。途中、吹き出す熱風に顔をしかめつつも、彼の目は決して揺るがなかった。
ようやくたどり着いた中心部には、巨大な球体の装置が鎮座していた。それが魔法炉だと直感的にわかるほど、異質な存在感を放っている。表面には無数の管や歯車が絡み合い、その一部が破損して青白い光を漏らしている。
「これが魔法炉か……って、こいつ、完全に壊れてんじゃねぇか!」
「はい、制御装置がほぼ機能していません!」
「そりゃ暴走するわな……。」陽大は呆れたようにため息をつき、周囲を見回した。
陽大はまず、破損している管の中でも最も深刻そうな箇所に目をつけた。「ここから魔力が漏れてるっぽいな……。」彼は工具を取り出し、慎重に作業を始めた。高温で焼け付く感触に耐えながら、管を固定し直していく。
「これでひとまず……!」最後のネジを締め終えた瞬間、魔法炉が一瞬だけ静寂に包まれた。
「やったのか?」
「はい!エネルギーが安定し始めています!」
「ふぅ……なんとかなったな。」陽大がほっとしたように息をついたその時だった。
突如、魔法炉が再び唸りを上げた。今度は先ほどとは比べ物にならないほど強烈な音が響き、全身に衝撃が伝わる。
「おいおい、またかよ!?」
「塔がエネルギーに耐えきれません!暴走が止まりません!」
「くそっ、マジか……!」
青白い光が暴発するように漏れ出し、塔全体が揺れ始めた。天井から瓦礫が降り注ぎ、床には大きな亀裂が走る。
「陽大さん、エネルギーをどこかに逃がす必要があります!」
「どこかって……どこだよ!」陽大は魔法炉を見上げ、歯を食いしばった。そして、ふと目に入ったのは、中心部から繋がる太い管だった。
「あれか……エネルギーを分散させるしかねぇ!」
「危険ですが、それしか方法はありません!」
陽大は管に駆け寄り、全力で工具を振り上げた。「頼むぞ……!」力いっぱい叩きつけると、管が大きな音を立てて壊れ、魔力が一気に外へ噴き出した。
「どうだ、これで――」
「分散は成功しました!ですが塔が――」
その言葉の通り、塔全体が崩壊を始めていた。「ちくしょう、間に合わねぇ!」陽大は振り返り、ちーこの声を頼りに出口を目指した。
崩れる瓦礫を飛び越え、倒れそうになるたびに体勢を立て直しながら走り続けた。背後から響く轟音が、陽大をさらに急かす。「ちーこ、出口はどっちだ!」
「右です!そのまま真っ直ぐ進んでください!」
「了解!」陽大はちーこの指示通りに走り、ようやく光が見えた。
「あと少し……!」
外に飛び出した瞬間、背後で塔が大きな音を立てて完全に崩れ落ちた。砂埃が舞い上がり、陽大の体を覆う。
砂煙の中で、陽大は地面に倒れ込んだ。全身に力が入らず、ただ息を切らすばかりだった。
「……生きてる、よな……?」
その呟きに、ちーこがすぐに答える。
「はい!お疲れ様です、陽大さん!」
「お前、ほんと無茶振りばっかだな……。」苦笑しながら陽大は仰向けになり、空を見上げた。赤茶けた空が広がり、その向こうで何かが輝いているように見える。
「はぁ……俺、こんな仕事、向いてんのかね。」
ぼんやりと呟きながら、陽大はゆっくりと目を閉じた。