三日目その3 発見
「はい、太陽探偵事務所です」
「あー、おたくが黒田さん?」
電話に出た私の耳に届いたのは、どこか馴れ馴れしい、聞いた事がない男性の声だった。それだけで通常の依頼相談ではないと直感できた。
「そうだが、そちらは?」
「海蒼というキャバクラの店長だ。そう言えば伝わると巻島さんに言われたんだが……」
「やっとか。連絡を待っていたんだ」
「これでも急いだんだぜ。遅れると巻島さんに何されるか分かったもんじゃないしな。庄司組から東郷組の傘下に移った時も……」
「関係ない話はいい。本題のサンゴの話をしてくれ」
私は事務所方面へ歩きつつ通話を続けた。視界の先に、那珂川の汚れた水面が映った。ふと、福岡のプロ野球チームが久々に優勝した時に、この川に多くのファンが飛び込んだという、正気の沙汰ではない昔話を思い出した。それこそ事件とは関係のない、一瞬の思考だった。
「分かった、分かった。俺も知らない話だったんで、たった今、サンゴに事情を聞いたんだよ」
「という事は、そこにサンゴがいるのか」
「ああ。俺から話すより、サンゴから話した方がいいよな?」
「そうしてくれ」
「分かった。おいサンゴ。代われってよ」
男の声は尻切れトンボになった。おそらく携帯端末をサンゴに渡しながら喋ったのだろう。それからすぐに、通話相手が代わった気配がした。
「サンゴ、代わりました~」
「探偵の黒田という者だ。聞きたい事があって連絡させて貰った」
「いいけど、手短にお願いね。これからパパとデートあんだから~」
サンゴの声はまどろっこしく、聞き取るのには少々の集中を要するものだった。もっとも、中洲においては平均的な女性なので対応方法は心得ている。
「悪いが、ハッキリと確認させてもらう。手違いは許されない状況なんだ」
「ええ、面倒~……」
「先週の日曜に、競艇場近くの雑居ビルでお前の名刺を落とした者がいる。その者は違法に入手したアンドロイドのパーツを売却した可能性が高い。それは、お前じゃないな?」
「違うよ、そんな場所行った事ないし~」
「なら、思い当たりはあるか?」
「お客さん沢山いるから、急にそんな事言われても~」
「真面目に話を聞け。お前の容疑は何も晴れていない。パパから小遣いを貰う事で頭がいっぱいなんだろうが、下手を打ったら仕事も失うぞ」
「何アンタ。ちょっと失礼じゃない」
「お前の為を思って言ってるんだ。状況によってはやくざが出てくる可能性もある」
「やくざって、何もしてないのに……」
サンゴの声にはハッキリと嫌悪感が篭ったが、その代わりに先程よりも格段に聞き取りやすくなった。私が何も言わずに待つと、やがて大きな溜息が聞こえてきたが電話は切られなかった。
「……真面目に考えたけど、分かんないよ、そんな人」
「そうか。ちゃんと対応してくれてありがとう」
「あ。えっ? うん……」
「もう少し情報がある。アンドロイドを部分的に解体して売却した事から、おそらくそいつはアンドロイドに精通している。後は、香椎に住んでいる可能性もあるな。香椎の情報は不確定だが、アンドロイドに詳しいのはほぼ間違いないだろう。そんな奴には思い当たりはないか?」
「あー……あいつかな。それなら分かるかも」
「よし、詳しく教えてくれ」
そう告げた所で福博であい橋を抜けた。太陽探偵事務所が入っている雑居ビルは目の前だった。私は通話を継続したまま事務所へと向かった。
「アンドロイドの話ばっかりする男、確かに私の客にいるのよ。昔は羽振りが良かったんだけど、仕事クビになっちゃったらしくて今は無職の男。パチンコ大好きで勝った日だけ来るから、つまり滅多に来ないんだけどね」
「そうか、男か」
「キャバクラの客なんて殆ど男なんだから、妙な話じゃないでしょ?」
「そういうつもりじゃないが、話を続けてくれ」
「はいはい。でね、先週は珍しく平日に何度も来たのよ。どうしたのか聞いたら、臨時収入があったって言ってた」
アンドロイドのパーツを売った金が臨時収入だとしたら、つじつまは合う。私は意味もなく頷いて話を続けた。
「先週来た時も、アンドロイドの話はしていたのか?」
「んーっと……あー、なんか、珍しいパーツが手に入ったとか言ってた気がする」
「パーツの名前は聞いたか?」
「全然興味なかったから、名前とか細かい話は覚えてないよ。でも、大事に保管してるとか、それでも一部は泣く泣く売ったとか言ってたかな」
「話から察するに、アンドロイドを人間のように扱うタイプというよりは、アンドロイドオタクといったようだな」
「そうそう、そんな感じかも」
「男の身元は分かるか?」
「本名は教えてくれなかったけど、カッちゃん、って呼ばされてた。あと、香椎に住んでるって言ってた気がする」
どうやら、調査は一気に進展しそうだった。サンゴが客を庇ってデタラメを喋っている可能性もゼロではなかったが、仮にそうだとしても、他に出来る事がない以上『香椎のカッちゃん』を探すしかなかった。
「そのカッちゃんと連絡は取れるのか?」
「それは無理ー。名刺渡したけど連絡はくれないの。あんまり執着されてないんだよね」
「キャバクラ客なのにか?」
「私が好きだから飲みに来てるんじゃなくて、いい話相手だから来てるっぽいの。私、聞き上手だから、それはそれで分かるけどさ」
「分かった。最初に話したとおり、その男は犯罪に関わっている可能性がある」
「おー、怖いなー」
「茶化すな。今度店に来たら滞在中に連絡をくれ。無理に踏み込んで情報を聞き出そうとはするな。万が一という事がある」
「はーい。お兄さん、最初は意地悪と思ったけど優しいんだねー。ねえ、カッちゃんが捕まったら客が減っちゃうから、お兄さん代わりに遊びに来てくれない? なんか渋くていい声してるし、顔も良かったらサービスしちゃうよ?」
「悪いが、俺はパパにはなれない。宜しく頼む」
端末の向こうで、サンゴがまた不機嫌な声を漏らした気がしたが、私はそれ構わずに電話を切った。
ちょうど太陽探偵事務所の前まで戻ってきた所だったが、室内からは微かに人の声が漏れていた。多少の警戒心を抱きながらドアを開けると、応接机横に置いているテレビで水戸黄門の再放送が流れていて、コルネットが被りつくようにそれを見ていた。彼女はすぐに私の気配に気が付いて振り返ったが、動揺を表すかのように、また無表情で瞬きを繰り返した。つくづく捉え処のないアンドロイドだった。
「……お帰りなさいませ、マスター」
「水戸黄門も社会勉強か?」
「申し訳ありません」
「責めているわけじゃない。それより着いてこい。事件が動くかもしれない」
「しかし印籠が。丁半ばくちに溺れている遊び人、伝七の驚いた顔が……」
「帰ったら動画サイトで続きを見せてやる」
そう告げた所で、コルネットと一緒に調査をするのが当たり前になっている自分に気が付いた。私は口の中で小さく笑い、デスクに置いていた車のキーを手に取った。
◇
コルネットを助手席に乗せた私は、事情を説明しながら車を走らせた。話し終える頃には国道三号線に乗り、後はまっすぐ走るだけで香椎へ着く状態だったが、今回はナビが必要だった。
「コルネット、ナビを頼む」
「承知しました。目的地はいかがしましょう」
「まずは香椎の貸倉庫をネットで調べて欲しいんだが、何件ある?」
「三件確認できました。いずれもコンテナ式です」
「最寄りの貸倉庫を当たるぞ。そこまで案内してくれ」
「承知しました。五キロ以上直進です。……マスター、それとは別に、一つ伺っても宜しいですか?」
「ああ、そう来ると思っていた。貸倉庫を調べる理由だろう」
私はアクセルを若干強めながらそう言った。視界の端で、コルネットが微かに頷く気配がした。
「カッちゃんが容疑者として、香椎を調査するのは理解できます。その中でも貸倉庫を当たるのは何故でしょうか。廃棄工場をもう一度調べなくても良いのでしょうか」
「確かに、警察のビッグデータでは廃棄工場等が怪しかったな」
「はい。カッちゃんの人物像を、各種廃棄工場に通達した方が良いかと思うのです」
「廃棄はないと見ている。サンゴの聞いた話から推測する限りでは、容疑者はアンドロイドオタクだろう。ジョン本体から外せない油圧サーボがついているのだから、それを廃棄にはしないってわけだ」
「そうなると、泣く泣く売ったのはイエローハイライトアイですね」
「ああ。香椎に住んでいる割には金がないと見えるな」
「ジョン本体を自宅等、他の場所に保管している可能性もありますが、それについてはどうお考えですか?」
「問題はそこだな……」
信号が赤になった。私はブレーキを踏んで少しだけ考え込んだ。大まかな方針を定めた上で香椎には向かっているのだが、やはりそれを変えるだけの情報は無かった。
「……保管するにしても自宅は危険だ。来客の際に、パーツが抜き取られたアンドロイド一体を隠すのは容易ではない。まあ、来客がない家もあるだろうが」
「では、他の保管場所の可能性については」
「これ以上、容疑者の情報がないからな。現時点では貸倉庫以外を調べられないんだ。今から向かう貸倉庫には、スタッフは在中しているのか?」
「ホームページを参照する限り、アンドロイドの受付が在中しているようです」
「厄介だな……」
人間であれば、適当に言いくるめて情報を聞き出す事も出来るだろうが、アンドロイドが相手では規定外の対応はしないだろう。人工知能倫理法を逆手に取って、反撃しないアンドロイドから強引に鍵を手に入れジョンを見つけたとしても、通報されて逮捕というオマケが付いてしまう。
結局、聞き出す方法を思いつかないうちに、高架下にある貸倉庫に到着してしまった。コンテナが三列に九個ほど並んだ場所で、一つのコンテナにはシャッターが二つついており、二分割されているようだった。受付と思われる小さなプレハブ小屋もある。車から降りた私は、同じく外に出たコルネットを見つめて少し考え、調査の前に話をしておく事にした。
「コルネット。少しいいか」
「はい」
「アンドロイドが普及する前の話だが、AIが持つ課題の一つに、データのインプットがあった」
「………」
「だが、自我を持ち、自分で行動できるアンドロイドが誕生してからは、それは克服できない問題ではなくなった。人間ほど臨機応変にインプットできないにせよ、それはノウハウの問題だと俺は思っている」
「……昨日話された、柔軟性の事ですね」
「そうだ。現場で得た情報を常に参照し、状況を打破できないか考えるんだ。行くぞ」
「承知しました。……ありがとうございます、マスター」
「礼はいい」
私は短くそう告げて車を降り、コルネットと共にコンクリート床のコンテナスペースをゆっくりと一周した。どのシャッターもしっかりと閉まっていて中の様子は窺えず、仕方なくプレハブ小屋に足を向けたが、それとほぼ同時に背後で衝撃音がした。振り返るとコルネットが尻もちをついている。彼女の足元には、少量だが茶色の液体が零れているようだった。
「大丈夫か、コルネット」
「失礼致しました。零れていた液体の影響で、半重力歩行機能が正常に動作しなかったようです」
私はコルネットに手を貸して彼女を引き起こし、入れ違いに腰を屈めて液体に触れた。微かな粘度を含んでいて、飲料物ではないようだった。
「コルネット、これは何か分かるか?」
「エンジンオイルのようです」
「随分と答えが早いな。触らなくても分かるのか」
「アンドロイドの潤滑油としても用いる事があります。自身に使用されている消耗品なので把握しています」
「アンドロイド……」
私はコルネットの言葉を繰り返して、一番近くにあるコンテナのシャッターを見つめた。他と変わりなく見えるその奥には、金田ミーアが探し求めているジョンがいるのかもしれない。その光景を想像するのと同時に、私は腰を上げてプレハブ小屋へと向かった。ドアをノックすると、中から出てきたのは作業着姿の男性型アンドロイドだった。相当古い年式のようで、もしかするとコルネットより古く安価なアンドロイドかもしれない。
「いらっしゃいませ。コンテナをご利用でしょうか」
男性型アンドロイドは、コルネットと同じ機械音声で淡々と答えた。古いアンドロイドの特徴だった。
「いや、そうじゃない。ここにアンドロイドを持ち込んだ客がいないか確認させて欲しい」
「申し訳ございません。プライバシー保護の為、お客様の保管物には我々も干渉しておりません」
「分かった。それでは人間の担当者に連絡を取って欲しいんだが」
「申し訳ございません。取次は、ご契約者様及び契約をご検討頂いている方に限らせて頂いております」
「では、契約を検討したい」
「申し訳ございません。現在は全コンテナ使用中となっており、新規ご契約は不可となっております」
受付は「申し訳ございません」の度に状態を四十五度倒し、水飲み鳥のように謝った。契約が出来ないのなら先に言っておけば、水を二回飲むだけで済むのに、それができないのは旧型アンドロイドの限界なのかもしれない。私は重苦しく息を吐いてどうしたものかと考え込んだが、不意に、後ろに立っていたコルネットが私の横へと足を進めた。
「あなたの型番は、BE101-RRですね」
「その通りです」
受付アンドロイドが頷くと、コルネットは私の方へ向き直った。
「マスター。このアンドロイド黎明期に作られたレセプションロイドです。決められた事には絶対に反しません」
「つまり、そもそも説得のしようがないという事か」
「そうなります。後回しにして次の貸し倉庫へ向かいますか?」
「いや、まずは、なんとしてでもここを調べる」
私はそう告げて零れたエンジンオイルの前に向かった。改めて観察したが零れているのはごく少量で、周囲に可燃物は見当たらない。放っておいても火事にはならないだろう。誰かが火を放たない限りは。
「コルネット。エンジンオイルが気化しているかどうか感知は可能か?」
「可能です。……気化していません。零れたのは数日前かと推測できます」
「分かった。ちょっと下がっていろ」
私はそう言って周囲を見回し、監視カメラや人の目がないのを確認すると、ポケットから煙草を取り出して着火し、ほんの気持ち程度吸ってからエンジンオイルへと投げた。想定外の大火になる気配があれば即座に消し止めるつもりだったが、そのような事はなく、エンジンオイルは小さな炎となってくれた。
「受付、小火だ。来てくれ!」
私がトレンチコートを脱ぎながらそう怒鳴ると、受付アンドロイドはすぐに飛び出してきた。彼が小火を視認したのを確認してから、私はコートで火を叩いて鎮火させた。安全を確認した上の行為だったが、冷や汗ものである事に変わりはなかった。
「いかがしましたか、お客様」
「すまない。私が煙草を落としたら、地面に零れていた何かに引火したようだ」
「消し止められたようで何よりです」
「いや、分からない。もしかすると中に火が移っているかもしれない。確認しておいた方が良い」
「しかし、管理者からそのような命令は受けておらず……」
「命令されていないだけで、禁じられてもいないのだろう? それより、危険性を知っていながら確認を怠れば、人工知能倫理法で禁じられている人間への危害に該当する可能性もあるぞ」
「……承知致しました」
受付はそう言って頷くと、腰に巻いていた鍵束から一本を選んで近くのシャッターを開けた。中は薄暗かったが、高架の隙間から差し込む鈍い陽光のお陰で、置かれているものは視認できる。同じく中を見た受付アンドロイドが何か声を漏らしたようだったが、彼に構う余裕はなかった。私は、無意識のうちに呼吸を止め、置かれているものへと近づいた。
ジョンは、コンテナの奥にもたれかかっていた。写真で見たとおり白髪老人のスキンで、衣服は着せられていなかったが、変質者のようには見えなかった。そもそも人間を模したようには見えないのだ。両腕は無残にもがれて内部の機械が剥き出しになっており、その中にある管からエンジンオイルが漏れているようだった。
イエローハイライトアイをえぐられた顔は、さながら骸骨のようである。全身には引きずられたような痣があり、無造作に投げ出された脚も、膝から先が無い。起動もしていないのは明らかだった。
「……マスター」
「コルネット、照明機能はあったな。照らせ」
そう告げてジョンの傍に屈むのと同時に、背後から強い照明が差し込み、ジョンの全身がより鮮明に確認できた。アンドロイドとは分かっていても吐き気を催す光景だったが、ジョンの胸元に触れ、人工皮膚ではない固い感覚を捉えた瞬間、吐き気は緊張感へと変わってしまった。
「マスター。金田ミーア様へ連絡致しましょうか」
「いや、警察への連絡が先だ」
「何故でしょうか?」
私はすぐに答えず、呼吸を整えながらジョンの眼窩を見つめた。ここに入っていた瞳が何を捉えていたのか。それを調べるのは、これまで以上に危険を伴う行為だった。
「胸に、弾丸が突き刺さっている」