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量子が求めた煙  作者: 加藤泰幸
三日目
11/20

三日目その2 庵の過去

 東郷組から出た私は、少々面倒ではあったが事務所に出社した。スリープモードから目覚めていたコルネットは「一時間半の遅刻です」と無表情で咎めてきたが、それを無言でいなし、ビュートに連れ込んで北へとUターンした。


 千代を抜けた先、香椎の人工島『福岡アイランドシティ』近辺では、近年になって工業団地が発展しており、目的地の廃棄工場もそこにある。着いたのは、午前十一時よりも少し前の事だった。プレハブ小屋のような事務所に、その五倍ほどの敷地のガレージと、大型の焼却炉が隣接した工場だった。事務所に入る前にガレージを覗くと、おそらく売却されたと思われる未着衣のアンドロイドが山積みになっていたが、一瞥した限りでは、その中にはジョンは紛れていないようだった。



「マスター、録画はいかがしましょうか」

 同じくガレージを見つめながらコルネットが尋ねてきた。彼女はこの光景をどう思っているのだろうか、という疑問が沸いたが、今考える事ではない。私は首を縦に振って録画を頼み、事務所のガラスドアを開けた。

 室内は小さなカウンターデスクで二分割されていて、奥の事務スペースには、作業着姿の中年の男性と若い女性が一人ずついた。中年男性の方が接客スペースに近い事もあってか、私へと近づいてきた。


「いらっしゃい。粗大ごみの廃棄だったら、ガレージにある計量器まで持ってきてくれるかい?」

「いや、客じゃありません」

「はあ……」

 店員は怪訝な表情になってハゲ気味の頭を掻いた。聞き込みの際によく見る反応だった。私はポケットから名刺を取り出し、なるべく温和な表情を作ってみせた。


「探偵の黒田と言います。とある事件で失踪したアンドロイドを探していましてね」

「失踪……いなくなっちゃったの?」

「ええ。ですが、拾った者が役所でマスター解除の手続きをせずに廃棄した、もしくは今後廃棄しようとする可能性があります」

「犯罪だな。しかし、なんでそんな事をするんだ? 確かに普通は相応の金額で引き取るよ。しかし、マスター解除していないのなら、捕まりに来るようなものじゃないか」

「捕まらないケースがあるのです。つまり、廃棄工場に裏取引を持ち掛ける例が」

 私の言葉を聞いた店員の目が、僅かに緊張感を帯びた。私は彼から目を離さずに話を続けた。


「裏取引すれば、犯罪者は厄介なアンドロイドが処分できるし、廃棄工場も丸々一体手に入りますからね」

「……そんな客が、ここに来たと考えて調べに来たのかい?」

「いえいえ、こちらはちゃんと営業をされていると信じています。あくまでも今後ですよ。今後、その様な客が来た時にご連絡頂けないかと思いまして」

 無論、この廃棄工場を信用できる要素は何も持っていない。私はゆっくりと喋りながら店員の顔を観察し続けたが、その顔に動揺の色は浮かばず、彼は神妙に頷いてみせただけだった。


「分かった。協力しよう。連絡をするだけでいいのかい?」

「できれば、売りに来た者の顔を覚えるなり、身元を確認するなりして頂けると助かります。ただ、無理に詮索すると何をされるか分からないので、ご自身の安全を第一に考えて下さい。脅されて廃棄を強要された場合は、逆らわずに引き取った方が良い」

「危ない話になってきたな。警察への連絡はどうしようかね」

「もちろん、して頂いて構いません」

「分かった。連絡感謝するよ」

 店員は深々と頭を下げてきたので、私も同じように礼を返して事務所から出た。この反応はシロとみて良さそうだったが、あまり勘を頼りにするのは好きではない。念の為、事務所に戻った後で、コルネットの映像を確認した方が良いかもしれなかった。




「マスター、宜しいでしょうか」

 ビュートに戻る途中で、そのコルネットが話しかけてきた。私としても、そろそろ彼女の学習に付き合うのには慣れてきた。面倒ではあっても、成長しようとする者には手を差し伸べたいものだった。

「また質問か」

「はい。この廃棄工場を信用された理由を伺っても宜しいでしょうか」

「あれは嘘だ。怪しいところはなかったが、信用もしていない。だが、追及したところで正直にやったとは話さないだろう。むしろ、タレコミの協力も得られなくなる」

「では、廃棄工場巡りは予防線を張る事が目的なのですか」

「そうでもない。ガレージは覗き見るし、店員の様子も伺う。後で映像を確認させてもらうぞ。さあ、次だ」


 コルネットにそう告げて車に乗り込み、私は調査を続行した。香椎の廃棄工場は、ここを含めて合計三軒ある。二軒目では若い店員が対応した事もあってか「犯罪」の言葉に随分と怯えられ、説得するのに少々手間取った。三軒目は、まるで他人事のように淡白な反応だった。そのどちらからも、既にジョンを引き取ったと思われる形跡は見つけられず、この方面での調査は『待ち』になりそうだった。



 私は工業団地を出たところで路肩に車を止め、煙草を吹かしながら外の光景を眺めた。町を行く人々や風景は、アンドロイドが普及する十年前とは大差ない。変わった所といえば、二割程の者が、耳にオーディオセンサーを付けるアンドロイドに変わったくらいだ。

 だがあの頃は、アンドロイド失踪なんて事件が転がり込む事は無かった。受付アンドロイドも、アンドロイド廃棄工場も、アンドロイドドール風俗も全て存在しなかった。世界は少しずつ変わっているのだ。

 では、十年後はどうだろうか。町行くアンドロイドの比率は五割を越えているだろうか。シンギュラリティを迎えた人々の営みに変化は生じているのだろうか。明確な答えは出なかったが、今回のようにアンドロイドに関連する事件は増えているのだろう。その時、私が探偵を続けていられるのかどうかは別として。



「マスター、どうなさいますか?」

 助手席のコルネットが尋ねてきた。私は煙草を押し潰してハンドルを握った。

「少し、待ちになるな。探偵の常だ」

「待つ間は何をなさるのですか?」

「まず大事なのは、動きがあった時に即座に動ける準備をする事だ。例えば、たまにはまともな昼飯を食うとかな」








 ◇








 私は事務所に戻ってコルネットを残し、西鉄天神駅方面へ昼食に出かけた。途中でベストエレキ社本社ビル前を通ったのだが、昼時という事もあって従業員が激流のように歩いていた。その流れに飲み込まれかけた為、反射的に横道へと抜けると、入った事のない食堂が見つかった。

 中はカウンター席しかない小さな店だったが、注文した焼肉定食は噛み応えと旨味に満ちていた。だが最も私を喜ばせたのは、カウンターに置かれたスチールの灰皿だった。それだけで、この店は百点満点なのだ。



「ご馳走様。また来るよ」

「毎度」

 恰幅の良い店主とそれだけの会話を交わして店を出た私は、外出ついでに買い物も済ませる事にした。来年の手帳が欲しかったので、隣に建っている五階建ての大型書店へと入ったのだが、私の足はエスカレーター前で止まってしまった。

 新刊を出した作家のサイン会を知らせる立て看板が設置されていたのだが、著者はあの庵だったのだ。先月末、聞いた事もないマイナーな出版社から『天地開闢の世を目指して』なるエッセイを出版したそうで、サイン会の日時はまさしく今この時だった。


 内容には全く興味は無かったが、私は暫し逡巡した。廃棄工場ルートも海蒼のサンゴも連絡待ちになっている以上、自ら動いて調査できそうなのは大自然教しかない。その結論に至ってエスカレーターで五階まで上がると、フロア奥のサイン会場はロープで区切られていた。

 奥では庵が机の前に座っていて、その隣では教団服の男女が一人ずつ、スーツの男が一人立っていた。スーツの方は出版社か書店の人間だろう。幸いにも、サイン待ちの客は一人も並んでいない。私は庵を凝視しながら会場を直進した。庵の方も、途中で私に気が付いたようだった。




「これはこれは。まさか貴方がサインをお求めになるとは」

「冗談じゃない。偶然ポスターを見て、何事かと思って様子を見に来ただけだ」

 私がそう告げると、スーツが出番が来たと言わんばかりにツカツカと詰め寄り「サイン会に参加されない方は……」と苦言を零しかけたが、庵が手を掲げてそれを静止させた。彼は笑顔こそ携えていたが、宗教家の笑顔は、やくざや刑事、それから探偵並みに信用できない気がした。


「冷やかしでも構いませんよ。サインもひと段落したところですのでね」

「とすると、俺が来る前にサインを貰いに来た奴がいたのか」

「もちろん。本を出すのはこれで五冊になりますから、信者の方以外でも読者はいるのですよ」

「大したもんだな」


 私はハッキリと分かるお世辞を吐きながら、机上に積まれた白いカバーの本を手に取った。もくじを開くと『アジアへの漂流』『帰還・日本』『大自然教の始まり』『アンドロイドなき世へ向けて』といった文字が並んでいる。どうやら、彼の半生を纏めた内容のようだった。自分の過去を語って金を貰うのは、私だったら大金を積まれても勘弁願いたいものだ。


「興味が湧きましたら、是非お買い上げを」

「いらないな。お前の半生に感銘を受けるとは思えん」

「残念です。どうも貴方からは良く思われていないようですね。こっちは貴方の事を買っているというのに」

「買われるような事をした覚えはないな」

「していますよ。昨日も、そして今日も。……貴方のように、私を真っ向から批判する人間は少なからずいますが、その様な人々には敬意を表して接しています」

「敬意、ね……」

「その結果、大自然教の考えをご理解頂き、同志となった者は約半分でしょうか。貴方もそうあって欲しいものです」

「残り半分に対しては、どう思っているんだ?」

「哀れに思っていますよ。……いえ、この話は止めましょう。それよりも、せっかくですから本の内容を聞いてみませんか?」


 庵は爬虫類のような目を一層細め、口の端を微かに開けて笑った。私が返事の代わりに待機客用の椅子に座ると、庵は嘲笑うように鼻息を漏らして、机の上で手を組んだ。その時に気が付いたが、外行き用の装飾品なのだろうか、指には大きな宝石の付いた指輪がはめられていた。




「本にも書いた事ですがね、二十代の頃、自分探しでアジアを旅した経験があるのですよ」

「優雅な事だな」

「そうでもありません。中東のある国に足を踏み入れた時に、二つの宗教団体による内戦に巻き込まれましてね。過激派側に捕まった私は、他の捕虜と一緒に絞首刑に処されたのですよ」

「処された……?」

 私は怪訝な声を漏らしたが、庵は当り前の発言をしたとでも言わんばかりに頷いた。


「ええ、処されました。処刑前夜は絶望しかありませんでしたね……。私は無関係だと必死に訴えましたが、彼らは言うのです。これは神の思し召しとだと。誤解で処刑されようとも、神がその場に引き寄せたのだから、それに従うのに何の問題もない。そういう言い分です」

「ちょっと待て。処刑されたのなら、今、俺の前にいるお前はなんなんだ?」

「私の首に巻かれたロープは傷んでいたようで、頸動脈が締まる前にちぎれたのですよ」

「しかし処刑人が見逃さないだろう」

「もちろんです。すぐに新しいロープが用意され、二度目の刑に処されそうになったのですが……その直前、もう片方の宗教団体が乗り込み、他の捕虜と一緒に救われたのです」

 庵は首筋を撫でながら語った。先程までロープが巻かれていたかのように手が震えていたが、もうアザも残っていないはずだった。



「私を助けてくれた方々は『人はありのままに生きるべき』という思想を持つ宗教団体でした。取り繕わずに言えばフリーセックスですね」

 庵がさも当たり前のようにそう告げると、これまで黙っていた白装束二人が初めて反応を示し、強く頷いて見せた。どうやら、大自然教は私が思っていた以上に危険な団体なのかもしれない。私は寒気を覚えながらも、平静を装って首を横に振った。


「それは思想じゃない。精神疾患だ」

「順序が逆です。精神疾患だとして、その様な方を受け入れる為の思想なのですよ」

「詭弁だな。その考え方が大自然教の基盤になったわけか」

「それも。です。確かに大自然教の基盤は博愛の精神ですよ。肉欲とは無関係に、親兄弟の垣根無く人を愛したい方々も多く属しています。……しかし、私の心に刻み込まれたのは、神の思し召しの方だったかもしれません」


 庵は私に言い聞かせるように語った。彼の語尾は震えていてよく聞き取れなかった。手の震えは止まっていたが、撫でるというよりも掻きむしる動きに変わり、体も痙攣するように揺れている。最も異常だったのは爛々と光る目つきで、獣のそれとも違う、異世界の住人のような目だった。

 庵の取り巻き達も変貌は感じ取ったようで、狼狽の表情を浮かべてはいたが、庵に声を掛けようとはしなかった。気軽に接する事の出来ない、狂気の雰囲気が満ち溢れていたのだ。



「……時たま、首が疼くのですよ」

「………」

「処刑の記憶が、破滅の光景が蘇るのですよ」

「……それで?」

「私がこんな目に遭っているのは、神の思し召しだそうです。……ならば、その神に従わなくてはならない」

「だから、神の産物ではないアンドロイドを無くすというのか」

「そうです。私は……大自然教は、その為なら何でもしますよ。何でもね……」

 庵はそう告げて、目を半月状に緩めた。目の輝きは落ち着きを見せたが、その代わり、彼の指輪が光ったような気がした。


「カルト宗教の教えは矛盾するのが相場だ。その昔存在した人民寺院も、差別を非難しながら、教団幹部は白人で固められていた」

「人民寺院をご存知とは博識だ」

「お前のご自慢の指輪も、着ている物も、その本も、全ては神ではなく人間の創造物だ」

 私の言葉を受けても庵の表情に変化は無かったが、男性の方の白装束が顔を赤らめ、一歩前へと踏み出した。


「貴様、そこまで大自然教を愚弄するか」

「脱線しただけだ。お前達の活動に興味はない」

 私はそう言って立ち上がり、庵を見下ろした。


「知りたいのは一つだけだ。改めて聞く。ジョンをさらったのは、お前達なのか?」

「またそれですか。知りませんね。たかが一体のアンドロイドに構う暇はありませんから」

「本当に、お前の差し金ではないのか?」

「貴方を評価したのは間違いではないようだ。私は時に、教団幹部にすら恐れられる事があるが、貴方は感情を表に出そうとはせず、自身の仕事を遂行しようとする。……こちらこそ、改めて尋ねます。どうですか? 私と共に神に従いませんか?」

「神はいない。お前の死に対する恐怖がそこにあるだけだ」


 私はそう言い放って踵を返し、会場を後にした。狂人の心中を察する事が出来るほどの人生経験を積んでいないが、ジョンの件では嘘をつかれていない気がした。ただ、そうなると調査は手詰まりになる。今後の事を考えながら外に出て、アクロス福岡前を横切ったところでポケットの中の携帯端末が鳴った。見知らぬ番号からの着信だった。

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