孫の子育て
私の母が人生で一番楽しかった時は、初孫のサキと一緒に過ごしていた頃だったと、母は振り返る。母の子育て第二期の始まりである。
保育園バスがサキを降ろすと、母とサキは歌を歌いながら、草を刈る父の姿を見つけると、サキは精一杯の大声で叫んだ。
「じいちゃん!」すると、父が「おーい、サキお帰り。」と言って応えていた。
「サキ、きゅうり出来たよ。」といって、その場で一本を収穫して、サキに渡した。
母はキュウリをサキから受けとると、軽トラックの後ろに積んであるニℓの水を入れたペットボトルでそれを洗い、マヨネーズと味噌をつけて、サキに手渡した。
サキは「おいしい。おいしい。」と言いながら、きゅうりを頬張った。
サキが一本平らげると、母はオンブバッタや、とんぼ、蝶などをサキに見せ、軽トラックの助手席に乗っていたトイプードルのアンと追いかけっこをする。
サキより一つ年上のアンは、草の上をピョンピョン跳ねるように走って楽しそうだ。
ひとしきり畑で遊ぶと、母とサキは手を繋いで、また家へ帰るというのが平日の過ごし方だった。
帰ると、母とサキは折り紙をしたり、絵を描いたり、シャボン玉をしたりする。
やがて夕方になると、母はサキに食事をさせて、帯でおぶって、上からタオル地の掻い巻きで包んだ。
サキが夕方、暗くなると、姉を恋しがった。泣き出すのを知っていたからだった。
「あっち行く、あっち行く。」サキは東の方に延びている道路を指して、そう言った。
姉は通勤に二時間以上かかっていたのである。
朝の六時前に、姉が青いプリウスで走っていくのを知っているのだった。
サキはその方向から戻ってくることを知っているのだった。
サキは母のようこがおぶって、トントンとお尻を叩いているうちに寝てしまうのが常だった。
ある日、なかなか寝ないサキが、前方から歩いてくる、首輪を着けたシベリアンハスキーを見つけた。
「ようちゃん、あの犬オオカミに似てるね。人間を食べる?」と母に尋ねたという。
「あの犬ね、オオカミからつくられたんだって、食べられるとしたら、ようちゃんとサキかもしれないよ。」
「ママは大丈夫?」サキは、自分の事のよりも、姉を心配した。
「サキのママは大丈夫。えいやってやっつけちゃうから。」
「よかった。」安心したのか、サキはやがて安堵して、寝息をかき始めた。
自分の事より、自分の母を気遣う。サキの気持ちに、私は胸が絞め付けられる思いがした。
私は人に預けられることもなく、毎日、母と一緒だった。
それが、当たり前だと思ってきたが、それがどんなに幸せな事だったかと思い知らされた。
サキは夜九時に帰宅をする姉と、全く会わずに、また祖母である母に預けられてしまうのだ。
それでも、サキは母親が恋しくて、誰よりも心配しているのだった。
姪っ子のサキを大事にしよう。私はその時、改めて子供にとっての母親の大切さを認識した。
余談だが、朝目覚めたサキは「ゆうべの犬がね、さっき出て来てね。食べられそうになって、よく見たら、アンだったの。だからサキ。撫でてやったよ。」サキが三才の夏の出来事である。