婚約破棄をされるみたいです
「セラフィーナとの婚約を破棄する」
学園の生徒会室へ入ろうとしたセラフィーナは、部屋の中から聞こえてきた言葉に、扉にかかった手を止めて固まった。
室内から聞こえた声の主が、この国の第三王子である自分の婚約者グレイルであることは間違いない。
(だって大好きな人の声だもの、間違いようがない……!)
ただ言われた言葉が、衝撃的すぎてセラフィーナの頭が真っ白になる。
震える足で後退りをすると、セラフィーナは抱えたバスケットを握り締め踵を返して立ち去った。
まだ授業が終わったばかりの放課後の廊下は人が多い。
擦れ違う生徒達に動揺を悟られないようにしながら、早足で歩いた裏庭までの道のりは、とても長く感じられた。
漸く人気のない裏庭にある木陰のベンチに腰かけると、セラフィーナはどっと脱力感に襲われる。
「婚約破棄なんてされたくない……私の何が悪かったの?」
そう呟いて、セラフィーナは今までの自分の行いを振り返ってみる。
セラフィーナはグレイルのことが大好きだ。
だから絶対に婚約破棄などされたくない。
「好きすぎて、グレイル様を勝手に名前呼びしていること?
好きすぎて、他の女の子と話すとすぐに嫉妬すること?
好き以下略、毎日手作りお菓子とか貢いでいること?
略、アポなしで王宮へ押しかけたりすること?
略、こっそりグレイル様の捨てたゴミを持ち帰ったことがあったこと?」
指折りしながら自分の言動を述べていくうちに、セラフィーナは頭を抱えた。
「……改めて考えると好きが重すぎだわ、私。悪いとこしかない。最後のなんて変態入ってるし」
こうして、グレイルのことが好きすぎて纏わりついている自分の鬱陶しさを、初めて痛感したセラフィーナは途方にくれる。
抱えるように持っていたバスケットを更に強く握り締めて、セラフィーナは黄昏色の空を見上げて溜息を吐いた。
セラフィーナとグレイルは、お互いが10歳の時に結ばれた所謂政略的婚約だ。
グレイルには王太子である10歳上の兄と7歳上の第二王子という兄がいて、王太子の方に双子の王子が産まれたために臣籍降下が決まったのだ。
同じく臣籍降下する第二王子は新たに公爵家を作ることが決まったが、領地だって限りがある中、さすがにそんなにポンポン公爵家を作るわけにはいかないと、グレイルはこの国の筆頭公爵であるスターツ家に、入婿として入ることが決定した。
幸いスターツ公爵家ではセラフィーナが一人娘だったこともあり、入婿先としてはこの上ない好条件だったというわけである。
同じ年齢ということもあり、セラフィーナとグレイルはそれまでも何度か面識はあった。
グレイルは鮮やかな紫紺の髪と、涼し気な浅葱色の瞳をした見目麗しい王子である。
頭脳明晰な上に気性も穏やかで、ちょっと思い込みが強く暴走気味な所があるセラフィーナが無茶を言っても、嫌な顔一つせず一緒にいてくれるグレイルと一緒にいるのは心地よかった。
セラフィーナはそんなグレイルと婚約したと聞いた時に、嬉しさと同時に自分の恋心を自覚した。
自覚すれば猪突猛進、それからセラフィーナの行動は好き好きアピールのオンパレードだった。
あれから8年。18歳になった今でもグレイルを好きな気持ちは変わらないどころか、質量増し増しになり現在に至る。
先程もグレイルが会長を務める生徒会室へ役員でもないセラフィーナが押しかけようとしたから、婚約破棄という言葉を聞いてしまったのだ。
「こんなに好きなのに……このままでは婚約破棄されてしまう……どうしよう」
セラフィーナの脳裏を過るのは、最近話題になっているある噂だ。
ある国の王子が婚約者である公爵令嬢に、夜会で婚約破棄を突きつけたらしいという噂を、セラフィーナは友人から聞かされた。
しかもその王子はその場で下位貴族の令嬢と結婚を宣言し、自分の求める真実の愛のためには仕方がないと宣ったそうだ。
「仕方がないから婚約破棄って……。何ソレ、こわい、こわすぎる」
婚約破棄された公爵令嬢と自分が重なって、セラフィーナの身体が震えてくる。
気持ちを落ち着かせようと深呼吸して瞼を閉じれば、グレイルの麗しい笑顔が浮かんできた。
「やっぱり好き。大好き。婚約破棄は嫌! 絶対に嫌!」
大きく息を吸い込み、ポジティブ思考に切り替える。
「きっとダイジョウブ……大丈夫よ。
真面目で優しいグレイル様のことだから、衆人環視の中で婚約破棄なんてしないはず。
そう考えれば危ないのは二人きりになる時ね。だったら、これからなるべく二人きりにならないようにすればいいのよ。ランチもお茶会もご一緒できなくなるけど、婚約破棄になるよりマシだもの。
ちょっと待って! 手紙で告げられる可能性もあるかしら? ……いえ、それはないわ。真面目で優しい(2回目)グレイル様だもの。きっと大切なことは直接話そうと考えるはず。でも念のため週末に出していた手紙は控えよう。私が手紙を出さなければ返信はこないもの。
大体冷静になってみれば毎日学校で会っているのに、週末まで手紙を出すなんてかなり面倒くさい女よね」
セラフィーナは自己嫌悪に駆られながら地団太を踏む。
「ああ、今までの自分をぶん殴ってやりたい……!」
きつく抱いたバスケットの中のマフィンへ視線を落とし、セラフィーナは盛大な溜息を吐いた。
「今日の差し入れのマフィンはかなり自信作だったんだけどな。一人じゃ食べきれないし、どうしよう」
グレイルが甘い物が好きだと言ったから、セラフィーナは自分でお菓子を作るようになった。
だがいくら甘党でも毎日手作りお菓子を渡されたら、気持ちも胃も凭れるだろう。それに貴族の令嬢が手ずからお菓子を作るというのも、あまり褒められた行為ではない。
「私のこういう所も婚約破棄される理由なのかも。お菓子を作るのは楽しかったけど、もうやめよう。ううん、やめるのは寂しいから、家族だけに振る舞おう。
明日から節度ある行動を心掛けて婚約破棄を阻止するのよ! そのためにも今夜は色々と考えなくては!」
そう決意してセラフィーナは立ち上がり、明かりが灯った生徒会室を少しだけ見上げて学園を後にした。
ちなみにマフィンは迎えに来た公爵家の馭者と従者に食べてもらい、小腹が空いていた彼らからとても感謝されたのだった。