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『天使の背中短編集』

時間と任命

作者: すけともこ

長編執筆の息抜きに書き上げた短編の第4話です。

短編ですが、一度に読むには少々長めですので、お時間のあるときにゆっくりお読み下されば幸いです。

カステーラ博士の甥っ子パンデローがターメリック王子の従者になってから、もう1年になるという。


まったく信じられん…


おれはまだ、カステーラ博士がこの国にやって来て幾日も経っていない感覚だというのに。



「甥っ子が1年目で、俺がちょうど6年目か…揃いも揃って紅葉の美しい秋頃になってやって来たところに、なんだか血の繋がりを感じてしまうな…まぁ、まったく関係ないんだが」



カステーラ博士は、そう言ってナハハと楽しそうに笑った。


この男は…6年前に比べて、よく笑うようになった。


自分の研究所におれたちをお茶のお客として招待するなんてこと、6年前の博士では想像もつかん。



研究所1階の客間にて、おれと執事のバクリッコ、そしてメイドのクミンは、カステーラ博士に午後のお茶をご馳走になっていた。


博士の大好物がクロワッサンだということは巷では有名らしく、ふたりは近所の名店のものをこぞって持ち寄っていた。


…知らなかったのは、おれだけらしい。



「あ、騎士団長の持ってきたマカロン、手作りですよね! もしかして、奥様の? 頂いてもいいですか?」



テーブルの包みを前に頷いてみせると、クミンは嬉しそうに薄桃色のを半分かじった。


「美味しい〜!」と恍惚の表情を浮かべるクミンの様子を見ていたバクリッコも、橙色を丸々ひとつ口に入れると、クミンと同じ顔になった。


…ふたりとももういい大人のはずだが、どう見てもおやつが嬉しい子どもにしか見えん。



「ほぅ…マカロンってのも美味いなぁ」



博士お前もか。



「そういえば…騎士団長は俺がここへ来たばかりの頃、騎士団長になりたての新婚さんだったな」


「へっ!? あ…ああ、そうだが…」



2つ目のマカロンに手を伸ばした博士が何気なく確認してきた一言に、おれは眉を八の字にしてみせた。



いったいなんの話をするつもりだ…?


何が面白いかわからん「こいばな」とかいうやつならお断りだぞ。



身構えるおれを、博士は面白そうに少し見つめて、口を開いた。



「覚えているか? あの頃、王室専属医が決まらなくて、お前さんが空回りしっぱなしだったときのことを」


「……」



博士の銀縁メガネの奥で、藍色の瞳がいたずらっぽく光っている。


おれが何て答えようと、コイツはそのときの話をするつもりだ。



「え、何の話すか? オレ、あの頃からここで働き始めましたけど、知らないっすよ、そんなの」



博士の思わせぶりな言葉に反応したバクリッコが口を開き、クミンもこくこくと頷いている。


お菓子の次は、絵本の読み聞かせをねだる子どもがふたり…



しかも…


博士は自分から振っておいて、話し始める気配は微塵もない。


まったく…っ!


沈黙に耐えかねたおれは、仕方なく口を開いた。



「元はと言えば…何もかもカステーラ博士が王室専属医にならなかったせいなんだ!」



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



今から6年前…この国を、未知の流行病が襲った。


普通の風邪よりもタチの悪いもので、高熱が何日も続いたり、そのせいで関節が痛くて寝たきりになったり…


熱が下がっても咳が止まらなかったりと、散々なものだった。



エスペーシア王国は、もともと病気やらには疎い国で…なんでも「寝れば治る」と考えていた医師たちも、匙を投げてしまった。


そして、ついには国王陛下までもが病に倒れられ、この国は絶望の淵に立たされた。



そんな、なすすべもなく打ちひしがれる人々の前に現れたのが、当時はパンデローという名前だった青年、カステーラ博士だった。


博士は、病気の取り扱いに不慣れだった医師やおれたちに治療の指示を飛ばし、さらには感染の拡大を防いだ。



そして、そんな博士のおかげで順調に回復なさった国王陛下によって、新たに『王室専属医』という役職が作られた。


城内にある、城内のすべての人間のための医師…


そんな要職にカステーラ博士が任命されることになったのだが…



「そんなものは要らん、と言ったんだこの馬鹿者は」



おれが向かいに座る博士を睨みつけると、博士は動じることなく飲みかけの紅茶を一口飲んでテーブルに戻した。



「えぇ!? どーしてですかぁ?」



と、クミンが尋ねても博士は答えずに、



「違う、俺はそんなことは言っていない。騎士団長の思い違いだ」



と、呟いた。


そして、6年前と同じ冷たい視線をおれに向けて、6年前とまったく同じセリフを口にした…



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



『そんなものは、もっと必要とされるべき人のためにあるべきだ…俺には必要ない』



カステーラ博士が任命を拒否して宙に浮いてしまった役職「王室専属医」…


国王陛下の代役としてこの件に関わっていたおれは、彼の寝泊まりしていた城内の客室に押しかけて、理由を問いただした。


すると博士は、その『必要とされるべき人』の名前を上げた。



『城下町の外れに、小さな診療所があるだろう? そこで手伝いをしているミントという女性医師を、王室専属医とやらに任命してほしい』


『……』



おれは自分の耳を疑った。


こいつが何を言っているのか、まったく理解できなかったのだ。



病人の治療をしている頃から、地位や名誉といったものにはまったく興味のない男だということは、なんとなくわかってはいたが…


しかし、国王陛下の任命を断わってまで、王室専属医の役職に付けたい人間を出してくるとは思わなかった…



『おや…? ああ、なるほど。そんな、どこの馬の骨とも知れない人間なんかに…と、君はそう思っているのかな? それじゃあ、ついて来てくれ』



何も返事のできないおれを見兼ねたのか、カステーラ博士は呆然とするおれをつれて、城下町へと繰り出した。


城から離れて下町へと向かう間、前を行くカステーラ博士は、振り返ることなく尋ねてきた。



『この国は、平和を絵に描いたような国とよく例えられるが…君は、それが本当にその通りだと思っているのか?』



な…


なんという愚問…!



おれは博士の背中に向かって『当たり前だ』と叫んでいた。


今回の流行病以前には、目立った紛争もなく災害もなく、大きな犯罪もなく…だれもが平穏無事に暮らしていたからだ。



しかし…


博士は何も答えることなく、黙々と歩いていってしまった。


いったい何なんだ…


わけもわからず後を追って行くと、博士は路地の先で足を止めて、



『あれを見ても、そう言えるのか?』



と、1件の建物を指さした。


いや…指さしたのは建物ではなく、その前に佇むショートヘアの女性だった。



歳の頃は20代後半くらいだったが、俯く視線に生気はなく、渋々といったように建物の中へと入っていった。


その途端…


中から凄みのある男の罵声が響き渡った。



『遅せぇんだよこのアマっ! またどっかでぺちゃくちゃお喋りなんかしてたんだろっ! これだから女ってヤツは役に立たねぇんだ!』


『……』


『あぁ!? 言い訳してる暇があったら、晩メシの支度でもして来いってんだ! お前みたいな女の利用価値なんざ、炊事洗濯家事全般にしかねぇんだからよぉ!』



…男の罵声が途切れると、建物の中はまた静かになった。


ドアが開いたせいなのか、気がつけばあたりは消毒液の匂いに満ちている…


どうやら、この建物は下町の診療所らしい。



当時、騎士団には城下町の見回りという仕事はなく…


そのため、おれもこんな場所があることを知らなかったのだ。



あれは…れっきとした女性差別じゃないか。



この平和を絵に描いたような国に、まだこんな時代錯誤の人間がいたとは…


おれは、これっぽっちも知らなかった。



いや…


知りたくなかった。



『…彼女は、この診療所にもう5年も務めているが、いまだに患者とはまともに向き合えず、学校で学んできたことがひとつも活かせていないそうだ』



歯噛みするおれに、カステーラ博士は隣で淡々と語り続けた。



『エスペーシア城から手隙の医師を募集するお触れが出されたとき、この診療所はまるで厄介払いでもするかのように、彼女を派遣してきたんだ』


『……』


『まったく、医師の風上にも置けない奴らばかりが務めている診療所だな。まあ、おかげで彼女といろいろ話ができたわけだが』



その博士の言葉で、おれもようやく思い出すことができた。


そうだ、突然現れた博士の助手として城内を駆け回っていたのは、だれあろう先ほどの彼女ではないか。



おれの合点がいった顔をチラリと確認した博士は『今頃か云々』と文句を言いつつも、ふっと真顔になって、



『彼女の名前は、ミント…俺が王室専属医に任命してほしいと思っている、優秀な医師だ』


『……』


『この国には、まだまだ彼女のような医師は多いと聞く。まさに、平和を絵に描いた国の光と闇の、闇の部分だ。だからこそ、彼女には王室専属医という、闇が見えなくなるほどの強い光になってもらいたい』



…なるほどな、とおれは博士の言葉にひとり納得していた。


光あるところには闇がある…それは世界の理というもので、人間ごときが変えることはできない。


しかし、闇が見えなくなるほどの強い光が、この世界にあるとしたら…



『な…なんだい騎士団長…気持ち悪いぞ、男同士で…』



おれは、隣に立つ博士がたじろぐほどじっと彼を見つめて、こう告げた…



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



「よーしわかった! どれだけ時間がかかろうが、おれが国王陛下を説得してみせーるっ! だから、待っていてくれ! 必ずや彼女を王室専属医にしてやろうじゃないかぁ! あーっはっ」


「博士! おれはそんなに馬鹿っぽく言った記憶はないぞ! 事実を捏造するのはやめてくれっ!」



というか、なぜ最後のおれのセリフを言おうとするんだ、まったく。


シリアスな展開から突然コメディ調になったものだから、珍しく真剣な顔で話を聞いていたバクリッコが堪らず「ちょっ! ふたりとも!」と不満げに声を上げた。



「せっかくいい話だってのに、これ、笑うとこなんすか!?」



その言葉に、おれの「いや、まったく」と、博士の「ああ、そうだ」がピッタリ重なって部屋に響いた。



「えぇ〜、どっちなんすか、もう…」


「俺は最初に言ったはずだぞ、騎士団長が空回りしっぱなしだった話だと…そうだろう?」



博士の悪戯っぽい顔に、俺は渋々頷くしかなかった。


…事実、その通りだったからだ。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



おれは大急ぎで城へ戻ると、さっそく国王陛下に謁見し、王室専属医の席が空いていること、博士がその席を譲りたいと思っている人物がいることを説明した。



しかし、いざ国内の光と闇、医師界に蔓延る女性差別の話題が出る前に、国王陛下は鶴の一声を上げてしまわれたのだ。



『私の命の恩人であるカステーラ博士が譲るというのなら、それがだれであろうと構わない』



…と。



「…おかげで、何の時間もかからず、ミント君はエスペーシア城の王室専属医に任命されたというわけだ。騎士団長ひとりがから回って…めでたしめでたし」


「まさか、あんなにも簡単に事が運ぶとは思っていなくてな…おかげで、大見得を切って恥をかいてしまった」



今でも鮮明に思い出せる…


国王陛下のお言葉を伝えるために、博士の客室へ赴いたときの気まずさを。



別れの挨拶をした後で忘れ物を取りに戻るような、あのなんとも言えない空気…


しかし博士は、そんなものどこ吹く風で、



『え、もう決まった? なんだぁ、そんな暗い顔をして入ってきたから、俺じゃないと駄目だとか、そういう話になったのかと思ったじゃないか! 紛らわしいなぁ騎士団長!』



と、そりゃあもう嬉しそうにおれの肩をバシバシ叩いて…


ん…?



「なぁ、博士…まさかとは思うが…」



ふと気になったことを尋ねようと、おれは向かいに座る博士を見据えた。


すると博士は、やはり心当たりがあるらしく、すっと居住まいを正した。


バクリッコとクミンが見守る中で、おれは一呼吸置いてから口を開いた。



「博士、王室専属医を譲りたいと言ったのは…ただ単に、自分が面倒くさかったからじゃあるまいな?」


「……」



博士は微動だにしない。


が…


おれには見えた。


ほんの一瞬、確かに博士の目が泳いだのを!



ああ! やっぱりそうかっ!


しかし、おれが声をかける前に、研究所の呼び鈴が鳴ってしまった。



「おっと、お客さんだ。そうそう、ミント君も呼んでいたんだった」



カステーラ博士は、これ幸いとばかりに席を立って、玄関口へと逃げていった。



「博士! 図星だな!? 図星なんだな!?」


「はてさて、何の話かなぁ?」



博士は振り返りざま、キレイに片目をつむってみせた。


ああ、まったくこの男は…



そういう顔は、今頃玄関で手作りクロワッサンを持って立っているであろう、ミント先生にしてやってくれ。


…なんてな。



おわり

最後までお読み下さり、ありがとうございます。

短編は、どれも「長編パンデロー以後、長編シーナ以前」の期間の内容になっています。

カステーラ博士の6年前の話も、時間があればゆっくり描きたいところです…。

他作品や長編作品も合わせてお読み下されば幸いです。

感想やアドバイス等も絶賛受付中です!

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@suke_tomo_ko

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