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「数学であれ理科であれ、法則とルールの中にある学問だ。社会や歴史も人が築き上げてきたルールとも言い換えることが出来るだろう。学ぶことは秩序を知ることだと私は思う」
そう切実に語るのは、今日から担任になる神原先生。
30代であろう男性の先生だ。
一生懸命さが伝わってくるが少しくたびれた感じで、これからの学校生活の注意点を教えてくれている。
「席は窓際だが、前側に用意している。君たちは勉強は好きかい?」
神原先生はちょっと困ったように聞いてくる。
「どちらかというと好きですわね」
「そうですね、僕もそうです」
僕が女子生徒として答えると、莉花も男子生徒として答えている。
「そうか。……よかった。教室に行けば分かると思うが、学びやすい環境ではないんだ。席替えの時とかも、なるべく希望は汲み上げようと思っているので、遠慮なく言ってくれていいから。困ったことがあれば何でも相談してくれ。じゃ、いこうか」
職員室を出ると教室に向かう。
校舎自体は歴史があるからなのか少し古い造りな気がする。
途中いくつか教室を横切ると、賑やかな声が聞こえてくる。
おそらく目的の教室なのではないだろうか。
僕達は当初の予定通りに入れ替わっている。
それぞれ女装男装しているわけだけど、現時点でバレるとは思っていない。
やはり緊張はするもので、気が付けば莉花と手を繋いでいた。
莉花を見ると微笑んでいるが、少し汗ばむ妹の手に気付き僕も微笑み返す。
神原先生は立ち止まると、教室を指さし「軽く自己紹介だけよろしくね」と言って教室に入る。
先生が入ってもガヤガヤしていた教室は、僕達が入ると静かになる。
静かになったのはほんの数秒で、「おおー」「転校生か」「だから席二つ開いてたんだ」「え、何双子?」と、また教室は賑やかになる。
「はいはい。静かに」
と先生が手を叩いても「えー、なんで学ランじゃないの?」と質問が飛んでくる。
「初日ぐらい静かにしろ。紹介も出来ないだろうが。あー、ちなみに彼らの制服だが見ての通りブレザーだ。わざわざ学ランとセーラー服を買うにもお金がかかるだろ? だから彼らはブレザーでいいってことになったんだ」
神原先生は話す時にジェスチャーを交えている。
もしかしたら、言葉だけでは意思が伝わらないのか? という考えが頭をよぎるが、まだそうと決まった訳ではない。
確かに落ち着きのない感じのクラスではあるが、秩序が無いってほどでもない。
「ええー! いいなー私もブレザーがいい!」「ブレザー可愛い」「男子のブレザー初めて見た」とガヤガヤし始める。
そう僕達はブレザーなのだ。
初めから目立つことは分かっていたが、どうやら上手くいっているようだ。
妹を見ると、やはり緊張しているせいか表情は少し硬く、右手をポケットに入れ握りしめている。
だけど、この日のために特訓をしていたことは僕がよく知っている。
僕の視線に気付いてくれ目が合い、「大丈夫、上手くいくさ」と微笑みかけるとコクリと頷き深呼吸をしている。
「落ち着け、落ち着け。自己紹介くらい静かな環境でやれせてくれ。ちょっとそこ! 静かに。お前が話すとき五月蠅くされたらいやだろ? 「俺は大丈夫!」いやいいや。もう黙ってろ」
神原先生は、はぁ~とためため息をつくと気を取り直して話し出す。
「こちらの二人は御門流華君と、莉花さん。見ての通り双子の兄妹だ。これから1年間同じクラスメイトなんだから仲良くしてくれ。うちの問題児達とは違って勉強は嫌いでないみたいだから、席は前列にしてある。 「なに言ってんだよ!」「あいうえお順なんだろ!」 もういいから、お前ら黙ってろ。俺のクラスは前に来たい奴の気持ちは尊重するから、席替えはやる気ある奴優先だ! ……さて、御門流華君から軽く自己紹介してもらうので、それくらいは静かにしてくれ」
少しすまなさそうにする先生は、僕と入れ替わっている莉花に目配せして教卓の隣へと誘う。
まだ、少し後ろの方ではゴソゴソと話し声が聞こえるが、大きい声で話すと聞こえるだろうか。
練習した声のトーンと話す速さを今更変えることは出来ないので、クラス全員に興味を持ってもらうのはあきらめた方がいいだろうな。
静かな環境で自己紹介が出来ると思っていたが、まさかの想定外で後ろまでは声がちゃんと届かないと思うと少し残念だ。
それでも莉花は一歩前に出て深呼吸をすると話し出す。
「僕の名前は御門流華。気軽に名前で呼んで欲しい。僕の人生には必要な三要素のうち一つが欠けているので、それを得るためにやってきました。一つは愛する人。一つは友。一つは眷属。愛する人はここにいる妹だ。僕は彼女より魅力的な女性と出会ったことがない」
「禁断の愛発言!」「双子ってありかもしれない」と悲鳴に似た黄色い声が聞こえる。
妹よ、いきなりのシスコン発言で友達作りのハードルを上げてどうする? と問い正したい。
確かに過度に期待されるというのは回避出来て(残念な意味で)、興味を持ってもらえている(一部の方々から)とは思うが、しっくりこないのは僕だけだろうか。
「そして皆に僕の眷属を紹介したいと思う」
右のポケットからネズミの形をした消しゴムを取り出と、先ほどの少し低くした声とは変わり、よく通る可愛らしい声が教室に響く。
『僕の名前はアルジャーノン。消しゴムさっ。消しゴムとしての使命を果たしながらご主人様を守るのが僕の任務さっ。みんなよろしくね!』
口を閉じている妹の手の平で、ネズミのアルジャーノンが自己紹介をしている。
妹が特訓していたのは腹話術だ。
よく見ると妹の口は少し開いていて、アルジャーノンが話している時は微かに口が動いている。
微妙に唇を尖らし、澄ましている妹を見ると頭を撫でたくなる。
その時、前列に座っている女子生徒が何かを落とした。
よく見ると妹のネズミと同じシリーズの消しゴムだった。
元はネコだったゴムを拾った妹は、その消しゴムを返すとアルジャーノンとして話しかける。
『素晴らしい! こんなに使って貰えてこのネコちゃんは喜んでいるよ。このまま大事に使ってあげて。お近づきの印に僕の妹のレベッカを貰ってくれないかな』
そう言うと妹は左のポケットからキツネの消しゴムを取り出し、笑顔で女子生徒に差し出す。
思わずといった感じで受け取った女子生徒に「ありがとう」と目を細めた笑顔で感謝を伝え、教卓の横に戻る。
「僕には友達がいないので、よき友を得ることが僕の使命です。みなさんよろしく」
最後は笑顔のまま流華としてペコリと頭を下げる。
少しざわついていた教室だったが、随分と静かになっている。
妹と場所を入れ替わる時「グッジョブ」と言うと、はにかんで笑っていた。
僕達の作戦は三本柱で、目立つことと、興味を持ってもらうことと、自分の土俵に引っ張り込むことだ。
妹はみごとに女子生徒を自分の土俵に引っ張り込み、周りもつられて引っ張り込まれていた。
そうすることにより今後妹と話すときは、ちょっと変わった世界観を持った人として話さざるを得なくなる。
初めから妹ペースで会話できるという素晴らしい作戦だ。
これで妹の世界観についていけない生徒はふるいに掛けられたはず。
お見事としか言いようがない。
さあ、次は僕の番だ。
妹に倣い深呼吸をすると鍛え上げた令嬢スマイルで周りを見渡す。
一人の女子生徒と目が合うと目を逸らされる。
あの子、スタバで会ったおさげのメガネっ子じゃないだろうか。
髪は下ろしてあるし、メガネも違うけどなんとなくそんな気がする。
間違っていたとしても、別に構わないし後で話しかけてみよう。
僕はスカートの裾をちょこんとつまむと、軽く持ち上げ優雅にお辞儀をする。
「おおー」と声が上がる中もう一度周りを見渡す。
「私の名前は、御門莉花です。私はこの世界が好きですの。でも辛いことが多くあって逃げ出したこともあります。それでも世界は私に微笑みかけてくれていると思うのです。だから私も微笑み返したい。そんな気持ちを共有できるお友達が出来たら嬉しいなって思っていますわ」
初めと同じようにスカートの裾をちょこんと掴み一礼をして、スタバで会ったメガネっ子に向かって最高の令嬢スマイルで微笑みかけ、そっと手を振る。
驚いたメガネっ子は目を伏せ俯くが、「おおー知り合いか」「え~、意外な組み合わせ」「まじもんのお嬢きたか!」とガヤガヤ五月蠅くはなるが、概ね興味を持ってもらえたんじゃないかと思う。
シンプルにして分かりやすい天然系令嬢をアピールすることにより、悪意ある者を遠ざけようとする作戦だ。
更に、知ってる子がいるんだよアピールをすることによって、みんなと別世界の人間ではなくて、同じ世界に生きているんだよーってことを伝える。
本当は適当によさそうな子に手を振ってみようかと思っていたんだけど、世の中狭いもんで一度会ったことがある子と同じクラスだった。
どこで出会いがあるか分からないものだなと思う。
自己紹介が終わり席に着くと、隣がメガネっ子で後ろが妹だ。
席への移動中に神原先生が「また、濃いのが増えた」と小声で言っていたのは見逃してあげよう。
休み時間になると早速メガネっ子に声をかけてみた。
「こんにちは。この前スタバでお会いしましたよね?」
笑顔で語り掛けるとメガネっ子はしぶしぶ同意した。
「お名前を聞いてもよろしいかしら?」
「えと、七宮姫彩です」
「か、可愛いお名前! 漢字でどう書くのですか?」
「姫に彩りって書いて姫彩です」
「漢字まで可愛いですわ。あの、よろしければ姫彩ちゃんとお呼びしても?」
「えっ!? い、いいですけど、いきなり名前で呼ばれると恥ずかしい……」
俯く姫彩ちゃんの顔は、もさっとした量の多い髪によって表情は見えないが結構照れているんだと思う。
もしかしたら僕達と同じで友達が少ない子なんじゃないかと思ってしまう。
「あの、御門さん。スタバではありがとうございました。その、やけどとかしませんでしたか? 気になってて……」
そう言って僕の右手の絆創膏をチラチラ見てくる。
ああ、やっぱりいい子かも。妹に押し切られて絆創膏はしてるけど大したことはなかったんだよね。
ちょっとヒリヒリするけど、すぐ治るだろう。
どっちかと言うと、ヤンキー君に殴られた左肩の方が痛かった。
まだ青たんになってるし……。
「姫彩ちゃん。御門ではお答え出来ませんわ。お兄様と同じ呼び名になってしまいますから。莉花と呼んでください。ね?」
優しく微笑みかけると姫彩ちゃんは少し驚いて、目を泳がせながら「莉花さん」と言うのでつい攻めたくなってしまう。
構いたい系の子ってこういう子のことをいうのだろうか。
「違いますわ。莉花ちゃんと呼んで下さい。私が姫彩ちゃんと呼びたいのですから、同じように莉花ちゃんと呼んで頂かないと不公平ですわ」
「え! 私、名前で呼び合いたいわけじゃないのに」とぶつぶつ言っているがここは勢いで押しきろう。妹と共にいい子認定している子なんだからグイグイ攻めるくらいでいかないと仲良くなんてなれない。
ニコニコ笑顔で有無も言わさず待っていると、
「り、莉花ちゃん……」
と俯きながら呟いている。
この子、見た目はもさっとしているけど、なんだか可愛い。再度いい子認定しておこう。
「うふふ、嬉しいですわ。お兄様以外で名前で呼んで貰うのは3年振りかもしれません。うふふ、ご心配ありがとうございます。少し赤みがありましたので今も絆創膏はしていますが、ほとんど痛くありませんし、問題ありませんわ」
そう言ってニヤリと笑いかけると、「よ、よかった~。り、莉花ちゃんの綺麗な手に傷がついたらどうしようとかと思って」と胸に手を当てて安堵している。
やっぱりいい子だ。
これは莉花の友達候補としてはかなりいいぞ。
僥倖過ぎる。飛び切り大事にしないといけないと密かに決意する。
チャイムが鳴り、「また後でね」と姫彩ちゃんに微笑みかけると後ろを向き妹に目配せする。
『兄さん、いい子だね。また会えると思わなかったね』
と小声で妹が話しかけてきたので、任せておけと親指と立ててニヤリと笑う。
幸先のいい滑り出しに僕は嬉しくなる。
これまでの学校生活が楽しいと思ったことはなかったけど、目的を持って楽しもうと思ったら、これほど見える世界が違うものなのかと感心するのだった。
いや~、のんびり書いていますが、ほんと更新速度遅いです。
それでも最後までコツコツ書いていこうと思ってます。