オーバードーズを恐れてる
あの男の子が死んだのは、私の紙飛行機のせいだ。布団に入るまでそう思うことが微塵もなかったのは、私の本能が心を守ろうとしたせいだろうか? だとしたら私は、相当に――――。
「うう……う」
私が、私がイジメを告発したから? でも、それにしては早すぎない? 私が紙飛行機を投げ込んだのは昨日の放課後。そんなに早く学校が動くなんて、ありえることなの? 今どきの教師って、問題に対して慎重なはずでしょ?
「私のせいじゃない、私のせいじゃない、もし私のせいならごめんなさい」
布団の上に座り、手を合わせる。どうしていいかわからないから。
「死ぬやつは、死ぬんだ……」
そうだ。きっと偶然だ。むしろイジメのチクリは間に合わなかっただけ。つまり、私がもっと早く先生に伝えていれば彼は死ななかった? なら、私の行為は正当化できる? 私、間違ったことなんてしてないよね?
「ごめんなさい」
今謝ったのは、彼に向けてではない。母に隠れてこっそり、調子が良い日に飲まずにためた睡眠薬を余分に飲む行為にだ。だって、そうしないと眠れる気がしないから。眠れないと、余計な心配かけるから。これは良い判断。最良を求めているだけ、オーバードーズなんかじゃない。それに増やすって言っても、たった一錠、いや二錠。わざわざ報告しなきゃいけないような増量じゃないはずだ。
「聞こえる……」
出た、泣き声に聞こえる聞き間違い。調子が悪い時によく出る症状。泣き声ではない音が、泣き声に聞こえる、症状、聞き間違い、症状、聞き間違い。
「うう」
スマホがあるのはありがたい。すぐに気をそらすことが……できるから。
「はぁ、はぁ」
自慰行為でもできたら、楽なんだろうか。でも今日の私は何も出来ない。スマホで好きな音楽をかけても……音が怖い……。この曲の声、こんなに気持ち悪かったっけ?
「うう……うう……」
そういえば玄関の鍵閉めたかな? お母さん、ガス消したかな? ちょっと見てこよう。もし開いてたら……誰か入ってきちゃうかもしれないし。
「まだ寝てないのあんた。またスマホ触ってたんでしょ?」
「いや、喉……乾いちゃって」
お茶を飲みにきた事にしてガスを確認。トイレに行く事にして玄関を確認。よし、問題ない。問題ないね。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
眠れない。そういえば、玄関の鍵の確認ちゃんとやれてたかな? 見間違った可能性は? ガスも完全に消えてた? 実は弱火でついているという可能性は? 火がついてないのにガスが出続けている可能性は? あれ、お茶飲んだ時冷蔵庫閉めたかな? トイレって流したっけ? 玄関の鍵、ちゃんと閉まってたかな?
「うう……」
大丈夫、ちゃんとできてるはず。大丈夫、ちゃんとできてるはず。何度も出ていったらダメだよ、お母さんが心配して色々厳しくなる。
「そうだ、泣き声の正体を探そう」
今日の私は、何を聞き間違っている? 何が、泣き声に聞こえてしまっているんだ? 正体さえわかれば怖くなくなる、聞き間違いだって証明ができれば…………あ……また隣の部屋で妹が喋ってるのかな? ゲームのボイスチャットとかで……うるさいな、やめてほしいな。っていうかさ、私は夜スマホ触ると怒られるのになんで妹は怒られないの? 同じ親の金で動いてるスマホでしょ?
「心臓がバクバクする、うるさいな」
こういう時は、布団に潜って。スマホを触らないようにして……静かに……静かに…………ああ、だめだ。もう一錠薬を飲もう。睡眠薬じゃなくて、ちゃんとこういう時に飲んでいいやつを。頓服として出されてる、抗不安剤的なやつを。(正直あれは飲みたくない、だって、薬に、頼らないと、不安を、抑えられなくなるのって、ダメ、な、こと、で、SHOW? ただでさえ、私の睡眠は、薬が、作り、出して、いる、もの、なのに。)
「三十分ほど経過しただろうか? それともまだ数分程度なのに、心がクスリガナカナカキカナカッタトオモイコミタイノダロウカ?」
ああ、眠くなってきた。すごいな薬って、あんなに小さいのに……眠れない人を眠らせてしまうんだもの。
******
翌日。通学電車の中で私は、相当ひどい顔をしていたんだと思う。だから、予期せぬ会話を始めることになってしまったんだ。
「大丈夫? 顔色悪いけど」
「え、あっ……えっと」
話しかけられるまで気がつかなかった、赤い髪の転校生が同じ電車にいるだなんて。名前……覚えてないけどどうしよう。
「愛梨。よろしく」
「あ、私は☓☓☓☓」
察してくれたのか自己紹介、つられて私も自己紹介。
「で、大丈夫なの?」
「えっと」
ふらり。よろめいた私を素早く支えた彼女の腕は、細い。支えられないといけないほどは、ふらついてないと思うけど……。
「ごめんね」
「次の駅でなんか飲みなよ。オレンジジュースとかいいんじゃない」
「そ、そうしようかな」
そんなことしたら遅刻する。何故かそれが、言えなかった。
「ギター、好きなの?」
転校初日からギター背負ってくるような子に「好きなの?」って……もう少し他の聞き方なかったのかな私。間を持たせるための会話だとしても。
「いや、持ってるだけ。弾けないし」
「弾けないの?」
「ギターはFが抑えられないんだよ。指短すぎて。だからベースはじめたんだけど、あ、これベースね」
そう言って見せてくれた彼女の手は、とても小さかった。(ギターとベースを間違えた事が、とても恥ずかしかった。でも私には、それをどう表現してよいのかわかりませんでした。)
「次は☓☓駅、次は☓☓駅」
「降りよっか、いい? 遅刻するかもだけど」
一応、気にしてたんだ。そうだよね、愛梨さんこそ私のせいで遅刻しそうなんだよね。
「う、うん。倒れても困るし。あ、先生には愛梨さんが介抱してくれたって伝えるよ」
「信じてもらえるかな、私こんなんだし。あ、☓☓☓☓は優等生っぽいし大丈夫か」
優等生と言われた時、どうして少し悔しい気持ちになったのだろう。
「どれ飲む?」
「あ、お金出すよ?」
「いいよ、私が提案したんだし」
愛梨さんの「私」は少しだけ「あたし」に近い発音。
「じゃあ、愛梨さんの分私が買うね」
「ありがと。じゃあこれにしようかな」
無糖の炭酸を選んだ愛梨さんは、近くで見るとすごく小さい。顔も小さいし、手も小さいし、線もすごく細い。この真っ赤な髪、どこの美容院で染めてるのかな。
「はぁ、落ち着いた」
「オレンジジュース作戦成功だね」
実は、すっごくいい子なのかも。
「なんでこんな時期に転校してきたのって思ってる?」
「あ……いや、思ってないよ」
本当にそんなこと考えてなかったんだけど、なんか微妙な返事しちゃったな。人のプライベート知りたがり女だって、思われちゃったかな。
「私さ、女が好きなんだよ」
「え、レ……」
あれ。レズって、失礼な言葉なんだっけ?
「そう、レズ。学校でバレていろいろあってね。だから新しい学校では大人しくしてるつもりだったんだけど、なんでか髪赤にしてベース持ってきちゃったんだよね」
「そうなんだ」
私はそうとしか、返せなかった。なんて答えていいかわからなかったし、なんで私にそんな話をするかもわからなかったから。
「だから私と仲良くしないほうがいいよ。変な噂立てられるから。私、レズってこと隠す気ないからさ」
「変な噂なんて、どうでもいいよ。こんなに優しくしてくれた人を――」
私は今、強がった。
「いや、私女好きだから」
「あはは、いくら女好きだからっていきなり惚れるとかないでしょ?」
「ん、まぁ。普通に心配だっただけ。倒れそうな顔してたし」
「え、私の話? そういう意味で言ったんじゃないよ! それじゃ私が自意識過剰みたいじゃん」
私達は笑った、朝の駅のベンチで。サラリーマンや学生が、座ることもできず次々と電車に乗り込んでいく中で。