たかし、トロールと出会う
シルバーブラッド家には年間を通してイベントが幾つかある。
毎年秋頃になると、ラエレク叔父さんから狩りに誘われるのもその1つだ。
以前はベトリットの猛反対によって僕は参加していなかったのだが、父の説得の甲斐があって今年から僕も参加する事になったのだ。
早朝から使用人達が慌ただしく準備している。
マルグレットも今日は使用人達と一緒に準備をするので、世話係はお休みなのだ。
まだ支度が終わっていない段階で、ラエレクが荷馬車を連れて邸を訪れた。
「久しぶりだなソーナー、すっかり大きくなったな」
「えっと、こんにちは!」
僕は子どもらしく、そして元気な声で挨拶を交わす。
ラエレク叔父さんと最後に会ったのは僕が生後2~3ヶ月の時だ、明朗快活で僕を天井近くまで高い高いして、投げ飛ばしてくれた豪快なおじさんである。
ソーンヴァーが神経質で、よく胃を痛めているのは弟の影響なのかもしれない。
「本当に兄貴にそっくりだな、今日は俺がたらふく食わせてやるからな!」
「体型の話ならやめてくれ。結構気にしているんだ」
恰幅のいいラエレクとは対照的にソーンヴァーは痩せている。
普段から少食なのだが、毎年狩りを楽しみにしている辺り肉は好物なのかもしれない。
そして先程からラエレクの側に気になる人物がいる。
おそらく僕の従姉妹に当たる人だろう。
「娘のナナだ。何かあったらコイツに頼ると良い」
「ソーナーです、よろしくお願いします」
「よろしくね」
人当たりの良い娘さんで、僕らはすぐに打ち解ける事が出来た。
ナナは今年8歳で、町立学校の3年生だ。
好きなものは、冒険とアップルパイとアレシウスと相棒の元猟犬ニムヒ。
狩りにもよく一緒に出掛けているようで、この辺りは庭のようなものだという。
目的地までの道中、荷馬車の中でソーンヴァーとラエレクは会話に花を咲かせていた。
会話の中で、死霊術師の活動が活発になっているという話題になる。
僕も2人の会話を聞いていたが、ナナが僕に声を掛けてきた。
「あのね、パパにあなたの世話を任されているの。よかったらあたし達と一緒に森を探検してみない?」
「お父様達はいつも君を置いて狩りに出掛けちゃうの?」
「うん、でも大丈夫よ。アレシウスとニムヒが着いてるし、あたしも魔物を倒せるように訓練しているの。それにアレシウスは元兵士でとっても強いんだから!」
話によれば、アレシウスはラエレクの従者として長年支えており、元々は帝国の兵士だったようだ。
当時若かった彼は実力を期待されていたが、訓練中に膝を負傷した事が原因で兵を引退したようだ。
それでも剣を握り続けているのは、何か並々ならない思いがあるのだろうか。
「僕も探検に参加していいのかい?」
「もちろんよ!でも必ずあたしの言うことを聞くのよ、勝手に行動したら駄目だからね。約束よ」
「わかった、約束するよ」
荷馬車で30分程移動すると、見張らしの良い白樺の森へ到着した。
「私はラエレクと狩りに行ってくるから、おまえはナナと此処で遊んでいなさい。絶 対 に !1人で出歩くなよ!」
「わかりました…」
「森の奥には怖い狼がいるからな、奴らは1人になった所を集団で狩る。特に子供は格好の的だから、絶対に1人になるな」
「大丈夫よパパ、アタシがソーナーを守ってあげるから!」
ナナは自慢げに短剣を天に掲げる。
銀製で柄の部分にお洒落な装飾がある。
プレゼントだろうか、シャープな形の格好いい短剣で少し羨ましかった。
「あぁ、頼んだよ。でかい獲物を捕ってくるから楽しみに待ってなさい」
父親2人は雇いの狩人を3人連れて森の奥へと入っていく。
使用人達もテント設営や料理の準備で慌ただしい。
「ソーナー様」
テントの設営を手伝っていたマルグレットが合間で呼び止めた。
「どうしたの?」
「ナナお嬢様と森へ入られるのでしょう、女神リベラの首飾りです。どうぞお守りに使ってください」
豊穣の女神のお守り。
彼女は僕が森へ野草の採取を目的にしている事はお見通しのようだ。
ちなみにリベラは愛と繁栄を司る女神でもあるのだ。
意図しているのかは不明だが、流石はマルグレット、彼女は完璧なお世話係だ。
メイド服を贈ろうとしてた自分が恥ずかしくなってきた。
「ありがとう、大切にするよ!」
「どういたしまして☆どうかお気をつけて!」
僕たちも早速、森の散策に出掛ける事にした。
季節は秋だが、野草の花がたくさん咲いている。
幾つかの花は薬の材料になるので、ナナの許可を取り、邸で留守番しているオンドルマールに錬金術の素材として持って帰る事にした。
彼女は植物の知識に精通しており、毒草や薬草などいろいろな花を教えてくれた。
散策を開始してからどれ程の時間になっただろうか、太陽が完全に空を明るく照し始めた頃、
突然ニムヒが忙しなく吠えはじめた。
「ナナ、ニムヒはどうしたの?」
「運が良いわソーナー、どこかこの近くにシルフィウムが咲いてるのよ!辺りを探してみましょう」
「シルフィウムだって!?ニムヒはハーブの匂いがわかるの?」
「ハーブだけじゃなくて茸が生えてる場所もわかるの。彼はとっても賢いのよ」
ニムヒはもともと狩猟犬になるための訓練を受けていたが、彼はきのこやハーブを探す方が得意だったようだ。
「あったわ!」
小道から少し逸れた所に、黄色い小さな花を咲かせた植物がある。
1本採って匂いを確認すると、スパイシーな香りが鼻を通る、間違いないこの匂いだ。
このハーブは薬だけではなく料理にも使える。
花だけではなく、根や茎や葉っぱ種まで余すこと無く使える万能ハーブなのだ。
僕も以前にこのハーブを使った料理を食べてから、すっかりハマってしまった。
「鹿に食べられる前に採ってしまいましょう」
僕とナナはせっせと土を堀りシルフィウムを収穫した。
野営地に戻ったら料理長に少し渡そう、今日はきっと楽しい食事会になるだろう。
惜しむらくはベトリットと妹が留守にしている事だが…。
「アレシウス、どうしたの?」
今までずっと寡黙だったアレシウスが剣を抜き、厳めしい顔をしている。
「2人とも、草影に隠れて下さい。トロールが徘徊しています」
「わかった、動いちゃ駄目よソーナー。大丈夫私たちは強いんだから」
僕とナナはその場に屈み草影に身を隠す。
何処にいるのだろう、頭を出して確認したい衝動に駆られるが、それで見つかってしまったら迷惑をかける所の話ではない。
トロールは魔物図鑑に載っているのを見た事がある、山に住む肉食で毛むくじゃらの巨人。
人を襲って食べる事もある恐ろしい魔物と書いてあった。
食料が不足すると、山の麓まで降りてきてエサを探す事があるようだ。
ナナも表情を強ばらせている、しかし慌てずアレシウスに言われたとおりその場を動かない、きっと彼を信用しているのだろう。
アレシウスは剣を構え、その場に立ったまま動かない。
もしかしたら出方を伺っているのかもしれないと思った僕は、自分でも驚く程突拍子もない提案をする。
「アレシウスさん、僕と協力してトロールを狩りませんか?」
「何だって!?君がトロールを倒すのかい?」
突然の提案にアレシウスは声を上げそうになるが、努めて冷静に小声で話す。
「間違ってたらごめんなさい。アレシウスさんはトロールを討伐すべきか決めあぐねている様子に見えたので。このまま放っておくと野営地に被害が及ぶ可能性があるけど、僕たちを此処に残してしまうという懸念もあったのでは無いでしょうか」
真面目な性格なのだろう、1人で思考を纏めるのは苦手なのかもしれない。
個々人では難しいけれど、力を合わせればもしかすれば倒せるかもしれないと考えた。
「討伐なんて出来るのソーナー…魔法は得意だと聞いてるけど…」
「3属性の破壊魔法は一通り撃てます。それから、ゾンビを討伐した経験があります。どうでしょうかアレシウスさん」
「生命探知と鎮静の魔法は使えるか?」
「はい、出来ます」
「よし、では鎮静化させたところを俺が切る。卑怯な方法だが、お嬢様を護衛する為にはなるべく早く済ませたい」
「失礼しちゃうわ、自分の身は自分で守れるわよ」
ナナが小声で鋭いツッコミを入れる。
ツッコミを他所に、アレシウスが戦闘の指揮を取りはじめた。
「先ずは生命探知で仲間がいないか探ってくれ。トロールは単独行動だが、希に2~3頭で行動する事もある」
僕は生命探知で周囲の気配を探る。木々に囲まれている奥の方に、小粒大のオーラが1つだけ反応している、アレシウスにもオーラが見えているようだ。
「このままゆっくり近付いていこう、あの距離では仲間が探知に引っ掛かってない可能性もある。1頭だけなら作戦通りに進めるが、仲間を連れていた場合は俺が足止めするから、2人は2メートル後方をついてくるように」
「俺が合図を送ったら鎮静の魔法をトロールにかけてくれ、あとは俺がなんとかする」
「わかりました」
「2人とも気をつけてね、私とニムヒは側で応援しているわ」
アレシウスに言われた通りの陣形でゆっくりと敵の方へ向かう。
オーラが消えてしまった為、ここからは肉眼で確認するしかない。
1分もしないうちにアレシウスが立ち止まり剣を構えた、いよいよ戦闘が開始されるのだろう、
僕もいつでも魔法が撃てるように準備をする。
前方からゴリラのような怪物が突進してくる、
かなり速い。
あっという間にアレシウスの間合いまで近付き、太い腕で大降りの一撃を喰らわせる。
体長2メートルあるかどうかの巨体だ、まともに喰らえば一溜りもないだろう。
しかし、アレシウスの剣術がトロールの一撃を難なく往なしていく、その姿はとても古傷を負っているとは思えなかった。
2度の攻撃を往なした所で合図が送られた。
「ソーナー、今だ!」
僕は準備していた鎮静魔法をトロールに向けて放った。
効果は抜群、興奮状態だったトロールは、すっかり平常心になり攻撃の手を止めた。
「良くやったソーナー、勇敢だったぞ」
アレシウスが急所の背中に力一杯斬りかかると、トロールは苦悶の叫びを上げて数秒で絶命した。
見た目は恐ろしい魔物だったが、対処法がわかれば苦戦はしなかった。
この魔物からも薬の素材が取れるだろうか、と考えていた矢先だった。
「まだよ!もう1頭来ている!」
ナナが指差す方角へ振り向く、彼女は目の前のトロールを討伐した後も周囲の警戒を怠っていなかったのだ。
「くそっ!仲間連れだったか!」
不意打ちだった為、アレシウスはトロールの攻撃を往なせず、膠着状態になってしまった。
もう一度、鎮静魔法を撃つ準備をする所でナナが叫び声を上げる。
「ソーナー!」
どこから回り込んだのか、3体目のトロールが僕達の目前まで迫っており、既に攻撃する体制になっている。
僕は目の前のトロールに鎮静魔法を撃つが、トロールは攻撃の姿勢を変えない。
魔力を込める力が弱かった為に鎮静化に至らなかったのだ。
耳元で鈍い打撃音が聞こえ、同時に視界が歪む。
トロールの一撃をまともに受けてしまい、受け身も取れず地面に叩きつけられる。
意識が急激に遠退いていこうとする僅かな時間
に、回復しなければ、という思いが頭を過り、そこで僕の記憶は途切れた。