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量子が求めた煙  作者: 加藤泰幸
四日目
18/20

四日目その5 対決

 車を畑の傍へ投げ出すように停めて納屋へ駆け寄ると、金田慶のものと思われる軽トラックが、納屋の閉ざされた入口に不自然なほどに密着して停まっていた。私はその軽トラックの陰に屈みこんで、同じく腰を落としたコルネットを一瞥した。無表情な彼女の目は一度も瞬きをせず、痺れるような緊張感を醸し出していた。


「コルネット、お前はここに残れ」

「マスターが危険です。同行させてください」

「命令だ、残れ」

「心配です。お願いします」

「お前は日に日に言う事を聞かなくなっているな……」

 私は呆れ顔で溜息をついたが、コルネットはそんな私を威圧するかのように直視してきた。だが、危険な真似はパチンコ屋の一件で十分だった。



「何もサボれと言っているわけじゃない。俺が金田慶を取り逃したら、お前が後を追うんだ」

「……取り押さえなくて良いのですか?」

「接触は禁止する」

「……承知しました。ではマスター、せめて……」

 コルネットは微かに目を伏せたが、すぐ私を見つめ直してチャームを手渡してきた。

「……金田ミーア様がいましたら、これを返してあげて下さい」

「分かった」

「事件が終わったら、また色々とご教授頂けますでしょうか」

「考えておく。そうだな、煙草の吸い方でも教えてやるか」


 私はそう告げてチャームをポケットに入れると、中腰の忍び足で納屋を周回した。擦りガラスの窓は幾つかあったが全て閉ざされていて、そこからの侵入は不可能だった。

 裏手にはトラクターの駐車スペースがあっただけで裏口は見つからない。中に入るには正面から行くか、窓から入るかしかないが、擦りガラスの窓は建付けが悪そうで、無理に開ければ音が鳴りそうだった。どうやら最善手は、金田慶が納屋の奥にいる事を祈っての正面突入のようだった。

 私は正面に戻り、ゆっくりとドアを開けて中に忍び込んだ。昼間という事もあって暗くはなかったが、化け物の口の中に飛び込んだような嫌な気分がした。入ってすぐ、先日金田慶と会話したスペースがあるので、棚の影からそこを覗き込んだが誰もいなかった。



 その奥には別室へのドアがあったので、農具置き場にある長柄の鎌を手にして、中腰のままでドアへと進んだ。ドアは開きっぱなしになっていたので、入室の際に音が鳴る心配はなかった。まずはドアの影から奥を観察すると、次の部屋も物置のようで、段ボールや箱があちこちに乱雑に積まれている。その箱の一つに、金田ミーアが、もたれかかるように倒れていた。


 私は鎌を手放して金田ミーアに駆け寄り、床へ仰向けに寝かせた。呼吸は漏れていて頬も温かかったが、念の為にPコートをはだけさせて胸元に耳を当てると、セーターの下から確かな鼓動が伝わってきた。だが、同時にある違和感を覚えた。私は上体を起こして立ち上がろうとしたが、それは叶わなかった。私が手放した鎌が、背後から肩越しに伸びてきたのだ。



「勝手に入り込んで娘の服を脱がせるとは、許せん野郎だ」

 聞こえてきた金田慶の声は、嘲笑交じりだった。私は振り向かず、胸元を引っかけるように突き立てられている鎌の金具を見つめながら、肩を竦めた。


「娘を殺そうとした奴がよく言えたもんだな」

「何故、殺そうとしたと言える? お前はどこまで知っている。誰にどこまで話した? 答えろ、探偵」

「少し話をした方が良さそうだな。俺も聞きたい事があるんだ。胸の鎌を放してくれたら、落ち着いて喋れそうなんだが」

「これは俺の命綱だ。そういうわけにはいかんよ」


 金田慶はそう言って品のない笑い声を漏らし、逆に鎌を強く押し付けてきた。トレンチコートには穴が開き、胸元には鈍痛を感じたが、肌に刺さったかまでは分からなかった。私は奥歯を噛みしめながら、逆襲の機を探る事にした。




「……金田慶。お前は何故、娘を殺そうとした?」

「先に質問したのは俺だぜ? 順番ってものがあるだろう。知っている事を話せ」

「お前が、娘の殺害を桂清春に依頼した事は分かっている。動機までは知らないが、お前が大自然教の信者である事と関係はあるのか?」

「それもバレてたか。大方、自宅で教団服でも確認してきたな」


「ああ。……他には、数ヶ月前に発生した毒物混入殺人事件にお前が関わっていると見ている。こちらは推測だがな」

「なにっ!? どうしてそれを!」

「順番ってものがあるだろう。今度は俺の質問に答えて貰う番だ。その後で、毒物混入殺人事件の関与に気が付いた理由と、調査結果を誰にどこまで話したかを教えてやる」


 私は金田慶の尊大な喋り方を真似して煽ったが、金田慶が怒りに任せて鎌を突き立てない事は分かっていた。どこまで話が広がっているかを確認するまで、彼は私に手を掛けられないのだ。実際、鎌の切っ先は微かに胸を離れたようだったが、未だに彼の指先一つで大怪我を負う状況に変わりはなかった。




「いいだろう。時系列で話してやる。なにせ、全ては俺が大自然教の信者である事に起因するからな。……ああ、勘違いするなよ。俺はアンドロイドの排除なんかどうでもいいんだ」

 金田慶は苛立ちを感じさせる声でそう言った。

「依頼文からすると、そうは思えないんだがな」

「あの文面は上からの命令だよ。俺は元々、大自然教の自由恋愛……ありていに言えば、どんな相手だろうと好きにヤれるって価値観に共感して、未婚時代に入信したのよ」

「下衆だな」

「なんとでも言え。思想が違うというだけでドブネズミのように見られるのは、宗教の常だ」


「結婚後に脱会はしなかったのか?」

「イラつく質問をするな。前にも納屋で答えただろう。妻は俺を毛嫌いしやがるから、むしろ結婚後の方が教団には傾向したんだぜ。庵様は自由恋愛よりもアンドロイドの排除に力を入れていたが、自由恋愛だって間違いなく大自然教の教えだ。その価値観が一般的になれば、庵様の提唱する自由恋愛の世が近づくからな」


「庵様……か。毒物混入殺人事件は奴から命じられたんじゃないのか? 奴ならば、アンドロイドテロを偽装してもおかしくはない」

「……何故、そこまで分かっている」

 金田慶の言葉に力が篭り、鎌の長柄が肩に強く押し付けられた。私の命はまだ保証されているとはいえ、この先は発言に気を付ける必要がありそうだった。



「わけあって、毒物混入殺人事件は今回の依頼が来るよりも前から注目していたんだ」

「何故!?」

「何故何故うるさいな。最後に話すと言っているだろう。で、テロは庵の命令なのか?」

「クソっ! ああ、そうだ! あの事件は庵様からの命令を受け、俺が起こしたんだ。飲食店に忍び込んで、飲料物に除草剤を混ぜたんだよ。無味無臭のものは減ったから調達には苦労したぜ」

「だが、捕まったのはカルロスという男だ。お前が指導しているファラピン人と同じ名前だな」

「どこで同じ名前だと知った?」

「お前が今持っている鎌だ。カルロスの名が書かれている」

「目ざとい奴だ……」

「混入先には、カルロスが野菜を納品している店を選び、バレても身代わりになるように仕向けた、といったところか」

「お察しのとおりだ、名探偵。カルロスの畑の納屋に残りの除草剤を仕込んで、容疑者に仕立て上げたのよ。元々、生意気な奴だったからな。罪悪感はない」

「よくもまあ、そんなイカれた命令を請け負ったものだな」

「庵様の提唱する世の中の為だ。そんな世界なら俺は苦しまずに済んだんだ。お前にその気持ちが分かるか! 分かるわけないよな……!」

 金田慶は悲痛な声を漏らし、彼の持つ鎌が震え始めた。また切っ先が胸板を刺激するようになり、私は頬を引きつらせながらも口を開いた。



「違う、お前は逃げているだけだ」

「逃げている!? どこが!」

「愛されたいのなら、愛されるように努力するしかない。妻を深く想っていれば、妻の求める幸せに何が必要なのか分かったはずだ。それを満たす為の努力が、お前には足りなかった。お前は結局、性欲だけの男だ」

「足りないのは顔だろ!? 生まれながらに愛される素質が無かったんだぞ、俺は!」

「本当にそう思っているのなら、おめでたい奴だ」

「黒田ぁ……!!」


 金田慶の鎌が、また私の胸元にめり込んだ。今度は体に刺さっていると自覚できる、顔が引きつりそうな痛みだった。私はそれに耐えながら、金田慶が捻り出した苦渋の声を材料に距離を測った。振り向きざまに一撃喰らわせる事はできそうだったが、それで相手を行動不能にできなければ、同時に彼の鎌に打ちのめされ、そのまま滅多刺しにされそうだった。




「そう熱くなるな。質問はまだ終わっていない。金田ミーアの命を狙ったのは、彼女に事件の現場を目撃されたといったところか」

「……ぐうっ! クソ、クソ、クソっ! ああ、そうだ! 正確には、気づかれたもしれない、だがな!!」

「ほう?」

「除草剤をトラックに積み込んで飲食店に行った日、畑とは反対方向から帰ってきたのをあいつに見られたんだ。理由を軽く尋ねられたんで、天神の方に用事があったと言ってごまかしたが……あの日から、ミーアは俺の行動を妙に気にするようになった」

「それで、裏バイトアプリで殺害を依頼したが大失敗したわけか」

「ああ。使えねえ奴だったぜ。金の払い損だ」


「お前と初めて会った日に、大自然教の服に着替えて、俺達を尾行していたのもお前か?」

「そうだ。同じ格好じゃあバレちまうからな。慌てて後を追う事になったんで、とりあえず目に入った教団着を着て尾行した。おい、これでもう十分だろう?」

「最後だ。最後にもう一つだけ聞かせてくれ」

 私は、金田ミーアのPコートの中で隠れた手を強く握りしめ、そう言った。



「なんだよ、言え」

「結局、金田ミーアはどこまで知っていたんだ?」

「さあな。だが、俺がミーアの暗殺未遂に関わっている事は確信していたようだった。今朝の話だが、早くから出かけたと思ったら、帰ってくるなり俺を問いただしやがったんだ」

「それでミーアを気絶させ、改めて殺そうとしたわけか」

「ああ。後始末は庵様に頼むつもりだったが、自宅に教団関係者を呼べば、嫌でも目立つ。となると隠し場所はここしかなかった。で、気絶させたミーアを納屋に連れ込んだところで、お前がやってきたのさ」

「つくづく反吐が出る男だ」

 私は苦笑交じりでそう言ったつもりだったが、ちゃんと笑えている自信はなかった。胸の痛みが酷くなり、意識が薄らいできたのだ。だが、このまま倒れるわけにはいかない。私はまだ金田慶の質問に答えていない。毒物混入殺人事件を調べていた理由だけは、金田慶に突き付けてやらなければ気が済まなかった。




「これでお前のターンは終了だな、探偵!?」

「ああ。今度は俺が答える番だったな。……毒物混入殺人事件。あれを調べていた理由は――」


 私はその言葉と同時に振り返ろうとした。相打ちになろうと金田慶に一発お見舞いしてやるつもりだったが、そうはならなかった。私の続く言葉を遮るように足音が聞こえ、ドアから人影が飛び込んできたのだ。鎌はむしろ、その乱入者を警戒するように私の胸から離れていった。




「金田慶、武器を放せ!」

 乱入者、草波は、我々の方に拳銃を向けていた。威嚇射撃も無しに撃つ事はないはずだが、草波ならそのような真似をしてもおかしくはなさそうだった。彼の気迫が伝わったのか、背後の轟木がたじろぐ気配があったが、すぐに鎌が再び胸元に当てられた。私を人質にして脱出するつもりなのだろうが、そのような醜態を晒す前に私は振り返った。

 同時に鎌が突き刺さり、焼けるような痛みが走ったが、それに耐えて手にしていたスタンガンを突き出した。電撃は金田慶の太ももを入口にして瞬く間に全身を駆け巡り、彼は猫の悲鳴のような声を張りあげて、足を滑らせるようにして倒れた。離れた彼にもう一発スタンガンをお見舞いしようとしたが、陸に上がった魚のように身体を震わせる姿を見る限り、それは必要なさそうだった。




「だ、大丈夫か、黒田!」

「なんともない。それより、いいタイミングだった。普通に振り返ったら俺も危なかった」


 私は胸元を抑えて荒い呼吸を整えながら言った。コートには血がにじんでいたが、体感では重症ではなかった。草波に遅れてコルネットも中に入ってきたので、彼女に気遣われる前に「金田ミーアを頼む」と告げると、コルネットは少しだけ静止して私を見つめながらも、結局は腰を下ろして金田ミーアの介抱を始めてくれた。



「……このアンドロイドが、収音マイクで中の声を拾ってくれていてな。それで、突入するタイミングを計っていたんだ」

「マイク? そんなもの、どこに……」

 私はそう呟いたところで、ふとコルネットから渡されていた物があった事を思い出した。ポケットからチャームを取り出すと、事務所の小型収音マイクが入っていた。

「……コルネット」

「申し訳ございません、おそらくマスターは私に危険が及ぶ行為を禁じるかと思い、今後に備えて昨晩から持ち歩いておりました」

「何故、直接マイクを渡さなかった?」

「受け取って頂けないと判断しました。……柔軟な対応です」

 コルネットは介抱を続けながら、首だけを私の方に向けて笑おうとした。口元が微かに震えている無理に作った苦笑ではあったが、彼女の口が感情を見せたのは初めての事で、むしろ私の方が面食らって真顔にさせられてしまった。



「……なるほど、優秀なのは草波刑事ではなく、俺の相棒の方だったか」

「ふん、あのまま突入しない方が良かったかもしれんな。しかし、収音マイクだけでなく、お前もスタンガンを持っているとは用意周到だったな」

「……これか。これは……いや、それよりも金田慶には、まだ用があるんだ」

 そう言って金田慶を再び見下ろしたが、彼はまだ床で震えていた。その姿に一切の同情心は湧き起らず、頬の一、二発でも張り飛ばしてやりたい気分だったが、それをやると隣の刑事を大喜びさせてしまう。私は仕方なく、彼の傍に唾を吐き捨てて口を開いた。




「……金田慶。あの事件で、偶然お前に殺された男……彼の名は、伊達太陽だ」

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