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量子が求めた煙  作者: 加藤泰幸
二日目
7/20

二日目その2 宗教

 事務所に戻れば映像をスクリーンに投影できたが、確認した結果、またこのビルに戻る羽目になる可能性がある。私は守衛室の死角でなるべく暗い場所を選んで、壁への投影をコルネットに命じた。

 彼女の指に組み込まれているプロジェクターランプによって映し出された早送り映像は、若干不鮮明ではあったが、何が起こっているのかを確認するのには十分で、すぐに先程の不審者が姿を現した。


「この先はスロー再生だ」

「承知しました」


 その返事と共に不審者の動きが干満になった。おそらく、手にした紙袋の中身は品格屋へ売りに行くパーツだろう。それが重いのか、不審者はロビーの隅に寄って紙袋を地面に下ろし、それからポケットに手を突っ込んで携帯端末を弄りだした。その直後にモニター映像は暗転してしまったが、私にはそれで十分だった。不審者が携帯端末を取り出した時に、ポケットから紙くずが落ちたのが確認できたのだ。


 私は顎でコルネットに合図をし、一階へと上がった。不審者が立っていた辺りには二つの紙くずが落ちていた。映像に映っていた紙くずと同じものという保証はなかったが、それでも拾い上げると、一つはレシートでもう一つは名刺だった。

 レシートは香椎のスーパーマーケットで発行されたもので、購入物は食材ばかりと怪しいところはない。名刺はピンクを基調とした派手なもので『クラブ海蒼(うみあお)』『サンゴ』と書かれており、キャバクラ嬢のもののようだった。裏面を見ると、ミミズが運動会をしたような筆跡で『また来てね』とだけ書かれている。



「これは、手がかりでしょうか」

 コルネットが、背後から覗き込むように声をかけてきた。私は小さく首を傾げながら、それらをポケットに入れた。

「レシートは不審者が買い物をした時のものだろう。博多内で廃棄工場があるのも香椎だったな」

「はい。犯人は香椎にいるのでしょうか」

「たまたま立ち寄った可能性もあるが、このスーパーは調べに行こう。廃棄工場は明日だ」


「それでは、名刺の方は?」

「普通に考えれば、キャバクラ嬢から貰ったものだろう」

「では、不審者は男性という事ですか」

「断言はできない。女が行く事もあるし、サンゴというキャバクラ嬢が、不審者と同一人物の可能性もある。どうでも良い客用に、汎用的なメッセージ入りの名刺をサンゴが持ち歩いていて、落としたという場合だ。限定的な状況ではあるが……」


 私はそう説明しながら、中洲の風俗街を思い出していた。川沿いにそんな名前の店舗があったが、元々庄司組の息がかかっていたのを、小競り合いの末、東郷組の傘下に移った店だと記憶している。少々キナ臭い所だが、こちらも当たってみるべきだろう。場合によっては、レシートよりも真相に近づく可能性がある。



「コルネット、検索。海蒼の営業時間とサンゴの出勤情報」

「承知しました。……営業時間は午後六時からです。サンゴ嬢は開店と同時に出勤予定です」

「時間があるな。先に他から当たろう」

「では、香椎のスーパーですね」

「その前に、向かいの児童養護施設だ。昨日話したとおり、お前は待機していろ」

「しかし」

「命令だ」


 私は有無を言わさずにそう告げてビルから出て、ビュート助手席のドアを開けた。コルネットはドアの前で立ち止まり、暫し抗議するように私を見つめていたが、結局は中へと入り込んだ。コルネットと仕事をするのはまだ一ヶ月だが、伊達太陽が連れ歩いていた時期も事務所で顔は合わせている。その頃も、無表情の中に感情が込められているのは理解していたが、それがここまで豊かだとは知らなかった。

 だが、今回は希望に応えるわけにはいかない。この聞き込みで、ジョン失踪事件の黒幕が判明する可能性があったが、それは同時に何かしらの危害を加えられる危険性もはらんでいる。大自然教が毛嫌いしているアンドロイドともあれば、その危険性は更に高まるだろう。


「誰かに声を掛けられても応じるな。一時間経っても戻ってこなければ、博多署の轟木警部に連絡しろ」

「承知しました」


 未練を感じさせる視線を遮るようにドアを閉め、私は道路を跨いで児童養護施設の前に立った。正面にある建物の二階外壁には、大自然教のロゴマークと思わしき楕円形の飾りが取り付けられていた。そこから横に視線を移すと、二階ベランダには相当な数の洗濯物が干されており、その多くは子供ものだった。人影は見当たらないが、児童養護施設という看板に偽りはないようだ。




 敷地内に足を踏み入れると、ちょうど玄関から男が出てきた。ポスターで見たものと同じ白い教団服を纏っていて、年齢は私より少し若いだろうか。もしも、私が何らかの理由によって大自然教からマークされていたのであれば、おそらくは私の職業もご存知だろう。だからこそ、私は身分を偽る事を決めた。ちょうど、その為の材料も得たばかりだ。


「お忙しいところすみません。ちょっとお邪魔します」

「はあ、どちら様でしょうか?」

「博多署の方から来た、黒田と言います」

「博多署……刑事さんですか」

 男は微かに肩をこわばらせた。単純に博多署という言葉を警戒したのか、私が肩書きを偽った事を察しての警戒なのかは、分からなかった。


「実は、向かいのビルのジャンク屋に、遺失物を売却した者がおりましてね。差し支えなければ、目撃情報などお伺いできないかなと思いまして」

「遺失物を売却……犯罪なんですか、それ?」

「遺失物等横領罪、という罪に問われます」

「あ、あの、でも私は何も知りませんが……」

「では、ここの代表者にお話を伺いたいのですが、宜しいでしょうか」

「それなら……ご案内しますので、中へどうぞ」


 男に先導されて施設の玄関を抜けると、明るいロビーが広がっていた。内壁にはポップな模様の壁紙が張られていて、玄関側の受付カウンターにはぬいぐるみが置かれている。さながら小児科病院のような雰囲気だったが、一つだけ決定的に違う点がある。受付カウンターには『アンドロイドお断り』のプレートが置かれていた。コルネットを置いてきたのは正解だったようだ。


「もう一度、お名前を伺っても宜しいですか?」

「黒田です」

「ありがとうございます。では、この廊下の突き当りにある部屋でお待ち下さい。代表を呼んで参りますので」

 男はそう告げて、ロビーから左右に分かれている廊下の左側を指し示した。覗いてみると、奥にドアは一つしかなかったので、私は男に頭を下げて指示された部屋へと入った。


 中は六畳ほどの小さな応接室だったが、内装は見事だった。革張りのソファは私の事務所のような使い古しではなく、黒を基調としたシックで高級そうな物だ。絵画も幾つか飾られていたが、どれも線に歪みがなく、色合いも繊細で、純粋な技量の高さが高額である事を物語っている。

 だが、もっとも私の目を惹いたのは、ソファの横の額縁に飾られた『大自然教戒律』だった。その1として記されている『人間を愛せよ』を言葉通り受け取れば、成程、アンドロイドはヒューマンではない為、愛する必要がないのかもしれない。




「入りますよ」

 ノックの音と共に、ドアの外から男の声がした。「どうぞ」と返答すると、すぐに先程とは別の男が中へ入ってきた。顔付きだけを見れば四十代後半のようだったが、だとすれば、軽めのウェーブが掛かった長髪は年相応とはいえないだろう。目は爬虫類のように爛々としていて、売れないロック歌手のように見えなくもない。彼も白の教団服を纏っていたが、襟には金糸の太いラインが入っていた。


「お待たせしました。代表の(いおり)です」

 昨日ホームページで見た、大自然教の教祖と同じ名前だった。顔は載っていなかったので確証はないが、おそらく同一人物だろう。

「お忙しいところすみません、黒田です」

「どうぞ、お掛け下さい」

 庵は派手な外見とは対照的に、物静かな語り口だった。互いに着席すると、庵は早速、穏やか手振りと共に笑顔を振りまいた。


「応対した者から伺いました。博多署の刑事さんだそうですね。なんでも、向かいで犯罪者が出たそうで、大変ですねえ」

「正確には、出た可能性が高い、という状況ですがね」

「私どもでお力になれる点がございますでしょうか」

「おそらくは。……前提としてお伺いしたのですが、こちらは現在も児童養護施設として活動されているのですよね?」

「もちろんですとも。下は四歳、上は十四歳の子が、三十名程在籍しております。他にスタッフが五名ですね」


「宗教法人のようですが、運営は県からの支弁ですか?」

「ええ。あとは、信者の皆様からの会費や寄付で」

「なかなか安定しているようですね。差し支えなければ、教団としての活動内容を伺っても?」

「教団本部は別の場所にありまして、定期的にセミナー等を開いております。信者の数は軽く万を超えていますが、それだけの人間を同時に導く事はできませんので、セミナーの参加者は幹部が主ですがね」


「ありがとうございます。それだけ伺えれば問題ありません。……さて本題なのですが、先週の日曜の夜、向かいのビルに入ったサングラスの人物を探しています。庵さんでも、職員の方でも、子供達でも、どなたでも構わないのですが、そのような人物を目撃したという話はありませんでしょうかね」

「夜なのにサングラス……不自然ですが、だからこそ犯罪者なのでしょうかな。ふむ……」

 庵はそう言うと、そこに答えが書かれているのだといわんばかりの表情で、私を見つめてきた。



「庵さん、何か思い当たりが?」

「いや、違う事を考えております。刑事を偽っている方に、どう接したものかとね」

 その言葉を受けるのと同時に、私は周囲の様子に気を張り巡らせた。特に変わった様子はなかったが、強いていえば、彼の瞳が更に輝いていたような気がした。私はジャブで距離を図るべきだと判断した。

「……何故、刑事ではないと分かった」

「ここは中央署の管轄です。博多署の方が来るとしても、管轄外に出張る理由を説明するはずですよ。貴方は何者なのですか」

「俺が誰か知らないわけか」

「ええ、存じません」

 庵は一切の動揺を見せず、優越感の篭った笑みを浮かべて答えた。演技だとすれば大したものだ。


「困ったな。不審者もいいところのようだ」

「まったくですよ。身分を偽った理由と、目的についても教えて頂きたい。でなければ、本物の中央署の警官を呼ぶ事になります」

「順に答えよう。探偵の黒田だ。案内してくれた男が勝手に勘違いしただけで身分は偽っていない。向かいのビルでの出来事も事実で、それを探っているのも事実だ」


「探偵……ですか。その肩書きと、ビルの出来事は関連しているようですね」

「ご明察。ある依頼を受けて、サングラスの行方を追っている」

「その為の聞き込み、というわけですか」

「事情が分かったのなら、協力して貰えるとありがたいのだが」

「それならば、答えるのもやぶさかではありませんが……残念ながら、私はそのような人物見ていませんし、見たという者もおりませんよ」

「見てはいないが、やってはいた、という可能性は?」

「……つまり、私が件の人物だったと仰りたいので?」

 庵は言葉に溜めを作りはしたが、口調自体に変化はなかった。表情にも怒りや動揺は篭っていない。彼の懐を探るには、やはりあのキーワードを持ち出さなくてはならないようだった。




「その可能性を否定する材料を、今のところ、俺は持ち合わせていないのでね」

「一理あります。ちなみに、その人物は何を売ろうとしたのですか」

「失踪したアンドロイドのパーツだ」

「なら、絶対に私ではない」

 ようやく、庵の声に不機嫌な感情が混じり、彼の目つきが鋭くなった。私はそれをいなすべく、気持ちを落ち着ける事に努め、首を左右に振った。



「……そうだったな。大自然教の教えはアンチアンドロイドだ。道端に落ちていようと、拾う事もないわけか」

「当然です」

「だが、拾ったのではなく、誘拐して破壊・売却した可能性ならある。むしろアンチアンドロイドらしい行動だとは思わないか?」


「疑り深い方ですね。どうすれば納得して頂けるのでしょうか」

「件のアンドロイドは先週の土曜、午後九時頃に失踪している。その時、あんたはどこで何をしていた?」

「その日時であれば、先程話した教団本部でセミナーを開いていました」

「証明できる者は?」

「身内ではありますが、セミナーに参加した教団員です。当日の様子も録画していますので、それで証明もできます」


「なら、売却された日曜の夜は何をしていた?」

「同様にセミナーです。セミナーは毎週土日の夜に開いていますので」

 それは庵のアリバイではあったが、彼が他人に命じて犯行に及んだ可能性は否定できない。だが、仮に彼が犯人だとして、犯行指示について言及しても言い逃れられるだろう。庵の口調には冷静さが戻っていて、多少の揺さぶりには動じる気配がないのだ。私は、一筋縄ではいかないこの男が関与しているかを探るのは一旦諦め、大自然教の情報収集へとシフトした。




「なるほど。土日の夜はアンドロイドバッシングをして過ごしていたわけか」

「……貴方は、大自然教の教えをよく思われていないようですね」

「どうだろうな。俺はそもそも、教団の教えをよく分かっていない」

「ならば教えて差し上げましょう。大自然教は、自然原理主義をモットーとする宗教法人です」

 彼は「我々は新興カルトではない」とでも言いたげに、法人にアクセントを付けて主張し、壁に掛かっている『教団戒律』を指し示した。



「神は、自身が生み出したものが、ありのままである事を望んでいます。それは我々人間も例外ではない。故に、親兄弟であろうと、赤の他人であろうと、人種が異なろうと、平等に接しなければならない。一切の差別が存在しないフラットな社会の構築を、我々は目指しているのです」

「現実性のない目標だ。まるでカルトだな」

「確かに似た教義を掲げる団体は多い。しかし我々の教義は、アンドロイドの排除という現実的な目標にも繋がっているのです」

 庵の声は、まるで神の代弁だとでも言わんばかりに、ますます落ち着きを帯びてきた。やはり彼らは、神の産物ではないアンドロイドは排除したいらしい。


「アンドロイドの排除とは、また大層な目標だな」

「そうでもないでしょう。今日では、アンドロイドは世界中で普及しています。アンドロイドを生命体のように扱い、愛する者までいる。それは事実として認めざるを得ない。……しかしそれを良しとしない声が多いのもまた事実なのですから」

「ふむ」


「自衛限定とはいえアンドロイドに武器を持たせる事に不安を抱く者や、飲食物等を扱わせたがらない者……アンドロイド社会に対する危惧は無視できない。我々は、二つに別れている世論のうち、片方の代弁者なのですよ」

「その代弁者様は、目標の為になにをやっているんだ?」

「施設内のアンドロイド進入禁止に留まらず、デモやセミナー、後はメディアへの寄稿等も頻繁に行っております。この活動は、社会が変わる日まで止めるつもりはありません。私が果てたとしても、次に道を行くものが跡を継ぐでしょう」

「ベストエレキ社のゴシップは、そういう活動が火種なのかもしれんな。代弁するのは結構だが、急進的では反発も招く。さながら、愛と憎しみの永久機関だな」


「……どうやら貴方は、我々とは対照的な主義をお持ちのようだ」

「残念ながら、その見立ては間違っている。俺はアンドロイドを人間だとは思っていない。同時に、ただの無機物だとも思っていない」

「……では、アンドロイドには魂があるとでも仰るのですか?」

「アンドロイドは、アンドロイドなのだ。それ以外の何物でもない」

 私は席を立ちながらそう告げた。この辺りが潮時だった。




「これは、随分と日和った考え方のようだ」

「両方に付こうとしているわけじゃない。……シンギュラリティを迎えたアンドロイドは、やがて社会を変え、技術を劇的に進化させていくだろう。それがどの様な形になるのかまでは、俺には分からない。ただ、人間だけでは辿り着けない未来を迎えるのは確実だ。だから、対等に扱うのではなく、排除するのでもなく、別の方向の存在として扱うべきだと考えている」

「なるほど。……しかし、その様な世の中になれば、職を失う者も多く出るでしょうね。もしかしたら、貴方も」

「それはそれで構わない。灰になるまで、俺に出来る事をやるだけだ。では、失礼する」

 私は庵に頭を下げ、彼の傍を抜けて部屋のドアへと向かった。そこでもう一つ疑問が湧き、私は外に出ながら口を開いた。




「最後に、もう一つ聞こう」

「なんなりと」

「神のオーダーは、どうやって知りえたんだ?」

「それは幹部にしか話していないのです。貴方は叩けば伸びそうだ。入信されるのであれば、特別にお教えしますよ?」

 私が返事の代わりにドアを閉めると、室内からは庵の笑い声が高らかに響き渡った。それは私が玄関を出るまで、ずっと耳に届く程の、狂人の声だった。

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