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量子が求めた煙  作者: 加藤泰幸
三日目
10/20

三日目その1 東郷組事務所

 翌朝、雑餉隈(ざっしょのくま)にある自宅アパートを出た私は、中洲の事務所へ向かわずに千代(ちよ)方面へと車を飛ばした。今日は朝から快晴で気温も暖かく、このような心地良い日に東郷組事務所へ行かなくてはならない巡り合わせを、少しだけ恨んだ。


 パピヨン通りにある五階建てのビルにはすぐに着いた。くすんだ青色の外壁は冬空に溶け込みそうで、周囲に並ぶ商業ビルとも馴染んでいる。もっとも、溶け込む事が出来たのはビルだけで、ビル横の駐車場に並んだヴェルファイアは、このビルが危険地帯である事を物語っていた。東郷組はアンドロイドによるドール風俗を新たな収入源としており、ヴェルファイアはその運搬に都合が良いと聞いた事があった。


 玄関前で『五月会東郷組本部』の看板を暫く見上げ、気持ちを整えてから、私は呼び鈴を押した。プツプツと途切れるような電子音が聞こえたのでモニター確認されたようだったが、返答はなく、一分ほど待った所で重厚なドアがゆっくりと開いた。出てきたのはスーツ姿のスキンヘッドで、絵に描いたようなチンピラだった。



「……おたく、誰?」

「探偵だ。名は黒田」

「探偵がなんの用だ。冷やかしだと痛い目見るぞ。今更、看板が読めなかったとか言うなよ?」

「長々と待たせておいて、随分な言い草だな」

「こっちはちょっと取り込んでるんだ。で、なんの用!?」

 スキンヘッドの声が明らかに苛立ちを帯びてきた。用件を素直に述べても良かったが、私にはここに来る大義名分があったのを思い出した。


「私の事務所の事で、招集されていてね」

「事務所……? わけわかんねえ。誰に呼び出されたってんだよ」

「巻島(はじめ)

「ま、巻島さんっ!?」

 スキンヘッドは目をひん剥き、強面に似合わない裏声を出した。怒ったり驚いたり、いちいち感情の起伏が激しい男だった。


 彼は慌てて振り返って「新井(あらい)さんいますか!?」と声を張り上げた。一昨日、巻島の命令でチンピラのいざこざを収めに行った男の名だった。中洲で偶然巻島と顔を合わせた時に、紹介された記憶もある。その顔を思い出そうとしていると、やがて答えの方が出てきた。山男のように濃い髭を蓄え、丸太のような腕をした強面だった。チンピラと同じくスーツを着ているが、新井の方が生地が良い。新井は「ご苦労」とでも言いたげにスキンヘッドの肩を叩いて下がらせ、私の前に立った。



「お前もスーツか。やくざの事務所ってのは、風紀に厳しいんだな」

「……黒田だったな。兄貴に何か用事か?」

 新井は私の冗談を無視して、鈍重な声でそう言った。合唱でもやらせれば需要がありそうだったが、この風貌ではどこも受け付けないだろう。


「事務所を移転する気になったら組に来いと、巻島に言われている。それで来た」

「奈々さんのビルに入っている事務所の事か」

「そうだ」

「兄貴は、今、大事な打ち合わせ中だ。その話は今日でないと駄目なのか?」

「明日でも構わないが、明日になれば俺の気が変わるかもしれない。多少なら待っても構わないぞ」

「……入れ」


 新井は短くそう告げて、中へと戻っていった。彼の後に続くと、玄関傍は小さなオフィススペースになっていた。先程のスキンヘッドの他、何名かの若い男がカウンターの向こうで私を睨みつけている。その視線に気づいた新井が、手のひらをかざして押しのけるような仕草を見せると、皆、不承不承ながらも視線を逸らした。



「皆、素直なもんだな。『暴力』は三流の人間を統制するのに手っ取り早い手法だと聞いた事があるが、日頃から教育しているのか?」

「暴力? このご時世にそんな事はしない」

 新井は振り向かずに返事をし、廊下傍の階段を昇り始めた。

「嘘を付くな。暴力団、しかも武闘派である巻島直属の部下のお前が、手下を殴らないわけがないだろう」


「探偵、お前は二つ勘違いをしている」

「言ってみろ」

「俺達は、殴る蹴る程度では暴力とは言わない」

「ごもっともだ。もう一つは?」

「暴力で作った統制では、三流を二流にしか出来ない。俺はその方法は好まん」

「巻島の部下にしては、出来た男のようだ」

「それ以上、無駄口を叩くな。こっちだ」


 新井は二階の廊下に出ると、階段側から見て二つ目の部屋のドアを開けた。彼と中に入ると十畳ほどの広さの応接間で、茶系統を基調とした家具が並んでいた。昨日見た大自然教の児童養護施設よりも、落ち着きがある部屋だった。


「ここで待っていろ」

「どれくらい掛かる?」

「知らん」


 新井はそう言い放つと、部屋から出て行った。音を立ててドアが閉まるのと同時に、私は気が変わって、事務所を移転する気が無くなってしまった。ソファに深々と腰を預けて煙草を吸うと、気持ちは少しだけ落ち着いた。やくざの事務所に入るのは初めての経験だったが、この緊張感を味わわなくてはならないのなら、二度は御免だった。そんな状況だからだろうか、一本目はすぐに吸い尽くして、私は二本目を口にした。




 ドアが開いたのは、それから三十分後、三本目の煙草に手を着けようかというところだった。入ってきたのは新井だったが、彼はドアノブを掴んだままで廊下側を見ていた。するとすぐに、髪を七三に分けた男がドアの前を通った。歩きざまに一瞥されたので目が合ったが、東南アジア系の顔付きをした男だった。彼は中へは入らずに姿を消し、その直後に巻島が中へと入ってきた。相変わらず幽霊のような表情だった。


「打ち合わせ、お疲れ様。相手は海外マフィアのようだな?」

「ファラピンマフィア、レッドロードの幹部だ。向こうさんも色々と大変でな」

 巻島は淡々とそう告げると、私の向かいへと腰掛けた。新井はそれを待ってからドアを閉め、巻島の斜め後ろへ立った。


「海外マフィアと小競り合いがあったと言っていたな。その手打ち話か?」

「そんな細事ではない。そもそも、レッドロードとは協力関係にあるのだからな」

「体裁上は、だろう。裏ではお互い何を考えているのか分かったものじゃない。そうだろう」

「組の話はどうでもいい。それよりも俺達の商談だ。しかし、本当に事務所に来るとは思わなかったな。あれは冗談半分だぞ」

「お前ほど無謀で向こう見ずじゃないさ」

「さっきから聞いていれば、いい加減にしろ、貴様!」

 突然、新井が声を荒げ、握りこぶしを振り上げて数歩詰め寄ってきた。先程、暴力を否定した男とは思えない態度だったが、巻島が無言で手を振ると、新井は急に落ち着きを見せて元の場所へと戻った。おそらくは巻島の怒りを代弁するのが『今の』彼の役割だったのだろう。油断ならない男だった。



「黒田。その挑発的な言葉は、ここでは慎んだ方が良い。組長や兄貴に聞かれたらどうなっても知らんぞ」

「気持ち悪い心配は止めろ」

「別にお前がどうなろうと構わん。面倒ごとは増やすなと言っているのだよ」

「安心しろ。用事を済ませたらさっさと退散する」

「よし。それで、事務所を移転する気になったのだったな?」

「そのつもりだったが、ついさっき、気が変わった」

「……どういう事だ」


 巻島が刺すような視線を向け、微かに身を乗り出した。それだけで部屋の空気が凍てついたような気がした。私は三本目の煙草を取り出し、小さく煙を吸い込んでから返事をした。


「言葉のとおりだ。気が変わった。ビルからは出て行かない。だが、別の話がある」

「貴様、元々、そっちが本題だな。あまり調子に乗るなよ……?」

「そう言うな。お前達にとっても有意義な話かもしれない」

「……話してみろ」

「中洲にあるキャバクラの海蒼、あそこはお前達が囲っていたな?」

 私が問うと、巻島は無言で新井の顔を見た。それを受けた新井は短く頷いた。


「うちのキャバクラのようだな」

「巻島は把握していなかったのか?」

「興味がない。……いや、そう言うと語弊があるな。うちで管理しているキャバクラや風俗店は、全てアンドロイドドール専門店に鞍替えしたいと考えている」

「確かにアンドロイドドール専門店は流行しているようだが、一過性のものかもしれないし、法で禁じられるかもしれない。だというのに全部鞍替えとは、随分と冒険するもんだな」

「貴様に指図される筋合いはない」


 巻島は不機嫌そうに言った。巻島の学生時代の彼女はやくざに辱められて自殺しているが、その報復に手を貸したのが、そのやくざと敵対していた東郷組長だったはずだ。彼女の件で気持ち悪いフェミニストと化した巻島も、恩がある東郷組長の方針には逆らいにくく、風俗業に関しては複雑な立場なのだろう。




「まあ、お前のご希望どおり、アンドロイドの店にする方が良いかもしれないな。人間だとキナ臭い事もある。今も、海蒼に在籍している女が犯罪に関わっている可能性があるんだからな」

「……詳しく話せ」

 巻島の声と目つきが更に鋭くなった。冷たい瞳に睨まれながら、私は小さく頷いた。


「とある依頼を受けて、失踪したアンドロイドを探している。犯人の可能性がある人物は見つけたんだが、そいつが海蒼のサンゴというキャバクラ嬢の名刺を落としたんだ」

「なるほど。だが、女が犯人というわけではないのだろう」

「監視カメラの映像を確認した限りでは、性別は分からなかった」

「気味が悪いな」

「そう思うなら、女を調べた方がいい」

「違う。お前の事だ、黒田。何が目的で情報を流す?」

「サンゴと早く接触したい。夜の開店を待っている間に、アンドロイドが解体される可能性もある」

「だから取り計らえというわけか。俺達にメリットはあるのか?」

「お前達としても、早く掌握しておいた方が良いはずだ。普通は、従業員一人の軽犯罪で店が揺らぐことはないが、あそこは庄司組といざこざがあったんだろう? これを火種に面倒事が起こるかもしれんぞ」

「どうでも良い事ばかり知っているな」


 巻島はそう呟くと、背中をソファに預け直して私を睨んだ。私も咥えていた煙草を灰皿に置いて、彼の瞳を睨んだ。金田ミーアと同じ、見る者を吸い込んでしまうような瞳だったが、巻島の場合、正しくは取り込んでしまうというべきかもしれない。長く見ていたいものではなかったが、やがて彼の方が再び体を乗り出してきた。



「……新井。うちが管理している店の連絡先は、全て把握していたな?」

「はい」

「海蒼の店長に連絡は付くか?」

「少しお待ちを」

 突然振られた話題にも、新井は狼狽える事無く即答して携帯端末を取り出して操作した。それを受け取った巻島は、私から視線を切る事無く耳に当てた。



「……海蒼の店長だな。東郷組の巻島だ。……ああ、そんな事はどうでもいい。少し黙れ。お前の店にサンゴという女がいたな? ……そうだ。そいつと連絡を取らせろ。少し待て。……おい黒田。お前の連絡先は?」

「ホームページ書いてある」

「この件は貸しにするぞ。……ああ、待たせたな。俺に連絡はいらん。この電話と、後は太陽探偵事務所という所に連絡を入れてやれ。番号はネットで調べろ。……それは貴様には関係ない」

 巻島はそう言って携帯端末を新井に戻した。最後の方は、相手の返事を聞かずに話を終えたようだった。



「……女に確認が取れ次第、お前に連絡がいく。これでいいな、黒田」

「ああ。だが借りが出来たつもりはない。お前達にも益はあったはずだ」

「そうだな。それならイーブンだ。しかしな」

 巻島は話の途中でふらりと立ち上がり、内ポケットに手を入れると、取り出した物を私の顔へと向けた。拳銃だった。射線から逃れ損ねた私は、身動きを取らずに銃口を見つめ続けた。


「庄司組が騒いだところで潰せばいい。むしろ奴らの勢力を削ぐ好機だ。今回の件は、俺にとっては無益なんだよ」

「なら、何故連絡を取った?」

「貴様に貸しを作る為だ。電話一本で作れるなら安いものだ。事務所移転で応えても構わないぞ」

「いや、違う。お前はサンゴの身の潔白を証明する為に電話をした。仮にサンゴが犯人だとしても、店の他の女に迷惑が掛からないように連絡を取ったんだ」

「………」

「だが、勘違いするな。女に優しかろうとお前はやくざだ。犯罪者だ。まっとうな人間ではない」

「それくらいにしておけ、探偵」

 忠告したのは新井の方だった。今度は声色に焦りが感じられる。巻島の代弁というよりも、流血沙汰を避けたいような喋り方だった。



「……勘違いするなよ、黒田。女等どうでもいい。組長に余計な心労を掛けたくないだけだ」

 巻島はそう言うと、ゆっくりと拳銃を下ろした。銃口が私の足元まで下がったところで、シリンダーがゆっくりと回るのが見えた。避けようとする間もなく轟音が室内に響いたが、身体に痛みはない。足元を見ると、弾丸は両足の間に着弾していた。



「物騒な男だ」

「ふん……新井、後は任せた」

 巻島は新井を一瞥すると、今度こそ拳銃をポケットに戻して部屋から出て行った。新井は直立不動の姿勢でそれを見送ったが、ドアが閉まって完全に巻島の気配が消えると、重苦しい溜息を零して、恨みがましい表情で私の方を見た。


「巻島の部下も苦労が絶えないな」

「誰のせいだと思っている」

「悪いな。あの男が組の中で発砲するほどキレているとは思っていなかった」

「……兄貴も普段はあそこまではやらない。お前が兄貴の過去をほじくりかえして挑発したせいだ。無用な挑発は止めろ」

「そうだな。確かに無用だった」

「なら、何故あんな事を言う」



 その答えは、自分でも分かっていなかった。私は立ち上がりながら理由を幾つか考えたが、友が豹変した事が今でも許せない、という反吐が出るような仮定が浮かび上がった。その答えと緊張感が相まって本当に吐き気がしてきたので、足早に部屋を出ようとすると、新井が慌てて先導する為に前に出た。今日、一番の割を食った男の横顔は、朝から疲労感に満ちているようだった。

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