嫉妬したって我慢します
放課後になりセラフィーナが帰宅をするため廊下へ出ると、またしてもグレイルの姿がそこにあった。
今までずっとセラフィーナが追いかけるばかりだったのに、避けようと決めてからの遭遇率の高さに思わず顔が引き攣る。
そんなセラフィーナの様子を見たグレイルの表情は、いつも通り微笑を湛えてはいたが発した声は心なしか不機嫌そうな音だった。
「セラフィーナ、少し話ができないかな?」
「お話……ですか?(いやあああ! 絶対婚約破棄の話じゃない! どうする!? どうすれば回避できる!?)今日はちょっと……」
「今日は確か、何も用事はなかったはずだよね?」
何とか逃げるための口実を口にしようとしたセラフィーナの言葉は、グレイルによって遮られる。
「え?」
「セラフィーナの予定は把握しているからね。だから昨日の所用が何だったのか、とても気になるんだけど? ああ、そんな表情は私以外の前でしてほしくないな」
キョトンとするセラフィーナの頬を、深い笑みを刻んだグレイルが優しくなぞる。
しかしセラフィーナの胸中では大嵐が吹き荒れていた。
(私の表情? そんな表情をしてほしくないって、つまり醜いってこと? どうしよう……私、婚約破棄されてしまうの!? 1日も回避できないって、どんだけスペック低いの自分!)
セラフィーナはプチパニックを起こしかけ後退るが、グレイルは逃がさないとばかりにその腰を引き寄せる。
「今度は逃がさないよ?」
耳元で囁かれたグレイルの言葉に、セラフィーナの脳内に警鐘が鳴り響く。
(今から婚約破棄の話をする気なんだわ……。もうダメ! 回避できない!)
今すぐ回れ右して逃げたいが、腰に回されたグレイルの手が、がっちりとセラフィーナを捉えて離れない。
このまま空き教室あたりで婚約破棄の話をされるのかと、絶望的になったセラフィーナだったが、そこへ背後から甘い声がかかった。
「グレイル様~、この問題を教えてもらってもいいですか?」
グレイルの肩越しに声のした方へ視線を向けると、廊下を小走りでやってきた女子生徒が、セラフィーナに気づいて怯えたような素振りをしながらも、グレイルの腕に手をかけた。
「あっ、セラフィーナ様……」
その様子に思わず睨みつけてしまいそうになってしまい、慌ててセラフィーナは彼女から視線を逸らした。
ある意味セラフィーナの窮地を救った彼女--レイラ・キンブリー-子爵令嬢は、学園に今年から編入してきた生徒で、下位貴族出身ながら毎回テストで学年主席のグレイルに次いで、2位をキープしている実力者だ。
この学園は編入や転校する者が結構多いが、編入早々2位になりその後もずっとその順位を維持している彼女はすっかり有名人となっていた。
明るいオレンジの髪とピンクの瞳をしたレイラの容姿は、小動物のような可愛らしさがあり、きさくな性格で異性との距離も近いので、彼女のファンだという男子生徒も多い。
また成績優秀者で構成される生徒会の役員でもある彼女はグレイルとの距離も近く、当然二人で話す機会も多いわけで、今までセラフィーナは嫉妬でレイラを睨んでしまうことが多々あった。
(彼女が私を見て怯えるのは仕方ないわ。今まで散々睨みつけてきたのだから。こういう醜い私の嫉妬が、グレイル様に嫌われる要因だったのかもしれないわ)
レイラが割って入ったこともあり、グレイルの手が腰を離れたセラフィーナは自嘲的に自分に言い聞かせる。
子爵令嬢のレイラは視線を逸らしたセラフィーナを窺うように見たあとで、持っていた教科書をおずおずとグレイルに指し示した。
「ちょっと難しい問題があったので、グレイル様にお聞きしたくて」
上目遣いで見上げるレイラにグレイルが微笑を浮かべる。
レイラは成績優秀だがそれに驕らず勤勉家としても有名で、わからないことがあれば他の生徒に教えを請うことを厭わない。
成績上位者は男子生徒が圧倒的に多いので、可愛いらしいレイラに質問なんてされたら教える方だって悪い気はしないのだろう。
ちなみにセラフィーナの成績は10位前後をいったりきたりしているからなのか、一度もレイラから質問を受けたことはない。
顔を近づけてグレイルから説明を受けるレイラを、悋気を起こしそうになる自分を抑えてセラフィーナはただ黙って眺めていた。
丁寧に説明をしながら、自分では解けそうもない応用問題を難なく解いたグレイルを尊敬の眼差しで見つめると、セラフィーナの視線に気づいたレイラが眉尻を下げた。
「あ、ごめんなさい。私ったらつい夢中になっちゃってグレイル様を独占しちゃいました。
この問題難しくって。でも優秀な家庭教師がいらっしゃるセラフィーナ様なら簡単ですよね。うちは貧乏子爵家なので家庭教師なんて雇えませんから、こうして勉強のできる方から教えてもらえて有難いです」
レイラの言葉に、セラフィーナはそんなことはないと思っても悪意を感じてしまう。
家庭教師をつけているくせに10位前後なのかと嘲笑されているような気がして、いつもなら睨んで怯えさせてしまうところだが、今日のセラフィーナはぎゅっと拳を握りしめて我慢した。
(我慢、我慢~。嫉妬はダメ。何としても婚約破棄を考えなおしてもらわなくちゃ)
そう心に言い聞かせ押し黙ってしまったセラフィーナに、レイラの甘ったるい声がかかる。
「あと、こっちの問題も教えてほしいんですけど、セラフィーナ様解ります?」
今日は珍しくセラフィーナに睨まれないことに気を許したのか、教科書の難問を指しながら明るく笑うレイラに、セラフィーナの表情が引き攣りそうになる。
レイラが解けないような問題をセラフィーナが解ける訳もなく、教科書を見たセラフィーナは案の定お手上げ状態だった。
「ごめんなさい。私には難しいみたい」
「え? そうなんですか? そっか、まだ家庭教師の方に習っていなんですね!」
「セラフィーナは後で私から教えるから心配しないで。応用編だけど基本ができていれば難しくない問題だから」
教科書を片手に説明を始めたグレイルに、セラフィーナは居た堪れない気持ちになる。
そんなセラフィーナにはお構いなしにレイラが声を弾ませた。
「グレイル様に教えてもらうとすごく解り易いんですよね。こんな問題をスラスラ解いちゃうなんて、ちょっと悔しいけど私がグレイル様に毎回負けちゃうのは仕方ないかも。こんなに優秀な王子様が婚約者でセラフィーナ様が羨ましいです。私も勉強なら負けないのになぁ~、なんて、冗談ですよ、冗談!」
屈託なく笑うレイラの言葉がセラフィーナを卑屈な気持ちにさせる。
優秀な王子の婚約者が、爵位だけしか能がない自分では不釣り合いだと言われているように感じるのは、自分の劣等感のせいだろうとグレイルに心の中で謝罪する。
(こんな不出来な婚約者でごめんなさい。でも捨てないで。もうレイラ様を睨んだりしないから。あぁ、ただ彼女を見るとつい睨みたくなってしまうから、違うところを見るようにしましょう)
我ながらいい作戦だと、セラフィーナが校庭へ視線を逸らすと一人の男子生徒の姿が目に留まる。
帰宅する学生達が校庭を横切る中、その生徒は木刀片手に校庭の隅で素振りをしながら、縦横無尽に動きまわっているようだった。
まるで観劇の殺陣のような派手な素振りに、セラフィーナは目を瞬かせる。あんな素振りの仕方なんてあったかしら? と瞳を凝らして見てみると、その男子生徒がセラフィーナの一つ年下の従弟ライナスであることに気が付いた。