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量子が求めた煙  作者: 加藤泰幸
二日目
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二日目その3 嫌な男達

 児童養護施設を出た私の目に飛び込んできたのは、ビュートの真後ろに駐車してあるシルバーのクラウンだった。ありふれた車種だが、これを目にした時は大抵ろくな目に合わない。ビュートの方に視線を移せば、案の定、スーツ姿の若い男が車内のコルネットに話しかけていた。嫌な予感に限って的中するのは探偵の常だが、それでも気分が良いものではない。


「……何をやっている、草波(くさなみ)

「やっとお出ましか、探偵」


 クラウンの主である草波健二(けんじ)は、眼鏡の奥をギラつかせながら私へと向き直った。轟木の後輩であるこの刑事と面識を持ってから二年ほど経つが、彼が私に向けてくるのはいつもこの目つきだった。いや、轟木のように温和な刑事が稀なだけで、やくざも刑事も、そして探偵も、大差のない目をしているのかもしれない。



「俺は仕事があるんだ。用がないならそこをどけ。車を出す」

「こっちこそ仕事中なんだよ。お前の事務所のポンコツビュートを見かけたんで、また何か面倒な事をしているんじゃないかと、中のアンドロイドに職務質問していたところだ」

「ほう。コルネットは何か答えたのか?」

 車中を見ながらそう言うと、助手席のコルネットはガラス越しに首を左右に振った。与えられた命令を遵守する事にかけては、コルネットは信用できた。


「いや。このポンコツ、一人前に『黙秘権を行使します』とか言って、行き先を教えようとしない。どこで何をしていたんだ?」

「俺が出てきた場所を見ていなかったのか。向かいの児童養護施設に行っていたんだ」

「おい、冗談はよせよ。養子でも貰うつもりか?」

「ありえない話だな」

「だろうな。しかし、そうなると児童養護施設に行く理由がますます分からなくなる。一体何をしていたんだ?」

「お前に話す必要はない」

「それは、俺が決める事だ。俺が話せと言ったら話せ」

 草波は声を荒げながら私に近づいてきた。意図的な声色のようだった。



「相変わらず尊大な奴だな。二年前に追っていた連続強盗犯を、伊達さんにかっさらわれたのを、まだ根に持っているのか?」

「あれは、ありえない出来事だった。お前達がたまたま依頼を受けて警護していた会社社長が、たまたま狙われた? そんなわけがあるか」

「そんなわけがあるんだ。あの会社は近年急成長を遂げていた。社長が身の危険を感じてもおかしくはない」

「そこにお前達が絡んだのが不自然だと言っているんだ。何か良からぬ所で情報を得たんだろう」


 私は猛烈にタバコを吸いたい気分に苛まれたが、草波に難癖をつけられるだけなので自粛した。草波の見通しに間違いはない。博多署という、やくざの事務所の次に良からぬ所で、轟木から得た情報だった。



「偶然だ。男の嫉妬は見苦しいぞ」

「嫉妬だと? 勘違いするな。百歩譲って違法に情報を得たのは見逃しても、素人が危険事に首を突っ込むのは危険だと言っているんだ。今回だって、ろくな要件じゃないんだろう。面倒な事になる前に話せ」


「ご想像にお任せしよう。安心しろ。事件性が出た時は轟木警部に相談する」

「警部に手間をかけさせるな。お忙しい方なんだ。ほら、白状しろ」

「しつこいな。そんなに気になるのなら、お前も児童養護施設に入って聞いたらどうだ? 博多署の方から来ました、と言えば手厚く応対してくれるぞ」


 私は大きな身振りで草波を払ってビュートへと乗り込んだ。車をUターンさせて事務所方面へと走りつつバックミラーを見ると、草波は離れていても分かる目つきで私を睨み続けていた。いい迷惑ではあったが、あの執念深さは刑事向きといえるのかもしれない。



「マスター、お疲れ様でした」

 ふと、隣のコルネットが話しかけてきた。私は視界の端で彼女を見ながら小さく息を吐いた。

「大した事じゃない。お前の方が判断に困ったんじゃないか?」

「警察であれば、指示には従うべきです。ただし、マスターの命令はそれよりも優先されます」

「……今回はそれで良かったが、アンドロイドは複数の人間から相反する指示を受けたら、どうなるんだ? 片方の意向を拒否すれば、人工知能倫理法を破る場合もあるだろう」

「……その状態に陥ったアンドロイドのケースを検索しました」

「話してみろ」


「どちらに従うべきか答えが出せず、両方の命令を遂行できないケースや、人間同士での話し合いを求めるケースが主です。いずれにしてもアンドロイドによる自主的な判断は行っていません。なお、前者の場合、少数ながら訴訟問題に発展した例も確認できましたが、この場合は法律違反にはならないようです」

「自分では判断できない、か……」

「もちろん、我々アンドロイドのAIに判断を下す能力はあります。しかしながら、マスターに影響の出る人工知能倫理法の前では、その判断よりも、人間の判断を仰ぐという事です」

 信号が赤になった。私は停車と同時に素早く煙草を取り出して火を点けたが、口に咥えてもまだ赤信号は続いていた。この調子なら、車を走らせるまでに三本は着火できそうだった。



「マスター、私も一つ伺っても宜しいでしょうか」

「面倒な話じゃないだろうな」

「先程の草波刑事の話ですが、マスターが言われたとおり、偶然の依頼だったのですか?」

「いや、草波の勘が当たっている。ちょっと口外できないところから得た情報だ。……それよりも、香椎のスーパーまでナビをしろ。キャバクラの前に調べるぞ」

「承知しました」


 コルネットに学習の機会を与えるのはやぶさかではないが、この話はまだ早すぎる。あの事件の会社社長は、当時、何者かに付きまとわれている気がしたそうで、まずは轟木に警護を依頼したのだが、事件性なしと判断され、博多署の人員が割かれる事はなかったのだ。

 轟木は代案として太陽探偵事務所を推薦したかったそうだが、立場上、民間企業の推薦はしづらい。そこで我々の方に「ボディガードを探している社長がいる」と情報を流したのだ。その経緯を口外すれば轟木警部に迷惑が掛かる為、博多署の者に話せるわけもなく、結果として我々が得たのは、一銭にもならない表彰状と、草波ら一部の刑事の刺すような視線だった。







 ◇







 香椎のスーパーは、一階建ての小規模な店だった。私が産まれる前から展開しているローカルチェーン店なのだが、近年は大型スーパーに押されていて店舗数も大分減っている。店内に取り立てて変わったところはなく、予想はしていたが収穫は得られそうになかった。強いて挙げればスーパー自体よりも『香椎に関係があるかもしれない人物』という状況が収穫だろう。

 香椎は元々は高級住宅街で、企業の役員や役職者が多く住んでおり『草波事件』の犯人を取り押さえたのも、香椎の社長宅付近だった。だが、近年は海外マフィアが利用する国際コンテナターミナルが近い事もあって、マフィアの幹部も根城にしている土地と化している。アンドロイド失踪事件がまたキナ臭くなった印象を持ちながら、私は車へと戻った。


「マスター、次はいかがしますか」

「金田家へ向かう。ナビは不要だ」

 ミーアにそう告げて車を大濠方面へと走らせ、途中で遅めの昼食を得るべく、ハンバーガーショップのドライブスルーに寄った。ここも店員にアンドロイドを使っているが、全国チェーンの店舗が食品をアンドロイドに扱わせるのは、まだ社会的な風当たりが強い事もあって、使われているのは注文受付と支払いのみだった。運転しながらチーズバーガーにかじりついたところで、昼に「釣り合いを取る」と金田ミーアに宣言したのを思い出し、私は一人で小さく笑った。


 やがて到着した金田家の玄関口に出てきたのは金田ミーアだった。金田慶ともう一度話をしたいと告げると、畑仕事中との返事を受けたので、畑の場所を教えて貰い、そこには十五分ほどで着いた。長めのビニールハウスが五つ並んだ、一人で手入れするには少々苦労しそうな広さの畑で、端には平屋サイズの納屋もある。敷地に面している農道に路上駐車してコルネットと共に外に出ると、納屋のドアが開いているのが見えた。中に入ると、作業着姿で棚に向かい合っている金田慶がいた。




「失礼。少し話があるんだが」

「なんだ、またあんたか」

 金田慶は振り返りながら返事をした。決して好意的な口調ではなかったが、拒否の意思も感じられなかった。午前中の不機嫌とやらは、一応収まっているらしい。


「取り込み中なら出直そう」

「いや、今終わったところだ」

「仕事中にすまないな。何をやっていたんだ?」

「除草剤の搬入だ。ちょっと切らしていてな。……よし、少しなら相手をしてやろう」


 金田慶は手にしていた箱を棚に置いてそう答え、近くにあったパイプ椅子にどっしりと腰を落とした。理由は分からないが、昨日よりは若干機嫌が良いと見える。私としてもこの好機を逃したくはない。空きのパイプ椅子に腰掛け、早速話を切り出した。



「聞きたいのは主にジョンの事だ。購入した時期はミーアが高校に入った時期で合っているのか」

「ああ。ミーアがそう言っていただろう?」


「そうだな、そう聞いている。ジョンはミーアが自分で買ったアンドロイドという点も間違いはないのか」

「……ああ」


「もう一つ。喫茶大英ではそうだと聞いたが、家庭でも、ジョンはミーアを慕っていたのか」

「……どの質問も、答えを知っているか、もしくは察しがついているだろう。お前、どういうつもりだ?」


「ミーアの説明の裏付けを取っていないから、確認しているんだ」

「なんだ、お前、それじゃあ……依頼人のミーアを疑って、聞き込みに来たのか?」

 私は何も返事をせずに金田慶を観察し続けた。私の問いに気分を害した様子はなく、純粋に意図を図りかねるといった表情が浮かんでいた。

 聞き込みの理由の半分は、金田慶の言うとおりだった。金田ミーアの依頼が冷やかしではない事は、喫茶大英の聞き込みもあってハッキリとしているが、状況の全てが事実である証明にはなっていないのだ。



「彼女が、何らかの理由によってジョンを破棄せざるを得なくなり、失踪劇を自作自演した可能性も皆無ではない」

「なんだ、その曖昧な理由は」

「仮定の話なので、はっきりとした事は言えないだけだ。もう少しはっきりと言えば、事件性を含む理由だろうな」

「……言ってみろよ」

「彼女が重犯罪を犯したのをジョンが目撃したとする。人工知能倫理法で口止めはできるが、第三者がジョンのメモリーを確認すればアウトだ。メモリーをリセットしたり、ジョンをスクラップにする手もあるが、彼女のアンドロイド愛は喫茶大英の店主等も知っているだけに、それらの行為は不自然に映る。ならば、架空の犯人によって持ち去って貰う……というわけだ」

「馬鹿な。作り話もいいところだ」

「そうだな。作り話だ。その可能性を否定する為の調査だと思ってくれ」


 私はそう答えたが、彼女が実際にジョンに危害を加えた可能性はゼロに等しい、とも思っていた。庵が語ったように、アンドロイドを人間のように扱う者は珍しくないのだが、金田ミーアの愛情はそれらの者と比べても特に強いように思えるのだ。

 その答えは、彼女の性格同様、家庭環境に起因しているのだろう。今回の事件に関連しているのかは分からないが、把握しておくべきだと考えたのだ。



「ミーアがジョンを大事に扱うようになったのは、母親が亡くなった事に起因するらしいな」

「そんな話まで聞いたのか」

「母親が亡くなった分だけ、アンドロイドに依存する。その流れは分からなくもない。……だが、彼女の依存はやや強い印象がある。あんたはその時、娘に手を差し伸べたのか?」

「フン、俺なりには差し伸べたね」

 金田慶は眉を微かに潜めながら言った。だが、私は話を止めるつもりはなかった。


「それは結構。あんたも妻を亡くした時期で辛かっただろうにな」

「辛かった? そんな事、あるもんかね」

「妻とは不仲だったのか?」

 知っていた情報だったが、私は疑問の表情を作って尋ねた。今朝の金田ミーアの話を、背後で待機しているコルネットも聞いていたら、また余計な口を挟まれていた事だろう。

「そうだよ。あの女は国籍目的で俺に近づいたんだ。もっとも、俺もその事は分かっていて結婚したがね」


「ほう……何か深い事情でもありそうだな。良かったら教えて貰えないだろうか」

「事情も何もない。他に結婚する方法がなかっただけだ。……男前のあんたにゃ分からん苦しみかもしれんがね、俺は昔から女に縁がなかった。体格は見てのとおりで、顔も良くない」

 確かに、小太りでジャガイモのような顔をした彼は、女性受けする外見ではないだろうが、それだけで結婚できるかどうかが決まるわけではない。私はその持論を口にせず、まずは彼の話に耳を傾けた。

「今でこそ仕事は成功しているが、昔は金もなかった。そんなこんなで四十歳になってしまったもんで、焦ってたんだな。国籍目的の外国人なんかと結婚したってわけよ」

「結婚しない、という選択肢もあっただろう」

「なかったんだよ。女にゃ縁がないが、女は好きだったからな。もっとも、いざ結婚してみれば、あいつはミーアに構ってばかりときたもんだ」

「……妻とは、ご無沙汰だったわけか」

「まあ、殆ど無かったな」


 彼の返事を受けた私は、曖昧に頷きながら、とっておきのカードを切るかどうか逡巡した。だが、その最中に金田慶は話を続けた。




「もうすぐ、ミーアも大学生になる。そしたら俺も再婚するつもりさ。今度はちゃんと俺になびく女とな」

「あんたの話を聞いていると、女性に縁がなかった理由は、見た目や金だけではない気がするな」

「……相変わらず礼儀ってものを知らない探偵だ」

「自覚している。俺も多分、結婚はできない類の人間だ」

 私は苦笑しながら腰を上げた。納屋から出ようと振り返ると、ドアの外にビニールハウスが見えたので、ふと、ここに来た時に沸いた疑問を思い出した。



「……最後にもう一つ聞きたい。この広さの畑は、あんた一人で管理しているのか?」

「いや。昨日、ファラピン人の農業指導をしていると話したろう? そいつらにも指導ついでに手伝わせている。ほら、そこにラベル入りの鍬があるだろう」


 金田慶は、私の傍にあった農具置き場を指差した。長柄の鎌に貼られているラベルには横文字で名前らしき文言が記されていたが、その中に「Carlos(カルロス)」の名があった。博多で発生した、毒物混入殺人事件の容疑者と同じ名前だった。

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