期待と不安
カレンと出会ってから約一時間後。面倒で居心地の悪い入学式が始まった。
何年も使い回したとも思える校長の挨拶から始まり、偉いのかわからない老人達の身のない祝辞。
カレンの金髪は確かに東京の夜空に輝く北極星のように浮いていた。だから同じような髪色にしたいと思う人がいてもおかしくはないとようやく気付いた。
式が終わると新入生達は教室に戻る。僕は教室の窓際の前から四列目の席に座る。コミュニケーション能力が低い僕は特にクラスメートに絡むことはできず、仕方なく窓の外に視線を移す。窓から中庭が望め、ずっしりと構える桜が僕達を祝うかのように花吹雪を散らしていた。
「なぁ、そこのあんた」
ふと前の席から朝ドラ俳優のような爽やかな声がかけられ僕はまるで背中から針を刺されたかのように体を反応させ、視線をそちらに向ける。僕の前の席に座る男子生徒は屈託のない笑みを浮かべていた。整った顔立ちに爽やかな立ち振る舞いはまるでスポ根漫画の主人公のようで僕には目を背けたくなるような眩しさを放っていた。だからと言って本当に目を背けるのは失礼にも程がある。
「折角、前後の席になったんだ。これも何かの縁だ。俺は間宮漣」
「僕は道木輝。よろしく」
僕は間宮と名乗る彼に簡単な挨拶をする。
「なぁ、何処の中学通ってた?」
間宮は間髪入れずに話を広げていく。戸惑うことなく話を広げてくれるあたり、間宮は初対面の人との付き合い方を知っている。例え、それが普通のことだとしても人付き合いが得意ではない僕に喉から手が出るほど欲しい才能だ。
「永谷二中。直ぐそこにある」
「登校途中にあったな。近くっていいなぁ。遅くまで寝てられるイメージ」
「イメージ通りだよ」
羨ましいなと間宮は呟く。
育ち盛りの高校生に限らず人間にとって睡眠とはとても重要なこと。目覚めの良さで一日の良し悪しが変わるどころか今後の人生を楽しく生きられるか否かと言っても過言ではない。
「部活とか入る?」
「今のところは考えてないな。中野は入るの?」
「あぁ! 陸上部に入って全国目指すさ」
「陸上か。種目は何?」
「短距離さ」
陸上部と聞いて真っ先に真由が思い浮かぶ。真由も中学では陸上部に所属しており、高校でも続けるということは入学前の説明会に向かう途中で聞いた。もし、聞いた通りなら真由と中野は同じチームメイトとして切磋琢磨しあう仲になるだろう。
それなら真由のことも予め話しておこうかと考える。しかし、真由にとって中野のような軽い男はあまりタイプではないと言っていたことを思い出す。
それからは好きな食べ物やら趣味やらことなど他愛もない雑談を続けていると、中野は耳打ちをする。
「正直に聞いていいか」
「いいけど」
「気になる女の子とかいるか」
僕は口を閉じて、じっと中野を見る。真由のことは話さなくて良かったと確信する。
確かに恋愛は高校生活の華の一つだ。恋が実りパートナーができたことを友達から祝福されたり、からかわれたり、時にはパートナーについて相談に乗ってもらって共に悩むことは若者ならではの特権だ。例え、離れることを選んでもそれまで共に過ごした時間は無駄にはならない。
最も僕には決して味わうことのできない甘酸っぱい経験であろう。
「俺はあの佐野智子」
自信満々に漣は視線を廊下側の席に向ける。視線の先にはセミロングに二重の垂れ目に右目の泣き黒子が色気を漂わせていた。
「噂だとRanRanなんてファッション雑誌の読者モデルらしいぜ」
僕は小さく感嘆の声を漏らす。確かに智子という女性はモデルになるには相応しい綺麗な人であった。まるで歩く街を歩けば世の男性の九割は彼女を見惚れて立ち止まって凝視するだろう。
だが正直なことを言わせてもらうと真由の方がスタイルもいいし可愛いと思う。芸能界に進出すれば数年で紅白歌合戦の司会を任されたり、グランプリを獲得したり目まぐるしい活躍をするだろう。最も、目立ちたがりではないため、そんな栄光はおとぎ話でしかないことが悔やまれる。
「道木はどうよ。気になる女子はいるか?」
「え? 僕は……」
いないと言っても照れ屋な奴やらムッツリだとかえってからかわれるだけだ。だから僕はそんな偏見を貼られないように佐野さん以外の綺麗な女性を見つけようと教室内を見回す。
すると吸い寄せられるように僕の瞳に美しい金髪が目に入り、自然と彼女を凝視してしまう。
「あいつは吉祥寺カレンだっけ。中々可愛いじゃんか」
「いや、そういうわけじゃ」
弁明しようとするも隅に置けない奴やら見る目があると肘で小突かれる。
入学式が始まる前に気づいたことだが僕は吉祥寺カレンと同じクラスだったことを知ったのだ。
奇妙な運命を感じた。僕は吉祥寺と赤い糸、いや赤い鎖にでも繋がれているのではなかいと錯覚してしまう。
「中野は彼女が欲しいのか?」
「そりゃあそうよ。恋愛なんて青春の一ピースじゃん」
「そう……だよね。それが当たり前だよね」
「もしかして道木は恋愛とか興味ないのか。だったら勿体無いぜ」
間宮の言うことは至極最もだ。折角の経験をドブに捨てることなのだ。人間としての成長するための扉を開けないということだ。
僕はなんと勿体無いことをしているのだろうと自分でも思う。だが、僕の背後にはいつも悪魔が立っていて、異性に意識する度に囁くのだ。「お前は親父になるぞ」と。
本当は善の存在かも知れない。あの悪魔と同じ穴に落ちないように気に掛けてくれる賢者なのかもしれない。正直なことを言うならどうだっていいことだ。一番重要なことは僕が誰かを恋し、愛するということはその相手を、間にできた子供を傷つける危険性が生まれるということなのだ。無論、意識しているなら大丈夫かと思う時もあった。だが、残念なことに僕にとっての親の像というのは虐待してきた彼ら二人なのだ。この像を壊すことは容易ではなく、簡単に言えば日本で虫や蝙蝠の調理法を受け入れさせるくらい難しいことなのだ。
「悪い。友達が呼んでる」
意識が深い海に沈んでいる最中、間宮の声が耳に入り僕は目を覚ます。
間宮が教室の扉の前に指さすと今どきの洒落た男子高校生三人組が間宮に早く来いと手を招いていた。
「道木にも紹介しようか?」
間宮の気遣いには本当に感謝しかなかった。だが、彼らとタイプが違う僕が混じってもおそらく不協和音を奏でるだけだろう。心苦しいが断らねばならなかった。
「ありがとう。でも僕も中学の友達と一緒に帰る約束しているから」
中野は「そっか」と呟く。そして、荷物をまとめると僕に「また明日」と台詞を吐いて教室を後にし、彼らの集団に混じっていく。
四人組となってまとまったセッションが始まった彼らを羨ましく思いながら僕は配られた書類をクリアファイルに挟んで学生鞄に仕舞う。
「さて、帰るか」
軽い鞄を持って僕は教室から出ようとする。
「そういえば……」
不意に教室を見回す。あれほど目についた吉祥寺の金髪がいつの間にかいなくなっていたことに気づいた。
「いや……帰ったんだろうな」
別にいなくなるのがおかしいことではなく寧ろ普通のことだ。だが、どうしても吉祥寺の姿が焼印のように頭の中に残っていて、妙に気になってしまうのだ。
「僕は……本当に気持ち悪い男だ」
何十年も出会った「彼女」と瓜二つだからと言って吉祥寺を気にするのは両者共に失礼なこと。それに未練がましい男程醜い存在はない。
そんな最低な男に落ちかけている自分を呪いながら僕は昇降口で待っているであろう真由の元にむかうのであった。