四日目その3 発砲
大物からのショートメッセージとホログラフィー写真は、事務所に戻って車に乗り込む直前に届いた。写真はオフィス内での記念撮影のようで、並んだ社員達の中、一人だけ頭上で赤丸が点滅している。短い髪をした端正な顔立ちの男で、右目の下にはなきぼくろがあった。四十歳前後という話だったが、どこか童顔気味の顔のせいで三十歳かそこらに感じられる。
私はその特徴を頭に叩き込んでから、コルネットに桂の住所までのナビを命じた。ビュートは順調に国道三号線を走り、その道中でコルネットから「金田ミーアは無事タクシーに乗り込んだと言っていた」との報告を受けた。
桂のアパートへは十五分ほどで着いた。私の事務所の空き巣通報は後回しだ。昨晩のように警察に時間を食われる前に、少なくともこのアパートだけは調べておきたかった。路肩に駐車した車を無言で降りると、コルネットも命令を待たずに付いてきた。
私は彼女に向かって頷き、それからアパートをゆっくりと周回した。このアパートの402号室が桂の部屋だったが、アパート内部の廊下はフェンスで覆われていて強行突入はできそうになかった。次に集合玄関に入ると、案の定、オートロックのドアが私の侵入を阻んでいた。ドアの横にはポストが並んでいて、402号室には郵便物がはみ出す程に溜まっている。桂が最近アパートに帰っていない可能性も考えたが、現時点でそう決めるのは早計だった。
私はコートのポケットから煙草を取り出して火を点け、ドアを見つめながら考え込んだ。管理人に連絡を取り、言いくるめて中に入る手もあるだろうが、必ず入れるとは限らないし時間もかかってしまう。今はこのアパートに固執しない方が良いかもしれなかった。
「……先に、他の場所を調べた方が良いかもしれないな」
私は独り言のつもりで呟いたが、ポストを観察していたコルネットが傍に寄って来て首を縦に振った。
「承知しました。どちらに向かいますか?」
「桂の今の仕事が分かれば、その職場を当たるところだが、サンゴの話によると桂は無職だったな」
「無職であれば、何らかのギャンブル場、もしくは職業安定所にいる可能性が考えられます」
「ギャンブル場か。もう少し絞り込みたいところだが」
「可能です、マスター。現地で得た情報を柔軟に反映させます」
思わぬ言葉がコルネットの口から飛び出し、私は思わず咥えていた煙草を落としかけてしまった。それを携帯灰皿ですり潰しながらコルネットを見つめると、コルネットは一枚のハガキを私に差し出した。
「……これは?」
「403号室の郵便物の一つです。パチンコ屋、ラッキービクトリー香椎店のダイレクトメールです」
「そういえばサンゴは、桂はパチンコ好きだとも言っていたな……」
「昨日見た水戸黄門で、家族を顧みず賭博場に入り浸りの男が出ていましたが、その際に、賭け事に溺れた人間は験を担ぐものだと知りました。検索したところ、マイホール、という言葉もあるようです。ダイレクトメールを登録する程に入れ込んでいる店ならば、ここにいる可能性もあるのではないでしょうか」
「……やるじゃないか、コルネット」
私は口の端を緩めてハガキを受け取った。記載された住所は、ここから車で五分と走らずに着く場所だった。それならば、いよいよマイホールの可能性がある。私は強く頷き、コルネットにハガキを戻して集合玄関を出た。携帯端末が鳴ったのは、その時だった。取り出すと、モニターに轟木勝也の名が表示されていた。
「はい、黒田です」
「黒田君かい。席を外していて済まないね。なにやら聞き逃せない伝言があったようだが」
「ナイスタイミングだ、トドさん」
私は車に向かいながら通話を継続した。背後からは、コルネットがしっかりと付いて来ていた。
「犯人がベストエレキ社の者じゃないとすると、何かい。警察を疑っているわけかい?」
「そうじゃない。一年前に警棒を私物化して、ベストエレキ社を解雇された男がいる。資材管理部の桂清春という男だ。私物化した物は返却したそうだが、まだ隠し持っていた可能性がある」
「あー、桂の事か。そりゃあ可能性はね。しかし、それだけでは……」
「桂は庄司組に武器を横流ししていた事も判明している。一昨日の晩に庄司組の奴らに絡まれたんだが、その時にメーカーの刻印がない警棒を落としていった。ある情報屋の話では、桂が幹部に武器を流していたらしい」
「なんだって、そりゃあ本当か! しかし何故そんな事を……」
「桂は、庄司組の幹部の愛人で同性愛者らしい。気を惹く為だろうな。信用できる情報屋からの話だが、トドさんにも察しがつくんじゃないのかい?」
「君が信用する情報提供者とすると……ああ。分かった。蛇の道は蛇ってやつだな」
轟木は呆れたようにそう言うと、少しだけ黙り込んだ。私はその間に車に乗り込み、コルネットも乗車したのを確認したところでキーを差し込んだ。
「……どうやら、太陽探偵事務所は、伊達太陽がこの世を去ってもやっていけそうだな」
「やめてくれ。俺は伊達さんみたいな敏腕じゃない」
「謙遜するんじゃないよ。頼りにしてるんだから」
「俺は、燃え尽きるまでやれる事をやるだけだ」
ふと、伊達太陽の子供っぽい笑顔が脳裏をよぎった。私とは違って明るく社交的で見る者を惹きつける男だったが、仕事となると獣のような目と嗅覚、そして忍耐力を振るっていた。年齢は私よりも一回り上だったが、実の兄のように慕っていた。彼のような探偵になれると思えないのは本心だったが、それでも轟木の評価は素直に嬉しかった。
同時に、彼はもうこの世にいないという悲しみが心中に沸き上がったが、私はそれを押し殺してハンドルを強く握った。彼の為にやれる事は残っているが、それよりも今は目の前の事件だった。
「……で、どうだい? 警察は動かせそうか?」
「上を言いくるめるのには時間がかかるだろう。もう頭の中はベストエレキ社モードだからな。だから取り急ぎ、俺と草波だけで動く。今の仕事をぶん投げてな」
「ありがとう。それでも十分だ」
「で、黒田君は今、どこにいるんだい?」
「香椎にある桂のアパートだ。中に入れなかったので、桂の行きつけと思われるパチンコ屋、ラッキービクトリー香椎店に今から行く」
「分かった。すぐ行くから合流を……」
「先に行く。急いでくれ」
私は轟木の言葉を遮って電話を切った。轟木の同伴があれば、令状なしでも管理人を言いくるめて桂の部屋を調べられる可能性が高い。ならば、その前にラッキービクトリーを潰しておきたかった。後で轟木から「危険だ」と不興を買うのは目に見えていたが、私からすれば、拳銃を所持した男をみすみす取り逃す方が危険だった。
早速ビュートを飛ばし、信号に一度も掛からずに辿り着いたラッキービクトリーの香椎店は、屋外駐車場しかない中規模のパチンコ屋だった。駐車場は殆どが埋まっていて、店舗の脇には焼き鳥とメロンパンの販売車がそれぞれ留まっている。
ギャンブルに対する規制は年々厳しくなっているが、その割に客足は増加傾向の印象がある。多分、今はギャンブル中毒者の時代なのだろう。そもそもギャンブルへの規制も、ギャンブルにのめりこむ者が絶えない、という前提があった為に発生したものなのだ。私は駐車場をほぼ一周して、ちょうど車が出ていったばかりのスペースにビュートを止めた。
「コルネット。桂と思わしき人物を見かけたら、まず俺に教えろ」
「承知しました」
コルネットがいつもの無表情で頷くのを確認してから、私はビュートを降りた。最寄りの入口はスモークガラスの自動ドアになっていた。そこへ向かい、あと五メートル程の距離になったところでドアが開き、中から男が出てきた。
厚そうなコートを着た、右目の下になきぼくろがある男だった。そのなきぼくろを確認するかのように見たのがマズかったのだろう、私の視線に気が付いた男は一呼吸分だけ身動きを止めたが、みるみるうちに目を見開き、一歩退いた。
「け、警察か! 俺を探しに来たんだな!」
「知らん。なんの事だ」
品格屋の店長が言っていたとおり、桂は女性のように甲高い声で叫んだ。できればトボけて切り抜けたいところだったが、彼がそうさせてくれなかった。更に二歩後退して、コートから拳銃らしきものを取り出したのだ。
私は反射的に腰を落としていつでも飛び掛かれる態勢をとった。コルネットの気配は真後ろに感じたが、振り向くような余裕はなかった。私の視線の先にある桂の銃口は微かに震えている。彼の得物は3Dプリンターで作った拳銃のようだった。
「ほ、ほら、逃げない! やっぱり警察だろう!」
「分かった、認めよう。お前を探していたのは事実だ。だが本当に警察じゃない」
「じゃあ、誰なんだよ!」
「探偵だ。まず話を聞いてくれ」
「嘘だ、警察に決まってる!!」
私は努めて落ち着いた声を出したが、対照的に桂の声は更に大きくなっていった。彼の背後では、騒ぎに気が付いた他の客や従業員が近づく気配があった。悲鳴は聞こえてこないので、拳銃は見えていないのだろうが、大騒動になるのは時間の問題だ。そうなれば新たな犠牲者が出るかもしれない。
私は意を決して足を前に踏み出そうとしたが、その前に後方で何かが動く気配を感じた。思いつくのは一人だった。
「危険です。銃を下げて下さい」
「お前も警察か!」
銃口が、私の横に歩み出たコルネットに向けられた。同時に、私はそれこそ弾き出されたような勢いで身を屈めて桂に詰め寄った。
銃口が再び私に向く間に、桂の手首を掴んで引き寄せ、傍にあった精算機に叩き付けた。「ぐうっ」と鈍い声が聞こえたが、それを掻き消すように轟音が鳴り響いた。だが、私の体はどこも痛んでいない。遠慮なく続けてもう一度叩き付けると、右手から拳銃が零れ落ちた。
「これを頼む!!」
私は叫び声をあげながら拳銃を後方に蹴り飛ばしたが、店員や客の叫び声がうるさく、私の指示がコルネットに届いたかどうかは分からなかった。拳銃の行き先を確認する間もなく、桂の左拳が顔面に向かって飛んできたのだ。とっさに上体を捻ると、私の頬を捉えられなかった桂は前へつんのめったが、私の視界は激しく揺れた。おそらく拳の先が顎を掠めたのだろう。
私は両手を広げて、覆い被さるように桂を押し倒した。腹の下で激しくもがかれたが、二度、脇腹に膝を突きさすと、嗚咽と共に彼の抵抗は弱まった。
「お、お客様!」
「近づくな!!」
背後から店員と思わしき男の狼狽した声が聞こえたが、一喝を返しつつ、再度脇腹を蹴り上げた。それで桂の動きは殆ど沈静化した。私は彼を押し倒したままで腕を絡め取り、関節を締め上げながら顔を上げた。まだ揺れる視界には、拳銃を手にしたコルネットが映っているようだった。
「拳銃は!?」
「私が抑えました」
「お前は無事だな。怪我人は出たか!?」
「大丈夫です」
「よし、そのまま持っていろ!」
そう会話した……というよりは、怒鳴って確認したところで、どこか遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきた。またどこかで事件が起こっているのだろう。いつまで経っても物騒な県なのだ。私はそんな事を考えたが、その直後、おそらくは轟木のパトカーがここに向かっているのだと気が付いた。当事者の視線とは、そんなものなのかもしれない。