愚者の正義
校門の前には自分達と同じ新しい制服に身を包んだ新入生達。子供が一歩大人に近づく瞬間を目に焼き付けようと親がたくさん集まっていた。
達筆で入学式と書かれた看板の隣に青い春を迎えた子供を立たせ、親達は晴れ姿を未来に残そうと写真を撮る。ぎこちない笑みを浮かべる者や普段通りの笑みを浮かべる者。中学からの知り合いなのか友達と共に仲良く並ぶ者達が目まぐるしく変わる。
「すごい……人だね」
予想通りの人の多さに真由は気まずそうにする。
だが、僕の耳に真由の言葉は入っていない。
数々のトラウマが輝の繊細な心に容赦なく傷をつける。傷を付けられるたびに全身に鋭い痛みが走る。喉元に石でも詰められたかのように息苦しくなり次第に過呼吸気味になり、息苦しさから段々と視界が狭くなる。全身に空気が廻らないせいでしぼんだ風船みたいな状態になり、腰に力が入らない。一瞬でも気を抜けばそのまま倒れてしまうほど、僕は追い詰められていた。
「大丈夫?」
「うん……大丈夫」
明らかに様子がおかしい僕を心配し、真由は咄嗟に寄り添い声をかける。
入学早々真由に心配はかけさせまいと僕は気張って首を縦に振る。
「強がらなくていいから。早く中に入ろう」
だが、見据えた嘘は幼馴染の真由に通用するはずがない。輝の青白い手を引っ張って、新入生と保護者達の集団から急いで抜ける。
また世話になってしまったと後悔する。
精神的に不安定な僕は時にパニックを起こし、周囲に迷惑をかけることが多い。特に人混みに放り出された時はよく起きる。言われるはずがない暴言を吐かれ、暴力を振りわれるのではと勝手に思い込んでしまうのだ。
自分でもそれは被害妄想だとわかっている。しかし、古傷として今でも疼いてしまう。
そんな僕が取り乱した時はいつも真由が助けてくれるのだ。落ち着くまでずっと寄り添ってくれたり、話しを聞いてくれたり。時には一緒に涙を流してくれた。
別にお節介などとは思っていない。寧ろ、この世界のどんな人間よりも感謝している。
だからだ。感謝しているからこそ不安になるのだ。学校に居る時、真由は大抵僕と一緒にいる。その為か真由が他のクラスメートとつるんでいる所を見たことがない。中学時代のクラスメートから真由は女子のグループから孤立しており修学旅行の班決めと部屋割りではひと悶着あったことや学校で一番ハンサムかつ頭もいいエリート同級生の告白を迷うことなく振ったという話を聞いたことがある。
僕はその話が本当かどうか本人に問いただした。答えはうんの即答。だが、真由は自分のことよりも僕のほうがずっと大事だときっぱりと言った。
献身的と言えば聞えはいいだろう。しかし、言い方を変えれば執着あるいは依存しているとも言える。この時、僕の存在が真由を縛り付けていると確信した。
真由には幸せになって欲しい。僕のことなど放って、真由だけの幸せを手に入れて欲しいと願ってはいる。
だが、今のひ弱な僕では独りでこの社会の波を超えることは不可能だろう。真由の介抱がなければ生きていくことすら難しい。
真由が僕に依存している反対で僕も真由に依存しているのだ。まるで家畜と生産者のようだ。家畜がいなければ生産者は生活できない。逆でもそれが成り立つように僕達は互いが存在しなければ生きていくことは難しい。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
僕は掠れた声で真由に感謝の言葉を言う。真由は屈託のない笑みを浮かべる。
青くなった唇噛む。助けてくれた感謝よりも自分の不甲斐なさが錘となってのしかかる。
「君、その髪はなんだ?」
「何って……何か問題でも?」
昇降口に向かう最中、何やら男女が言い争う声が聞こえ、僕達はその声が聞こえた方向に顔を向ける。
「輝君?」
僕の脚が必然的に止まる。視線の先にはモアイ像のような顔の教師とその対面に立つ少女がいがみ合っていた。僕はその少女から目が離せなかった。雪のように白い肌。すらりと伸びる長い脚。沖縄の海のように透き通った青い瞳に長い睫毛。何より、綿糸のように美しい金髪がまるで僕の心に絡みついて離れられない。
「いいか。ここは髪を染めるのは禁止している」
「でも、私は地毛なんです」
「なら、黒か茶色に染めろ」
「そんな。納得いきません」
「それがルールだ。それが理解できないなら学校そのものを止めて、金髪が許される所に行け」
教師の横暴な態度に少女は納得しない。この学校の校則では学生らしくない髪色と髪型は禁止している。例えば赤やピンクの奇抜な髪色にアフロやら角刈りみたいな売れないバンドマンのようなヘアスタイルは認められない。
ただこの世界には多様な人種が存在する。肌が黒い者や瞳が青い者。日本人の髪色は大抵黒や茶色だろう。だが、世界には金色の人だっている。少女はそういう生まれつきの特徴なのだから普通なら仕方がない認める事だろう。
しかし、視野を広げることなく、古臭い考えしか持っていない教師はそれでも認めはしない。集団の中に一人でも髪の色が違う人がいれば見栄えが悪い。特に入学式のように外部から客人時、見栄えが悪ければその後の学校の名誉に傷が付く。
理解できないわけではない。赤い林檎の中に一つだけ青林檎が混じっていればそれは顔をしかめてしまう。それに変えられものというのもあるだろうか。
それに周りの学生が少女を真似て、金髪に染め、元は地毛だったなどという屁理屈を捏ねる者も現れる可能性もなくもない。
それなら何とつまらない考えだろうか。全体を活かすためなら個人の個性を潰しても構わない。僕には納得いかない思想であったが教育する側としてそれがやりやすいのだろうか。
「何だ?」
突然、教師が僕の目の前に現れ、顔を覗き込んでくる。急に突っかかってきてどうしたのかと疑問に思ったが、おかしいのは僕だった。いつの間にか僕の脚がまるでプログラミングされたロボットのように勝手に動いていたのだ。
「関係ない奴は早く教室に入れ」
教師は昇降口に指を指して、追い払おうとする。
確かに僕はこの件には無関係だ。所詮は観客の一人でしかないはずだった。でも、何故か首を突っ込みたくなった。理由はうっすらとだが予想はついている。カッコつけたいわけでも正義の味方に憧れているわけでもない。僕は後ろを一瞥する。そこには餌を求める鯉のように口を開けて唖然とする金髪の少女がいた。
彼女が理由だった。
「自主性を重んじる校風が売りですよね」
「そうだが……それとこれとは」
「この人は元からこの髪色なんですよね? なら仕方ないと思います」
「だが式典にその髪色は浮くんだよ」
「つまらない理由ですね」
僕は痰を吐き捨てるように言う。
「その人がその人であるための価値を否定することは良くないことです」
僕の大嫌いな人が薄く瞳に映る。別に教師と重なるわけではない。あの人は教師とは比べ物ならないほど鋭くて痛い毒の針を浴びせていた。流石にあの人と同一レベルの外道ではない。
「だがな、それでは我々が上から色々と言われるのだよ」
教師には教師にしか理解されない苦労がある。それが一番の苦労だろうが。
「なら、僕が直接説明しますから。その上の方々に会わせてください」
「……そうか。わかった」
すると教師は十点差をつけられ、コールド負けを目前にした野球選手のような表情を浮かべる。すると、教師は付近に生徒同様に新品のスーツを着た小太りの若い教師に手を招く。若い教師は自分ですか目を金魚のようにし、自分に指さすと怯えた様子で教師の傍に寄る。そして、教師は耳打ちすると若い教師はほっと胸を撫で下ろすと教師と変わって生徒達を見張り始める。
「今から私が説明し行ってくる。新入生にそんな手間をかけさせては私の面子が丸つぶれだ」
教師は深い溜息を吐く。吐き慣れたような自然な溜息に日頃の苦労が垣間見える。
「君、そんな性格ではこの先苦労するぞ」
「大丈夫です。もう十分苦労していますから」
「受験勉強と言ったら許さないからな」
「大丈夫です。それも含めてですから」
教師は僕を羨ましそうに見ると重い足取りで校内に入っていく。その気怠そうな背中を眺めては人を律するというのは大変なことなのだとしみじみと思うのであった。