三日目その4 警察署にて
香椎の管轄である東警察署での事情聴取が終わったのは、午後八時を回った頃だった。話を聞かれたのは三十分程度で、解放が夜になってしまったのは待ちの時間が長かった為だった。担当の警官からは、現場に居合わせた理由と状況説明を求められたのだが、あの時、香椎で倉庫を借りたくなっていたような気がしたので、私はそれを理由として答えた。正直に話せば、日付が変わっても解放してもらえなかったかもしれない。
取調室を出ると、廊下の長椅子傍にコルネットが立っていたが、私の視線は彼女よりも、長椅子に腰掛けていた二人の刑事に向いた。博多署の轟木と草波だった。轟木は「後で話をしようや」と低い声で告げ、草波は何も言わずに私を睨んで、入れ違いに取調室へと入った。
「マスター、お疲れ様です」
その後で、コルネットが私の前に歩みでて小さく頭を下げた。
「疲れるのは、むしろこれからかもな」
「何故でしょうか?」
「すぐに分かる。轟木警部達には何か聞かれたか?」
「ここにいる理由を尋ねられましたが、マスターの許可が無ければ回答できないと返答しました」
「それでいい」
「金田ミーア様への連絡はいかがしましょう」
「もう少し待つ。事件への関与について、轟木警部と擦り合わせる必要がある。一服してくるから、その間に警部達が出てきたら、すぐ戻ると伝えてくれ」
私はコルネットの肩を叩き、警察署の外へと向かった。ジョンを発見した以上、私の仕事は今日で終わる。ジョンがリカバリーできるのか、犯人は誰なのか、尾行していたのは誰なのか、幾つかの問題を残しはするものの、依頼としてはここまでだった。中洲に帰ってきた初日から収入に繋がる結果となったし、コルネットにもそこそこの経験を積ませる事ができた。私個人からすれば、良い仕事だったと言えるだろう。
外に出た。風が吹いておらず、乾燥した空気の中で星空が強く輝いている。早速煙草に火を灯して肺に煙を取り入れると、頭の中は冬の空気のようにクリアになり、星の代わりに金田ミーアの顔が浮かび上がった。
私は煙草を咥えたままで空を見上げ続けた。煙草の灰が落ちてもそうしていた。ふと、伊達太陽の訃報を聞いた夜を思い出した。強い虚無感に苛まれ、探偵として終わったと思ったのに、それから一ヶ月後には北九州で仕事をしていた。そして今、こうして生きている。
私は煙草の残りを携帯灰皿に押し潰して中に戻った。取調室前には轟木と草波刑事、それから私の助手の姿があった。
「黒田君、今回はお手柄だったようだねえ」
早速、恐ろしい笑顔を浮かべて近づいてきたのは轟木だった。「余計な事は喋るな」と言いたいのだろう。
「大した事ではない。それよりも、轟木警部達は何故ここに?」
「それがだね、君が見つけたアンドロイド、博多署に遺失届が出されてたんだよ。もちろん、ただのアンドロイドなら出張るのは我々でなく会計課だが、君も知ってのとおり、アンドロイドには弾丸が撃ち込まれていた。おそらくこの件は、東署と博多署の合同調査になるだろう」
「そういうわけで、貴様には我々に対して、事情を明確に説明する必要がある。何故事件現場に出くわした?」
轟木の次は草波が、人を嘘つきだと決めつけるような目つきで声を掛けてきた。実に勘の鋭い男だった。
「実は、あのアンドロイドのマスターから、捜索依頼を受けている」
「それで捜索、発見したってわけか。東署の調書担当者はそんな事言ってなかったぞ。倉庫を借りたかったと話したそうじゃないか」
「本当に倉庫を借りるつもりだったんだ。見つけたのは偶然だ」
「舐めてるのか、貴様!」
草波は怒鳴り声をあげると、近くにあった観葉植物の鉢植えを蹴飛ばし、私を殴り飛ばさんばかりの勢いで突っかかってきた。轟木とコルネットが反射的に間に入ろうとしたが、距離が近い轟木が身体を差し込むのが早かった。
「まあまあ、草波君、落ち着きなさい」
「しかし警部!」
「こうなったからには、彼にも協力して貰った方が調査はスムーズになる。協力者に暴力はいかんよ」
「こいつは素直に協力するような奴ではありません。それに、暴力は協力者でなかろうと厳禁です」
「厳禁か。それが分かっているのなら落ち着きなさい」
「それは……」
草波は言葉に詰まりながらも、恨みがましく私を睨みつけていたが、やがて小さく肩を落として一歩下がった。それでも狼のような目つきは変わらなかった。
「で、黒田君、知っている事を教えて貰ってもいいかい? 内容は、私達から東署の連中に伝えておこう。どうせ拘束されたくなくてトボけたんだろう」
「トドさんはお見通しか。分かった」
私は小さく肩を竦めて頷いた。呆れたフリこそしたが、気持ちは研ぎ澄ませていた。この先は、知らなかったごっこではないのだ。
「あのアンドロイドはBE-401HRで、名はジョンだ。マスターは大濠に住んでいる女子高生の金田ミーア。先々週の土曜に冷泉公園付近で突然ジョンが走り出し、そのまま失踪したらしい」
「女子高生がマスターかい。珍しいね」
「彼女のプロフィールはそっちで調べた方が正確だろうから頼む。その後、ジョンを得たと思われる人物は、競艇場近くの品格屋というパーツショップにパーツを売却している。その際に、中洲のキャバクラ嬢の名刺を落としていて、彼女の証言から香椎の貸倉庫に当たりを付けた」
「それでジョンを見つけたってわけか……」
「金田ミーアへの事情聴取は、できればトドさんが担当してやってくれ」
「女性警官に任せないでいいのかい?」
「ああ、トドさんがいい」
私は彼の眠そうな目を見つめながら言った。彼ならば、金田ミーアのアルバイトを上手く取り計らってくれるだろうし、余計な詮索をする事もないだろう。間違っても草波には勤まらない仕事だった。
「留意しておこう。だが、明日は私も忙しくなりそうだから、確約はできんなあ」
轟木はそう言うとぽりぽりと頭を掻いた。半歩後ろにいる草波も眉を顰めていて、何か言いたげな様子だった。
「どうやら、トドさんからも事情を聞いた方が良さそうだな」
「分かった、教えよう。だが内密にな。まず、ジョンはメモリーが抜かれていたんで、弾丸を撃ち込んだ者の直接的な情報は手に入らなかったんだよね」
「普通はそうするだろうな。貸倉庫に登録されていた利用者情報はどうだった? 長い事待たされたんだから、もう調べたんだろう?」
「駄目だ。全部でたらめだった」
「やっぱりか」
「だが、弾丸の方からは有力な情報が見つかった。これは本当にオフレコでお願いしたいんだがね」
「警部!」
草波が珍しく焦った声を張り上げた。だが、轟木はそれと釣り合いを取るかのように小さな声で囁いた。
「黒田君が見たのは弾丸のリム部分だけだから分からなかっただろうが、あれはゴム弾だった。それも、警察に配備された警備用アンドロイドの拳銃に使われるゴム弾だ」
「……その弾丸は市販されているのか?」
「していない。警察でしか使わないからね。……だが、警察以外で、あのゴム弾を入手できる団体が一つある」
「ベストエレキ社か」
「そう。あの弾丸は、警備用アンドロイドと一緒にベストエレキ社が作成、納品している」
「つまりは、ベストエレキ社を洗うので忙しくなるというわけか」
「……ご明察」
轟木はそう言うと、首を横に振って肩を竦めた。彼の本意ではないのだろう。それでも、私としては説明の粗を指摘しなくてはならなかった。
「しかし何故ベストエレキ社がそんな事をする」
「ベストエレキ社には動機がなくもないのだ」
私の問いに、また草波が前に出て答えた。彼の目にはもう怒りは篭っていなかった。彼にしては気持ちの悪い落ち着きようだった。消沈と言えるかもしれない。
「動機はなんだ。言ってみろ」
「昔、ちょっとした騒動になっただろう。ベストエレキ社は警備用アンドロイドの必要性を証明する為、マッチポンプで犯罪を起こそうとしていると」
「福岡県警はそんな情報を元に動くのか」
「他に関係者、関係団体の情報はないのだ。明日はまだ事情聴取で済むだろうが、近々捜査本部が立ち上がり、本格的に洗い出す事になるだろう」
「いや、大きな関係団体を見落としている」
「そんなものはない」
「警察だ」
「違う!」
草波がまた怒鳴った。だが、今度の怒声は私を非難するようなものではなかった。
「違うものか。むしろ本命と言って差し支えないだろう。警察から弾丸が流出して、なんらかのルートで容疑者の手に渡ったと考える方が自然だ。むしろ、容疑者は県警にいる可能性もある」
「そのような事は断じてない。博多署と東署、共に見解は一致している」
「もう捜査本部の話が上がっているのも、県警には責任がないとアピールする為だろう。こういう時だけは動きがいいようだが、でっち上げだけはしない方がいいぞ」
「貴様……」
草波は歯をむき出しにして唸るような声を漏らしたが、先程のように私に突っかかってくる事はなかった。犬は犬で、悩み事があるのだろう。
「ま、ま、ま。そんなわけで、とにかく明日は忙しくなるんだよ。ミーアちゃん、だっけか? その子に事情を聞きに行くのも遅い時間になりそうだ」
轟木が、私と草波を別けるかのように両手を突き出してきた。私としても、これ以上草波を挑発するつもりはなかった。
「遅くなるなら、事前に私から状況を説明しても構わないだろうか」
「構わないよ。むしろそうしてくれると助かる」
「分かった。ではこれで失礼する。何かあったらいつでも連絡をくれ」
私はそう言って轟木に会釈し、草波にも最低限の目礼を送ってから踵を返した。すぐにコルネットが傍まで来たので、私は足を止めずに彼女に声を掛けた。
「コルネット、金田ミーアに電話を入れておいてくれ」
「どのような内容に致しますか?」
「ジョンは見つかったが、銃弾が撃ち込まれていて凶悪事件の可能性がある。明日の朝、事情を説明しにいくので家から出ないように。こう頼む」
「承知しました」
「明日の調査は少々荒れるかもしれん。お前にも頑張ってもらうぞ」
「ジョンを見つけたので、仕事は本日付で終了ではないのですか?」
「仕事はな」
私はそう言って、大股で東署の廊下を歩いた。コルネットはそれ以上の意図を聞こうとはしなかったが、それでも私の歩調について来てくれた。