一日目その1 失踪したアンドロイド
十二月になって最初の土曜日の事だった。二ヶ月間ぶりに中洲の事務所へ出勤した私は、正午から暖かくなるという予報を信じて、かじかむ手で雑務処理に取り組んでいたが、結局、正午を待たずに暖房のスイッチを入れた。
ここで働くようになって十年以上経つが、冬の寒さは年々厳しくなっている気がする。気候の問題ではなく、築四十年を超える三階建て鉄筋コンクリートビルに原因があるのだが、北九州まで出向いて下請けの業務を受けなくてはならない私に、事務所を移転するような金銭的余裕はなかった。
郵送物は随分と溜まっていたが、大半が闇金と風俗のDMだった。その仕分けを八割ほど終えたところで、事務所入口のドアノブが音を立てた。中の様子を窺うようにドアがゆっくりと開かれ、Pコートの下にセーラー服を着た少女が姿を現した。
私と少女は、すぐには口を開かずに互いを見つめ合った。褐色の肌と吸い込まれるような青い瞳が印象的な少女だった。目じりは細長く顔立ちは整っていて、未知の人種であろう探偵を前にしても凛とした表情を携えている。手に持った鞄や服装の影響がなければ、少女という印象は抱かなかったかもしれない。やがて、彼女は腰を折って深々と礼をした。広がりのある黒色のショートボブが、ふわりと頭部を覆った。
「あの……」
「ジャズ喫茶のシナトラなら一階だぞ」
喋るのを意図的に遮ってそう告げたが、彼女はひるむ事なく首を横に振った。
「ジャズ喫茶なんて大人のお店、私は行きません。面白そうな所ですけれどね」
「君に相応しくないという意味では、この探偵事務所も同じじゃないかな」
「そんな事ありません。探偵さんに、お願いがあって来たんです」
少女は流暢な日本語でそう言って私を見つめたが、私は視線を合わせずに窓際へ寄って、ブラインドの隙間から外を覗いた。眼下に見える福博であい橋にも、中洲の奥へ通じる路地にも歩行者はいたが、誰もビル二階にある探偵事務所を見上げていない。それを確認してから振り返り、ドアとデスクの間にある応接セットのソファを指差した。
「ひやかしや、友達との罰ゲームじゃないないなら、そこに掛けなさい」
「ありがとうございます。失礼します」
少女は素直に頷いて腰掛けた。いや、本当に少女なのか怪しくなってきた。いきなり財布を取り出して『依頼料は用意している』と大人ぶる事もなければ、一回り以上は歳の離れた相手に臆する様子もない。この落ち着き払った態度は、二十代の若者よりもよっぽど成熟している。懸念しているような悪戯客ではなさそうだったが、私はまだ全ての可能性を残して、テーブルを挟んで少女の向かいに腰掛けた。
「太陽探偵事務所の黒田だ」
「金田ミーアです」
「ハーフか」
「はい。……珍しいですか?」
「今どきの日本で、しかも福岡でハーフが珍しいという事はないが、未成年のハーフが事務所に入ってきたのは初めてだな。……いや、未成年は俺の思い込みかもしれないが」
「未成年ですよ。先月、十八歳になりました。……はい、これ」
金田ミーアは鞄から緑色の手帳を取り出してテーブルに置いた。車で三十分ほど走った所にある県立高校の名前が書かれた手帳で、中には彼女の写真、それから氏名と住所が記されている。住まいは大濠で、これも車なら二十分もかからずに着く場所だった。
「これは、コピーを取らせて貰っても構わないか」
「構いません」
躊躇の無い返事を受けて、私は悪戯の可能性を完全に除外し、コピーは取らずにテーブル上で押し返した。意図が理解できなかった金田ミーアは首を傾げたが、やがて唇を小さく動かして、内緒話のような声を漏らした。
「……探偵さん。私の……私のアンドロイドを、探して欲しいんです」
「君の家のアンドロイドが失踪したという事か」
「いえ、家のアンドロイドではありません。私がアルバイトでお金を貯めて買った、私のアンドロイドが失踪したんです。免許証もちゃんと……」
「それは後でいい。君のアンドロイドだとして、GPS探知やリモート操作による帰還はできないのか?」
「試しましたが、どちらも反応はありませんでした」
「なら、警察には届けたのか?」
「もちろん届けましたが、あまり相手にしてくれません……」
「アンドロイドに人格があろうと、法律上は遺失物扱いになるからな。無理もない」
「それは、私も理解しています。だから探偵さんにお願いしに来たんです」
「ブタさんの貯金箱を抱えてか」
「ブタさん貯金箱なら、カナヅチで壊してきました」
金田ミーアは小さく笑って冗談を受け止め、再びその青い瞳で私を見つめてきた。
私はすぐに返事をせず、スーツのポケットからセブンスターを取り出して掲げ、彼女が頷いたのを確認してから火をつけた。未熟な者に雇われる気はないので、一喝して事務所から叩き出せば済む話なのだが、それを躊躇させる落ち着きがこの少女にはあった。対応を考えながら煙を小さく吐き出すと、煙の向こうにある瞳は随分と澄んで見えた。探偵等という胡散臭い人種を頼る者は、追い込まれた境遇故に、極端に消沈している者か、もしくは血走った目をした者が多いのだが、彼女はそのどちらでもないらしい。
「……もう少し、詳しく状況を教えて貰えるかな」
「失踪したのは、ちょうど一週間前の土曜日です。私はアルバイト先はこの近くなんですが、行き帰りにはアンドロイドのジョンが同伴していまして、その帰り道の出来事でした」
「犬のような名前だが、ペット型ではなくヒューマン型か?」
「はい。BE-401HRです。ハウスロイドですよ」
「それは失礼。BE……ベストエレキ社製となるとメーカーはお膝元だな。……で、この近所というと、飲み屋が大半だが……」
「喫茶店ですよ。冷泉公園の傍です。勤務中は、ジョンは従業員室で待機していまして、失踪した当日もいつもどおり待っていました。……でも、お店を出て三分も経たないうちに、突然、この中洲方面に走り出して……慌てて後を追ったんですが、結局、見つけられませんでした」
「その時の時間は?」
「お店が閉まった直後だから、二十一時過ぎです」
「アンドロイドの使用の程度は?」
「二年半前、高校生になる時に中古で購入したもので、稼働期間は購入前も含めて、約五年です」
「高校生になったばかりでよく買えたな」
「アルバイトは中学生の頃からやっていて、お金は溜めていたんです。それに、老人男性型のスキンだったから、あまり需要が無かったのかも」
「なら、中古の軽自動車並の価格というところか……」
私は煙草を吸い込みながら、続く言葉を考えた。この話を受けても良いという気持ちは強まっていたが、まだ聞きたい事も、話さなくてはいけない事も残っている。肺の中が煙で充満していくのと同時に、頭の中はクリアになっていくのが自覚できた。
「……まずは、君の親に会わせて貰えるか。その道中で、更に詳しい話を聞きたい」
「それは……構いませんが……」
金田ミーアは微かに目を伏せた。初めて目にする狼狽だったが、その様子を観察する前に隣の備品室の扉が開いた。彼女の目はそちらへと向けられ、すぐにハッと見開かれた。
「マスター。お仕事であれば、私も同行させて下さい」
クリーム色のボレロとロングスカートを纏っている大人びた雰囲気の乱入者は、一瞥した限りでは事務員に見えなくもないだろう。だが、よく見れば瞳に感情は宿っておらず、顔のパーツは見事なまでに左右対称だ。そして、セミロングのブラウンヘアーからはオーディオセンサーが覗いている。機械的な声も踏まえれば、その者がアンドロイドだという事は金田ミーアにも理解できたはずだ。彼女を驚かせたのは、アンドロイドが手にしていたスタンガンの方だろう。
「中洲で働いていると、多少、危ない目に遭う事もあるんでね。防犯用だ」
私はそう告げながら立ち上がり、アンドロイドに向かって指を横に振った。
「コルネット。来客中は勝手に入ってくるなと命令していたはずだ」
「申し訳ありません。外に出られるとの事で、接客が完了したと判断しました」
「次からは許可を待て。で、何か用なのか?」
「外回りであれば、同行させて頂けませんでしょうか」
できれば、残しておきたいところだった。なにせ、私はコルネットを連れて外を歩いた経験がないのだ。北九州での下請けは、市議会議員選の運動員に成りすまして陣営内のスパイをあぶりだすような仕事だったので、コルネットは事務所に残していたし、それ以前はコルネットの正規のマスターが連れ歩いていた。だが、今後の仕事を考えれば経験は積ませておいた方が良いのも分かっている。私は短く嘆息し、金田ミーアを見た。
「……アンドロイドも連れて行くが、構わないか」
「大歓迎ですよ。助手さんですか?」
「一応、そういう事になる」
「分かりました。コルネットさん、宜しくお願いしますね」
金田ミーアに微笑まれたコルネットは「ありがとうございます」と言って、四十五度ジャストと思われる角度で腰を折って礼をした。関節のモーター音が微かに聞こえてきた。
「ちなみに、今日は部活か? それとも予備校辺りか」
「制服ですから疑問に思われたのですね。予備校に行く途中だったんですが、途中で衝動的にここに来ちゃいました」
「とんだ不良少女だな。親に口裏を合わせる必要があるのなら、考えないでもないが」
「それって、依頼になるんですか?」
「サービスだよ」
私が苦笑すると、金田ミーアも同じような笑みを浮かべて顔を横に振った。
「お気遣いありがとうございます。ちゃんと話しますから大丈夫ですよ」
「なら、出るとしよう。それと、一つ忠告をしておこう」
私はコートハンガーに掛けていたトレンチコートに手を伸ばし、金田ミーアに背を向けながら話を続けた。
「俺も子供の頃は、ジャズを別世界のように感じていたが、今にして思えば少々勿体ない判断だった。ジャズに限った事じゃないが、興味があるのなら、受験後にでも入ってみると良い」
◇
細く薄暗い階段を降りて外に出ると、乾燥した寒風がコートの上から突き刺さった。空を覆う雲は鈍色で、もう季節は完全に冬になった事を物語っている。私は一階に入っている煉瓦壁のジャズ喫茶・シナトラの前を通って、隣の月極駐車場に停めている白のビュートのドアを開けた。後部座席にコルネットを、助手席にミーナを乗せてから運転席に座り、早速キーを回すと、年代物のビュートは不安定なエンジン音を立てて駐車場を出た。明治通りに差し掛かる前で、コルネットが身を乗り出す気配がした。
「マスター、目的地までのナビはいかがしましょう」
「不要だ」
「承知しました」
カーラジオを点けながら拒否すると、無表情のまま頷くコルネットがバックミラーに映った。隣に座る金田ミーアは、振り返って直接コルネットを見ていた。
「……コルネットさん、なんだかロボットみたいですね」
「アンドロイドじゃなく、ロボット?」
「はい。アンドロイドは精巧な表情を突き詰める事で不気味の谷を乗り越えましたが、その点、コルネットさんは表情に乏しくてロボットみたいだな、って……」
「人間でも表情が乏しい奴はいる。俺もそうだ」
「でも、黒田さんには人間味があると思います。……そっか。ならコルネットさんにも、ちゃんと感情はあるって事になりますよね」
「その手の評価は、あまり口にしない方が良い。それよりも、まず、話しておく事がある」
私はハンドルを左に切って、明治通りを直進しながら話を変えた。
「依頼を受ける事になれば、当然、料金が発生する。調査期間にもよるが、安いアンドロイドをもう一体買えるくらいの金額になる可能性もある」
「そのつもりでいます。ジョンを買った後もアルバイトは続けていましたし、大丈夫です」
「アルバイトしていたのは冷泉公園付近と言ったね。大濠の自宅とも、学校とも離れているが、何故わざわざそんな所で働いていたんだ?」
「学校はアルバイト禁止なんですよ。当然、中学校の頃も駄目でした。……でも、友達のお姉さんが、旦那さんと一緒に開いている喫茶店でこっそり雇ってくれる事になりまして」
「選択肢は一つしかなかったというわけか」
「はい」
金田ミーアはそう言ったはずだが、ハッキリとは聞き取れなかった。前方の黄色いスポーツカーが、到底車検に通過しそうのない音量でクラクションを鳴らしたのだ。その前を走る軽自動車が黄色信号で停車したのが気に入らなかったらしい。追い越し車線へ進路を変えて私も停車すると、横の軽自動車は青年型のアンドロイドが運転していた。助手席には老人男性が座っていたが、クラクションが聞こえなかったとしか思えない泰然自若っぷりだった。
「……アンドロイドの免許はなぜ取った? 親が取っていれば、家族である君もマスター設定できるだろうが、親は取っていなかったのか?」
「大学に入ったら一人暮らし……いえ、アンドロイドと一緒ですから、二人暮らしするつもりなんです。その時の為に取りました」
「大学生のアンドロイド持ちは珍しくないが、免許取得は大学受験の後が相場だと思うが」
「そうですね。だから、私は珍しい例だと思います」
信号が青に変わった。私はビュートを強く加速させ、軽自動車の前に出て走行した。ここまでの金田ミーアの声に、不審なものは感じられなかった。話自体もまったくありえないものではない。
「もう一つ、聞かせて貰えるかな。太陽探偵事務所を選んだ理由は? 俺だったら、中洲の胡散臭い雑居ビルには近づかず、実績がある大手興信所に頼むが」
「アルバイト先に行く途中、いつも福博であい橋を通っていたんで、事務所の窓看板は目にしていたんですよ。なので『通りすがり』が答えでしょうか」
私は小さく頷いて納得の意思を示し、その後はラジオの音声に耳を貸した。正午のニュースでは、博多の飲食店で発生した毒物混入殺人事件の続報を扱っていた。アンドロイドの店員が運んできた酒に毒物が混じっており、それを口にした客が死亡した事件で、市内在住のファラピン人客が混入させたとして裁判にかけられているのだ。
アナウンサーは、ファラピン人が容疑を否認している事と、アジアの諸国が日本にマフィアを送り込んでいる情勢も伝えてくれた。アンドロイド社会と化した日本が、外国人労働者を受け付けなくなった為、諸国はアンドロイド犯罪を起こして世論を変えようとしており、実際、アジアの玄関口である博多にはファラピンマフィアが進出済みだった。
「アンドロイドを使った犯罪、止まりませんね……」
同じくラジオに耳を傾けていた金田ミーアが、沈んだ声で話を再開した。
「アンドロイドの独立思考と、人間への危害……それらが人工知能倫理法で禁止されようと、実際にアンドロイドを使うのは人間だ。所有者への絶対服従も定められている以上、アンドロイド犯罪はなくならないってわけだ」
「……結局は、マスターである人間が問題ですか」
「そうだな。車と同じだ」
そうは言ったものの、車とは違ってアンドロイドには人格があり、全てが所有者の思いどおりというわけにはいかない。後部座席に座っているコルネットをもう一度バックミラーで見ると、彼女は待ち構えていたように口を開いた。
「マスター。先程、ミーアさんからご説明頂いたアルバイトについて、問題が検知されました」
「……言ってみろ」
「中学生が仕事に就く事は、労働基準法によって原則的に禁じられています。ただし、軽易な業務で所轄労働基準監督署長の許可を得れば……」
「そんな事は承知の上で働いているんだ」
「しかし、支障なく働くには労働基準法……」
「コルネット、それくらいにしろ」
「……承知しました」
有無を言わさず話を止めさせると、コルネットはまた無表情で頷いた。だというのに、私には随分と落ち込んでいるように感じられた。立て続けに拒絶したせいで、そう思い込んでいるのかもしれない。
「あはは……アンドロイドらしい助言ですね」
金田ミーアは乾いた笑いを浮かべながら、コルネットに助け舟を出した。
「気を遣う必要はないよ」
「いえいえ、褒めているんですよ。法令データをインストールしているんですか?」
「法律事務所用向けのデータは、高額過ぎて入れていない。おそらく、リアルタイムでネットにアクセスして得た知識だろう」
「それが出来るのも、アンドロイドの良いところですよ」
「コルネットの言う手続きを踏んで、アルバイトの許可が出たと思うか? アンドロイドの能力は否定しないが、今のように機転が利かないのは問題だ」
「それは……確かに……」
「ただ、マスターが機転を利かせられない、という見方もできる」
「……つまり、黒田さんに原因があるってわけですか?」
「そうだな。最大の問題は、俺がコルネットを殆ど仕事で使っていない事だ。この二ヶ月は北九州で一人で仕事をしていた。使ったのは、その前の一ヶ月間だけだ」
「じゃあ、コルネットさんは、まだ買ったばかりなんですね」
「そうは言っていない」
西鉄天神駅を越えた辺りでまた赤信号に引っ掛かったので、私はブレーキを踏んでからラジオのニュースを止めた。視線は信号に向け続けていたが、隣の金田ミーアが私を見つめているのは分かった。
「コルネットは一年前に、事務所の所長、伊達太陽が購入して事務所に配備したものだ。業務用免許の効果で俺もマスター設定されているが、本来のマスターは伊達太陽で、彼ならば相応の時間、コルネットを使っていた」
「なるほど。ちなみに、今日はその伊達さんはお休みだったんですか?」
「伊達太陽は死んだ」
私は淡々とした口調でそう告げた。車道の信号は青に変わったが、眼前の横断歩道をまだ若者達が歩いていた。会話に夢中になって、歩行者信号が赤になった事に気が付いていないらしい。彼らが通過するのを待つ間、視界の端で金田ミーアを見ると、彼女は小さく目礼しただけで、それ以上の事情を聞こうとはしなかった。私も話すつもりはない。車が走り出した後も誰も口をきかず、やがて大濠の住宅街の端にある金田家前に着いた。




