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量子が求めた煙  作者: 加藤泰幸
最終日
19/20

最終日その1 エンジェル・アイズ

 十二月も下旬になると冷え込みが厳しくなり、気温が氷点下に達する日もあった。加えて気候も安定せず、ここ一週間、ニュース番組の天気コーナーでは、キャスターがお題目のように福岡では珍しいホワイトクリスマスイブの可能性を指摘していた。私としては客足が鈍る要因でしかなく勘弁願いたいものだったが、残念ながら二十四日のこの日は、朝からぼたん雪が降り続いた。危惧したとおり午前中は来客がなく、私はデスクチェアを暖める仕事にたっぷり三時間取り組んでから、コルネットに待機を命じ、コートを着ずに事務所を出た。


 外の風は冷たかったが、それから逃げるようにしてシナトラの扉を開けた。暖炉の傍で子供をあやすようなナット・キング・コールの歌声と、エアコンの暖房が私を出迎えてくれたが、カウンター内にいる東郷奈々の送ってきた鋭い視線は、全てを凍てつかせるようだった。それに耐えながら客席を一瞥すると、金田ミーアは最奥の席で、展示品であるドラムの影に隠れるように座っていた。私が近づくと、彼女はほっとした表情になって小さく手を振ってきた。



「ご無沙汰しています、黒田さん」

「そうだな。事件が終わってから初めて会う。念願のジャズ喫茶はどうだ?」

「ちょっと緊張しています。あ、先にコーヒー頂いちゃいました」

「構わないさ。奈々さん、俺もコーヒーを貰おう」


 私は東郷奈々にそう告げて、金田ミーアの対面に腰掛けた。同時に習慣で卓上の灰皿を一瞥してしまったが、それに気が付いた金田ミーアは、苦笑しながら私に灰皿を押し出してきた。つくづく気の利く少女だった。

 私は遠慮なく内ポケットから煙草を取り出し、肺にニコチンを送り込んだ。金田ミーアは何も喋らずに、私が吐き出す煙を眺めていた。あるいは、その奥にいる私を見つめていたのかもしれない。



「黒田さんは、胸のお怪我の加減はいかがですか?」

 先に話を始めたのは金田ミーアだった。お約束の切り出しだったが、現代では、そのお約束をしっかりとこなせる人間は珍しいものだった。

「大したことはない。君こそ、私生活といい取り調べといい、あれから大変だっただろう」

「大丈夫ですよ。轟木さんって刑事さんが、嫌な気持ちにならなくて済むように取り計らってくれています」

「なら良かった。轟木警部とは最近話をしていないんだが、事件の進捗については何か言っていたか?」

「……えっと……父は容疑を全面的に認めているそうです。教団の指示で毒物混入事件を起こした事も、私の殺害を依頼した事も」

 金田ミーアは視線を私の奥に向けたが、すぐに私に戻してから語り始めた。おそらく東郷奈々に話を聞かれても良いのか考えたのだろう。



「父は、と言うと、認めない者がいるわけだな」

「はい。教団は証拠になりそうなものを徹底的に除いていたらしく、教団関係者の逮捕は見通しが立っていないそうです」

「完全なしっぽ切りというわけか。あの教祖が考えそうな事だ」

「後から知ったんですが、毒物混入事件の被害者は、黒田さんの事務所の前所長さんだったんですね。……ちゃんと捕まるといいですね」

 私は何も言わずに煙を吐いた。そこで東郷奈々がコーヒーを運んできた。煙草を灰皿で潰して真剣な表情で受け取ると、何かを察したのか、東郷奈々は野暮な言葉を吐かず、カウンターの奥にある調理スペースに引っ込んで姿を消した。




「……ところで、ジョンの方はどうなんだ?」

「お陰様でメモリーは無事でした。調査に必要なデータもコピーが完了したそうで、今は私がメモリーを持っています」

 金田ミーアは静かに微笑んだ。今回の事件で数少ない朗報で、私も釣られて穏やかな笑みを浮かべたが、多分、私にはこの上なく似合わない笑みだろう。


「それは何よりだ。私が見た限りでは、本体の方はリカバリーが難しそうだな」

「ええ。損失しているパーツが多すぎて……でも、ボディを買い直せば大丈夫です」

「大物が返却したイエローハイライトアイはどうするんだ?」

「新しいボディに流用します。返して下さるなんて、優しい人でしたね。お礼とかしなくて良かったのでしょうか」

「気にする必要はない。彼がそうしたかっただだけの話だ。……さて、そろそろ本題といこうか」

「本題……ですか?」

 金田ミーアは微かに首を傾げた。私はすぐに言葉を繋がず、彼女の瞳を見つめた。初めて出会った時よりも更に深く、全てを吸い込んでしまいそうなそうな青が、そこにはあった。今回の事件も、彼女の瞳に吸い込まれてしまった事が発端だったといえるのかもしれない。




「今日、俺がここに呼び出された理由だ」

「……せっかくのクリスマスイブにお声掛けして、ご迷惑でしたか?」

「ランチタイムだ、問題ないよ。仮にディナーのお誘いだったとしても、もともと暇だしな」

「そうでしたか。……あの、お呼び立てした理由、なんですが……」

「いや、当ててみせよう。私の事務所からスタンガンを盗み出した事を謝りたい、といったところか?」


 その一言に、金田ミーアの目が大きく見開かれた。彼女は反射的に中腰になり、暫くの間、着席許可を待つかのように私を見下ろしていたが、やがて何も言わずに座り直し、俯いた。彼女の首は微かに縦に揺れたようだった。



「……ごめんなさい。目が覚めたらコートのポケットに無かったので、父が取ったんだと思っていました……いえ、思い込むようにしていました……」

「いや、いい。結果としては君が持ちだしたお陰で、金田慶に対抗できた」

「そう言って頂けると、少しは気休めになります」


「あれは、殺害未遂の件を金田慶に追及する時に、護身用として持とうとしたのか? それとも、金田慶を殺すつもりで持とうとしたのか?」

「殺す!? き、急に何を言い出すんですか!!」

 金田ミーアは甲高い声を上げて首を横に振った。明確な不快感と批難の感情が瞳に宿っていた。彼女から睨まれるのは初めてだったが、そう悪い気はしなかった。そうあるべき、とさえ思えた。




「妙な考えだろうか? 何らかの出来事を経て、父が自分を殺そうとしたのを確信した。その前に防衛で父を殺めようとした。それだけの事だろう?」

「……父がそのように考えていたのは、残念でなりません。でも、それを知ったのは事件後ですよ。それに、私は絶対に父を殺したいとは思いません。百歩譲って殺したいような人がいたとしても、実の父だけは……」

「実の父じゃない。金田慶は、君の養父なんだろう?」


 金田ミーアは、停止ボタンを押されたかのように全身の動きを止めた。私が二本目の煙草を取り出して火を点けると、それが再生の合図となったかのように、彼女は小さく肩を落とした。視線は卓上のコーヒーカップに向けられていたが、もっとずっと遠くを見ているような目つきだった。



「……いつ、気が付いたんですか?」

「血縁関係がない事は、最初から分かっていた。君の家で見た家族写真だ。母のみならず、隔世遺伝の元である祖父母も生粋のインド人……つまり、目は青くなかったからな」

「仮にそうだとしても、血縁がないのは母だけで、父は本物という可能性がありますよ?」

「ないな。金田慶はそれほど女に縁はない」

「……黒田さんは、よく見ていますね。早く言ってくれれば良かったのに」

 彼女はすっと顔を上げると、やさぐれたような表情で溜息を零した。これまで見てきた彼女の表情の中で、もっとも年相応と言えるものだった。



「君の殺意を知るまでは、聞くべき事ではなかった。依頼人の気分を害するだけだったからな」

「お気遣い、ありがとうございます。……生い立ちの事は、母が亡くなる前に聞かされたんですよ。私は元々捨て子で、物心つく前は大自然教の施設で育てられていたそうです」

「………」

「経営上、子供の数を減らしたかった教団は父に里親を打診し、教団に逆らえない父は許諾しました。母も父を嫌ってはいましたが子供は欲しかった為、引き取ったそうです。肌の色が同じなので、自分が引き取れば虐められずに済む、とも考えてくれたそうです。本当に優しい母でした……」

「教団出身か。その割には、君のアンドロイドに対する価値観は大自然教とは対照的だな」

「教団にいたのは本当に小さい頃でしたからね。私の性格を作ったのは母ですよ」

 金田ミーアはそう言った後で目を伏せた。唇は僅かに、だが強く噛みしめられていた。



「……でも、父の愛は歪んでいました。母が亡くなった後で、血縁がない事を父に確認したのですが、それから暫くして、あの人は私に言い寄るようになったんです」

「その先は喋りたくないなら、喋る必要はない」

「……いいんです。もちろん私は拒絶しました。幸いにも強引に迫られる事はありませんでしたが、その代わりに、家族とは名ばかりの冷淡な対応を取られるようになりました。同時に学校では肌の色で虐められるようにもなりました。虐めの件は、父が何か暗躍したんじゃないかと思っています。……そんなわけで、私達の親子関係はあんなに淡白だったんですよ」


 私は何も言わず、深く煙を吸った。その言葉で金田ミーアの性格にようやく合点がいった。頼れる家族はおらず、学校でも虐めを受ける状態で生き抜くには、ひたすらに周囲の目を気にして、機嫌を伺うしかないのだ。

 性格を作ったのは母親だと言ったが、そんなに心温まる話ではない。確かに母の愛情のお陰で彼女は折れずに済んだのかもしれないが、高校生離れした聞き分けの良さは、全てが処世術だったのだ。そして、そのような環境下ならばジョンを人間のように扱うのも納得できた。




「……君の生い立ちは分かった。金田慶は、君が毒物混入事件に気が付いたかもしれないと警戒していた。その事についてはどうなんだ?」

「事件への関与は気が付きませんでした。でも、父が私を警戒しているような印象は受けました。……この先は、ジョンのメモリーを確認して分かったのですが、父はジョンも使っていたんですよ。家庭内通信環境からのアクセス監視を命じていましたし、他にも、私が父を襲っても対処できるように可能な範囲での護衛を命じていたんです」

「所有者ではなくとも、父もマスター設定していれば可能な事だな」

「はい。……ですがそれは自爆となりました。アクセス監視に、自身の裏バイトアプリの使用履歴が掛かったんですよ。不審に思ったジョンは独自に調査して、私への殺害依頼を発見したんです」

「それは辻褄が合わなくないか? 本当に把握していたなら警察に通報するはずだ。そのような行為を見逃すのは、人工知能倫理法で定められている人間への危害に、間接的に抵触するだろう」

「確かに無視すれば抵触しますが、通報すれば父が逮捕されます。すなわち『護衛』に失敗し、同じく人工知能倫理法で定められている、所有者への絶対服従を破ってしまう事になります」

「思考のジレンマか……」


 私はふと、同様に人工知能倫理法のジレンマに陥ったアンドロイドの話をコルネットに聞いたのを思い出した。確かこれまでのケースでは、自分では判断を下せず人間に答えを委ねていたはずだ。おそらくジョンも同じ思考をしたのだろうが、第三者に語れば、やはり金田慶が逮捕される事になっただろう。ではジョンはどうしたのか。思考のトレースを試みると、辿り着いた答えは事件の謎に繋がっていた。




「……待てよ。そうなると、ジョンが自ら撃たれる事を望んだのは、このジレンマに起因するのか?」

「そのとおりです。……ジョンは自分が犠牲になる事で、人工知能倫理法を遵守し、私が殺されるのも防いでくれたんです……」

 金田ミーアの声は微かに震えていた。涙は静かに頬を伝っていたが、彼女はそれを拭おうとはしなかった。

 私もかける言葉が見つからず、沈黙から逃れるようにコーヒーカップを手にしたが、カップはもう冷たくなり始めていた。ちびちびと口に付けたが、飲み干すのにはたっぷり五分は掛かっただろうか。その後で、金田ミーアはようやく涙を止めて、小さく息を吐いた。




「……ジョンがいなくなって、私はようやく、父が何かしら関係しているのではと思うようになりました。疑惑を深めたのは、黒田さんに対する尾行です」

「尾行が?」

「はい。黒田さんが家に来た日、父は慌てて黒田さんを追うように家を出たんですよ」

「確かに、教団服を着て尾行したのも慌てていたからだったな」

「あの慌てよう……父が何かを恐れているのは明白でした。結局、父が関与している証拠は最後まで掴めませんでしたが、ジョンが酷い状態で見つかったという報告を聞いて、私は父に強い怒りを覚えました。父の仕業だとしか思えませんでした。今になって考えれば、父に対する負の感情が爆発したのかもしれません。的外れな暴走ではありませんでしたけれどね」



「それで、父に殺意を抱いたわけか。後の答え合わせは、私にも大方の想像は付く。君はジョン発見の報告を受けた晩に追及しようとはせず、まずは自分でも扱える武器……スタンガンを手に入れようと考えた。だが、スタンガンは青少年保護条例によって購入が禁じられているはずだ」

「そのとおりです。なので黒田さんの事務所で見たスタンガンを思い出し、あの朝はジョンの状況の確認だけではなく、スタンガンを盗む目的もあって、事務所に行ったんです」

「だが返り討ちに合い、納屋に連れ込まれた……か」

「……スタンガンを盗んだ事については、これから警察署に行くつもりです。でも、父に対する行動は殺人未遂になるのでしょうか……?」


 金田ミーアはすがるような表情になり、上目遣い気味に私を見つめて言った。初々しい正義感を持ちながらも自身の将来に不安を覚える、十八歳の少女らしい姿だった。これまで彼女が持っていた大人びた落ち着きはなかったが、そうあるべきだと私は強く感じた。




「スタンガンの件は俺から咎めるつもりはない。父への行動は自分で判断しろ。その判断は、君から受けた依頼には含まれない」

「なら、もう一度依頼します。相談に乗ってください、黒田さん!」

「俺は未熟な者に雇われる気はない」

 私は淡白にそう告げた。金田ミーアは微かに上体を引き、哀愁に満ちた表情で私を見つめたが、それ以上粘る事はなく、小さく頷いた後で立ち上がった。



「そう、ですか。……分かりました。少し考えてみますが……多分、自首はしません……」

「好きにするといい」

「これまで、本当にありがとうございました……」

「気にするな。正規の料金は貰っている」

 私の言葉に金田ミーアは返事をせず、ポケットから小銭を取り出して卓上に置くと、力ない足取りでシナトラのドアへと向かい、開けた。冷たい空気が私の所まで微かに届いた。外に出た彼女は、私に向かってもう一度頭を下げた。




「……黒田さん。一つだけ言ってなかった事があります」

 彼女の声は小さく、正確に聞き取れた自信はなかったが、私は彼女を見つめて言葉の続きを促した。

「今日は、真実を語るつもりじゃありませんでした。黒田さんをお呼びしたのは――」

 言葉尻は完全に聞き損じた。いつの間にか代わっていた歌い手、フランク・シナトラの『エンジェル・アイズ』が、完全にかき消したのだが、聞き返そうとは思わなかった。内容は想像できなかったが、聞き返してもロクな事にならない気がした。青い瞳の持ち主は、最後まで私を見つめながらドアを閉めた。

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