序 船上篇
「ルイス様、私の水着……目を背けるほど、似合っていないんですの?」
僕の正面から……僕の婚約者ことイーファ嬢の悲しそうな声がする。
「い、いいいいやっ、そうじゃ……なくて……ッ」
対する僕は……顔に集まる熱に、なんとか耐えながら……返事をする。
だけど、先ほど目にした、イーファ嬢の……む、胸元と背中が、ひ、ひらいてるような、か、過激な、フリルが付いた黄色いワンピース水着は……ち、ちょっと僕には刺激が強くて……脳裏に焼き付いて、ま、マトモに……返事ができ――。
「イーファ嬢、ルイスをからかうのはそれくらいにしてやれよ」
――すると、その時だった。
「その反応だけで充分だろ。つうかそれ以前にその水着はルイスにゃ刺激が強過ぎだぜ。とっとと足元に置いてあるウェットスーツやエアロマスク、それからフィンもいい加減つけろよ」
僕にとっては、救いの主たる声――料理学校で出会えた唯一無二の、貴族な親友であるクラーク・ウォレス伯爵令息の、呆れた声がした。
「……私とルイス様のやり取りに口を挟まないでいただけますか、クラーク様?」
途端に、イーファ嬢の声の温度が……絶対零度近くまで下がる!?
い、今は夏で、しかも海水浴日和なほど気温が高いハズなのに……一気に真冬になったかのような寒気がする!!
「そもそも私はあなたを……ルイス様に何度か危険な冒険をさせたあなたをルイス様のお友達とは認めていませんわ。たとえルイス様が私のために無茶をしたのだとしても。にも拘わらず気やすく話しかけるのは、おやめになってくださらない?」
「いいや、ここはルイスの親友として言わせてもらうぜ」
し、しかし、クラークさんはイーファ嬢の言葉に……ついでに言えば、み、水着の刺激にも屈しない。
いやそれどころか、貴族らしさとか爵位の差とか言葉遣いとか……まったく気にせず、呆れた顔のままで……さらに「お前のルイスとのスキンシップは、時々過激なんだよッ!! お前がどれだけルイスの事が好きかは、もう誰もが理解をしてるがさすがに!! 今時のバカップルくらいしかやらないようなスキンシップを一方的にやるのは看過できねぇ!! ルイスを愛でたいお前はともかく初心なルイスが可哀想だぜ!! ルイスはお前の抱き枕とかじゃないんだから……いい加減少しは貴族らしい慎みのある男女の触れ合いとか意識しやがれ!!」と意見した。
「フッ。笑止」
しかしイーファ嬢も……負けていなかった!?
「あまりにも貴族らしくない言動故に『冒険令息』などという二つ名を付けられたクラーク様から『貴族らしい』という言葉が出るとは思いませんでしたわ」
そう言ってからイーファ嬢は、なぜか、ウェットスーツを着る前の……まだ水着しか着ていない僕の後ろに、回り込んだ……かと思いきや、せ、背中から凄く柔らかい感触と、温かさを感じて!?!?////////////
そ、そそそそれから!! 後ろから伸びてきたイーファ嬢の腕が、僕を強く抱き締めて!?!?////////////
「というか、人にスキンシップをとやかく言われたくはありませんわ!! いえ、それ以前に初心なら初心で、女性に慣れさせるために、少々過激なスキンシップをとるのもちゃんとした手段の一つでございましょう!!?」
「それがルイスに合ってないんだって言ってんだよ!!」
そして、そんな僕の顔……どころか全身の熱の如く、二人の言葉の応酬に、熱が入り始めるのを見ていて……さすがの僕も、見ていられなくなって……。
「ふ、二人共……ぼ、僕のために――」
――争わないで。
そう、言おうと思ったんだけど……。
「う、うるさい……船の上で、騒がないで……ッ」
クラークさんが所有するクルーザーのデッキに置かれた、ビーチチェアの上で、今までグッタリと横になっていた……白いワンピース姿で、短い銀色の髪と、僕と同じ尖り気味な耳が特徴的な少女が……僕より早く、二人の口論に、割り込んだ。
彼女は、クラークさんの婚約者のルビア嬢。
僕は、今回初めて会うけど……どうやら彼女は、クラークさんが言うにはワルド=ガング王国の平民らしいけど、大昔、ワルド=ガング王国がある場所に存在したらしい、古代文明の王族の血を引いているとか……事実か否かは分からないけど。
「ッ! ルビア! スマン! お前に構ってやれなかったぜ!」
するとクラークさんは、さっきまで、イーファ嬢へと向けていた圧力を、すぐに萎ませ……ルビア嬢に近寄った。
よく見ると、彼女の顔色は悪い。
もしかして船酔いを……したのかな?
「あら、私とした事が。船酔いをして弱っている方の前で大声を上げるなんて」
すると、それをイーファ嬢も確認したらしい。
彼女は、僕から離れると、僕の前に回って……ルビア嬢のもとへと、謝罪をしに行ったのか……とにかくルビア嬢に近寄ったのだった。
※
僕達が住んでいるワルド=ガング王国の西隣の……そのまた西隣。
ワルド=ガング王国があるアヴァンデラ大陸の海沿いにある、ワルド=ガング王国の友好国の一つたる、ピロペ=リカ王国の、さらに西側の沖合へと約三マイル。
陸地がなんとか見えるこの、大海原のど真ん中に……僕達は、先ほども言った、クラークさんが所有するクルーザーで来ていた。
ちなみに、近くにウォレス家とレイクス家……さらには僕の今の家――イーファ嬢の叔父様……僕の今のお父様の家であるエルビン家の、護衛の方々が乗っている船もあるので、一応安全対策は万全……だよね?
とにかく僕らは、アヴァンデラ大陸の海の……沖の方に来ています。
ちなみに、ハタから見たらバカンスだけど……バカンスじゃありません。
じゃあいったい、なぜ水着姿で、ウェットスーツやらなにやら用意されているのかと言うと……イーファ嬢がさっき言ったように、冒険令息と周囲から呼ばれてる僕の親友……料理学校の先輩ではあるけど、趣味の冒険にばかりかまけて出席日数が足りなくて、何度も留年し……今ではイーファ嬢よりも年上なクラークさんが、また新たな冒険へと、僕を誘ったからです。
※
「ルイス、ウチの爺ちゃんが古書店で集めた古書の中からスゲェ地図が見つかったぜ!」
それは、二日前の事。
僕が貴族だからなのか……それとも僕の、世にも珍しい尖り耳のせいなのか。
料理学校で友達を作ろうにも、なぜか周囲が、僕との間に見えない壁を作る中で……唯一、僕に話しかけてくれるクラークさんが、僕に話題を振ってきた。
「……クラークさん。また僕を冒険に?」
「話が早ぇな! また冒険に行こうぜ!」
ちなみに、なぜ冒険が趣味のクラークさんが料理学校に通っているかと言うと、このワルド=ガング王国に存在する学校の中で、唯一、僕が通っている『私立リラネス料理学校』の生徒は……最終的には国内の料理店への就職か、大昔にこの国に現れた謎の存在『異相獣』と今も戦っている部隊の、炊事兵への配属が待っているけど……卒業前までは、ある程度、自由に行動できる学校でもあるから。
さすがにクラークさんの場合は、出席日数に影響を与え過ぎなレヴェルではあるけれど……在学中はある程度、創作料理のための修行やら、食材見聞のために……いろんな場所へと移動してもいいという、ルールが存在するのである。
そしてそんな自由を、クラークさんは……亡くなられたお爺様の影響で、しかも伯爵家の三男であるおかげか、家督とか気にせずに、このアヴァンデラ大陸中の、様々な古代遺跡や秘境を冒険するためだけに使っているんだ。
「…………さすがに、もう行けないよぅ」
でも、その誘いを……最初、僕は断った。
なぜなら前回、誘われた冒険――約千年に一度、秘境の奥地にある、とある木に実るという謎の果物『ミレニアムフルーツ』を、イーファ嬢の誕生日プレゼントにと求めた冒険の時……どうもイーファ嬢に尾けられていたらしく……冒険の後に、泣きそうな顔で叱られたからである。
『あなたの命はもう、あなただけのモノではないのですよ!? 私や私の叔父夫婦だけではありません……フェリスさんや、あなたの亡くなったご両親が、命懸けで残してくれた命でもあるんですよ!? なのに、私のために……冒険だなんて危険な事をして……もしもあなたが死んでしまったら……私はフェリスさんに……亡くなってしまったあなたのご両親に何と言って詫びればよろしいんですの!?』
だからさすがにもう、イーファ嬢に……さらに言えば僕の産みの親である、専属メイドでもあったフェリスお母様に心配を掛けるワケにはいかない。そしてその事を、僕は正直に、クラークさんに伝えたんだけど……。
「そこは抜かりないぜ」
しかしクラークさんは、親指だけを立て笑顔でこう言った。
「今度はサプライズのプレゼントのために秘密にしないで、最初から全て明かしてみんなで行くんだ!! そうすりゃお前の婚約者も、もしかすると冒険の楽しさを理解してくれるかもしれねぇ!!」
「…………は?」
僕の目が点になった。
「なんなら俺も、婚約者を連れていくぜ!! 俺の婚約者……まだ、同性の友人が少ないっぽいから、お前の婚約者が友人になってくれたら俺は嬉しい!!」
※
とまぁ、そんな感じで押しに押されて……今があります。
ちなみに、イーファ嬢は……なんとクラークさんの説得により付いてきました。
いったいどう説得したのか……さすがに大体、想像ができます。
なぜならば、イーファ嬢は美味しい料理を食べる事が大好きで。
そして、今回の冒険の目的地たる、海域の下にいるというのが――。
※
「そんじゃこれより、現在この船の真下に存在する古代の海底遺跡『ソルゾーニ』の調査と、俺が事前に……水中カメラで調べて遺跡内にいるかもしれない事が判明した幻の、天然の古代魚『リュウザメ』の捕獲作業の開始だッ」
「…………クラークさん、船に乗る前にも言ったけど……それって密漁じゃぁ?」
リュウザメとは。
この海域にかつて存在していたとされる古代魚である。
とは言っても、この海域から消えたとされるのは百年くらい前で、その原因は僕達人間の乱獲である。
それだけこのリュウザメ……サメとは言うものの、遺伝子の解析によれば、サメとはちょっと違う種類に分類されるというこの魚類は、料理学校で読む事ができた文献によれば、物凄く美味しく、さらには食べられない部位がないとされる魚類だそうな。
そしてそれ故に、現在は絶滅するのを防ぐために、ピロペ=リカ王国某所にある養殖場にて養殖されてて……一方で天然のリュウザメは絶滅したというのが通説、だけれど…………。
どうやらクラークさんは、お爺様のツテを使って、事前に、現在僕達がいる海域の真下にあるという謎の古代遺跡を……ワルド=ガングの王家直属の研究機関が開発したらしい水中カメラで軽く調査した際、そのリュウザメらしき影を捉えて……そして今回、その真偽を確かめるためにも調査、可能なら捕獲するつもりらしい。
ピロペ=リカ王国には内緒で。
「だって仕方ないだろ」
僕の意見に、クラークさんは胸を張って反論する。
「真下の海底遺跡に、天然のリュウザメがいるって事が発覚してみろ? また乱獲が始まって絶滅の危機だぜ。そうなるくらいなら、俺達で一匹だけ捕まえて、この場で調理して残さず食べて証拠隠滅して、でもって、ここにリュウザメがいる事はみんなに内緒にしとけば丸く収まる。違うか?」
「…………い、良いのかなぁ?」
た、確かに……僕としても、天然のリュウザメがどんな味なのか知りたいけど。
それで、リュウザメを料理して……それをイーファ嬢に食べさせてあげたいって気持ちはあるけれど……。
「さぁルイス様♡ さっさとエントリーしてリュウザメを捕獲いたしましょう♡」
……というか、僕の婚約者が両目を輝かせてノリノリだッッッッ。
いつの間にか、ウェットスーツとフィンを装着してるしッッッッ。
いや、婚約してからここ数年で……分かっていた事なんだ。
イーファ嬢は、美味しい物を食べるためならば……どこまでもアクティブになるって事は。
そしてクラークさんは……僕の身の安全の事に加え、イーファ嬢のそこんところを刺激して同行させたのだろう。
「あと、言っとくけどなルイス」
そしてついでとばかりに、クラークさんは言う。
「一応、この遺跡の調査の許可を出したお礼として、ピロペ=リカ王国には何らかのお土産を用意しなきゃいけねぇけど、それは別にリュウザメじゃなくても大丈夫だから気にすんな! その辺はリュウザメ実食後にでも考えようぜ!」
…………大丈夫なのか、ちょっと心配になりました。
でも、僕としても……さっきも言ったけど……リュウザメがどんな味するのか、知りたいし、それに男として……ミレニアムフルーツ探索の時もそうだったけど、古代遺跡には興味がある……だから、僕もすぐにウェットスーツとフィン、そしてワルド=ガングの王家直属の研究機関が開発したという、地上の空間とを空間魔術で繋ぎ、常に空気を装着者に供給する事ができる、顔をすっぽり覆うほどの大きさのヘルメット型魔導具『エアロマスク』を装着しようとして――。
「……うぅ……気持ち、悪い…………クラーク……脱がして……」
「おいおい、大丈夫かよルビア」
――その時、視界の片隅に、クラークさんがルビア嬢に言われて仕方なく彼女の服を脱がしている場面が映って……!?!?////////////
「ルイス様!! 見てはいけません!!」
すると、その直後。
フェリスお母様を数年ぶりに発見した時と同じように、イーファ嬢が僕を強く、胸元に僕の顔を押し付けるように抱き締めた!?!?!?////////////
い、イーファ嬢に抱き締められた事もそうだけど……そ、それに加えて、僕の脳裏に、ルビア嬢の下着が焼き付いちゃって……顔が、熱い!!!!////////////
「ちょっとクラーク様!? それにルビア様!? ウチのルイス様の前でいったい何をしていらっしゃるんですの!?」
「しょうがねーだろイーファ嬢」
い、イーファ嬢の声に、クラークさんは溜め息まじりに答える。
「ウチのルビアは……俺も今回初めて知ったが、船に弱いんだ。そしてそんな婚約者を助けてやんのが婚約者ってモンだろ」
「いやだからと言ってルイス様の前で、き、きききき着替えさせるだなんて!! 羞恥心はないんですのお二人には!?」
「…………あ、ヤベェヤベェ。つい、いつも通りにやっちまった」
「い、いつも通りぃ!?」
「ウチのルビアは他にも、王都の空気とかにも、慣れ切ってないからなぁ。気持ち悪くなった時は俺が着替えを手伝ってんだよ」
「は、ハレンチな!!」
「オメーには言われたくねぇよ……っと、こんなモンか。ルビアは素潜り派だし」
言い争うイーファ嬢とクラークさん。
するとその途中で……どういうワケだか、ドボンと、水中に何かが投げ込まれる音が聞こえて……そして、これまたどういうワケなのか、イーファ嬢の両腕の力が緩んでなんとか抜け出して…………そして僕は、イーファ嬢よりも布面積が少ない水着姿で、エアロマスクを被った状態で、海中を泳ぐルビア嬢を見た。
水中から見たワケじゃないから、よく見えないけれど……まるで、人魚のように優雅に…………さっきまでの船酔いが嘘のように、彼女は海中を泳いでいた。
さっき、素潜り派とかクラークさんは言っていたけど……まさか、ルビア嬢が、ここまで泳ぎが得意だったなんて……!
『凄いよ、クラーク』
そして驚くのも束の間。
ルビア嬢は海面から顔だけ出し、エアロマスクのガラス面からわずかに見える、その口角を上げつつ言った。
『真下の海底遺跡、魚の楽園』
「よっしゃ!」
クラークさんは目を輝かせた。
「俺もとっとと潜るぜ! ルイスとイーファ嬢も早く来なよ!?」
そう言うや否や、クラークさんはすぐにエントリーした。
するとそれを見るや、イーファ嬢も……先ほどまでの、人魚のようなルビア嬢の泳ぎに、僕と同じく、さっきまで見入っていたのだろうか。とにかく、そんな状態から、すぐに我に返って「ルイス様、私達もすぐに行きましょう!」と、クラークさん以上に両目を輝かせながら言った。