case1:悪役令嬢
case1:悪役令嬢
フェレーナ学園貴族科の卒業式――。
「性根の腐った悪辣な極悪非道な令嬢、ロクサーヌ・リシュパン!本日をもってお前との婚姻を解消させてもらうぞ」
白壁と細かい装飾が施された柱が整然と並ぶ、荘厳な内観の講堂。そこに耳を劈く男の怒号が木霊した。
ナルシス王国の王子であり、ロクサーヌの婚約者である第二王子ボニファースは声高々に宣言した。ロクサーヌは心当たりがないと抗議をするが、ボニファースは聞く耳を持たない。
後ろに怯えるように彼の卒業式用に誂えた最高級の白地のスーツの裾を、皺になることも厭わず、ぎゅっと握りしめる少女――セリーヌは肩を震わせていた。
ロクサーヌは後ろでしたり顔を見せているセリーヌに苛立ちを感じながらはっきりとボニファースの言葉を否定した。
「私はリシュパン家の名に懸けてセリーヌを虐めるなんてことはいたしません!そもそも、婚約者がいる殿方と腕を組んだり、上位の令嬢に対しての振舞いに問題があったのでその場で注意をしたことはございますが、それだけで必要以上に彼女に接触していませんわ」
ロクサーヌ・リシュパンはナルシス王国五大公爵家のリシュパン公爵家の令嬢で、ふんわりとしたストロベリーピンクのセミロングヘアにサファイアのように深い青の瞳を持っている。父親譲りのしっかりとした顔立ちから、少し威圧感を感じさせるが慇懃でマナーに明るく、人当たりも良いので多くの人間に好かれている。
――が1年半前、セリーヌが学園に編入してからはその状況がガラリと変わった。
いつも仲良くしていた令嬢からは距離を取られ、公爵令嬢という肩書を利用してボニファースと同じ生徒会に席を置く、セリーヌに嫉妬して虐めていると。その噂が出回り始めてからあきらかにロクサーヌは孤立していった。
今、ロクサーヌは身に覚えのない告発に脳内パニックになりながらも、孤独と家名を背負う責任感で必死に冷静さを保ち冷たい視線が突き刺さるボニファースを見据えた。
「それに――」
「嘘を吐くな!この極悪非道の悪女が!」
これ以上の言い訳は聞きたくないとボニファースは唾を飛ばしながら言葉を遮る。
……ボニファースは国王と第二側妃から可愛がられている。第二王子ではあるが、王位継承権に一番近い男と言われている。明るい茶髪に幼さが感じられる顔立ちだが、美形で背も高いので地位も相まって女子に相当モテた。
そんな後ろに控えるセリーヌ・ガリマールは子爵の1人娘で、人当たりがいいが裏表が激しい性格で特にロクサーヌの派閥には辛く当たっている姿が目撃されている。しかし、ボニファースの前ではか弱い自分を主に見せており、今回もロクサーヌから虐めを受けているとボニファースに泣きついたことでこのような事態に発展してしまった。
そして当然、卒業式の粛々とした空気は壊れ、教師も生徒も一同に思考が停止する。ボニファースの宣言で騒ぎは大きくなり、反ロクサーヌ派閥やロクサーヌを快く思っていない人間はロクサーヌに避難を浴びせた。
「すまない、セリーヌ。つい声を荒げてしまったな」
ロクサーヌに反発する声が大きくなったことで、徐々に告発した興奮と愉悦が大きくなり大きな鼻息をひとつ漏らしたボニファースは冷静を装いながらセリーヌを慰める
。セリーヌも思い描いた状況に笑いを必死にこらえるべく手で顔を覆い、気弱に答えた。
「いいえ、大丈夫ですわ。でも……」
指の隙間からちらり、とロクサーヌの顔色を窺う。ロクサーヌは事実無根と訴えるも、セリーヌがこの日まで育てて来た噂話はこの場にいるほとんどの生徒の耳に届いており、ロクサーヌを庇おうと思うものはいない。
庇おうと思ってもほとんどがセリーヌとボニファースの味方で1人の主張は多数の悪意に飲まれる。この日の為に、全てを持ち、王子と婚約しているロクサーヌから奪うためにどれだけ苦労を重ねたことか。
セリーヌはこの多くの貴族の令嬢、令息は一同に集まる卒業式で爆弾を起動させようと決意していた。
セリーヌは1人娘ということもあり大層可愛がられて育てられてきた。欲しいと思ったものは手に入らなかったことはないし、他人の物であれば泣きつけば譲ってくれた。それでも譲ってくれなければ泣き落としで他人を陥れて奪ってきた。
学園に入ってからは美貌と家柄を持ち合わせ、王子の婚約者という立場のロクサーヌに嫉妬していた。だからこそ、全てを奪い、王子の婚約者の地位を奪おうと決意した。
手入れのされた亜麻色に近い金髪をツインテールにして、甘い薄桃の瞳を潤ませてやれば感情的な生徒は騙されいい手駒として噂を拡散してくれた。
そうして仕上がった卒業式はロクサーヌ1人の為の断罪の場だ。ここで婚約破棄が成立すればロクサーヌの経歴に傷はつき、清廉な貴族令嬢の地位は脆く崩れ去っていくだろう。そして、高位の貴族に虐められたセリーヌは悲劇のヒロインから王子の婚約者としてのシンデレラストーリーが幕をあける。
まるで物語の主人公になったかのような話の進み具合につい下品な声をあげそうになった。
そうして妄想を繰り広げている間は仕上げた盛り上げ役たちがロクサーヌを糾弾しているのだからやはりヒロインというものは役得だ、とセリーヌは密かにほくそ笑んだ。
ロクサーヌは多方面からの糾弾に必死に無実を証明しようとするが、言葉で返しても聞く耳を持たない人間ばかりだと言い続けるのにも疲れてしまう。このまま認めてしまえば楽になるのではないかと諦念の色を見せた時。
「少しいいかしら」
パシン、と扇子が閉じる音と当時に芯が通り、凛とした声が行動に響いた。少女のように清廉で悪女のように強気な声の主は白銀のロングストレートヘアをなびかせ、足を組み替えてから髪の毛を耳にかける。
傲慢が人の形を取ったかのような存在感と目が離せない艶やかな美しさをひと際放つのはシルヴィア・ルメートル。悪名高いやり手実業家、ベレニス・ルメトール伯爵の末娘である。
シルヴィアは春色の唇を不敵にあげて猫のように気だるげな瞳を細める。
発言権がこちらに渡ったかと思えばわざとらしくため息を吐いた。
「いつまでこんな茶番を続けるつもり?馬鹿の学芸会を無理やり見せられるほど私は暇ではないの。どちらでも良いからさっさと終わらせてもらえる?」
豊満な胸の前で腕を組み、持ち上げるとその乳袋につい視線を追ってしまうボニファース。つい目を奪われてしまうが、状況が故に我に返り、誤魔化すように咳払いをした。
「伯爵の末娘風情が!今は大切な話をしているのだ!部外者は引っ込んでろ!」
「部外者は引っ込んでいろとおっしゃるのなら、わざわざ人目がつくこの卒業式ですべき話ではないでしょう。人のことをとやかく言う前に、まずは空気を読むことを勉強してきなさいな」
ボニファースの言葉を臆することなくぴしゃりと跳ねのける。ほとんどの生徒が王子であるボニファースの地位と振舞いに怯えていたのに、ひとつも恐怖や遠慮を見せることがないシルヴィアの姿を、ロクサーヌはつい目で追ってしまう。
シルヴィアは不敬だぞ、と声を荒げるボニファース。いつも持て囃されてきたボニファースは他人からの罵声には耐性がない。あったとしても王子としての権威を見せてやればだれでも口を閉ざしてきたからだ。
しかし、目の前のシルヴィアは恐れるどころか端正な顔の眉間を、ホイップクリームを絞った後の袋のように皺を不愉快そうに顰めるばかり。
そうして鼠に狙いを定める鷹のように鋭い眼光をボニファースに浴びせた。
――ただの成金伯爵家の末娘の癖に、どうして睨まれただけで身体が震えるんだ!
黄金の瞳を煌かせる。温度のない瞳ににらまれればいくら他人の感情の機微に疎いボニファースでも気づく。怒らせては駄目な人間の一種だと。
シルヴィアは静かに口を開いた。
「なにか言いなさいよ、馬鹿王子。そこの股が緩い女を庇ってリシュパン公爵令嬢を寄ってたかって虐めている最中なんでしょ?」
「虐めていたのはロクサーヌの方だ!俺はただセリーヌを虐めたロクサーヌと婚約破棄がしたいだけなんだ!」
「なら、卒業式で宣言せずともいいじゃない。どうせ両家の同意がないと婚約破棄ができないんだから、正式に席を設ければいい話。それをせず、一方の話しか聞かない状態で大勢で寄ってたかって責め立てるなんて。現状が集団の虐めと捉えられるのだけど」
頬に手を添えて、こてんと首をかしげるシルヴィア。その仕草さえ怒りで曇った視線であっても思考が奪われる。しかし、ボニファースは首を振りシルヴィアに反論した。
「オマエは知らないのか!?ロクサーヌはことあるごとにセリーヌを虐めてきた。それでどれだけセリーヌが心を痛めて来たのか知らない癖に!」
「知らないわよ。興味もない。それにさっきから決めつけた物の言い方だけど、大層に事を大きくしているのだから証拠はあるのよね?」
「ある!セリーヌがこうして証言してくれているのがその証拠だ!」
ボニファースのその一言に講堂は冷や水を掛けたように静まり返った。自信満々に宣言したボニファースの声だけが広々とした行動に木霊した。
その静寂の意味を知らないボニファースは頭の中にはてなマークを浮かべるしかなく、ロクサーヌは気まずそうに目を逸らし、シルヴィアはまるで歩道の隅に寄せられている犬の糞を見るように見下ろした。
「証言なんていくらでも偽証できるでしょう?私が言っているのは物的証拠。まさか証拠がないの?」
「セリーヌは嘘はつかん!」
「…………はぁ。話にならない。やっぱ首突っ込むんじゃなかった」
シルヴィアは額に手を置いて掻く。それをなんだと捉えたのだろうか、ボニファースは反撃とばかりに「ほらな!」と指を指した。
シルヴィアはギロリ、とボニファースを睨むと今度は指を顎に沿えて、今度は悪戯をするような笑みを浮かべた。
「セリーヌのような不倫の末にできた婚外子庇ったって何の得にもならないわよ。手癖が悪くて小さい頃は店の物を盗んで欲しいものを手に入れて来た。話が大きくなれば子爵に噂をもみ消してもらっていたのは子爵領内でも有名な話だわ」
「――っ!突然なにを言うかと思えば。でたらめだ!セリーヌがそんなことをするはずがない!」
「今発言した言葉をどうして嘘だと決めつけられるの?調べた結果、私の話は本当のことかもしれない。公爵令嬢の件も同じことが言えるのではなくて?……まぁこの話は、でたらめだけど。でもこうして言葉で嘘はつけるでしょう?」
口論は言った言わないが論点になりどちらが折れない限り延々と続く話題だ。だからこそ、その話に終止符を打つためには証拠が必要だ。録音ができるならともかく、日常生活で魔法道具を使った録音なんてできるはずもない。
ではどう証拠を集めればいいのかというと、情報を多く集めるしかない。本当にロクサーヌがセリーヌの言う通り虐めていたのかという証拠。
だからこそ被害者当人の証言などいくらでも偽証できるとわからせるためにあからさまな嘘をシルヴィアは吐いてみたのだがボニファースには何も響かなかったようだ。ただ嘘の証言の安堵と自分の正義を疑わない頭の固さだけ、様子が見て取れた。
シルヴィアは周りを見渡し、その証言を今この場で求めるが、出てくるのは「その噂を聞いた」としか出てこない。
話を進めようと口を開いた。
「ほら、リシュパン公爵令嬢がセリーヌのマナー違反を注意していた姿はみていたという声があるけれど、実際にいじめた姿を見ていた人はいないでしょう。では、次にその噂の出処はどこか、になってくると思うけど」
シルヴィアは椅子の背にもたれて今度はセリーヌを見つめた。セリーヌは視線で縫い留められたように動けなくなり、言葉にならない声だけが漏れる。
「大衆の場で告発を理由に婚約破棄をするなんてやましいことがありますっていっているようなものじゃない。はぁ~、馬鹿らしい。この馬鹿に踊らされている愚か者のせいで貴重な時間を取られてしまったわ」
後は自分たちで解決しろとロクサーヌに向けて手を払う。公爵令嬢に対して失礼極まりない態度だが、どんな形であれ助けられた手前、その非礼をロクサーヌは指摘しなかった。深々と頭を下げるとロクサーヌはボニファースに向き直った。
今この場で、さきほどのようにロクサーヌを糾弾しようとする者はいない。
「私はセリーヌを虐めておりません。もしお疑いになるのなら、調査機関を使っての調査もご自由になさってください。やましいことはなにひとつしておりません。並びに……」
ロクサーヌは今度は講堂の客席側に向き直った。謝罪の意を込めてスカートの裾を広げ一礼した。
「皆さまの貴重な時間をこのような些末な事に費やしてしまい申し訳ございませんでした。先生方も差支えなければ引き続き、卒業式を進めていただければと思います」
教師は顔を見合わせて頷いた。無言で立ち尽くすボニファースたちを余所にナルシス王国で有名な楽団による流麗な曲が流れる。
剣呑な雰囲気と打って変わって優美な時間が流れた卒業式の会場は婚約破棄事件がなかったかのように時間が流れた。
…………。
後日、セリーヌの証言は第三者機関による捜査の結果偽証であると判明した。さらには王子としてあるまじき行為を行ったボニファースは王位継承権の継承順位を繰り下げられ、王子としての再教育の日々が始まった。
刻まれた汚名は王国全土に広がり、被害をうけたリシュパン公爵家は盛大に王族に抗議をした。ロクサーヌは婚約破棄は決定されたが、厚顔無恥なボニファースの暴走に巻き込まれた被害者として多くの貴族から同情を買ってもらえる結果となった。
セリーヌは偽証と貴族侮辱罪に問われ牢獄に入れられ、無事卒業式婚約破棄事件は収束に向かった。
――。
シルヴィア・ルメートル伯爵令嬢はルメートル伯爵邸の自室にこもっていた。
ルメートル伯爵家の始まりは、シルヴィアの祖父の代。当時のオーメン・ルメトールが多彩な商才でナルシス王国を経済の面から支えたことで爵位を受けた。
そのオーメン・ルメートルが創設した、ルーメン商会は様々な事業に幅を利かせる王国で一番規模の大きい商会。その商会を取り纏めているのがルメートル伯爵一家だった。
オーメンの1人娘、ロザリーが女性では珍しい爵位を受け継ぎ、父親譲りのカリスマ性で商会を今日まで大きくしていき、彼女の3人の夫の子供である3人の子供たちもロザリーの才能を受け継いだ。
長男のヴェールは数字に強くルーメン銀行の頭取を任されている。長女のスフィアは昔から宝石やドレスに興味があり、今ではデザイナー兼経営者として宝飾関係の事業をいくつか任されていた。
そして末娘のシルヴィアは弁が立ち、母親顔負けの経営手腕を見せた。その才能を認められ、娯楽事業を中心に複数の事業を幅広く任されていた。
学園の貴族科を卒業したシルヴィアは本格的に事業に打ち込むために、朝から早起きを――。
…………。
「シルヴィア!いつまで寝ている!もう正午になるぞ。早く起きなさい」
「ふぁあ~。お兄様、おはようございます。学校がないと朝起きなくていいので、のんびりできますよね」
「今日は朝から会議をするから起きろと再三言ってきたのに......」
「どうせ事業報告か、お父様たちのイチャイチャを見せつけられるだけじゃないですか。私、そんなつまらないことで時間を使いたくないわ」
大きなあくびをひとつ放つと、使っていたシーツを乱暴に足で払いのけてサイドテーブルにあるベルを鳴らす。皺ひとつないメイド服を着こなす使用人が3人がタイムラグなくやってくると1人はシルヴィアの髪を梳き、1人はドレスを用意し、1人はたらいを持ってくると身体や顔を拭き始めた。
もう昼前なのに朝支度を優雅に行うシルヴィアに身に着けている眼鏡を不愉快そうに押し上げる。同じ白銀の髪がかけていた耳からはらりと落ちると同時に赤い瞳にぐっと力を入れると、稲妻が落ちたような怒号が響き渡った。
――。
「お父様方、聞いて下さい。少々寝坊したからと言ってヴェールお兄様がこの私に手を挙げたのよ!?なんとかしてくださいませ」
シルヴィアは着替えるとヴェールに広間に連れられるとスフィアと二人の父が既に着席していた。寝坊したシルヴィアの為に時間をずらしてくれたのだろう。既に朝食を食べ終えている時間なのに、温かいスープが5人分置かれていた。
泣き言を漏らすシルヴィアに燃えるような赤い瞳に黒い髪の毛を持つ、筋骨隆々の男ラクスは塵を息で吹き飛ばすように笑い飛ばした。
「ははは!相変わらず手厳しいな!でも時間通りに起きれないシルヴィにも責任があるぞ。これが騎士団なら罰則ものだな」
金髪の髪の毛に翡翠の瞳の甘いマスクを持つメディは、隣からの鼓膜が震えるほど大きな声が聞こえると感触の悪い植物を噛むような不快感を表すように口を曲げた。
「うるさいぞ、筋肉馬鹿。何故オマエのような喧しい男の種からどうして理知的なヴェールが生まれたのか不思議だな。ヴェール、口で言って聞かないからとオマエも大切な妹に手を挙げるんじゃない。男と女では力の差があるのだからわかるまで言葉で諭すべきだろう。な、シルヴィア」
自分の種を受け継いでいなくても愛する女性の末娘を本当の子供の様に思っているメディは慈愛の視線を向けてほほ笑んだ。シルヴィアは甘えるように「メディお父様~」と泣きつくとよしよし、と頭を撫でた。
「コブを作って可哀想に。後で内出血に効く塗り薬を持って行ってあげようね。さぁ、座りなさい。アレクとロザリーは出張で今日はいないからこの5人で会議を行おうか」
娘に甘いメディにヴェールは呆れたようなため息を吐き、静観していたスフィアは手のかかる妹を見てくすりと笑いを漏らす。シルヴィアはもう少しヴェールを痛い目に遭わせて欲しかったと口を尖らせてスフィアの隣に座った。
それからいつも通りの事業報告を終えて運ばれてきた朝食兼昼食に舌鼓をうっていると会議の進行役を担当していたメディは最後にと言葉をつげると議題を口にした。
「先日、国王陛下から抗議文が届いた。内容は要約すると先日の学園の卒業式で起きた婚約破棄事件の中でうちのシルヴィアがボニファース第二王子を侮辱したという内容だ。シルヴィア、これに心当たりは?」
「まったくと言っていいほどありませんわ。檻の中の猿がなにかと喚いていたので落ち着かせはしましたが本当のこと以外は口にしていませんわよ」
反省することも後悔することもないと横柄に返事を返すと、メディはシルヴィアらしいと肩を竦めた。メディもこの場に顔を出している家族たちは卒業式でなにがあったのか大まかに把握していた。
それほど卒業式で起きた悲劇は社交界はもちろん国中に知られていた。
ほとんどの非はボニファース側にあり、王族とガリマール子爵一族は国内中から批判の対象となっていた。そんな彼らが話題の方向転換をしようと、今度はあの時ロクサーヌを庇う結果となったシルヴィアを大々的に避難することでもみ消そうとしていた。
シルヴィアの母、ロザリーはナルシス王国で一番の財力を誇り、社交界のツートップの1人。国内最大級のルーメン商会を束ねているとなればゴシップの的にしやすい。
少しの火種があれば王族がまき散らしたボヤ騒ぎなど人々の記憶から忘れ去られると考えたのだろう。メディは「相変わらず第二王子派閥って馬鹿だねぇ」と嘲笑を浮かべた。
それに追随してスフィアは頷いた。
「本当に。対して秀でているわけでもないのに、蹴落として王子の婚約者の座につこうだなんてどう考えれば浅知恵が働くのか。品性を疑うわ」
それを言えば社交の場でお姉様がデザインしたルビーのペンダントがセンスがないと触れ回ったナーリア侯爵令嬢が気に喰わなかったからと、彼女の婚約者に色目を使っていたことがあるのでは、とシルヴィアは思い出す。男を引っ掛けたという点ではセリーヌと変わらないじゃないかとおかしそうに口元に扇子の先を当てた。
「人のこと言えますの?お姉様」
「ちょっとボディタッチをしただけであの芋男が勝手に惚れたのよ。私はなにもしていないわ」
ツンとした態度で言い返されたシルヴィアは困った顔で扇子を下げる。ルメートルの人間は傲慢に欲深たれというのは母の教えだ。やられたことは100倍返しをしないとこの家から追い出されるくらいにはシルヴィアたちは厳しい教育を受けている。
特にスフィアは自分の美的センスに絶対的な自信を持っており、それを馬鹿にされるのを嫌うので悪口の題材として口にしたのが運の尽きだろう。シルヴィアは呆れて目を瞑り、スフィアはメディへと視線を流した。
「お父様、それで城にお呼ばれしたのでしょう。誰を連れていくの?当事者のシルヴィアはともかくとして。弁だけは立つ子だから1人だけで行かせたら明日の朝には第二王子派閥どころか王族の権威なんて失墜しますわよ」
「馬鹿王子の派閥の貴族の一部はうちの金融事業の真似なのか、うちの銀行と似たような名前で平民相手に高利貸しや悪徳商材の販売ばかりしているからね。目障りだったんだよ。いい機会だ。これを機会に潰してやろう。いいね、シルヴィア」
毒を含む甘い笑顔を浮かべて首を傾げる姿は多くの女性を虜にする姿だが、この場にいる彼の性格を知る面々は背筋から悪寒を走らせた。
一家の相談役の位置に就くメディは弁護士であり参謀役だ。政治的、法的戦略はこの男の存在は外せない。彼と血がつながっているスフィアは絶対に相手にしたくない男だと息を飲んだ。
シルヴィアも冷や汗を一筋流した後、足を運ぶなら楽しい方がいいと気持ちを切り替えた。
「どうせ潰すならお任せ下さい。リシュパン家にも恩を売って利益を上げてみせますわ」
……。
次の日、城に向かいメディと共に謁見の間までやってくると王座にはナルシス国王と第二王子の生母である第二側妃、ボニファースの姿が在った。王座を下ってその左脇にはリシュパン公爵一家、右側にはガリマール子爵からはストレスから摂食障害を起こしたのか、痩せたセリーヌと父親だけ参上していた。
形式的な挨拶を挟み、こうして呼ばれた理由――王族であるボニファースを侮辱した理由を国王は問いただす。
シルヴィアは臣下の礼を取るために膝をつき、手弱女のように弱弱しく振舞い、あらまぁと頬に手を添えて首を傾げた。
「私、まったく身に覚えがございません。卒業式にてリシュパン公爵令嬢が濡れ衣を着せられていたので本当のことを答えただけ。どの言動に侮辱が含まれているのか見当がつきません」
「馬鹿王子だと罵っただろうが!公の場で馬鹿と罵るのは明確な王族に対する侮辱だ!」
誰から知恵をつけられたのだろうかシルヴィアを指を指し自信満々に唾を飛ばすボニファース。弱弱しい姿を見せてやれば所詮は女だからと啖呵を切るかと思ったのは正解だとシルヴィアは頭を下げてにやりと笑う。
様子を知らない第二側妃はボニファースの肩を全面的に持つようで言葉には出さないが文字通り上から見下し、国王は申し開きはあるかとシルヴィアに問う。
横に控えているメディは待ってましたと言わんばかりに許しを得て頭をあげると青い瞳を三日月のように細くさせて揚々と答えた。
「恐れながら。王族侮辱罪とは王族の権威を損なわない為にできた法律のひとつです。聞くところによりますとシルヴィアは事実に基づいた『感想』を述べたことに過ぎません。王族侮辱罪には相当しないと愚行いたします」
「お父様の言う通りでございます。卒業式という式典の中、式を中断し、国の行く末を決める婚約の破棄、リシュパン公爵令嬢への誹謗中傷を考えもなしに行うボニファース様への感想です。そこで、国王陛下に問います。ボニファース様が今回行った婚約破棄宣言につきまして、国王陛下は『馬鹿な行為』だとは思いませんか」
シルヴィアはリシュパン公爵を一瞥してから問う。論点が「馬鹿な王子」と発言したから侮辱行為にあたるのであれば当事者たちが問題視する発言を正当化してしまえばいい。
結局侮辱というのは周りの受け止め方次第だ。ただ単語として発せられたものであれば侮辱行為には当たるが、前後の経緯があり、正当な言葉の表現だとすれば王国の法律上では侮辱罪には当たらない。
国王は返答に迷う。ボニファースの行為は本当に愚かな行為であり、王族の権威が失墜するほどの大きな問題だ。そして目の前にいるシルヴィア・ルメートルは仲裁に入った貴族の1人。下手に罪を着させればこの国の経済の一翼を担うルーメン商会と娘が被害に遭って大変ご立腹なリシュパン公爵家を敵に回すことになる。
下手に答えられないと国王は唸った。
――ルメートル相手にゴシップを仕上げてボニファースが起こした行為をうやむやにするという作戦自体が間違っていた、か。側妃の願いだったとは言え、愚かなことをしたものだな。
脳内で利益の天秤にかけてどうこたえるか思案する。ボニファースは可愛い息子ではあるが庇いすぎると自分の政治的権力が損なわれる。苦汁を飲み、国王は頭を抱えた。
「シルヴィア嬢の言う通りだ。婚約破棄は学園の卒業式を止めてまで宣言するものでもなかったし、その理由として「ロクサーヌ嬢がセレーヌ嬢を虐めていた」という事実は既に調査機関の調査で嘘だと結果が出ている。勝手な思い込みで秩序を乱す行為は国のトップとして、王族としても恥ずべき行為だ。『馬鹿』と感想を言われてもしょうがない」
あっけなく国王が侮辱行為ではないと認めるとメディは勝ち誇った表情を浮かべると深く一礼をした。
リシュパン公爵も「当然でしょうとも」と言葉を添えるとその様子を見ていたガリマール子爵は納得がいかぬと声を荒げた。
「忖度ではないですか!感想といえども侮辱をしたのは事実です!シルヴィア嬢にもなにかしら罰を与えないと王族も舐められますぞ!」
「子爵の言う通りです。それにシルヴィア嬢が卒業式の時にでしゃばらなければ騒ぎは大きくなることはありませんでした。国王陛下、もう一度御考え直しくださいませ」
シルヴィアは突き刺された視線にきょとんとした表情で返す。どういう形でも責任転換をして下落した自分たちの評価を戻したいという魂胆が見え透けていた。
シルヴィアはゆったりと小首を傾げた。
「では、子爵と側妃はあのままリシュパン公爵令嬢が罪を着せられることを黙ってみていろと仰せなのですね。仮にも王族と関係を持つ者たちが自分たちの名が傷つかないようにするために悪事を見逃せと公の場で口にするなど呆れますわ。どう思いますか、公爵、令嬢」
「話になりませんな。そもそもガリマール子爵は我が娘を侮辱した娘の親。何故この場に関係のない人物が立っているのかも不思議です。あくまでこれはシルヴィア嬢が王族を侮辱したことに対する事実確認の場なのに、です」
「うちの娘のこの娘に侮辱をされたんだ!婚外子で手癖が悪いと卒業式で言われたんだ!」
「違いますわ!それはあくまで例え話で、証言のみだと偽証できるからと例題を見せてくださったにすぎません。もしお疑いになるなら学園の教員もこの場に呼んでいただければ疑いは晴れるかと思います」
ロクサーヌの援護にガリマール子爵は口を閉ざす。この場においてはロクサーヌは被害者であり、彼女が庇うシルヴィアに下手に追及をすればこの場で利益重視に動く国王も敵に回す。
――何故だ、愚かな小娘を適当に言いくるめてセリーヌの世論を訂正するはずだったのに。
同盟を結んでいた側妃にアイコンタクトを送る子爵だが、旗色が悪いとわかるとあからさまな無視を決め込む。
シルヴィアとメディはこの茶番の一部始終を理解すると顔を見合わせて気づかれないようにため息を吐いた。
「国王陛下、では王族侮辱罪が晴れたという認識でよろしいとのことなので、追加で僕から申し上げたいことがございます」
「申してみよ」
許しを得ると反撃せんとばかりにガリマール子爵とセリーヌを指差した。
「証言偽証罪、及びシルヴィアに対する侮辱罪でガリマール子爵、令嬢並びに第二側妃、ボニファース様を告訴します。事実と異なる理由をつけて我々をここに呼び出し、国王陛下を巻き込んだことは国政を乱すことに他なりません。我々の名誉の為に全力で対処いたします。よろしいですね、国王陛下」
メディの宣言に謁見の間がざわつく。自分たちの無実が証明されたと確実が保証されたことで今度は刃を向けた者たちを睨む。
まさか自分たちが告訴されるなど思ってもない面々は声を荒げた。しかし、メディは取りあう気もなく、狼狽える国王は「誤解だから考え直してはどうか」と仲裁に入るがそれも逆手に取る。
「無実の罪を着させるということは嫁入り前のこの子の人生を潰えさせることになるのです。一国の頂点を支える側妃と王子が一塊の貴族が己の失態を隠したいからと結託して謀略を企てることはあってはなりません」
全て見透かされていると悟った側妃たちは冷や汗で顔を濡らす思いで次の言葉を考える。しかし、一塊の貴族であるのならともかく、ルメートル伯爵一家相手とあれば一筋縄にはいかない。
ナルシス王国の経済発展の一翼を担い、さらには目の前にいるメディはルメートル伯爵家の顧問弁護士も請け負っている。法廷に立てば善人でも悪人でも弁護を請け負えば負けたことがない無敗の弁護士。
公の場に出てくることは少なかったので彼のことを勘定にいれなかったのは誤算だった。国王はやめるように、ともこれ以上は言えず、「穏便に済ませられないか」と交渉を続ける。
シルヴィアは茶番に飽きて臣下の礼を取りながら自分のネイルを気にしている様子に、弁舌を繰り広げるメディは飽きっぽいなと呆れた。
…………。
case1:悪役令嬢②
その日のロクサーヌは緊張していた。
学園の卒業式でのボニファースの裏切りに等しい婚約破棄宣言。セリーヌの陰謀。そしてそれらから向けられる悪意を結果的に防いでくれたシルヴィアとルメートル伯爵一家には感謝してもしきれないとロクサーヌは心から感じていた。
シルヴィアとは学園生活の中では特に親しいというわけではなく、逆にシルヴィアの方が悪名としては高かった。
――傲慢のシルヴィア。
経済を担うルメートル伯爵一家。その中でも末娘と言うだけあって可愛がられて育てられていたのだろう。可憐でありながらほほ笑めば毒を含む痺れるほど妖艶な容姿を持つシルヴィアは非常に傲慢だった。
秩序は守るが独自のルールに則り、動くシルヴィアは実習授業でも列に並べばいつも一番前を陣取り、体育の授業は日焼けしたくないからと制服に日傘を差して運動場と校舎をつなぐ階段で見学をしていた。グループを組んで行う授業では彼女のマイペースについていけなくて何人の令嬢が涙を見せたという噂もロクサーヌは知識として知っていた。
近寄りがたい印象を持っていたシルヴィアだが、ただひとつだけ。
弱い者には寛大だった。
学園では平民でも教養が学べるように特別枠が設けられていたが、平民を下に見る貴族は毎年のように平民枠の生徒を虐めていた。見て見ぬ振りも珍しくないが、シルヴィアだけは彼らの中に割って入り貴族に言い返していた。
貴族で兄弟がいる家門では遅く生まれた子ほど実力を下手に見られる傾向があり、シルヴィアもただ金持ちで甘やかされて育てられた、政治的利用価値が結婚しかない女と評価する令嬢、令息も多かっただろう。
だが、弱い者に味方することだけあり、子爵以下の家門の令嬢、令息、平民の生徒からは好評だったことから、悪名高いと言えどもヒステリックに噂を掻き立てる輩というのは存在しなかった。
謎の人物、そのうちの1人がシルヴィアだろう。
先日の一件がきっかけでお礼ということもかねて、どのような人物が好奇心が湧いたロクサーヌはいつも以上に金髪の髪の毛を丁寧に縦に巻いてしずしずとした様子で来訪者を待ち望んでいた。
それから少しして、馬車の足音が聞こえて来たのでしゃんと顔をあげて道を見据えるとルメートル伯爵の家門がつけられ、御者席には馬の手綱を握ったメイド服姿の女性が印象的な馬車が現れた。
ロクサーヌの前に止まると、身体のラインを強調するピッタリとした黒いドレスを来たシルヴィアは御者をしていた高身長のメイド服を着こなしたプラチナブロンドのセミロングを持つ美女のエスコートの元降り立つと眠たげな眼に静かに炎を燃やすように開けると陽光に反射して黄金の瞳は煌く。
綺麗だなとロクサーヌは呆然とした。
「ロクサーヌ嬢、本日はご招待いただき誠にありがとうございます。こちらリーフ地方の夏摘み茶葉と東洋のお茶請けです」
「シルヴィア嬢、ようこそ我が家へいらっしゃいましたわ。お気を遣わせて申し訳ありません。ありがたく受け取ります。今日は先日のお礼も兼ねて我が派閥の令嬢、令息を招いておりますのでぜひともお寛ぎいただければ幸いですわ」
1対1でのお茶会もよかったのだが、シルヴィアの希望で賑やかな方がいいとロクサーヌが仲の良い家門を招いて欲しいとのことだったので小規模のお茶会ということになっている。
シルヴィアは学園に居た時から仲の良い友人とつるんでいるという情報はない。悪名もあったことから同年代の友達はおらず、折角であれば政治的にも彼女の家柄的にもリシュパン公爵家との繋がりを作って貴族たちに顔を売っておきたいというところだろうか、とロクサーヌは考察した。
本当に2人の方が気まずい、ということもあるのだろうが学園生活を1人で過ごしていたシルヴィアが今更になって寂しい、などという感情があるとは思えないとロクサーヌは考える。
どういった意図であれ恩人を招き、オーダーしたのはシルヴィアなのだから無粋だろうとすぐに考察を辞める。本来の
ロクサーヌはシルヴィアを連れて彼女をもてなすために最高級の茶葉と菓子を用意している中庭に設置したガーデンテーブルの方へ案内すると既に招かれた令嬢・令息6人が座っていた。
この場にいる令嬢、令息たちは皆それぞれが侯爵以上の家柄で令息2人は既に後継者として決まっており、残りの4人の令嬢たちは全員が長女だ。いわば家の中でも年功序列で注目されている子供たちであるのにロクサーヌがシルヴィアに指定した場所はロクサーヌから近い席、つまりは上座だった。
その様子に難色を示した面々だが、表情はすぐに正常に戻しながら紅茶を啜った。
シルヴィアはその視線に気づきながらも気づいていないフリをして堂々と上座に座った。
堂々たる態度にも気に喰わないロクサーヌを除けばこの席で一番偉い身分にいるライデン侯爵家の嫡女、ミルキーは期待を裏切らない強気な表情でに目尻を吊り上げながら指摘した。
「ルメートル伯爵令嬢はマナーと言うものを知らないのかしら。お茶会では家門の序列で席が決められるのですよ。案内されたからと堂々と座られるのは少々図々しいのではなくて」
隠すことのない敵意にシルヴィアは黄金の瞳を丸くさせる。ショックを受けたというよりは単純に驚いた表情だ。
怖気づいたのだろうとミルキーは腕を組む。ロクサーヌは客人に対して失礼な態度を取るミルキーを注意しようと席を立ち上がろうとするが、その前にシルヴィアは口元を扇子の先で隠して余裕そうに眦を細めた。
「これは失礼しました。この場のホストはライデン侯爵令嬢でしたのね。私ロクサーヌ様が主催のお茶会とお伺いしておりましたのに。では、このまま帰らせていただきますわね」
「なにを意味が分からないことを仰っているの!ここはリシュパン公爵邸でロクサーヌ様がホストですわ。私はただあなたの無礼を教えてあげただけなのよ」
「あら、そうでしたの。では私はこの席で間違っておりませんわよ。他ではないロクサーヌ様が決められた序列。これが公式的な場所ならともかく、非公式の身内のお茶会だと伺っております。でしたら席順の決定権はロクサーヌ様ですよね。上位のご令嬢のお茶会で見当違いな指摘をされている方はどちらかしら。そっくりそのままそのお言葉を返しますね。――図々しいわ、ライデン侯爵令嬢」
語尾にふぅ、とため息を吐きミルキーの指摘が無礼だと強調させると感情的なミルキーは顔に熱を集中した。ミルキーは典型的な身分制度主義で年功序列、爵位が高ければ偉いと信じて疑わない。
この中では一番の問題児で場をひっかきまわすトラブルメーカーと言えるだろう。ロクサーヌたちは下手に口を突っ込まず見守る。
「たかが伯爵家の末娘の癖に生意気よ!よくもリシュパン公爵令嬢の栄えあるお茶会に参加できたものね!お前のような成金の卑しい者が――」
隠さぬ侮辱にまずいとロクサーヌは口を挟もうとした。ただでさえシルヴィアの気性はよろしくない。侮辱を浴びせればそれ相応の返礼があることを理解していないのだろうか。王族にも食って掛かる性格なので事が大きくなる前に収めなければシルヴィアに余計な噂が立ってしまう。
ミルキーの傍に立った時、シルヴィアは困った、と言いたげに眉を下げた。
「財力というのも家門の力を象徴するもののひとつです。お金があれば生活はもちろん、身なりを整えるための品位も、皆さんが大好きな権力も地位も維持できますもの。成金上等。私は我が家門に恥じることなどひとつもないし、誇りに思っています。ライデン侯爵令嬢は下等だと罵られても胸を張って誇れるものはありますか?」
罵られても罵られた部分を誇りに思うと断言したうえで、仮に同じことを問われて誇れることはあるかと問われた貴族の家門は少ないだろう。多くが古くから国政を支える家門がここには揃っている。
――が、誰1人、彼女の質問に答えられる者はいなかった。
貴族として昔から保証されているからこそ、下等と罵られることもなければ権力を維持するだけの努力を必要としない地位を築いている家系だ。だからこそ、言葉では表現しなかったが「努力をしていることはあるか」と問われた回答をミルキーは持ち合わせてなかった。
シルヴィアは末娘だと舐められることがあっても、その復讐心を動力源に勉学に勤しみ、マナーを積極的に学び、教養を身に着けた。おかげで1人で暮らしていける強さも、伯爵の末娘だからと無礼を働いても良いだろうという不届き者も目に見えて減っていった。
これくらいの中傷でどうにかなるシルヴィアではなかった。相手が上手だとこの場のだれもがそれを薄くではあるが感じていた。
そろそろ仲裁に入ろうとロクサーヌはミルキーのの肩を叩いてやりすぎだと視線で訴えた後、慰めた。プライドの高いミルキーのことだ。謝罪の言葉を口にしないだろうと察するとロクサーヌは代わりに謝った。
シルヴィアは紅茶を一口つけた。少しだけ眉をひそめてからもう一度紅茶を煽る。
「皆さまの集まりに初めてご招待していただいたのに騒がしくしてしまい、申し訳ございません。私、ここにいる皆さまとは仲良くしたいと思っておりますの。お詫びのしるしに。形ばかりですがうちのリゾート施設の家族無料招待券を。友好の証にタンザナイトのカフスボタン、ブローチを送らせてくださいませ。ヴィクトル」
「はい、お嬢様」
長身のメイドはシルヴィアの席の下に収納していたトランクを取り出し、リゾート施設の無料券と男性にはカフス、女性にはブローチを一つずつ席に置いた。
茶会の席はざわつく。リゾート施設はつい最近王国内でも話題になっているビーチ沿いの娯楽複合施設で貴族がどれだけお金を出しても予約が取れないと有名な施設だったからだ。
これだけでも転売すればかなりの大金になる価値のある券だ。そしてもうひとつがレディスフィアがデザインする宝石ショップ「スワンレイク」のカラーダイヤモンドシリーズの宝飾品だ。
タンザナイトは多色性が魅力の石で青色は採掘が少なく、取れる鉱山は海を越えた南の島国でしか取れない。ルメートル家しか周辺国家では取引していないので身に着けるだけでも社交界で自慢できる代物だ。
この場にいる令嬢、令息が渡されたお小遣い何年か分の価値のある贈り物に一同は嬉しさ半分困惑する。ルメートル伯爵家がお金持ちなのはわかってはいたが、末娘での送り物でも非公式のお茶会でこれほどの価値のあるものを手土産として渡せる。
利に敏い者はシルヴィアの評価を改めた。
そうして騒ぎを起こしたミルキーの上にもリゾートの招待券が置かれる。しかし、置かれたのは招待券だけでブローチはなかった。
ミルキーは視線でヴィクトルに訴えたが、代わりにシルヴィアは答えた。
「騒ぎを起こしたお詫びの印としてリゾート招待券のみ、送らせていただきますわ」
最初に言った通り、招待券はお詫びの印で、宝飾品は『友好の証』だ。つまり友好を築きたいという人間には送らないという意味でこれにはミルキーも黙りこくるしかなかった。
シルヴィアにはこのお茶会への出席はいくつか目的があった。ひとつは貴族との繋がりを作るため。顔が広いリシュパン公爵ならば貴族や貴族会議にも発言力のある家の者が集められるし、必然的にそれらの人間しかそこには参加しないから。
二つ目はその中からより仲良く、これから有利に動いてくれる人間を選別するため。わざわざ身の程知らずのように振舞い、喧嘩を煽ったのは反骨精神があり、敵意をむき出しにする人間を排斥するため。
元々問題を起こす為にふたつの送り物を用意し、それを目に見えるように配ることで相手の立場をわからせた。
財力があれば人の心を掴めるきっかけを作ることができる。欲望を煽ることができ、本性を剥き出しにできる。
とにかくシルヴィアは優秀な姉と兄の影に埋もれて生きてきた。数年遅く生まれたというだけで馬鹿にされ、扱いすらされない日もあった。罵倒を受け、その度に他力本願で仕返しだけはしてきた。
しかし、それは自分の力で解決できていない。母に「毒のように鋭く、超のように儚く美しく生きろ」と言われて育てられてきたように兄姉に負けないように傲慢に生きれるように力が欲しいとシルヴィアは切望した。
そのためなら損を被っても婚約破棄されて困っている令嬢だって助ける。
シルヴィアはうまくつながりが持てたことに不敵に笑った。
…………。
お茶会が終わり、招待客はそれぞれの心中を抱きながら帰宅した。
そうしてシルヴィアとロクサーヌが残った。ロクサーヌから夕食の招待を受けていたの客間へと移ったシルヴィアはお付きのメイドが持ち出した書類に目を通していた。
ロクサーヌは夕食までの予定はなく、シルヴィアと世間話でも、と会話を探そうとするが、なにせ学園では卒業式まで接点がそれほどなかった2人。今はなにやら目を通している物もあるということでどう話を振ろうかと視線を彷徨わせていた。
シルヴィアは視線に気づき、視線をロクサーヌに滑らした。
「申し訳ございません。急ぎ目を通す書類ができてしまいまして。もう終わりましたので大丈夫ですわ」
シルヴィアはヴィクトルに書類を渡すとぴんと伸ばした背筋をリラックスさせるように背もたれに背を預ける。少し礼儀作法としては疑問が残る行為だが、シルヴィアの態度は無礼を無礼だと感じさせるものではなかった。
ロクサーヌは聞いてくれる姿勢に安堵しつつ、咳を払う。
「なんの書類に目を通していたのか、聞いても失礼ではありませんか?」
話題を振ろうにも趣味の話や日常的にどうしているかなど茶会の席で話したことを振れるはずがなかった。唐突な時事の話題を振ったところでで無理やりに話題を作っている感が否めない。どうこう悩んでいると、つい手元にあった書類の話題へと口を滑らせてしまった。
――書類の内容を教えてくださいなんて、いくらなんでも失礼だわ、私の馬鹿。
後悔が押し寄せて頭を抱えたくなったロクサーヌだが、シルヴィアはおかしそうにお腹を抑えると快く教えた。
「リゾートホテルの夏のイベント企画表ですわ。……そうだ。もしよろしければロクサーヌ様にも意見を伺わせてください」
「え、あ、は……!?」
まさか書類の内容まで見せてくれるとは思わずロクサーヌは取り乱す。
シルヴィアは面白おかしそうにくすりとほほ笑むと「遠慮なさらずに」と書類を手渡した。
「ホテルの集客と評判を広めるために、隣接する大型ホールで展覧会か旅芸人でも読んで催し物をしようと思うの。意見を聞かせてくださる?」
ナルシス王国では8月に入ると猛暑になり、暇を持て余す貴族は避暑地へと旅行にでかけることも多い。
シルヴィアが所有するリゾートホテルは天候の関係を除き、季節問わず客足が途絶えない宿泊施設で国内外の富裕層であれば一度は泊まってみたいホテルのひとつとして多くの人の心に刻まれている。
隣国のサーペント王国の国境付近の海沿いにあることもあり、特に毎年の夏の時期は観光客がこぞって押し寄せた。
遙か昔、海のドラゴンが根城にしていたという伝説がある古城を改築し、厳かでありながら絢爛な内装と外観の建物。料理の質はもちろん、接客・客室スタッフに至るまで研修と教育を積み重ねているので質・サービス共に極上のオアシス。
人気の一等客室はナルシス・サーペント海域のオーシャンビューが広がる。一等客室を予約するだけでも3年待ちの人気ぶりだ。
ロクサーヌも一度だけシルバー・ロイヤルリゾートホテルの一等客室に泊まったことがあるが、今まで泊まってきた貴族用の宿泊ホテルなど目がないくらいサービスが行き届いた宿泊施設だった。
ホテル内で娯楽も休息も全てが収まるというのにこれ以上なにを望むのか、ロクサーヌは頭を捻らせた。それでもロクサーヌは真面目に思考を回転させる。
根は真面目なのか、求められる事には極力答えるべきだという王族の伴侶として恥ずかしくない教育が施された結果か求められるのなら積極的に期待に応えたいという行動がロクサーヌの根底にあった。
ロクサーヌは唸る。そして答えた。
「……ホテルの立地は海沿い、さらに夏は観光として使われるなら大陸の宝石展やファッションショーは避けるべきかと。ターゲットが女性に絞られてしまいます。私が以前利用した時は子供を連れた家族連れも多かったので、演劇公演や花火大会なら催し物として十分盛り上がるかと思います」
ロクサーヌは顔色を窺うようにちらりとシルヴィアを見ると、シルヴィアは満足気に口元をあげた。
「素晴らしいです。事前情報なし、数枚の書類と過去の経験とわずかな情報を元に意見を出す。何故、これほどまでの賢い淑女が馬鹿王子の婚約者で阿呆な女に男を横取りされたのか理解できませんわ」
「私を試されたのでしょうか?」
「試したなんて恐れ多い。私もそれほど貴女と共通の話題を持ちませんので、会話のネタに丁度いいかなと。だって、学園でも生徒会副会長として会長のボニファース王子の事務仕事を一手に担っていたではありませんか。世間話に花を咲かせるよりは実のある会話の方が私も楽しいと思って意見を求めたにすぎません」
「そんなこと。事務仕事なんて地味な作業、令嬢にはふさわしくありませんし。ただ周りを気にすることが性分なだけです。刺繍やドレスの話をする方が私は楽しい……」
「ロクサーヌ嬢はどうしてそう卑下なさるの?」
シルヴィアは白銀の絹糸をさらりとなびかせ、横柄な態度でわざとらしくため息をついた。
ロクサーヌはドキリと心臓を高鳴らせた。ただでさえ威圧的なのにすこしだけ低めの声で話されるとナイフを突き刺したような痛みが心に走る。
強気で話せても、虚勢を張ってもロクサーヌは年頃の女の子で真面目で周りの視線ばかり気にして生きてきた。基本的にネガティブな今のロクサーヌが本来の姿だと言える。舐められないように気を張っていてもシルヴィアには通じない。全てを見透かすような視線を前に弱みを見せないようにぐっと目力を入れる。
「他人より秀でているのに、頭が固くて無能な周りの人間とレベルを合わせるのって苦しくありません?好かれるために自分を抑制するのってつらくありませんか?もう少し自信をもってくださいませ。賢くて、地位もあって、お金にも困らないのですからもう少し我が強くても誰も文句言いませんわよ」
自分より格上の身分のロクサーヌに対し、上から褒めるという行為は咎められるべき行為に他ならないのに、今まで満足に褒められたことがないロクサーヌは恥ずかしそうに視線で床の溝のなぞる。
シルヴィアという女性は傲慢でお金持ちで身分はそれほど重要視されない伯爵家の末娘だ。だが、若くして為してきた偉業を考えればロクサーヌは光栄だと思えるほどシルヴィアの言葉は嬉しものだった。
――公爵家だということで多くの人間から持て囃されはしたが、真に欲しい言葉はもらえなかった。王族の伴侶として厳しい教育に耐えて来てもボニファースはただうんざりと睨むか頭ごなしに怒鳴るかあしざまな対応を取られるしかなかった。泣き言を言えば両親を困らせた。
見た目も貴族の品位を保とうとわざわざ早起きをして髪を巻いて、豪奢なピンクのフリルと宝石をふんだんに使ったドレスに袖を通すけど。本当は飾り気のない軽めのドレスの方が好きだし。もっと対等にお喋りを楽しみたい。
――もし、許されるなら、もっと自分勝手に生きてみたい。
複雑で泣きたくなる気持ちを喉奥をきゅっとしめて堪え、滲む視界をどうにかドレスの袖で拭いってからロクサーヌは顔をあげた。
シルヴィアはその願いを否定せず、ロクサーヌを視線の中に止めた。
「堅苦しい表情より、感情を押しとどめられないそのお顔の方が好感が持てますわ。もう少し感情を表に出した方が可愛らしいですよ。――ところで」
シルヴィアはそよ風が吹く静かな波のような声で言った。
「私、事業の管理を任せられる優秀な人材を募集してますの。もし興味があればお話しだけでもどうですか?」
…………。
ロクサーヌとの約束を終えて、次の約束を取り付けてリシュパン公爵邸を後にしたシルヴィアは疲労を表情に出し、馬車の座席に寝っ転がる。目の前には不満を滲みだしそうに目を細め、口に出さないヴィクトル。
視線に気づいたシルヴィアは不満を言ってみろ、と口角をあげると遠慮なくと口を開いた。
「ロクサーヌ嬢を助けたのも、茶会を引っ掻き回したのも、慰めて優しい言葉をかけたのも。全て計算のうちか?」
「……半分は感情で動いたわ」
主従としての敬いはなく、尊大な口調、横柄な態度で腕を組みシルヴィアを見下ろす。まるで先程までの立場が逆転したような振舞いをシルヴィアは無礼だと咎めなかった。
問題は会話の中身だとシルヴィアは喉から笑いを漏らす。月明かりに照らされる黄金の瞳を歪ませて、妖精が悪戯をしでかしたように可憐で軽快な笑みを浮かべた。
「ロクサーヌは人一倍責任感が強くて、学園でも生徒会の仕事をするためにいち早く登校してたし、セリーヌとボニファースに対しても理性的に接していたわ。仕事放り出してセリーヌと乳繰り合う馬鹿とは大違い。お人よしにも、周りの好意に漬け込んで調子に乗る人間は嫌いだけど、自分のやるべきことに向き合って目上の相手に怯むことがなかったロクサーヌがあそこで笑い者になっているのがムカついた」
「それが感情的な答えか。それで」
まだ続きはあるのだろうと顎でしゃくると、シルヴィアは続けた。
「ボニファース派閥のフィッシュ侯爵が国庫のお金を着服したみたいでね。カジノで大きく負けたんですって。その補填としてフィッシュ侯爵領の通行税が高くなってうちも物流も少し打撃を喰らったの。これを気にボニファース派閥の力を弱めて、フィッシュ侯爵の弱みに漬け込めばこちらの手のひらの上で踊ってくれるじゃない」
「商品の運輸コストが上がったって嘆いてていたのを思い出して、だろうな、とは思った。……というか、そのカジノの経営ってルメートル伯爵家の管轄……」
「何か言った?」
身から出た錆状態だ、と指摘するとあからさまに機嫌が悪くなったので面倒だとヴィクトルは口を結ぶ。正確にはルメートルが管轄している裏組織が仕切っている、と言えるのだがヴィクトルは呆れたようにため息をついた。
「お茶会を頼んだのは、せっかく縁ができたから文字通りお友達を紹介して欲しかったから。貴族同士のつながりはとても大切だわ。だってこの国では貴族が政治を担っているもの。仲良くしていれば有利な政策を提案しやすくしたり、不利な情報をいち早く知れるもの」
ロクサーヌは周りを気にしすぎるからこそ気を配れるところがある。シルヴィアの思惑通り、なるべく同じ年代でありながら学園を卒業している家門の子たちを集めた。そのおかげで学園での悪名をなしに貴族同士のつながりを持つことができた。
「待て。なら何故あそこで茶会を引っ掻き回し、ライデン侯爵令嬢だけ除け者にしたんだ?貴族同士のつながりを持つとしたらあそこで問題を起こす必要もないだろう」
「生意気だったからってのもあるけれど、あそこで騒ぎ立ててくれることで毅然と振舞えば少なくともあの場にいる子たちは私を侮ることはやめるでしょう。感情的に振舞えばこちらが意図したことになるというのに本当に扱いやすくて助かったわ」
「性格悪いな、ホント」
ころころと笑う姿に恐ろしさを感じたヴィクトルは長袖の下に立つ鳥肌を両手で抑える。だが、恐ろしさを感じるが嫌ということではない。
ルメートル伯爵家は全員癖があり、一筋縄ではいかないからこそ今日まで莫大な財力を築き上げてきた。シルヴィアは特に感情の起伏は激しいが反対に言えば人間味があるのでそれがシルヴィアの魅力的な一面でもある。
ヴィクトルは自分も存外にシルヴィアのことを良く思っていることに気付くと頭を抱えたくなり、頭を掻きむしった。
「さて、そろそろ屋敷につくわよ。折角、メイドとして雇ってあげているのだからバレないようにしっかり振舞ってちょうだいね。ヴィクトル王子」
「……わかっております。お嬢様」
馬車が止まると丁度にヴィクトルは居住まいを正して使用人然として振舞う。シルヴィアの身体を壊れ物のように丁寧に扱い、抱き起すとシルヴィアは満足気にヴィクトルの頬にキスを落とした。