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量子が求めた煙  作者: 加藤泰幸
一日目
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一日目その5 灰になるまで

 いい加減歩き疲れていた私は、事務所に戻ってビュートに乗り込み、()()にある雑居ビルへと向かった。時刻は午後六時過ぎで陽は殆ど落ちており、ライトを点けなければ走行はできない。渡辺北通(わたなべきたどお)りのビル明かりと車のライトによって街は妖しげな輝きを見せていたが、それも競艇場を過ぎるまでだった。このまま走れば海岸に出るという事もあって交通量は激減し、周囲の光景は落ち着きを見せる。お陰で、雑居ビルの前での路上駐車にも支障は無かった。


 雑居ビルは五階建てだった。入口に掲示されている案内板を見る限り、目的の品格屋は地下で、地上階のうち下階には飲食店、上階にはオフィスが入っている。薄暗い一階ロビーには紙くずがいくつか落ちていて、あまり清掃が行き届いている所ではなかった。

 通路の突き当たりにエレベーターが見えたが、その手前には地下への階段があった。階段にはフェンスが設けられていたので、案内板まで戻って店舗情報を再確認すると、品格屋は土曜が休業日となっていた。


「明日、出直すぞ」

「承知しました」

「車に戻る前に一服する」


 コルネットにそう告げ、ビルの隣に設置されていた自動販売機で煙草を補充し、早速火を灯した。夕刻に吸う煙草は、それまでの疲労を吹き飛ばしてくれるような気がしたが、それは本当に錯覚なのだと伊達太陽に忠告された事がある。


 私は口の中で小さく笑い、火が消えるまでの間、ゆっくりと周囲を歩いた。高層ビルが無い見晴らしの良い地区だったが、その代わり、横幅を大きく取っている純白の施設が向かいにあった。宗教法人の児童養護施設で、路上の掲示板にはポスターが張られている。教団服らしき白装束を纏った男性が両手を広げているポスターで、悩み事は何もなさそうな笑顔を振りまいていた。下部には『大自然教(だいしぜんきょう)』のロゴが載っている。これが教団名なのだろう。


「コルネット、市内の廃棄工場を検索」

「承知しました。……東区の香椎(かしい)に数件存在します」

「休業日は?」

「いずれも土日祝日休業です」

「そっちは明後日の月曜に当たるか」


 私は煙草を携帯灰皿に押し付けると、ビュートに乗り込んで事務所へ戻った。事務所から外に出た時とは異なり、事務所のドアを潜っても体感気温は変わらなかったが、暖房が室内に行き渡る頃にはそれも解消された。人心地ついたところで掛け時計を見上げると、間もなく午後七時になるところだった。八時から近所のレトロな映画館で映画を観賞する予定だったが、一度帰宅するには半端な時間だ。私は肩を鳴らしながらデスクに座った。



「マスター、何かお仕事はありますでしょうか」

「お前がパフェを食っていた時に、やくざがスタンガンを乱雑に扱った。念の為に動作確認を頼む」

「承知しました」


 コルネットが背中を見せてスタンガンを扱い始めたので、私もノートパソコンを起動させてウェブブラウザを開き『大自然教』について調べた。この宗教団体は、その名のとおり自然原理主義を掲げているようだったが、自然の解釈は幅広く、人種や親族の垣根を取り払おうとしているらしい。最終的な目的は自由な人間関係の構築と反差別社会らしく、支弁を得て児童養護施設を運営している事も判別した。


 だが、博愛だけで宗教法人に発展したわけではない。どうやら、アンドロイドが普及し始めた時にアンチアンドロイド方針を掲げた為に、社会が変わる事を嫌がった者達を吸収して、爆発的に信者が増えたようだった。反差別を謳いながらアンドロイドを毛嫌いする仕組みが私には分からなかったが、アンドロイドは大自然とやらから逸脱していると言いたいのだろう。




「マスター、何をお調べですか?」

 不意に、コルネットが私の横に並んでモニターを覗き込もうとしたので、私は手を広げてそれを制した。指の隙間から見えるコルネットの無機質な瞳が、何故? と主張しているような気がした。


「明日の聞き込みの下調べだ。児童養護施設にも行くが、お前はそっちは来なくていい」

「……理由をお伺いしても宜しいでしょうか」

「今回は承知しないのか?」

「出来る事なら、お仕事をさせて頂きたいのです」


「なら、言われた事だけをこなせ」

「しかし」

「それがお前の為になるんだ。言われた仕事から実例を学び、客観的視点と機転、そして注意力を養え。……量子コンピュータは、使いようによっては優れた働きを見せるが、そこに人間のような柔軟性は存在していない。経験を積んでそれを持てと言っているんだ。……ふん、別にアンドロイドに限った話じゃないな」

「つまり、経験を積めば、私もマスターのようになれるのですね」

「シンギュラリティだな」


 私はただそれだけを呟いたが、コルネットは私を見つめて話の続きを待っていた。言葉の意味が理解できないはずはない。何が言いたいのかが分からなかったのだろう。あと十五年も待ち続ければ、理解するかもしれない。




「……金田ミーアに、明日の朝、そっちに行くとメールを入れておいてくれ」

「承知しました。ところでさっきの……」

「映画館に行ってくる。事務所には戻らないから、連絡が済んだら適当なところでスリープモードに入れ」

「映画館へは、何かの調査で向かわれるのですか?」

「趣味だ。観たい映画がある」

「マスター、同行させて頂けませんでしょうか」


 コルネットは一歩踏み寄りながらそう言った。突き出したままの手に彼女が触れそうになった。手を下げてからコルネットの瞳を覗き込むと、私の顔が反射して映っている。私が駆け出しの頃は、私の姿が今と同じように伊達太陽の瞳に映っていたのだろうか。そう思うと、自然と小さな笑みが零れた。だが、私はゆっくりと首を横に振った。


「そのうちな。今日の映画は一人で観させてくれ」

「……承知しました」

「熱意は買う。明日はしっかり頼む」


 そう告げて立ち上がった私は、コートの胸ポケットに映画のチケットが入っているのを確認してから、事務所を出た。炎のように生き、灰になるまで輝いた銀幕スターの遺作となったハリウッド映画が始まるまでには、まだ少し時間がある。


 私は映画が始まるまでの間、中洲の街を適当にぶらついた。欲望にまみれた者達と、それを喰らう者達がおりなすネオン街は、今も昔も変わりがないが、強いて変わった点を挙げれば店の種類だろうか。『ドール風俗』と呼称して、女性型アンドロイドに相手をさせる風俗店が、近年になって増加している。なかなか儲かっているようで呼び込みも格別熱心に声を掛けてきたが、それを無視しながら、今日の尾行者の事を思い出した。視界の端で捉えた尾行者の服装は、大自然教の教団服に似ているような気がしてならなかった。

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