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量子が求めた煙  作者: 加藤泰幸
最終日
20/20

最終日その2 蟲毒と成長

 新たに取り出した煙草を咥えて事務所に戻ると、コルネットがまたテレビを観ていた。水戸黄門の時間ではなかったはずだと思いながら覗き込むと、彼女が観ていたのはニュース番組だった。庵が自首し、毒物混入殺人事件の指示を認めたと報じていた。


 私は思わず煙草を口から離してしまい慌てて空中で掴んだが、驚いているのはキャスターも同様で、今入ったばかりと思われる情報を一つ一つ確認するようにして読みあげていた。自首してきた庵は何故か左眼窩底を骨折していたそうだが原因は不明で、警察は自首内容の他、怪我の理由や他事件への関与も調査しているとの事だった。




「もうニュースになっているのか」

 不意に、背後から聞きたくない声が聞こえた。私が嫌悪感丸出しの顔で振り返ると、事務所のドアの前に巻島が立っていた。普段は葬式で棺桶に入っているような顔をしているくせに、今日はお布施が懐に入ってほくそ笑む坊主のような顔だった。


「もう、とはどういう事だ?」

「さあ、どういう事だろうな」

「教えて貰えるのなら、このビルから立ち退く気になっても良い」

「それはやめておこう。どうせまた、お前は気が変わる」

 巻島はそう言って中へ入ろうとしたが、私が前に進みでて手のひらを突きだすと、面食らったような顔になって肩を竦めた。



「用事があるならそこで聞く。ないなら帰れ」

「分かった分かった。……さっき報道されていた庵という男について、教えてやろうと思ってな。あの男は、昨晩まではうちの事務所にいたんだよ」

「……庵は骨折していたそうだな」

「そうだな。事務所でちょっと転んで顔を打ったんだよ」

「お前の仕業というわけか。しかし何故、そんな事をした」

 その言葉と同時に私は強く拳を握っていた。暴力団らしい自己中心的な理由である事は想像に難しくなかったが、庵への同情は欠片もなく、巻島の暴力行為自体への怒りが心中に渦巻いていた。



「我らが盟友、ファラピンマフィアの為だ。お前が事務所に乗り込んだ日にファラピンマフィアの幹部と打ち合せをしていたんだが、あの幹部は『同胞が冤罪を被っている』と、非常にご立腹でね。真相判明後、黒幕である大自然教の教祖、庵をどうしても処罰したいと相談されたんだよ」

「それで、監禁して暴行を加え、自首させたわけか」

「勘違いするな。本当に転んだだけだ」

「しかし、それならファラピンマフィアが動けば良いだけの事だ。何故、東郷組が動いた?」

 私は巻島の言葉を無視して淡々と告げた。背後からはテレビの声が消えた。おそらくはコルネットが電源を消したのだろう。振り返りはしなかったが、彼女がいつもの無機質な瞳で我々を見ている気配があった。



「ファラピンマフィアの掲げるアンドロイド排除という方針は、大自然教と一致しているからな。大自然教を潰すのに反対する者もいるんだよ。彼らも一枚岩ではないわけだ」

「そこで、お前が動いたのか」

「そのとおり。貸しを作れば今後の抗争で有利に動く。博多の覇権を争っているのは東郷組、ファラピンマフィアの他に、庄司組もいるからな」

「今回の事件で武器の横流しが発覚して、庄司組は多少勢力が削がれそうなんだろう?」

「それでも敵である事に変わりはない。三つ巴の鉄則は、まずは弱い所を潰して吸収する事だ」

「この狂犬が」

 私は吐き捨てるようにそう言って巻島を睨みつけた。彼も涼しげな目つきを、凍てつくようなそれに変え、私を睨み返してきた。そのような状況下でも、巻島の取った行動を別の角度で見ている自分がいて『毒を以て毒を制す』という言葉が脳裏に浮かんだ。

 考えてみれば、この中洲という街は蟲毒のようなものだ。巻島はその中で最後まで残る蟲になるのだろうか。いや、そもそも最後は訪れないかもしれない。殺し合いに終わりはなく、蟲が一匹いなくなれば新たな蟲が現れるものだ。巻島がそれを理解できないとは思えなかったが、彼は犯罪の螺旋から抜けるつもりはないのだろう。




「……結果がどうであれ、お前の行動は容認できない」

「容認して貰うつもりはない。ここに来たのは宣戦布告のようなものだからな。……組長の意向とは無関係に進言しよう。ここを立ち退かなければ、いつかは貴様も庵と同じ目に遭う」

「脅しか。常套手段だな」

「いや、裏はない。事実を述べているだけだ。実際、前所長も大自然教のテロに遭って死んだようなものだろう? 無様な結果よな」

 その一言で、私の中の怒りは更に燃え上がった。他の蟲よりも先に私が手を下しても構わないと思い、一歩前に歩み出たが、スーツの裾が引っ張られてそれ以上前進できなかった。振り返ると、コルネットが私を見つめて静かに首を横に振った。



「お前よりもアンドロイドの方が賢いようだな」

「……否定はしない」

 私は苦笑して、そっとコルネットの手を外しながら背後の巻島にそう言った。

「せいぜい気を付ける事だな、探偵」

「俺が半殺しに遭うよりも、お前がくたばる方が早いだろう」

「ふん……」

 巻島は不機嫌そうに鼻息を漏らし、身を翻して立ち去った。もしかすると昔のよしみで忠告しに来たのだろうかという考えが浮かんだが、私はすぐにその考えを蹴り飛ばした。気まぐれで善行に及んだ無法者を見直す程、私は平和ボケしてはいなかった。








 ◇








 結局、この日の来客は巻島だけだった。特にやる事がなかった私は、勤務中、金田ミーアから聞いた話をコルネットにも伝えた。コルネットはいつもどおりの無表情で話を聞いていたが、ジョンが陥った思考ジレンマの話になった時だけは、過剰な瞬きが目立っていた。


 定時になると、私とコルネットは事務所を出て、中洲の一角にある映画館に向かった。太平洋戦争の終戦から間もないうちに建てられた古い映画館で、今でもモダンな内装を誇っているこの場所は、私に最上の安息を与えてくれる。ここで旧作映画を鑑賞するのが、私の唯一の趣味と言って良かった。

 今日はリバー・フェニックスが幼い頃に出演した作品の放映日で、過去にも何度か観た経験はあり、ストーリーは完全に頭に入っている。それでも、清濁と良心を描こうとしているこの作品は私を惹きつけていた。



 私は受付で大人二枚分の料金を払った。顔馴染みとなっている受付の若い女性に「同伴者がいるのは初めてですね」と微笑まれて、これまで誰かと来た事がなかったのに初めて気が付いた。コルネットも映画館に来るのは初めてのようで、シアタールームに入るまでの間は常に周囲を観察していた。

 シアタールームには他に客がおらず、私達は真ん中後方の特等席に腰掛けたが、そこでふと『映画館で観る良さはアンドロイドに分かるのか』という疑問が湧いた。だが、私はそれをコルネットに尋ねる事なく映画を観た。少なくとも、私としては満足だった。


 観賞後、一階受付の隣にある喫茶スペースに降りると、先程の受付がアンドロイド用の耐久椅子を運んでいるところだった。ここでコーヒーを飲んでから帰る習慣まで、彼女にはお見通しだった。手を掲げて感謝の意を表し、喫茶カウンターでコーヒーを二つ注文してから、私達は椅子に腰掛けた。




「……マスター、ありがとうございます」

 向かいに座ったコルネットは、一息付く間もくれずに謝辞を述べてきた。私は苦笑いを浮かべ、小さく息を漏らした。

「そのうち映画に連れて行くと約束していたからな。気にするな」

「それでも嬉しいのです」

「映画がお前を成長させてくれるかどうかは分からないが、本当に勉強熱心な奴だな」

「はい、もちろん学習できる事自体、嬉しく思います。ですがそれだけでなく、マスターが私に気を遣ってくださる事自体を嬉しく思うのです」


 コルネットはそう言って三度瞬きをした。アンドロイドに搭載された量子コンピューターのAIは個人的感情を抱くように作られているので、彼女がそのように考えても不思議ではない。だが、私的な感情を伝えられたのは、今回が初めてだった。




「……お前が個人的な意見を口にするのは、多分初めてだな」

「そうだと思います。前マスターの時も、ありませんでした」

「何かきっかけでもあったのか?」

「……マスターに教えて頂いたジョンの行動が、私に何かしらの影響を与えていると思われます」

「あの話のどこが引っかかった」

「ジョンが人工知能倫理法のジレンマに陥った事が、あの事件の方向性を大きく変えました。法が整備されれば今回のジレンマは無くなると思われますが、それでも、いずれ別の問題が生じると推測します」

「かもしれないな。それで?」

「その時に最上の選択をする為には、マスターが常々言われるような柔軟性が必要だと考えます。ただ、それだけではなく、私個人の意見を持つ事も必要だと判断しました。……申し訳ございません、本来は柔軟性だけで良いはずなのですが、個人の意見が必要だと判断した理由が、言語化できません」

「なるほどな。……いや、別にお前は間違っていないと思う」


 そう告げたところで、喫茶スペースの店員がコーヒーを運んできた。私はそれを口にしながら窓の外を眺めた。眼前の通りは中洲北西方面の玄関口で、煌びやかなネオンが、欲望の街に足を踏み入れる人々を照らしていた。

 私の心中に浮かび上がったのは、今回起こった事件の事だった。金田慶が欲望を捨てていれば金田ミーアはまっすぐに育ち、事件に発展する事はなかっただろう。だが、人間は簡単に欲望を捨て去る事はできない。そして、東郷組と庄司組、そしてファラピンマフィアによる、欲望に駆られた蟲毒の争いも終わらない。人類の歴史は欲望の歴史でもあるからだ。




「……コルネット。シンギュラリティという言葉は知っているな?」

 私は外を見たままで、話を再開した。

「意味自体は。人工知能が人間を超える技術特異点の事ですね」

「俺は、シンギュラリティの日が来るのは避けられないと思っている。……お前のように成長しようとするアンドロイドがいるのに対し、人間はいつまで経っても成長しない生き物だからだ」

「……はい」

「特にこの街を見ているとそう思う。欲望にまみれた人々と、それを食い物にするべく争い続ける、巻島のような無法者を見ているとな」


「しかし人間は、我々アンドロイドにはない柔軟性を持っています。それでもシンギュラリティに達するのでしょうか」

「ああ、時間の問題だ。現に今回の事件でお前は、その点で成長してみせた」

「マスター……」

「それが人間にとって良い事なのか悪い事なのか、何をもたらすのか、俺には分からないし興味もない。ただ、アンドロイドが世界の中心となる日は必ず来る」

「……はい」

「その時は、多分俺のような人間は用済みだな。太陽探偵事務所の所長はお前になっているかもしれない」

「拒否します。私はマスターの助手でいたいのです」

「それは、性能の都合上、そうあるべきという事か? それともお前の個人的な希望か?」

「個人的な希望です」


 その言葉を受けて、私はコルネットに向き直った。彼女の口元は僅かにへの字に折れ曲がっているようだった。不満の感情をはっきりと投げかけられたのも、これが初めてだった。今日は金田ミーアからも嫌われたようだし、そういう日なのかもしれない。依頼人が来ていたとしても、怒らせてしまった事だろう。私は彼女の不機嫌を押し流すかのように、煙草の煙を吐いてみせた。




「お前の期待に応えられるかは分からん。だが、俺は灰になるまでは探偵として生きるつもりだ」

「ありがとうございます、マスター」

 コルネットはそう言って、またいつもの横一文字の口に戻りコーヒーをすすった。私はその時、金田慶の納屋に突入する直前に『煙草の吸い方を教える』と約束したのを思い出した。飲食物は体内で肥料化されるが、ニコチンを与えるとどうなるのかは分からない。おそらく故障の原因になるだろうが、可能ならば大物にでも頼んで吸えるように改造してやりたいと思った。なぜなら、彼女は進化を求めているのだから。

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