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量子が求めた煙  作者: 加藤泰幸
二日目
6/20

二日目その1 お手柄

 翌朝、コルネットを事務所に残した私は、コンビニで買った菓子パンを頬張りながら金田家へと車を走らせた。空模様は昨日とは対照的に晴朗で、心なしかビュートのエンジンも機嫌が良いように感じられる。或いは、前オーナーである伊達太陽がいなくなった事にそろそろ気が付き、スクラップコースを避ける為に私の機嫌を取っているのかもしれない。


 金田家には約束の午前十時よりも十分早く着いたが、金田ミーアは既に玄関の前で待っていた。挨拶を交わし、中に入っても良いか尋ねたが、今朝も金田慶の機嫌が良くない事を遠回しに告げられたので、私は彼女を車に乗せ、途中で見かけたチェーン店のコーヒーショップへ入った。カウベルを鳴らして店内に足を踏み入れると、女性型アンドロイドのウェイトレスが「全席禁煙」の先制パンチを放ってきた。今更店を変えるわけにもいかず、私はグロッキー寸前のボクサーのような足取りで座席に着いた。


「何か食べたければ、好きに頼んで構わないよ」

「朝は済んでいますから、コーヒーだけで大丈夫です。黒田さんは?」

「俺も菓子パンで済ませているので、コーヒーにしよう」

「……ちゃんとしたものを食べなくて、大丈夫なのですか?」

「誰かから食事の心配をされたのは何年ぶりだろうな。昼で釣り合いを取る」


 私は苦笑を返してからウェイトレスを呼び、ホットコーヒーを二つ頼んだ。それから早速、昨日の調査結果と今日の調査予定を告げた。金田ミーアはある程度の覚悟ができていたのか、イエローハイライトアイの話になっても取り乱さず、僅かに肩を強張らせただけだった。尾行者の話をした時も同じ反応だったが、事件と無関係だとは考えていないだろう。私としても、あのタイミングで受けた尾行がジョンの失踪と無関係だとは思えない。今回の依頼は、単なる遺失物横領事件では済まない気がしていた。


 調査の話を終えた後で出てきたコーヒーは、思っていたよりも熱かった。飲める程度に冷める頃には料金の説明が済み、中身を飲み干す頃には契約の概要説明が済んだ。拘束時間と経費、それぞれに料金が発生する点は最後にもう一度告げたが、金田ミーアの決心は変わらず、契約書には彼女の氏名が記された。かくして正式に私の依頼人となった少女は、記名後も契約書を見つめ続けていた。内容を確認しているというよりは、そこにジョンがいるとでもいうような視線だった。




「……君にとって、ジョンは相当大切な存在なんだな」

「はい。母親代わりでしたので」

 金田ミーアは顔を上げてしみじみと呟いた。その言葉に彼女の背景がうっすらと見えたような気がした。


「差し支えなければ、その辺りの事情を聞いても良いかな」

「もちろんですよ。昨日も話したと思いますが、アンドロイドを買う為にアルバイトを始めたのは中学生になってからです」

「君の母親が亡くなったのも同時期だったな」

「はい。……母は本当に優しい人でした。私が肌の色で虐められていないか常々気を遣ってくれましたし、学校の授業には無いアンドロイドの使い方も『これから欠かせない時代になる』と言って、一緒に勉強してくれたんですよ。だから、母が亡くなった時に空いた胸の穴は大きくて……」


「それで、その穴を埋めようと、アンドロイドの購入資金を貯め始めたわけか」

「最初は、そんなつもりはなかったんですけどね。母との勉強を無駄にしたくない気持ちだけでした。……でも、母の事を知ったジョンは、その穴埋めができるよう常々世話を焼いてくれました。今ではもう大切な家族の一員なんです」

「………」

「いつも、私の後ろをぴったりと歩いてくれてたんです。……だから、ジョンがいない生活難で考えられません。大学に入って社会人になって、いつか私が家庭を持つ事があったとしても、ずっと一緒にいたいんです」

「ふむ……」


 私は彼女の話を聞きながら、無意識のうちにポケットの煙草を取り出そうとしていた。それに気が付いてポケットの中に押し戻し、煙の助けなしで、彼女の家庭環境についてどこまで切り込んだものかと考えを巡らせた。




「……父の方は、アンドロイドの使い方を教えてくれなかったのか?」

「ええ、まあ」

「見た限りでは、あまり親子仲は良くないようだな」

「そうですね。……一緒に暮らしているだけ、と思っています」

 金田ミーアの声色は変わらなかったが、意識して維持しているのだろう。早口気味になっていたし、視線は中身のないコーヒーカップへと向けられていた。


「……家の恥を晒すようですけれど、父は常々私に冷たく当たります。母が亡くなった後はその傾向が顕著になりましたが、亡くなる前も家庭的とはいえない父で、母との衝突も絶えませんでした」

「失礼ながら、家庭的な男ではない印象は俺も受けた。何か理由はあるのか?」

「私には分かりません。ただ、恋愛結婚ではなかった、と母から聞かされた事があります。当時はインドの人口増加が凄まじい事になっていた為、職を求めて父と国際結婚したと。……結局、その後にアンドロイドが普及して、日本でも仕事は少なくなったので、その点は想定外でしたけどね」


「慶氏は、その縁談を何故受け入れたんだ?」

「……私の口からは、これ以上は」

 もっともな言い分であった。本当はもう少し核心に迫りたいところだったが、これ以上は依頼人の機嫌を損ねる可能性がある。それに、どちらにしても金田慶にはもう一度話を聞きに行く必要がある。私は領収書を手にして席を立った。



「そろそろ出るとしよう。自宅まで送ろう」

「大丈夫ですよ。歩いて五分くらいですから」

「得体の知れない奴に尾行されているんだ。その対象が私だけという保証はどこにもない。今日は家から出ず、明日以降も学校や予備校は極力休んだ方が良い」

「……大袈裟な気はするのですが、きっと、黒田さんの考えが一番安全なのですよね。分かりました」

 金田ミーアの声には微かな不満が混じっていたが、それでも彼女は首を縦に振った。

 私は会計を終え、彼女の支払いを固辞してビュートに乗り込み、金田家の前へと戻った。別れ際、金田ミーアは居住まいを正して私の方を見てきた。


「……黒田さんは、優しい方ですね」

「依頼人の身を案じるのは、探偵として当然の事だ」

「それを考慮に入れても、です」

 私はブレーキを放さず、視線を彼女へと向けた。正面から見たミーアは少女離れした優雅な微笑みを浮かべていた。


「その手の評価は口にしない方が良いと、昨日も伝えたはずだが」

「でも、言わなきゃ気持ちは伝わりませんよ」

「君の場合は、評価対象の観察期間が足りない。ざっと二年ほど」


 私はそう告げて、ギアをパーキングからドライブへと乱雑に切り替えた。ミーアはそれに押し出されるように、黙ってに車外へと出た。私の依頼人はとことん聞き分けが良い。もしかすると、彼女の温和な性格は、生い立ちに起因しているのかもしれない。

 それは魅力的であり、なおかつ現代の日本においては稀有な人間性であった。だから私も依頼を受けたのだが、十八歳の少女が持っているとなると、むしろ不安な要素である気がしてきた。私は幾ばくかの不安を覚えながら、事務所へ向けて車を走らせた。品格屋の調査は、コルネットも同行させるつもりだった。







 ◇







 品格屋が入っている雑居ビルの地下へ降りると、品格屋よりも手前に、守衛室の表札が掛かった部屋が見えた。窓から室内を一瞥すると、頑固そうな顔をした警備服姿の老人と目が合ったので、私は目礼を送って、突き当りの品格屋へと足早に向かった。守衛室のドアが典型的なオフィスドアだったのに対し、品格屋は大入り袋を連想させる勘亭流フォントの表札が掛かっており、セールの類のシールがいくつも貼られている、雑然としたドアだった。


「マスター、何か命令はございますか?」

 事務所で合流し、ずっと私の後をついてきているコルネットが尋ねてきた。私は振り返らずに返事をした。

「ビルから出るまでの間の出来事は、極力映像記録しておけ。口を挟んだり、命令以外の行動を取るのはやめろ。できるな?」

「承知しました」


 お決まりの返事を受け、私は品格屋のドアを開けた。照明の類が殆どない暗い部屋で、すぐに私の目に映ったのは、部屋隅の僅かな電灯に照らされているドテラを着た老人だった。低めの商品棚に足を乗せ、これまた気難しそうな顔つきで私達を睨んできたが、何も声をかけてはこない。確かに、品格という言葉とは縁のなさそうな男だった。


 彼から目を凝らして店内を眺めると、棚や段ボールが適当に並んでいる。陳列されている商品の多くは、用途のよく分からない機械のパーツだった。私はそれらを吟味する事もなく、まっすぐに老人の前へと向かった。



「品格屋の店主ですね」

「……そうだが」

 店主は重苦しい声で答えた。訝しむような感情はなく、ただ聞かれた事に答えただけのようだった。

「わけあって、失踪したアンドロイドを探していましてね。そのパーツがここで売られていたかもしれないのです」

「警察かとも思ったが、手帳を出さない辺り、違うようだな」

「そう思った割には落ち着きがありますね」

「諦めているだけさ」


 店主は口の端を上げて投げやりに答えた。不思議と、この店主には自分と似た空気を感じた。その直感が正しければ、話が早いか、徹底的にこじれるかの二つに一つだ。どちらにしても、腹芸の類は裏目に出る気がしたので、私は口調を崩して本題をまっすぐに告げる事にした。



「なら、腹を割って説明させて貰おう。俺は探偵だ。一昨日、ここでBE-401HRのイエローハイライトアイを購入した男から辿ってきた。イエローハイライトアイは、別の誰かが品格屋に売りに来たはずだが、そいつの事を教えて欲しい」

「イエローハイライトアイの事は、大物の坊主から聞いたか」

「そうだ。彼は常連らしいな」

「まあな。でも今回の件で当分は出入り禁止だ。……さて、パーツを売りに来た方の話か。教えても良いが、ちょっと口寂しい気分でな。お前さん、コートにいい匂いがこびりついているじゃないか」

 それだけで、彼の求めている物は分かった。私は鼻を鳴らすように笑い、ポケットから十本ほどしか残っていない煙草を取り出し、丸ごと男に投げ渡した。


「セブンスターか。ジジイみたいなものを吸っているな」

「ジジイに言われたくはない」

「まったくだ。で、件の客の事だが……来たのは一週間前の日曜だったよ。午後九時前、閉店ギリギリだったな」

 ジョンが失踪した翌日という事になる。私は頷いて話の先を促した。


「イエローハイライトアイの他にも、BE-401HRで使われているパーツを幾つか一緒に持ち込んできたよ」

「油圧サーボもか?」

「油圧サーボは買い取っていない。あれはフレームから取り外せないから、簡単には売りに出せないのかもしれない。……ただ、買い取った他のパーツがBE-401HRのものと断言はできないぞ。確かにBE-401HRで使われてはいるが、汎用性があるパーツだから、他のアンドロイドから引っぺがした可能性もある」


「売りに来たのは、どんな奴だ?」

「身長は170にちょっと足りないくらいか。裾の長いコートで、マフラーをぐるぐる巻き。キャップを被っていたな。サングラスもかけていた」

「屋内でサングラスを? まるで物取りだな」

「そんな変人ばっかりだよ。ここに来るのは。その上、声も甲高かったもんで、男か女かも判別は付かなかった」

「参ったな。当たりくじの気配は感じるんだが、性別も分からないときたか」

「だが、もう一つ手がかりは残っている」

 店主はそう告げると煙草に火を付け、煙を一度吸い込んでから、店の外を指差した。


「守衛室では、ビル通路のカメラを記録している。まず、何か映っていると考えて間違いないぞ」

「成程、ではそっちも尋ねてみよう」

「ああ。せいぜい頑張ってな」


 彼の言い廻しには何か引っかかるものがあったが、私はコルネットに手を振って合図をし、品格屋を出て守衛室へと向かった。今度は勝手に入るわけにもいかないのでドアを叩くと、やや間があって、先程窓越しに目が合った守衛の老人が顔を覗かせた。


「なんだい?」

「探偵の黒田という者です。この先のジャンク屋に、盗品の可能性があるパーツを売った男を探していまして」

「盗品……?」

 守衛の声は、品格屋の店主とは対照的に動揺を含んだものだった。私はその一瞬で、品格屋とは攻め方を変えるべきだと判断し、声を更に穏やかにした。


「ええ。まあ、私の調査はなんとかなりそうですが、お宅さんも防犯カメラの映像を確認しておいた方がいいんじゃないか、と思いましてね。そのご連絡に来ました」

「な、なるほど……ありがとう、助かるよ。いつ頃来た客だい?」

「先週の日曜日、午後九時前のようです。コートにマフラー、キャップにサングラス姿で、身長は170以下」

「まるっきり不審者じゃないか」

 その不審者が、この部屋の前を通ったはずなのだが、彼は気が付かなかったのだろうか。守衛室内をちらと盗み見ると、パズルの雑誌が転がっていたので、答えはそれかもしれない。


「その男が売った物が盗品と断言はできませんがね」

「うむ、うむ。とりあえずは確認するとしよう」


 守衛は頷くと、断りなくドアを閉めた。仕方なく窓から中の様子を窺うと、彼はモニター前の機材と格闘していて、暫くするとモニターに監視カメラのものと思わしき映像が映った。ビル一階のロビーを映したもので、映像は高速で巻き戻されているようだった。


 やがて、その巻き戻しが終わって通常再生になり、件の人物と思わしき者が見えた。手には紙袋を下げており、その辺りをじっくりと観察したかったが、モニターはそこで暗転してしまった。守衛にも落ち着きが戻ったようなので、もう一度守衛室のドアを叩くと、今度は即座に守衛が出てきた。


「なんだ、あんた、まだいたのかい」

「ええ。結果はどうでした?」

「お陰様で確認できたよ。それらしき人物が映っていた。後で品格屋さんにも話を聞いて、それからビルオーナーに報告するかどうか考えるよ」

「なら良かった。……良ければ、その男の行方、私の方でも調べてみますが、映像をコピーしては貰えませんか?」

「コピー……? だ、駄目だよ、何言ってるんだい、あんた!」


 守衛は怒鳴るようにそう捲し立てると、まるで私がその犯人であるといわんばかりに睨みつけ、思いっきりドアを閉めた。鈍くけたたましい音が地下に響き渡り、それによって、私は最後の詰めを誤った事を知った。


 なるほど、確かに品格屋の主人の言ったとおり、何かは映っていたようだが、その後の頑張りは不足していたというわけだ。彼はおそらく、守衛の性格を知っており、この結果も見越していたのだろう。煙草をもう一箱用意しておけば、結果は違ったかもしれない。



「マスター、お話ししても宜しいでしょうか」

 不意にコルネットに声を掛けられ、私は気を取り直した。振り返って頷くと、コルネットは囁くような声で話を続けた。

「ご命令のとおり、品格屋入店から現在に至るまでの光景を映像記録しております」

「それは、つまり……」

「はい。窓越しで遠距離の為、不鮮明ではありますが、監視カメラの映像も」

「よくやった、コルネット」

 思わぬ報告に、私はストレートに彼女を評価した。それを受けたコルネットは、やや間を置いてから一礼した。相変わらずの無表情ではあったが、しきりに行われる瞬きが、彼女の感情に何らかの変化がある事を物語っていた。

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