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量子が求めた煙  作者: 加藤泰幸
一日目
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一日目その3 痴れ者と曲者

 私は国体道路に通じている路地を歩きながら、次の行動について考えた。ここで振り返ったとしても、二十メートルほど後方に気配を感じる尾行者を取り押さえる事はまず無理だろう。上手く引き付けて確保しても、偶然同じ方角に向かっていたととトボけられたら情報は得られない。ならば言い訳ができないように、冷泉公園一周に留まらず、あちこちに振り回した方が良いかもしれない。


 ただし、それ以上に危惧するべきは尾行者に害意があるかどうかだった。微かに目視できたのは服装だけで、年齢も性別も、人間かアンドロイドかも分からないのだから、接触するにしても人目につく場所を選ぶべきだろう。


 そこまで考えを纏めたところで、傍を歩くコルネットの気配が消えた。反射的に振り返ると、コルネットは小走りで後方へと向かっていた。猛烈な怒りが湧き上がったが、私はかろうじて怒鳴り声を抑えてコルネットの後を追った。しかし、コルネットが後ろを向いた時点で全ては台無しになっている。尾行者と思わしき人物は逃走したようで、姿も気配も残っていなかった。



「……コルネット」

「申し訳ありません、マスター。尾行者を特定しようと思ったのですが」

 コルネットは足を止め、ブリキ人形のように振り返りながら言った。

「もう、いい。次からは承認を得ろ」

「……承知しました」


 私は少しだけ頭を抱えたが、経験を積ませる為に連れ出したのは私自身だ。結局は、気を取り直して事務所へと向かった。午後も調査は続行するつもりだが、その前に明日の契約で使う書類を確認しておきたかった。念の為に、帰り道でも尾行には気を払ったが、もう気配は感じられない。そのまま事務所ビルに戻ってきたところで、私は胸が強く鼓動したのを自覚した。元凶は、事務所ビルの前に停まっている最新モデルの黒塗りヴェルファイアだった。


「コルネット、少しシナトラで待ってろ」

「事務所で何か用事でしたら、お任せ頂けませんでしょうか」

「いいから待っていろ」

「……承知しました」

「客はいないようだから、奈々さんにパフェでも作って貰え」


 私はシナトラの窓を覗き込んでそう言い残し、一人で階段を上った。二階の踊り場には、案の定、壁に背中を預けながら携帯端末を弄っている長身痩躯の男がいた。喪服のような辛気臭いスーツを着ているが、あれでもブランド物なのだろう。長めの黒髪を後ろへと流していて、目の下にはクマのような影がある。きめの細かい白肌も相まって、いつもの事ながら不気味な雰囲気を醸し出している男だった。足音が聞こえていたようで、男の視線は私へと移った。


「俺に何か依頼でもしに来たか、巻島(まきしま)

「帰ろうかとも思っていたが、残って正解だったようだ。用件は分かっているだろう?」

「また立ち退かせに来たか。悪いが、今の事務所は気に入っているんだ」


 私は心にもない言葉を口にし、半身になって事務所の鍵を開けた。五月会(さつきかい)東郷組(とうごうぐみ)若頭補佐の巻島に背中を見せた者はロクな目に遭わない、というのが、この辺のやくざの常識らしい。それを知っている私も、やくざとは五十歩百歩なのだろう。ドアを開けて中を指し示すと、巻島は幽霊のようにふらりと体を揺らして入り、来客用ソファに遠慮なく腰掛けた。私もコートは脱がずに、その対面に座った。テーブルの上ではスタンガンが置きっぱなしになっていた。



「随分と物騒な事務所だな。俺もボディガードを付けてくれば良かった」

「お前を守るとはとんだ貧乏くじだ」

「言ってくれるな。これでも人望はあるんだぞ。ただ、今日は一番下のチンピラがファラピンマフィアとの間で小競り合いを起こしてな。直属の部下の新井(あらい)を仲裁に行かせている」

「そのまま共倒れにでもなってくれれば、少しは平和になるんだがな」

「そしたらお前の仕事が減るだろう、正義の味方さんよ」

「悪党らしい考え方だ。まっとうな依頼だけでも食っていける」


 私はまた嘘をついてポケットに手を入れたが、掴めたのはカラになった煙草の箱だけだった。仕方なく『精神安定剤』抜きで巻島が本題を切り出すのを待ったが、彼もまた、冷たい瞳を私に向けて暫く黙っていた。


 この男と初めて会ったのは二十年前ほど前で、お互いケツの青いガキだったせいだろうが、純粋な目、という第一印象を持ったのを覚えている。当時、巻島が交際していた女性もまた、同じ目をしていた。あの女性が大学卒業後も巻島の傍にいれば、巻島が道を踏み外す事はなかったのだろう。もっともそれは、物理的に叶わぬ願いなのだ。



「シナトラの奈々(なな)さんはお元気にしているのか? 確か、八十歳になったはずだが」

「自分で挨拶して様子を見れば良いだろう」

「遠慮しておこう。嫌われているからな。俺も、奈々さんの息子である東郷組長も」

「なのに、東郷はなぜ俺を立ち退かせたいんだ。そもそも、このビルは東郷ではなく奈々さんの物だ。奈々さん自身も、自分の店のスペースは一階のシナトラで十分と言っているんだぞ」


「嫌われようと、断られようと、親の為に尽くすのが子というものだろう?」

「やくざが一人前に考道を語るな。どれだけ言い繕っても、お前達は暴力ですべてを覆すのだ」

「そうだな。このまま立ち退かなければ、そういう選択肢も浮かぶだろう。どうするつもりだ?」

 巻島は普段と変わらない、静かな語り口で聞いてきた。ドスを効かせて告げるよりも、この男に適した迫り方だった。


「やくざの言いなりになる気はない。立ち退き料を払われても御免だ」

「分かった。なら、日を改めよう」

 巻島が前のめりになって、立ち上がろうとした。気味の悪ささえ覚える諦めの良さだった。


「随分と物分かりが良いな。東郷組の若頭ともあろうものが、こんな子供のお使いをしていて良いのか?」

「問題ない。今のところは組長も、手荒な真似は禁じているからな。それに……」

 巻島の手が、不意にテーブルの上を滑った。私がソファの横へと飛びのいたのは、それと殆ど同時だっただろう。更に壁際へ転がって身体を起こせば、案の定、彼がスタンガンを手にしていたのが目に入った。



「組長の親孝行を理由にお前を痛めつけるのは、面白くない。俺の意思で思い知らせたいところだが、臆病者相手では骨が折れそうだ」

「狂犬っぷりは相変わらずだな。東郷組のお姫様が庄司組のチンピラにさらわれた時も、その勢いで乗り込んだわけか」

「……どうでも良い事だけは知っているのだな」

 巻島は口の端を歪め、スタンガンをソファの上へと放り投げたが、私は気持ちを切らさずに彼の手を睨み続けた。


 彼の兄貴分の娘が、対立する庄司組(しょうじぐみ)のチンピラに誘拐された時の事だ。巻島は単身で乗り込み、この白く細い女性のような手で、庄司組の人間を片っ端から半殺しにしたのだ。その後、巻島は傷害罪で懲役二年の実刑判決を受けたが、出所後は若頭補佐の待遇で東郷組へと復帰している。五月会は国内やくざの他にも、福岡へ集中的に押し寄せているファラピンマフィアへの対応に苦慮していた為、その対策として巻島は引き上げられたのだろう。



「旧い仁侠映画なら、その後は娘と結ばれてめでたしめでたし、だな。もっとも、お前はその娘以外にも甘いようだが」

「何が言いたい」

「フェミニストを気取ったところで、お前の自己満足に過ぎない。学生時代の彼女が生き返る事もない。無意味だと言っているんだ」

「黒田……」

 巻島の手がゆっくりと握られていった。白い肌には怒りで赤みが差し、小さな黒目は貫くように私を見つめていたが、やがて彼はその瞳を天井に向け、小さく息を吐いた。


「……満足に死ねると思うなよ、黒田」

「それはお互い様だ」

「ふん……。立ち退く気になったら、組に報告に来い」

 冷静さを取り戻した巻島は鼻で笑い、事務所から出て行った。学生時代の三年間とはいえ、この男を親友だと思っていたのは、私の人生において最大の汚点だった。







 ◇







 契約に必要な書類を確認した私は、階下のシナトラでコルネットと合流してから、再び博多駅(はかたえき)方面へと歩いた。昼間から仕事熱心な呼び込み達を無視して風俗街を通過し、エキゾチックな色合いのキャナルシティを抜けると、目的地の博多署はすぐに見えてきた。分厚いモノリスのような警察署ビルは、曇天の空模様との相乗効果もあって、来る者を普段以上にげんなりとさせる佇まいを見せている。


 署の前まで来ると、制服を着た歩哨のアンドロイドが頭を下げた。私は礼を返さず、彼らの腰に下げられた拳銃を一瞥しながらビルへと入った。ここ数年で、警察の業務の一部はアンドロイドが担うようになっている。人工知能倫理法で定められている人間への危害禁止も、警察に配備されている警備用アンドロイドに限っては例外的で、人間を守る為の戦闘が認められているのだ。


 受付では、婦警の恰好をした女性型アンドロイドが座っていた。コルネットとは違って、人間と区別のつかない温和な表情を浮かべている。耳のオーディオセンサー以外に、アンドロイドだと判断する材料は見当たらなかった。


「刑事部一課の轟木(とどろき)警部をお願いしたい」

「アポはございますでしょうか」

 受付の反応は流暢だった。メーカーは最新のアンドロイドを販売するたびに、人間に近づいている事をアピールしているが、私からすれば、これ以上人間に近づける必要はないように感じられた。


「アポはないが、私の名前を告げれば取り次いでくれるはずだ」

「少々お待ち下さい」

 受付は手元の端末を叩くと、宙を眺めて「轟木警部をお願いします」と呟いた。内線通話機能が組み込まれているから、いちいち受話器を用意していないのだ。彼女は更に二言、三言会話してから、私の方を向いて「すぐに参りますので少々お待ち下さい」と告げた。


 腰を上げ下げするのも面倒なので立って待っていると、三分もしないうちに、轟木警部が薄暗い階段を下りてきた。年齢はもう五十歳を超えたはずだが、纏っているのはよれよれのスーツで、寝ぐせなのか天然パーマなのか区別のつかない頭をボリボリと掻いている。それでいて人の良さそうな眼つきをしているせいで、彼は刑事というよりも窓際族のサラリーマンのように見える。彼の背後には、制服姿の男性型アンドロイドが付いていた。たしか、刑事部一課に長年配属されているアンドロイドで、名前はメッソといったはずだ。




「やあ黒田君、久しぶりだねえ」

「それほどでもないだろう。伊達さんの葬儀以来だ」

「そうだったかもな。君も一人で事務所を切り盛りするとなると大変だろう?」

「なんとかなるものさ。トドさんのような人が助けてくれるからな」

「ほう。とすると、今日の要件も仕事絡みか」


 来訪目的に察しが付いても、轟木は温和な表情を崩さなかった。だが、市民の過度な要求に笑顔で答える警察官がこの世に存在するはずがない。私は幾ばくかの不安を覚えながらも、人気のない壁際を指差し、そちらに歩きながら携帯端末を取り出して、ジョンのホログラフィー写真を轟木に見せた。


「一週間前に、このアンドロイドの遺失届が出されたはずなんだ」

「おいおい、そりゃあ会計課の仕事だぜ? 俺は把握しとらんよ」

「出された、という前提で聞いて貰えれば問題ない。この場合、警察はいちいち調査しないはずだが、その認識に誤りはないよな」

「基本的には、そうだろうな」


「分かった。……ここからが本題だが、アンドロイドが失踪した場合、どこで、どの様な形で見つかる傾向があるのかを教えて欲しいんだ」

「用件は分かった。でも、お前さんの仕事の役に立つだろうかねえー……」

「日本警察で扱っているビッグデータのシステムは、カリフォルニア大学のプレッドポルがベースになっているはずだ。システム面では信頼できる」

「分かった分かった。仕方ないねえ」

 轟木は借りの大きさを主張するかのように、わざとらしく肩を竦めた。それからメッソの方を見ると、口元に手を当てて囁いた。


「メッソ。会計課のビッグデータにアクセスして、アンドロイドの遺失回りのデータを引っ張ってくれ」

「課外の者がアクセスする際には、原則、会計係主任の認可が必要になっています」

「責任は俺にあるから、気にせずアクセスしちまえ」

「承知しました。アクセスします。検出完了」

「おう。直接、黒田君に説明してくれ」

「何をご説明しましょう」

「遺失届の総数と、そのうち何割が帰還したかを教えてやってくれ」


 メッソの検出は早かったが、轟木の返答も早かった。それを受けたメッソは私に向き直って警帽を取り、挨拶してきた。メッソの顔は何度か見た事があったが、面と向かって会話をするのは初めてかもしれない。



「規則違反をさせてしまったようだな」

「お気になさらないで下さい。博多署の過去のデータを参照したところ、アンドロイドの遺失届は108件。そのうち22件はアンドロイドが自主的に帰宅し、遺失届も取り下げられています」

「約二割か。残りは?」


「51件が未発見のまま現在に至ります。残りの35件は、事件・事故に巻き込まれたアンドロイドになります。更にこの35件のうち、届け出た者の元に戻る事ができたのは9件です」

「さっきの数字と合わせると、帰還率は約三割か……あまり高くはないな」


「博多署ビッグデータから参照した値ではないので不正確ですが、他地区では四割を超えています」

「事故はともかく、事件性があるケースで差が付いているんだろう。博多には、それだけ手慣れた悪党が多いってこったな。車の解体と同じで、アンドロイドを解体してシャブり尽くすなんて、普通はなかなかできないんだが」

 轟木が言葉を付け足し、メッソはそれに同意するように頷いた。


「轟木警部の言われるとおり、事件だと発覚しても、逮捕時には既に解体・売却が完了しているケースが目立ちます」

「私の仕事は、それを未然に防ぐ事かもしれんな。逮捕に至ったケースでは、犯人の居住地区はどこが最多だ?」

「博多署管轄地区近辺に在住している者が殆どです」

「つまりは、失踪した地区の周辺で窃盗犯を探せ、という事か。ありきたりの答えが出たな」

「待ちたまえ、黒田君。……おい、メッソ。逮捕場所はどこが最多だ?」

 そこで、再び轟木が言葉を挟んだ。


「逮捕場所は北九州が最多です」

「北九州……?」

 私はメッソの言葉をオウム返しにしたが、すぐに答えに察しが付いた。それを口にする前に、メッソは説明を続けた。

「正確には工具店やジャンク屋、廃棄工場で見つかっています」

「そんなこったろうと思ったよ。アンドロイドを解体するにしても、専用の工具が必要になる。引き取り手であるジャンク屋や廃棄工場も欠かせないってわけだ、黒田君」

「大規模な工業地帯を持つ北九州には、それらが密集している。警察としてもマークしている。結果、北九州で犯人が見つかるわけか」


 先日まで働いていた北九州の街並みを思い出しながら、私は頷いた。特に工業地区と関連のある業務ではなかったのだが、言われてみれば、工具店やジャンク屋を多く見たような気がしないでもない。廃棄工場の記憶はないが、メッソの話に偽りはないだろう。


「そうなると、調査対象が広くなってしまうな……博多で見つかるケースは皆無なのか?」

「博多にも工具店、ジャンク屋は存在します。少数ですが廃棄工場も。そこで見つかるケースも少なからず存在しています」

「……なるほど。そこから当たるか。売却前に抑えられる事を祈ろう」

「検出結果は以上になりますが、別条件での確認は必要でしょうか」

「十分だ。ありがとう、メッソ」


 私はメッソに礼を告げたが、彼はビッグデータを引用しただけで、轟木のフォローが無ければ必要な情報は引っ張り出せなかった。だが、コルネットもしかり、この手の柔軟性不足はアンドロイドにはつきものだった。情報検出に要する時間は申し分なく、データ量も参考になるのだから、これでもメッソは優秀な部類だろう。

 情報を元に調査するべく、踵を返して立ち去ろうとしたが、そうはいかなかった。轟木がにこにこ笑いながら、その笑顔からは想像もつかない握力で私のコートを掴んでいた。私は苦笑しながら轟木に向き直った。




「本当にそのまま帰るつもりだったのかい?」

「冗談だ。トドさんに借りを作るのは怖いから、できる事なら見逃して欲しいが」

「そんなに怖いかねえ、俺は……。ま、いいさ。今は取り立てて困っている事があるわけでもないんだ。だから、何か情報が必要になった時に連絡するよ。太陽探偵事務所には、伊達君の頃から世話になっているからねえ。信頼してるよ?」

「借りを作るのは怖いが、借りを返さない方が怖い。その時は力になろう」

「それで宜しい。また何かあれば、いつでも相談しに来なさい。暇になったら飲みにも行こう」


 この数時間で、尾行されるわ、やくざが事務所に乗り込むわと、相談事が積もっていたのだが、私が何も言わずに頷くと、轟木は口を大いに緩めながらコートを放してくれた。私は今度こそ振り返って歩き始めたが、傍にコルネットがいたのに気が付くと、彼女を試したい衝動に駆られて声を掛けた。



「コルネット。博多区内の工具店を検索」

「お待ち下さい。警察署のフリーwi-fiを使用しますので、受付でパスワードを確認してきます」

「命令部分修正。変なログを残したくないからwi-fiは使うな」

「検索完了しました。何か工具をお探しですか? 買い物が必要であれば私が請け負います」

「……店名と住所を教えろ」

 私は重く息を吐きながら博多署を出た。

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