破 遺跡篇
イーファ嬢と同時に、エントリー。
水中に差す日の光が、海の中の青色だけを反射し僕の目の中に飛び込んでくる。一瞬、眩しくて目を瞑ってしまったけど……すぐに慣れてきた。
エントリーして発生した気泡が消えてから、よく見ると……海の中にあるのは、青色だけじゃなかった。ほんのかすかにだけど、白い……雪のようなモノが漂っているのも見える。
まさか、これが海雪――マリンスノーと呼ばれるモノなのかな?
プランクトンの死骸などの異物が、正体らしいけど……でもそれは、青い海の中では……とても、神秘的な光景に見えて。
そして、隣を見れば……イーファ嬢も、この光景に見入っていて……大切な人とこんな神秘的な光景を見られて、僕は改めて良かったと思って――。
『すげぇなルイス! マリンスノーはプランクトンの死骸! という事はこの辺の海は栄養素がたくさんだって事だ! だったらプランクトンを餌にするリュウザメもたくさんいるかもしれねぇな!』
――でも、直後にクラークさんの声が……口頭での会話ができない状況下などで主に使用される、エアロマスクに付属している通信魔術越しの声が、聞こえてきて……台無しだよぉ。
※
クラークさんに導かれて、みんなと一緒に目的地を目指し……海中を泳ぐ。
料理学校には……水中の食材を確保できるようになるための、水泳の授業もあるため……伯父の家で数年前まで軟禁状態であったがためにできなかった運動も……適度にだけど、こうしてできるようになった。
だから、僕は……ある程度、異性の水着にも慣れたつもりだったけど……学校で指定されている、体の八割近くを隠すタイプの水着よりも、露出が多い水着は……どうやら慣れていない、みたいだ。
僕の前方を泳ぐ、ルビア嬢の水着姿が刺激的過ぎて……そ、それに、さっき見てしまった……彼女の下着の事が脳裏に浮かんで……ま、マトモに前を向けないッ。
と、というか、ルビア嬢は気にしていないのだろうか?
ま、まさか……元平民だとか、クラークさんは言っていたし……それにクラークさん自身も彼女の事、よく知っていないみたいだし……ま、まさか、趣味の冒険の最中……密林辺りで出会った、野性的な方とかじゃないよね!?
『ルイス様』
すると、その時だった。
僕の視線に気付いたのだろう。
イーファ嬢が、僕の視線の先に回り込んでから声をかけてきた。
『み、水着なら……わ、私のを後で、存分に見てもいいですから、そのぉ……ほ、他の女性の水着を、見ないでくださいませ。な、なんなら私も……ルイス様が望むのであれば、同じタイプの水着を着ますからッ////////////』
『ッ!? な、なななななな何言ってるのイーファ嬢!?!?////////////』
も、もしかして……嫉妬ってヤツかな!?
ふぇ、フェリスお母様が持っていた恋愛小説にそんな言葉があったけど!?
で、でもさすがに……そんな風に対抗心を燃やしてほしくないよイーファ嬢!? 後がいろいろ怖いし!?
『…………ハレンチ』
『あなたには言われたくないですわ!!』
ていうかルビア嬢も余計なこと言わないで!?
さらに面倒臭い事になりそうな気がするし!?
『お~い、そろそろ遺跡だぞぉ~?』
すると、そんな修羅場にも似た場面で……クラークさんの、のんびりとした声がして。
僕らは同時に、ハッとした。
クラークさんがいる場所――海底には、巨大な建造物があった。
海流で削られたような、天然の岩山じゃない。
まるで、定規などを使ったかのように、直角にデコボコしていて……明らかに、人の手によって造られたと思われる、海底遺跡だ。
形は、六角推状。
高さは、王都の王城よりもある。
あちこちに大きな穴……一番大きくても、直径一、二メートルほどの穴だけど、それが空いてて……そのせいで、さすがに出入りしてる魚は限定されているけど。それでも多くの種類の魚が出入りしていて……そして、遺跡の表面のあちこちに、珊瑚などが生えていて、そこにも魚がいて……確かに、ルビア嬢が言う通り、その遺跡は魚の楽園だった。
『カメラで見た以上に、スゲェぜこりゃあ』
その様子を見た、クラークさんでさえも驚嘆するほどに。
『そのカメラには一瞬しか映んなかったけど、その映ったリュウザメらしき影が、本当にリュウザメだって信じられるくらいスゲェ!! 早く中に入ろうぜ!!』
そして彼は、古代遺跡を前にして感極まったのか……情熱の赴くままに、フィンを早くばたつかせて泳ぎ出す。
『ま、待ってよクラークさん!!』
穴の一つに意気揚々と入っていく彼を、イーファ嬢と、ルビア嬢と一緒に、追いながら……僕は呼びかける。
『穴の中、危険じゃないの!? それに……「ミレニアムフルーツ」があったあの場所の遺跡と同じように……迷路になってたりしてない!?』
『心配すんなルイス!!』
泳ぐのをいったんやめて、クラークさんは言う。
『リュウザメらしき影をカメラが捉えたのはこの穴だ!! それに穴の中はカメラでの事前調査の時、マッピングしといたから迷う事はねぇぜ!!』
『……その地図、頭の中にしかないでしょ』
呆れた様子で、ルビア嬢がクラークさんに近付いた。
『私達は持っていない。あなたが先に行ったら……私達は外で待つ羽目になる』
『あ、ヤッベェ』
クラークさんは右手を頭に当てた。
うっかり過ぎないかなクラークさん!?
『ルイス様……その、あなたのお友達は……大丈夫なんでしょうか?』
遠慮がちに、後ろからイーファ嬢が訊いてきた。
そして、その質問に僕は……答える事ができなかった。
※
『閃光』
それから僕達は、クラークさんを先頭に……魔術で明かりを出した上で、遺跡の中を進んだ。
僕らを確認するなり、ほとんどの魚が……遺跡の奥へ逃げ込んだり、僕らの脇を通り抜けて、出口の方へと去ったりする。
どの魚も、私立リラネス料理学校で習った、食材にもなる魚だ。
でもその全長は、どれも数センチほどで……少なくともイーファ嬢を満足させるには、小魚の場合、遺跡中のを捕まえないと……いけないかもしれない。
でもそんな事をしたら、さすがに……周囲の環境に影響が出るので、僕は、魚達にキラキラした眼差しを向けるイーファ嬢の手を取り、クラークさん曰く、リュウザメらしき影を捉えた場所へと向けて進む。
岩で出来た、正方形の通路が……暫く続く。
海草やら珊瑚やらがこびり付いているけれど。定規などを使って作られたとしか思えない……ある意味では、芸術的とさえ思える通路が。
そして、そんな通路である事実からして。
この通路は、いや、この遺跡は……明らかに人工物だろう。
いったい、誰が造ったのか。
僕も、クラークさんと同じく……それを想像するだけで、とてもワクワクする。そしてこうして、今度は、イーファ嬢達と一緒に冒険していると……以前クラークさんと行った、ミレニアムフルーツを探す冒険以上に……ワクワクする。
大切な人と、ワクワクを共有しているから……イーファ嬢の場合は、リュウザメの味に対して、ワクワクしているかもしれないけど……でも、僕もリュウザメの味は気になるから、どっちにしろワクワクして……伯父の家にいた時より、ずっと、生きてるって感じがする。
『そろそろだぜルイス、ルビア、イーファ嬢』
先を行く、クラークさんが……声を潜めて言う。
『この遺跡の、中心に近い場所……もしかすると、教会で言うところの聖堂に相当する場所かもしれない……いろんな魚が泳いでいる、大広間だ』
クラークさんの前に、通路の出入口が見えた。
そしてその出入口を越えた先には……目を見張る光景が待っていた。
クラークさんの言う通り、そこは大広間だった。
でも、その広さは……もしかすると、地上の教会が、スッポリ収まってしまうんじゃないか、ってくらいはあった。とにかく、とても広く……天井が高い。
そしてそんな、大広間のあちこちでは……これまでにも見た、様々な魚が泳いでいて……そして、そんな魚達の背後には……さすがに、海中にあるからなのか……過ぎた時間のせいなのか……少々劣化し始めている、古代文字が添えられた、壁画があった。
ミレニアムフルーツを探す際に、見つけた遺跡にあったのと……同じ古代文字が添えられた、壁画だ。
『…………やっぱりこの遺跡も、地上にあった遺跡を造ったのと同じ民族が造った遺跡なのかッ』
足をばたつかせ、クラークさんは壁画に近付いた。
僕も、クラークさんに近付く。壁画を見るため……そしてクラークさんの考えを聴いてみたくて。
『見ろよルイス。あの遺跡にもあった壁画と古代文字を』
クラークさんが、ウェットスーツのポケットから、これまた王家直属の研究機関が開発した、水に濡れても破れず、滲まない特殊な紙と筆を取り出して、壁に書かれた古代文字をメモしながら言う。
『爺ちゃんから教わった古代文字……だよな? なんだか走り書き……いや、達筆と言うべきか、それとも……あの遺跡の古代文字が変化したヤツなのか、ちょっと読みづれぇけど……えぇと、なになに? 天より舞い降りたモノ、それは、祝福と災厄を――』
※
『男って、どうして古代遺跡が好きなんでしょうね?』
腕を組みつつ、ルイス様とクラーク様を見ながら私は呟く。
『まぁ私としては、ルイス様が笑顔になってくださって、それでついでとばかりにリュウザメを実食できれば満足なんですけれど♪』
そして、呟きながら……私はルビア様へと視線を向けた。
ルイス様よりも背は高く、私より低め……クリス様と同じ……いえ、彼女よりも背が低いかもしれません。とにかく私より背が低く、そしてこの場にいる者の中で唯一、水着の上にウェットスーツを着用せず、これまた私達の中で唯一の、銀髪を生やす頭にエアロマスクを被っているという、浮いた彼女……いえ、水中ですから浮いてはいるんですが……とにかく浮いている彼女へと。
彼女の視線は……ルイス様と同じ、赤い瞳は、ルイス様とクラーク様へと向いていた。しかし、二人に関心があるというよりも、二人が何をしているのかを、確認している……そんな、瞳だった。
『同感』
するとルビア様は、淡々とした声色で返した。
『でも二人の、自分の起源を知りたい、という気持ちは……理解できる』
私にとっては、予想外の返事を。
同じ女性であるから、もしかすると、古代文明やら何やらに対してあまり興味がない同志かもしれないと思い、先ほどそんな感じでお声がけしましたが、どうやら彼女は、私とは違うモノを見ている……そんな気がします。
『起源……? それはいったいどういう事ですの?』
通っていた王立魔術武術学院で、ある程度、このアヴァンデラ大陸の歴史を学びはしましたが……果たして、その程度の知識だけで理解できるのか……少々、不安になってきました。
それだけ、ルビア様の発言には何かがある気がしますわ。
と同時に、果たして私は、彼女と仲良くなれるのか……ルビア様の友人になってほしい、というクラーク様からの依頼を達成できるのか、不安になってきました。
『アレを見て』
壁に描かれた壁画の、ある一点を指差すルビア様。
私はすぐに、その指の先を見て……目を見開いた。
そこには、船らしきモノから降りてきた者達が、尖った耳を生やした人達と一緒に、食事をしている場面が描かれていた。
『私とルイスは、耳が尖っている』
驚愕する私のそばで、ルビア様は淡々と語り……しかし、ルビア様がルイス様を呼び捨てにした事により不快感を覚え、すぐに私の中から驚きが消えました。
同じく平民出身であるクリス様とは違い、全っ然教育がなってませんわこの子!
クラーク様によれば、彼女は古代の王族の末裔らしいですけれど、たとえ王族であろうとも、相手を呼び捨てにするのは大変失礼だって事を、知っていらっしゃらないのかしら!? もしかして身分制度がない民族だったのでしょうか!?
『けれど、あなたとクラークの耳は丸い』
私が不快感を覚えている事に、気付いているのかいないのか。相変わらずルビア様は淡々と語る。
『古代において、異なる二つの民族は一つになった。
そしてその結果、時折、この世には……私やルイスのように、耳が尖った人達が産まれるようになった』
その部分については、知っている。
ルイス様と初めてお会いしてから数日後、私はお兄様達に依頼して、ルイス様の尖った耳の事を調べてもらった。
私からすれば、ルイス様の魅力的な部分ではありますが……代理出産、という、通常とは異なる産まれ方をしたルイス様です。その影響で、変な、遺伝上の病気に罹っているのではないか、と不安になったのです。
しかし、私の不安は杞憂でした。
どうやらお兄様達の調査によれば、国民の一割未満の方の耳が尖っており、病気などではないそうな。
そしてこの遺跡の壁画を見て……その起源をようやく知りました。
ルイス様は……そして、ルビア様も。
先祖返り、というモノを起こしているのですね。
『しかし、なぜ……私達みたいに、耳が尖っている人は少ないのか』
急に、少々目を細めながらルビア様はさらに言う。
『先住民族の遺伝子が弱かった? それとも……先住民族の遺伝子をほとんど駆逐してしまうほどの強さを、来訪者側は持っていた?』
そしてその声は、だんだんと小さくなっていって……その時初めて、私はルビア様が、寂しさを感じている事に気付きました。
もしかしたら、彼女は……彼女と同じように、先住民族側の遺伝情報が強く出たルイス様に会えるのを、楽しみにしていたのではないでしょうか。
それは、異性に対する好意……というよりは、同族に会える事に対する、喜びのようなモノで……そして、同時に、同族が少ない事を改めて思い知って、今、また寂しい気持ちに、なっていらっしゃるのでは……そう思うと、私の中の……彼女がルイス様を呼び捨てにした事への怒りは、少しずつ萎んでいきました。
いえ、許したワケではありません。
その辺の教育は、追々していくとして。
彼女の気持ちは、なんとなく、理解できました。
ルイス様という、運命の人に出会えるまで、私は貴族社会の中で……異端の存在でしたから。
ルビア様の場合、クラーク様と出会えた事で、そんな孤独感を、少しは癒やせたかもしれませんが……それでも、少しです。同族に会いたいという気持ちは、その程度で満たされるモノではないのかもしれません。
だから私としては……今回ばかりは、ルイス様を呼び捨てにした非礼を見逃してあげようかと思いました。そして可能であれば、今回の出会いを機に……彼女に、貴族社会でも大丈夫なくらいの常識やマナーを教えて……そのまま私や、私の親友達の、親友となれたらいいな、と思いま――。
『もしも、私がルイスとの間に子供を作ったら……それをキッカケに、また、同族を増やせるの?』
『さすがにルイス様は渡しませんわよ!?』
先ほどまでの同情が一気に消し飛びましたわ!!
なんて事を言うんですのこの子は!?!?
『…………言ってみただけ』
しかし、私の怒りに……彼女は動じず、それどころか微笑みを返した。
『あなたは、イーファは……本当に、ルイスが好きなんだね』
『当たり前ですわッ』
私まで呼び捨てにされましたが、それも見逃しましょう。
それよりも、ルビア様にルイス様を万が一にも取られないためにも、私とルイス様がどれだけ仲が良く、他者の入り込む余地がないのかを教えてさしあげねば!!
『いいですか、そもそもルイス様は――』
『あっ! クラークさん見てあれ!』
しかし、そんな私の声は……そのルイス様によって遮られた。
なんとなく、不完全燃焼です……が、しかし、ルイス様が向けた指の先を見て、私の目は再び丸くなりました。
なんと、ルイス様の指の先には……図鑑でも見た事のある姿が……この辺の海域にいたとされる、天然のリュウザメの姿があったのです!!
海雪がダメというルールはないのです( ´∀` )