圧力刑
オレンジ色のつなぎの服を着て、後ろ手に手錠をかけられている男。その両脇には黒い制服姿の男が並んでいた。三人は横一列に並んで、灰色をした無機質な廊下を進んでいた。
廊下の先にはエアロックのような部屋があり、その先にはさらに狭い通路が続いていた。
「中へ入れ!」
制服の男が手にしていた警棒を小刻みに振って指示した。
男は言われたとおりに、先へ一歩進んだ。
「手錠を外す」制服の男はきびきびとした様子だった。「それから、一人で先の部屋まで進みなさい」
オレンジ色のつなぎ姿の男は、手錠を外されても大人しい様子だった。指示に従ってむっつりと黙ったまま廊下の先へ進んだ。
男が入ったその部屋は、半光沢のアイボリーホワイトという落ち着いた色調をしていた。
扉が閉まるときの音は静かだったが、ロックの掛かるカチリという音は意外なほど部屋に響いた。
殺風景な部屋だ。それが俺の抱いた第一印象だった。
どんな部屋かと思っていたが、大したことなさそうだった。大きさはちょうど五メートル四方くらい、正方形をしていて出入りの扉以外は何も無かった。いや……正確には、入った正面の壁面に一カ所、何かのゲージが埋め込まれていた。
近寄ってよく見るとメモリがふってあり、単位が[G・Pa]と書かれていた。これは、たぶんギガパスカルだ……つまり圧力計らしかった。メモリの三分の一ほどは黄色と赤色が半々くらいに塗ってあった。しかし、肝心の数字が書かれていなかった。こけおどしかもしれねぇ。そう思って俺は馬鹿にするように鼻を鳴らした。
もう一度部屋を見渡した。つまらなさそうな部屋だ。だが、ここからは生きて出られない。なぜなら、死刑執行のための部屋だからだ。
かねてから執行の内容はいろいろと噂を聞いてはいたが、どうやら圧力らしいという話も耳にしていた。俺はてっきり、安っぽいスプラッター映画みたいな、壁や天井が動いてきて押しつぶすのだろうと思っていた。だが、壁には圧力計……まさか、圧力とはいうものの、高圧大気でも使う気なのか? だとすれば……それじゃあ、この部屋はデカいオートクレーブというわけだな。まるで殺菌っつーわけだ。そうかそうか、罪人は世にとっては害菌ってことなわけだよなぁ。
ふと天井を見上げると、照明の他にもなにかあった。ちょうど中心あたりに半球状の黒っぽいものがあった。
ああ、きっと全方向カメラだなと思った。どこかで監視はしているわけだ。当然といえば当然だよな。
俺はわざと中指を立ててみせた。
「おーい! こっちのことは見えてるんだろ。声も聞こえるか? え?」
やるなら、とっとと終わらせろ。俺はバカバカしく思って、荒く鼻を鳴らした。ここまできてしまったら、どうにもなるものではなかった。それからあらためて部屋を見渡した。殺風景だ。
さっさと始めろよと言おうとした時、どこからか小さなブザー音が聞こえた。
きっと合図か何かに違いなかった。いよいよ始まるのか? しかし、耳を澄ませても物音は聞こえなかった。壁のゲージに目をやると、ゆっくりと指針が揺れていた。
いったいなにがどうなるか? はっきり言って見当はつかなかった。酸素中毒にでもなるのだろうか? 減圧という環境ならなんとなくイメージができるが、加圧となるとちょっと想像に難い感じだった。
部屋の大気圧は……どうやら上がっている様子だが、まだ大したことは感じなかった。若干温度が上がったような気もしたが、よくわからなった。
やることもない。俺は部屋の真ん中に座って、ゲージを見つめた。
ふと急に、笑いが込み上げてきた。
「いつまで時間をかけるつもりだ?」どこに向けてというわけでもなく、俺は喚いた。「ここは懺悔室とは違うだろう? ここは……そうだな、地獄への入り口さ……早いとこ、俺を送り出しておくれ!」
壁のゲージを見ると針はまだイエローゾーンに入ったばかりだった。
俺がどうしてここにいるのか? そりゃ、殺人でもするとこうなる。
だからといって、自分の行いに後悔はしてないつもりだ。俺をたやすく捨てた女とその両親、彼女がかわいがっていた猫、それと……たまたま居合わせた彼女の友人もついでに殺っただけのことだった。誰もの、あの驚愕と恐怖とを浮かべた顔は、まだ覚えている。
彼女の両親と友人はリボルバー銃で撃ち殺した。猫はナイフで一突き。彼女だけは、すぐには殺さなかった。まずは殴って気絶させておいてから、手足を縛った。それから少しづつナイフで刺した。泣き叫びながら懇願する彼女の姿に、これまでにない高揚感を味わったな。それで何度もナイフを突き立てた。怒りにまかせて。辺りは血で真っ赤に染まっていた。彼女を愛していたのに、俺の全てだったのに、彼女にとっての俺はそうではなかった! 彼女が全く動かなくなってからも俺は、その身体に何度何度もナイフを突き刺した。それで、ついにナイフの柄が折れて……それからのことは記憶があいまいだった。血まみれでボロボロになった彼女を抱きしめて泣いていたような気もする。はっきりと気がついたときには、手錠をかけられてパトカーの中にいた。それとも、血まみれになって笑っていたのかもしれない。最初に見つけた警官はゾッとしただろうな。よくその場で、射殺されなかったもんだ。どのみち酌量の余地などどこにも無い。
気を失っていたのか? 一瞬ここがどこか分からなかった。
ふと部屋の隅に視線をやると、彼女がいた。どこか不満そうな顔を俺に向けていた。
「来て……くれたのか?」
そこでハッとした。彼女は姿はなった。幻覚だった。そうだ、ここには俺一人。
急に気分が悪くなった。胸や胃に痛みが走った。堪えようとしたが、耐えられず、部屋の隅で吐いた。
それからまた、這うようにして、なんとかメーターのところまでもどった。めをやると、目盛りの針はレッドゾーンのなかほどだった。
起き上がっているのがつらい。もう目盛りを見るのはやめだ。その場に寝転がった。
全身に痛みが……寝ている体勢にもかかわらず目眩がした。
俺は……そうだな……空気に溺れている。そして、死ぬんだ……。分かっている話だ……ここは。はっきり分かった……死だ。それ以上でも、以下でもない。それでも自分の行いを悔いる気はない。だが、神よ……仮に地獄が存在するならば、それはここより苦しいのか? どうだ? もしそうなら……俺は自分の行いを悔いるだろう……。だが、人生だってそう、た
男は考えることを止めた。正確に言えば、思考することが不可能な状態に到達したということであった。彼は完全に意識を失っていたが、その身体はまだ小刻みに痙攣をおこしていた。それでも、しばらくすると一切の動きがみられなくなった。男のバイタルを監視していたセンサーは、その生命活動が停止していることを読み取った。
部屋の中に再び、ブザーの音が響いた。それから続いて、無機質な音声が流れた。
「操作オペレーターはそのまま待機してください」
さらにピーという短い電子音がした。
「減圧後、作業員は遺体の搬出と部屋の清掃作業を開始してください」
直後に部屋から圧が排出される音がして、扉が開いた。フェイスマスクと青い防護作業着に身を包んだ職員が四名、それぞれは二人組になって清掃用具と遺体搬出用のストレッチャーを部屋に運び入れた。彼らは淡々と作業に取り掛かった。だれも言葉を交わすことなく、各々は自身のすべき仕事を承知しているという様子であった。