第二話
愛中さんとハノ字眉のピンク色の雰囲気に静まり返った教室と廊下は、一限目の授業開始を知らせるチャイムで再び騒がしくなった。そのまま一限目の古典が始まる。教室に入ってきた先生は、去年も古典の授業でお世話になったあばあちゃん先生だった。優しいけど、眠くなる喋り方だから午後の授業の時とか辛いんだよなあ。
その後は、二年になって初めて授業を受け持ってもらう先生がいたり、新しく習い始める科目があったりで、新鮮な気持ちで午前の授業を終えた。個人的に日本史の先生がドツボすぎる。田中護先生(多分三十代後半)の作られた感じのあざとさがたまらん。何より顔が良い。ということをお弁当を食べながら花恋に熱弁するお昼休み。一通り語り終わって落ち着いたら、隣でご飯を食べているグループの会話が聞こえてきた。実は語っている時から、隣の凄く不穏な空気が伝わってきていてわざと気にしないようにしていたのだが、聞こえてくるものは仕方がない。
「アンリ、元気出して。まじあいつ調子乗りすぎ」
「知り合って早々名前呼びとかきついわ」
「晃君、絶対愛中さんのこと気になってるよ…。付き合いだしちゃったらどうしよう…!」
どうやら隣のグループの中にはさっきのハノ字眉のファンの子がいるらしい。数時間前の私なら「いやファンて(笑)」と思っていただろうが、田中先生に出会ってしまった今ならわかる。私も田中先生のファンクラブとかあったら入ってるわ。
そんな会話の中心にいる愛中さんはと言えば、男子数人と机を向かい合わせてご飯を食べている。生徒会の人と急に馴れ馴れしく会話をした彼女と一緒にいたら自分の身が危ないと判断した女子たちは、どうやら輪の中に誘わなかったようだ。愛中さんは大丈夫だろうか、と少し心配して彼女の表情を窺うが、とても楽しそうなのでまあ大丈夫だろう。
隣から聞こえてくる悪口に居心地が悪くなった私達二人は、飲み物を買うために教室を出た。途中でトイレに行きたくなり、自分の欲しい飲み物を伝えて花恋と別れる。
お手洗いを済ませ、教室に戻るが花恋がいない。まだ帰ってないのかと思い、自販機があるところまで向かう。自販機の近くに行くと、確かに花恋はいるのだが、もう一人背の高い男も一緒にいる。仲睦まじい二人の様子に、つい隠れてしまった。
「え、誰…?」
「え~誰だろあの子! あんな可愛い子いたっけ」
花恋と仲の良い男子に心当たりがない私が呟いたのとほぼ同時に、背後から違う人の声が聞こえた。その人物の気配に全く気付いていなかった私は、うおっと低めの声で悲鳴を上げる。そんな私に、しーっ! と口元に人差し指を当てるそいつ。顔を見た瞬間、私はつい顔を顰めてしまった。今朝、うちのクラスに来て愛中さんとイチャイチャしていった人物、ハノ字眉の男だった。アキラ君、だっけ…。
「ねえねえ、あれ君の友達?」
距離を取った私の手を引きながら、小声で私に問う彼。先程教室で開かれていた悪口大会と、ハブられていた愛中さんの姿が思い浮かび、私は心の中で叫んだ。やめろ離してくれ私はまだ学校生活を楽しみたい!
そんなことを考えて、アキラとやらに何も返事が出来ない私は、途端にはっとした。こいつがここにいて、覗き見してるってことは、もしかして花恋と話してるのは…。そこまで考えた私は、腕を掴むそいつの手を振り払って、花恋のとこまで走った。
「花恋、教室戻ろ!」
今度は自分が彼女の腕を掴み、早足で教室まで向かう。後ろからハノ字眉の声とか、花恋の驚いた声が聞こえるが、今は無視。私は花恋にも無事に学校生活を送ってほしいんだ。多分花恋と話していた長身の男は、今朝うちの教室に来ていた生徒会役員二人の内の一人だ。やけにこっち見てんなと思ってたけど、まさか花恋に一目惚れしてたとは。ごめんな、ノッポ。君との恋愛には敵が多すぎる。私は花恋を危険な目には遭わせたくない。
「突然現れて腕掴まれたからびっくりしたよ~」
私にオレンジジュースを手渡しながらそう言う花恋に、ごめんと伝えてジュースを受け取る。
「あのね、さっき話してたの、小三の時同じクラスだった圭君だったの」
「ケイ君…?」
聞き覚えのない名前に首を傾げると、湖は同じクラスになったことないのか~と言われた。いや小学生の時のクラスメイトとかほとんど覚えてないけど。
「私、小三の時軽いいじめにあってて…圭君がよく助けてくれてたんだよ」
えっ? まず私は花恋が小三の時いじめにあってたことも知らなかったんだけど。唖然とする私に、苦笑いを浮かべて席を立った花恋。それと同時に五限目の始まりを知らせるチャイムが鳴った。
「それ、イベントだよイベント。花恋ちゃんヒロイン化作戦だっけ? そこで邪魔しちゃったのは戦犯だよお姉ちゃん」
家に帰り、昨日と同様木実の部屋に直行した私は、今日あったことを話した。お前…うちの狂った生徒会ファンの実態を知らないからそんなことが言えるんだぞ…。
「花影の生徒会ってことは、成績優秀なんでしょ? しかもファンクラブがあるってことはイケメン! そんな優良物件なかなかないよ。乙女ゲームのキャラには持って来いじゃん」
「いやファンクラブの存在にツッコんでくれよ…。あいつらのファン異常なんだって…」
「…それって結局、またお姉ちゃんが花恋ちゃんの青春邪魔してることになるんじゃない? もし花恋ちゃんが、いじめから助けてくれてたその生徒会の人のこと好きになったら、お姉ちゃんは応援してあげないの?」
急に真面目な顔になってそう言う木実に、私は何も言い返せなかった。確かに、花恋の恋愛の邪魔をする権利は私にはないし、大好きな花恋の恋は全力で応援したい。それがどんなに大変な恋でも。私は、木実にありがとうとだけ伝えて、自分の部屋に戻った。
確かに、イベントには全力で協力するって決めたよ。決めた。でもそれは花恋の恋のイベントに於いてだけね。
「なんで昨日無視して逃げたのさ~」
つまりこいつと私が二人っきりになるというこの状況は全く望んでないんですよね。昨日私は、ゲームの続きをしながら寝落ちてしまい、英語の宿題が終わっていなかったのだ。そんな日に限ってたまたまいつもより早く起きることができたので、花恋にメールで先に行くということを伝えて家を出た。静かな環境で勉強するっていう、ちょっといつもと違う自分を味わってみたくて早く学校に来ただけなのに…。いつもと違うことはするもんじゃねえな。
「まーた無視ぃ? てかさてかさ、昨日の子結局誰だったの? 圭があんなに仲良さそうに女子と話すとこあんま見たことなくてさ~。しかもちゃっかり可愛い子だし! 圭に聞いても教えてくんないの」
信用されてないんじゃないですかね。と喉元まで出かかったが、生徒会にそんなこと言うわけにもいかない。てか無視されてるって気付いてるなら諦めてくれよ…なんで話しかけてくるの…。早朝だったから周りに人がいないのがせめてもの救いだ。
「あの…勉強したいので一人にしてくれませんか…」
下を向いたまま目を合わせずにぼそぼそと伝える。これが対人能力が低い私の精一杯。お願いだから帰ってくれぇ…。
「アキ? なんでこんなとこいるんだ?」
「おっ圭、お疲れ~」
既に限界の私に追い打ちをかけるように現れたのは、何故か運動着姿で首にタオルをかけている、例のケイ君だった。ひいぃ勘弁してくれぇ…。ハノ字眉に話しかけた後こちらを向いた彼は、私のことを二秒ほど見つめて口を開いた。
「…守田さんだよな?」
そう、なんと私の苗字を口にしたのだ。隣でえっ知り合い? と驚くハノ字眉はこの際どうでもいい。私は記憶を辿って目の前の長身との思い出を探すが全く見つからない。男子と業務連絡以外の会話をしてこなかった人生だから、もし個人的な会話をした男子なら覚えてるはず。しかもこんなイケメン、同じクラスになったら忘れないと思う。
「クラスとか一緒になったことないけど…よく花恋から話聞いてた。小学生の時、毎日一緒に帰ってたよな?」
私が何も発言できずにいると、彼は焦ったような顔でそう言った。何だ、やっぱり同じクラスになったことはないのか。てかこんな印象薄い顔覚えてるって、さすが成績優秀者の脳みそだな。
「私も、昨日…花恋から話聞き、ました。小三の時同じクラスだったんですよね。えっと…」
ケイ君、と私も名前知ってますよアピールをしようとしたが、残念ながら苗字を知らない。下の名前で呼びそうになったのをなんとか飲み込む。
「えっ待って待って二人も知り合いなの? 俺だけ他人な感じ? あってか圭、早く着替えないと遅れるよ!」
いやケイ君と私も他人なんですけどね、とツッコむ暇もなくケイ君の背中を押して歩くハノ字眉。まだチャイムが鳴るまで結構な時間があるけど、一体何に遅れるんだろう。と不思議に思いながら英語のノートに目線を落とした。