尻にキュウリが刺さったカッパ娘は耳鼻科で大動脈解離の人工血管バイパス手術を受けたい
「えー、っと……どっからだ?」
医師、山岡照夫は診察室に現れた人物?を見て、思わず本音が漏れ出た。
後ろに居る看護師も両手を挙げ、首を傾げ山岡に助けを求めるサインを出す。
「先生……オラ、心臓が悪いみたいで」
「そこ!?」
「なんだべ?」
「い、いや……てっきり」
山岡は椅子に座ることも出来ない様子の彼女を見て、もうこれは悪い夢だと諦めかけた。
見た目が明らかにカッパなその娘は、ズボンを履いてはいるが尻にキュウリが刺さっているかのように見え、そしてなにより山岡医院は耳鼻科だった。
そして彼女が希望している心臓の大動脈解離手術は、当然の如く山岡医院では行っていない。
「長老様が町医者なら治せるかも、って……」
そう言えば医院の裏手に大きな池があったな、と山岡は思い出し、おそらくはそこに住まうカッパが困り果て、人間のフリをして現れたのではないと結論づいた。
「精密検査をしないことには……ココでは出来ないので紹介状を出しますね」
「先生っ! オラ……他さは行けねぇだ! 先生だけが頼りなんだべ!!」
長袖から伸びる水かきのついた緑色の手のひらが、山岡の手を掴んだ。すがり付くカッパ娘の涙が、山岡は医者を志した頃を思い出させる。
──先生だけが頼りなんです!!
泌尿器科の山岡の父親は、あらゆる患者から頼りにされ、優秀な医者として崇められた。
自分もそんな立派な医者になりたくて、医大へ通った。山岡はグッとカッパ娘の手を取った。
「……分かりました。何とか頑張ります」
「ホントだっぺか!? 先生ありがとない!!」
山岡は聴診器を取り出した。
「失礼します」
シャツの下から聴診器を差し入れ、人間と同じように心の臓の辺りを探る。
──チキチキシャンドゥシャンドゥドゥ!!
「……先生、どうだっぺか?」
聴診器を当てたまま俯く山岡に、カッパ娘が問いかける。
「リオの……」
「ん?」
「リオのカーニバル……」
山岡は困惑した。
かつて一度だけ訪れたことのあるリオのカーニバルのような演奏が、カッパ娘の心の臓から聞こえてきたのだ。
合っているのか外れているのか、そもそもが規格外。
山岡は聴診器を外し、カルテに『サンバの鼓動』と書いた。
「そのキュウリですが……」
山岡はとりあえず疑問らしき物から片付けることにした。
キュウリを尻に挿してはいけない。とは医学事典に書かれてはいないが、そもそも挿す所では無い事は明らかだからだ。
「これだっぺか? おっかぁが挿しとくと運気が上がるって言うから……」
「上がりません。外して下さい」
「そっか……残念だべ」
カッパ娘がキュウリを引き抜くと、嫌そうな顔をした看護師が受け取り、窓から放り投げた。
ようやく座ることが出来たカッパ娘に、山岡は現在の健康状態を聞くことにした。
「日常生活で異変はありますか?」
「いんや。走ったり泳いだり人を食べたり。普通に出来るっぺよ」
「なるほど……」
カルテに『人食い』の一文が追加される。
「血液検査をしましょう」
「痛いっぺか?」
「チクッとだけ」
山岡は腕から見えるそれらしき管に針先を向け、刺した。注射器の中へ真っ青な液体が上ってきたのが見え、山岡と看護師が驚いた。
「やだぁ」
あまりの出来事に、山岡の内なる乙女が口から飛び出た。
「では、検査に回しますね」
大丈夫かな、と首を傾げながら採取した血液を看護師に手渡す。気味悪そうに看護師が血液を機械へ入れると、すぐにエラー音が鳴った。
「そもそも貴女の心臓が悪いと仰ったのは誰ですか?」
「カッパ村のビーヅェイ先生だっぺ」
カッパって普通に言っちゃったよ……。
後ろで見ていた看護師が、そんな顔をした。
「その先生はなんと?」
「心の臓辺りから雑音がする。きっと大動脈解離に違いない、って」
「……」
「だげんちょも、ビーヅェイ先生は医師免許持ってねぇがら、手術は出来ねって……」
「……そうですか」
山岡はカルテに『診察不可』と殴り書きをした。
「一つ確認です」
「なんだっぺ」
「そのビーヅェイ先生は普段どんな診察を?」
「何でもするっぺ。オラ達カッパ村唯一の先生で最高の名医だっぺ。こないだもこっそり膵頭十二指腸切除術してたっぺ」
もうビーヅェイ先生でいいじゃん。
山岡はカルテを閉じてカッパ娘を見た。
「あのー……」
「先生、オラは治るっぺか?」
「カッパに医師免許は要りませんよ?」
「へ?」
「医師免許。要りませんので手術でもなんでもビーヅェイなら出来ますよ。きっと私より上手いでしょう」
「えっ!? つ、つまり──オラは!?」
「ビーヅェイ先生に手術してもらえば、治ります」
「ホントが!? やった!」
カッパ娘はよほど嬉しかったのか、そのまま診察室を出て行ってしまった。
山岡はとりあえず面倒事にならずに済んだと思い、安堵のため息を漏らす。
そして時は流れ──
「先生っ!」
診察室にカッパ娘が現れた。
「えぇ……?」
山岡は二度目の遭遇だったから軽度の驚きで済んだが、たまたま診察室に居合わせた老婆は酷くたまげてしまい、そのまま意識を失った。
「オラ……治りました!!」
「それは良かった」
「けど……」
カッパ娘の浮かない顔を見て、山岡は「どうしましたか?」と老婆の頬を叩きながら問いかける。
「ビーヅェイ先生が……カッパ警察に捕まって……」
「えっ!?」
山岡は驚いた。カッパに警察が居たことを。
だが、医者が居るくらいだから警察が居てもおかしくはないだろう。いまいち腑に落ちないが、そう考えた。
「医師免許……ですか?」
「いんや。やっぱり先生の言う通り医師免許は要らなかっただ。ただ……」
「ただ?」
「ビーヅェイ先生、オラの身体にキュウリを置いたまま忘れちまって……まだ入ったまんまなんです! このままじゃ先生医療ミスで逮捕だっぺ!」
「……」
何故手術中にキュウリが……?
山岡はとりあえずレントゲンを撮ろうかと思ったが、冷静に考えてキュウリはレントゲンに写らない事に気が付いた。
「まあ、傷口開くくらいなら……」
山岡はカッパ娘の手術痕を見て、これくらいならとカッパ娘を麻酔で眠らせた。
そっと傷口を僅かに開くと、真っ青な血が山岡の手袋に着き、ゾッとした。
「これか……?」
山岡は素早くキュウリを取り出し、窓から投げた。
青に染まったキュウリは、見事な放物線を描き茂みの中へと消えてゆく。キュウリに囓ったあとがあったが、この際気にしないことにした。
「もう大丈夫ですよ」
「先生……」
麻酔から覚めたカッパ娘の目から、一筋の雫が垂れた。
「ビーヅェイは逮捕されませんよ」
山岡は満面の笑みでこたえた。
「あと違法賭博と住居侵入罪と暴行罪と痴漢があるんです! 先生! どうかお助けを……!!」
カッパ娘は傷口の痛みなどお構いなしに、頭を下げた。
「諦めましょう。どうにもなりませんな」
山岡は満面の笑みでこたえた。
「そんな……!!」
ビーヅェイはキュウリおあずけ二年の刑に処され、すっかり痩せ干せてしまったが、その後は改心し、真面目に医者として働いたという。