2 義務教育(前編)
あれから五年。
「ヒャッホォー!」
四人のメイド達によって綺麗に保たれている屋敷の廊下。
物心ついた時から艶のある床を滑って育った私は、今日で五歳を迎えた。
ここは、亜人と人間が共に働く大都市――クロスオーバー。
鑑定士の娘として転生した私は、両親が人間。異なる四人の亜人メイド達に、私は育てられた。
父親のアクセルは、冒険者ギルドがダンジョンから回収して来た異物を鑑定し、鑑定料を主な収入源としている大富豪。
母親のミラは、アクセルが鑑定した異物の中から、その異物を欲しがっている収集家にオークションの招待状を送り、紹介料でアクセルと同じく大金を稼いでいる。
私の両親は、クロスオーバーではかなり有名人。故に多忙であり、この屋敷には殆ど帰って来ない。
育児放棄という訳ではなく、多忙過ぎるからメイド達を雇っているだけ。メイド達も、四人とも優しい亜人だ。
「ステアお嬢様! どちらにいらっしゃるのですか? お勉強の時間ですよ。聞こえたらすぐに書庫へいらしてください」
この澄んだ声は、エルフのベイリー。
短命でも三百歳を超えるエルフは、その長い人生で授かった知識を活かし、人間や他の亜人達に幅広い分野で勉学を教えてくれる代表的種族として、クロスオーバーに住んでいる。
「おはよう、ベイリー」
「おはようございます、ステアお嬢様」
書庫で私を待っていたベイリーの外見は、人間で例えると十九歳程度の少女。
とても二百歳超えとは思えない若さで、綺麗なエメラルドグリーンの髪がベイリーの特徴。
そして何より、艶やかなおっぱいが最大の魅力だ。
「ステアお嬢様……なぜ私の胸を見ているのですか?」
息子にも見せてやりたいほどの絶景。
胸をガン見すると恥じらうベイリーは、今日も可愛い。
(二百歳経ってもあの張りと艶……信じられん)
「ベイリー、どうやったらそんなに張りと艶を保てるんだ? 私は全然大きくならない」
前世もそうだった。
「あぁ……しっかりと勉強すれば、きっとお嬢様も大きくなりますよ」
この世界にまだそこまで詳しくないけど、今のベイリーの言葉は嘘だと確信出来た。
私はまだ五歳の子供。真面目な質問をしても、わりと誤魔化される事が多い。
「さ、今日もこの世界に住む亜人の勉強をしましょう。お嬢様も今日で五歳ですから、そろそろ外の町に出ても良い頃ですし」
「おっけぇ。今日もよろしく!」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
ベイリーは、礼儀正しいお嬢様といった感じのエルフ。
美男美女が多いエルフは、気品あるその容姿のせいか、みんな貴族っぽい印象。
部屋の窓から見える町を行き交う他のエルフの髪や目の色も、基本的にはベイリーと同じで植物の色に近かった。
これは、エルフの故郷が森で、擬態能力に優れているからだと――以前に教えてもらった。
今日の勉強は、前回の続き。亜人についてだ。
この世界に住む亜人、人類が『亜人』と称して接している生物の定義は、人間に危害を加える者であるかどうか。
この世界では、個性を問わず本能的に危害を加える者は『魔族』と呼ばれ、人間と対等な関係を望む者は『魔人』と呼び、人間と友好的な関係を築いた者を『亜人』と呼んでいる。
魔族は、人間社会に馴染む事があり得ない者。
魔人は、人間社会にまだ馴染めていない者。
亜人は、人間社会に既に馴染んでいる者。
亜人の代表的な種族は、獣人、バーバリアン、エルフ、ドワーフの四種類。
四種ともこのクロスオーバーではよく見かける種族で、人間よりも優れた才能を持っており、その数も多い。
その一方で、魔人の代表的な種族は、竜人、精霊の二種類だけ。
二種類ともクロスオーバーではあまり見かけない種族で、魔族と亜人の間で揺れ動いている曖昧な種族。
というのも、この二種類は魔族や人間と過度な接触が禁じられている種族なので、憧れても馴染めないという性にあるらしい。
災いを呼ぶ――とまで言われているほど、魔人は関わるべきではないとされる種族。
魔人に人間との接触を禁じているのは、竜人の場合は魔族の王で、精霊の場合は神。
仮にクロスオーバーで出会ったとしても、そっとしておくのが良い種族だ。
最後の魔族は、代表的な種族が、吸血鬼、悪魔、悪霊、邪神。
魔族はとても複雑な種族。悪魔の中に『淫魔』など細かな区分があって、吸血鬼も『伯爵』や『眷属』など階級的なものが存在し、その階級を一つの種としている。
だから、よく冒険者が口にする魔王は、悪魔の最上級を示す言葉。驚くべき事に、魔族の王と魔王は全く別の存在。魔族の王は、邪神の最上級を示す言葉らしい。
以上が、王都から教育を義務付けられている範囲。
これを知らない、教えていない子供は、どこに危険が潜んでいるか分からない町への外出が禁止されている。
私が五歳に至る今日まで外に出してもらえなかったのは、そういう異世界らしい事情があったようだ。
「余談ですが、ゴブリンやスライムなどは、魔族ではなく、怪物と言われている生き物です。それらを町で見かけた時、間違って魔族や魔物を見たと証言してしまうと、ギルドが大騒ぎになりますから、間違いのないようにお願いします。この手帳に、怪物の名前は記しておきました。是非憶えてください」
ベイリーが、怪物の名前を書き記した手帳をくれた。
早速手帳を開いて調べてみると、ファンタジー世界なら居るだろうドラゴンも、怪物としてその名が記されている。
ワイバーンは腕が翼になっているとか、ドラゴンとワイバーンの違いも細かく書かれている手帳。これは、きっと重宝するだろう。
「何か気になる事はありますか?」
「んー」
ざっと読んでみて、意外だった事は三点ほど。
一つは、人狼は獣人ではなく怪物ということ。
二つ目に意外なのは、天使も人間を連れ去る怪物ということ。
三つ目は、神が――怪物、亜人、魔人、魔族、そのどこにも属していないこと。
三つ目に関しては、ベイリーに聞くべきだ。
「ベイリー、神は亜人じゃないの?」
質問したら、ベイリーは戸惑った様子で「神は神ですよ?」と答えた。
ベイリー曰く、神は全員王都の聖堂街に居るらしい。
この世界には数多くの宗派が存在し、世界中に居る信徒達に神は異なる恩寵を授けているそうだ。
その恩寵の事を、人々は『ユニークスキル』――と呼ぶ。
そして、ユニークスキルに関係する宗派は、私が知る言葉とは少し違う意味を持っていた。
宗教の派閥である点は『宗派』という言葉で合っているけど、その宗派は、職業、生き方など――人生に関する言葉。
剣の道を歩む者は剣士の宗派であり、信仰深くなるほど上位の職に就き、様々なユニークスキルを獲得する。
私の両親、アクセルは鑑定神の第七級信徒『選定者』で、ミラは探求神の第二級信徒『推薦者』。
鑑定神は、何かを選ぶ――選ばせる事に携わっている神で、階級の数は全部で九階級。最上級の第九級信徒『鑑定者』は、ユニークスキルを九つも持っている。
探求神の方は、何かを探す事に携わっている神。階級の数は全部で三階級あり、最上級は『探求者』というもの。
鑑定神の信徒の総称は鑑定士で、探求神の信徒の総称は探求家。総称の最後に家が付く宗派は階級が少なく、同じ宗派内であまり差がない。一方で、士と付く宗派は階級が多く、ユニークスキルの数の関係もあって格差社会。
総称の違いは、家族のように信徒を平等に扱う神と、そうでない神がいるだけのこと。そういう些細な違いが、呼び名に現れているだけのようだ。
ベイリーから聞いた限り、『職業』という言葉は死語。
パン職人と言えば、パンの作り方に宗教的なレベルで拘っている者――という意味に捉えられる。
独身時代、アキハバラに行きたい一心で日本語を勉強した時と同じ……言葉の壁は少しあるかもしれないが、すぐに意味の違いは馴染めるだろう。
◇◆◇◆
次の日。
エルフが勉学を教えてくれるなら、ドワーフは武器について教えてくれる種族。
屋敷の地下で騒がしく武器を作っている我が家のドワーフは、赤い髪色が情熱的な性格だと話し掛ける前から物語っている――ソニア。
「ソニア、おはよう!」
「お、来たな? ステア。今日も一緒に武器の勉強をするぞ。さっ、作業台に座って」
ソニアは女性。
メイドという印象はなく、地球で例えるなら工場で男性に紛れて働く、男気溢れる女性といった感じ。
地下の鍛冶場で汗を流している事もあって、メイド服も煤だらけ。手も傷だらけで石のように固い。
見た目はメイドとは無縁の容姿だけど、一応メイドと……本人は言う。
「お前もそろそろ外に出る時期だから、怪物に襲われても大丈夫なように、少しは武器について知っておかないとな」
「そうだね。今日もよろしく!」
「おうっ! よろしくな」
家にゴキブリが出るような感覚で怪物と出会う事も多い世界。
外を歩く住人は防具と武器を所持しているから、悪い連中に絡まれた時も怪我をしかねない。
戦闘、護身術に関してはバーバリアンのメイドの役目だけど、身に着ける武器に関しては、ドワーフの役目だ。
「よしっ、じゃぁ今日はそうだなぁ……そろそろスキルの使い方について教えても良い頃だし、スキルが武器にどんな影響を与えるか、教えてやろう」
五年間の疑問が、今解決しようとしている。
ソニアは、棚の中から白紙の本と水晶玉を取り出し、私に水晶を触れと言う。
恐れる事なく触ると水晶玉は光を放ち、白紙の紙には以前私が目にしたステータスが記される。
「なにこれ!? ハッハッハッ、すげぇな!」
「すげぇな!?」
つい興奮して、五歳の子供だって事を忘れて素が出てしまった。
すげぇなって、こっちの世界では言わないのかも。
「あぁ……凄いねぇって意味だよ? すげぇなってのは、そのぉ……私が勝手に作った言葉」
「凄いなって事か。それなら、ちゃんと凄いなって、発音した方がいいぞ? 言葉の発達が遅れてるのかと思われる」
「うん、だよね。気を付ける……ごめん」
世話係という面もあるから、メイド達は言葉に厳しい。
バーバリアンのラーフェと狼獣人のシルビアは、私が「ヤバい」とか言っても、「???」って感じで何も指摘して来ないけど、 ソニアとベイリーはしっかり指摘してくる。
種族的にドワーフとエルフは過保護タイプで、獣人とバーバリアンは放置タイプ。そう私の勘がいつも告げている。
「話が逸れたな。お前のスキルは、全部で四つ。アクセル様が事前に鑑定してくれたスキルの効果は、ここに書いてある」
渡されたメモには、選定者のユニークスキルによって調べられた私の固有スキルの効果が書いてある。
スキルには常時発動型など色々とあるけど、私の固有スキルに関しては、全て常に発動しているものらしい。
【常時発動型スキル:キックダウン】
脳、心臓など、対象の急所を蹴る事で、一時的に相手を気絶させる事が出来るスキル。
気絶する時間は、本人の脚力に比例して増減する。
【常時発動型スキル:トライアルエッジ】
断続的に何かを繰り返した際、それに伴う成果が繰り返した回数に応じて増大、加速する。
勉学に関しては、予習、復習を繰り返す事で理解力が加速していく。
戦闘に関しては、同じ相手に攻撃を繰り返す事で技の威力が増大していく。
【常時発動型スキル:リバースエッジ】
トライアルエッジによって増大、加速した蓄積分の成果を自身の遺伝子に組み込む。
蓄積分は初期化され、遺伝子に組み込まれた成果は、肉体の成長と共にその成果を現す。
リバースエッジによる遺伝子操作は、気絶状態、睡眠状態など、トライアルエッジが機能しない環境で行われる。
【常時発動型スキル:カウンターエッジ】
肉体的、精神的に想定していない衝撃を受けた時、即座に遺伝子操作を行い、受けた衝撃が想定内のものとなる肉体と精神を作る。
私のスキルは、生物の成長をスキルで言い表しただけに思える効果だった。
ソニアが言うには、亜人はもっと強力な固有スキルを持っているらしい。
バーバリアンの場合は筋力関連に優れる固有スキルがあり、エルフの場合は知識関連。
固有スキルは個人差があるけど、スキルの系統は大差ない。人間の場合は、全体的なバランスを整えようとする欲深い種族なので、器用貧乏なスキルになりがち。
私は人間の中でも珍しく、攻撃的な性格なのが窺えるスキルで充実していた。
(闘争心がある点に関して、攻撃的といえばそうなのかも……否定はしない。前世じゃ私の事を馬鹿にした奴を殴った事もあるし、過激な面もある……かな? ハハハッ)
――で、気になるのは、このスキルがどう武器に影響するかだ。
「スキルってのは、ユニークスキルとか色々ある訳だが、武器に関係しないスキルは何一つない。スキルには適性武器ってのがあって、お前の場合は鈍器だな」
刀剣の類は、威力が固有スキルでは強化されない傾向にある武器の一つ。
刀剣の威力とは、切断力の事であり、固有スキルは本人にしか効果がないので、刃が持つ切断力は変化が無いに等しい。
一方で鈍器は、それを扱う者の固有スキルが大きく影響する武器の一つ。
鈍器の威力とは、破壊力そのもの。本人にしか影響のない固有スキルが、直接威力に反映される武器だ。
説明を聞き終えて考えてみれば、私のスキルは、どう考えても鈍器が適正武器。
仮に刃物を持った場合、一撃目から手足を斬り落とせる刃物の威力が上がっても、手足が斬れる――という事に変わりがない。
要は、刃物を持っても無駄という事だ。
ついでだからソニアに詳しく聞いてみたところ、固有スキルは産まれた時から持っているスキルという意味で、後天的に授かるスキルは全てユニークスキルの扱いだった。本来持ち得ないスキル、珍しいという意味での『ユニーク』だ。
そして、固有スキルは、才能の開花段階が進むと同時に新たな固有スキルが現れる場合もあるそうだ。
私の場合、リバースエッジで遺伝子操作が頻繁に行われるので、既存の固有スキルや才能が変異し、新たな固有スキルと才能が追加される事もあり得るとか。
――なかなか期待が持てる話だった。
「アクセル様から、五歳の誕生日祝いに武器をプレゼントしてくれと言われてたんだが、鈍器でいいか?」
「うーん……」
せっかく銃刀法違反とか無い異世界に来たのだから、ジャパニーズソードが使いたい。
バットウジュツとかやってみたいし、着物を着て侍っぽく「辻斬り御免!」とか言って、悪い奴を後ろから斬りたい。
いざ、ジンジョウニ、勝負――とか言って、鈍器を持ち出すのは、ちょっと違う気がするんだよなぁ。
(やっぱり異世界と言えば、剣と魔法じゃないの? でも私のスキルが剣は向かないっていう話だしぃ……ウゥゥゥゥン、ウー、ウー? ウーウーン、ウーン……ブルゥンッ、ブルンッ、ブルルルッ……)
――そうだ!
「剣の形をした鈍器がいい!」
咄嗟の閃きだった。
「剣の形をした鈍器!? 木剣みたいなものか……」
「そうそう、そんな感じ! 鉄とか硬い物で作って、刀身の厚さは10センチくらい。全体的な形が、こん棒みたいに頭でっかちな片手剣がいいかな。剣先の幅が広くなってるやつ」
理想を言うと、ソニアが楽しそうに頷いた。
そろそろ私も町に出れる時期。メイド達がこれだけ念入りに武器や知識、戦闘に関して教えてくれるのだから、きっと外は危険なのだろう。
武器を作ってもらえたら、夕方にでもシルビアと一緒に町へ出てみよう。
次回更新は、明日の20時頃です。