栄誉あるコート
私は雑貨屋の店主に会うために、まだ舗装されていない道を緩やかに歩いていた。
数日前に、若い郵便屋のお兄さんから受け取った雪模様の白封筒と手紙には、時間をかけて書いたであろう丁寧な字で、「良い品物を仕入れた。きっと君は気に入るから」と、店主から招待を受けたからだ。
私が歩くたびに地面はジャリジャリとした音を立て、口からは白い吐息が漏れる。日当たりの悪い通り道を、「数年ぶりかな」と思案していると、小さな川の傍まで来ていた。せせらぎの音を少し楽しんだと思った頃には、ペンキの落ちた古い店の前に着いていた。
私は、どうせ誰も返事をしないであろう店の入り口に立ち、ワザとらしくコンコンとノックをした。
ガラス扉の向こうは薄暗い。深呼吸をして、しばらく返事を待ってみると、ガタンという何かが動く音が聞こえた。
私は鍵のかかっていない扉に手をかけて、ギシリと音を鳴らした。
私の目の前には、少しウェーブがかった白髪混じりの店主が、白いカウンター前で木の子椅子に座りながら、ニヤニヤと笑っている。
「いるなら、返事ぐらいしたまえよ。お客様だぞ」
私は黒いタキシードスーツのポケットから、皇室御用達と掘られた英製の長財布を取り出し、ふるふると振りかざした。
「はて、お客様か。お客様なら、こんな薄暗いお店には入らない。閉店した店の構えだからねぇ」
私の顔を見つめて、頬を吊り上げた男が、子椅子から立ち上がり、その皺の多い手を差し出してくる。
「久しぶりだな、元気にしてたか。いや、元気そうだな。手紙を読んだよ。雪模様の封筒なんて、君らしい気の利いた手紙だった」
私は、少し冷えこんだ手を添えた。ほんわりと温かく、久しい友人との再会だった。
「あぁ、久しぶりだな。ちょっと思う所があって、良いものを使って手紙を出した。早速だが、とっておきのコートを手にいれた。古い知り合いの君ぐらいにしか売る気にならない。きっと、君も気に入るさ。これだ」
店主は、目立つ場所に置いてある木製のハンガーから熊皮のコートを手に取り、私に手渡した。
私がそれを持った時、まさに大型動物に睨まれたような威風と心地の良い暖かな手触りを感じた。
仕立てがよく、職人の腕も確かなものだろう。
「なるほど、確かに質の良いコートだ。だがそれだけだ。高級な百貨店にでも行って探せば、誰にでも手に入るものだろう。君はもっと素晴らしいものを扱っていたはずだが」
私はそう言って、長財布を大袈裟な手振りでポケットにしまった。
「ハハハ、私は真に良いものだけを取り扱っていることを、君は知っているだろう? そうだな、コート自体は確かに良いものだが特別ではない。私が熊を仕入れて、それを一番の職人に作らせたものだ。素材の熊を仕入れた時に、手紙がついていたのさ。コートの胸ポケットを見たまえ」
私は、熊皮のコートを木製のハンガーにかけなおし、胸ポケットを探ってみる。何かを包んだ絹のハンカチを見つけた。ハンカチは黒く染め上げられ、白い糸で『雄二』と刺繍がしてあり、中からは少し傷んだ手紙が現れた。
「これを読んでも?」
私は、店主の横に置いてある木の椅子に座りこみ、手紙を白いカウンターの上に置いた。
「もちろんだ。それを読んだら、君はきっとコートを持って帰るだろう」
私は手紙を開いた。手紙は達筆で少し硬い印象を受ける男性の字で書かれていた。――雨にでもやられたのだろうか――手紙には小さなシミが残っている。
――私は、平治といいます。
私には雄二という息子がいました。息子は山の狩人で、いつも山に入っては獣を狩っていました。
息子は村のために獣を狩っては売り、お金を稼いでいました。
冷え込み始めた秋のことです。息子は山に入ったまま、帰ってきませんでした。
心配になった私は、村の友人達にお願いして、息子を探してもらいました。
枯葉でいっぱいの山の中腹で、息子と熊の死体が見つかりました。
今年は冷え込むのが早かったので、熊は冬ごもりの前に食料を探していたのでしょう
とても獰猛で知られた大きな熊で、もし村に降りたら、大きな被害が出たに違いありません。
息子は勇敢にもこの熊と戦い、相打ちになったらしいのです。
息子はとても強く、優しく、責任感のある子でした。
熊を見て逃げれば良かったのに、きっと、村のために戦ったのです。
バカな息子です、しかし自慢の息子になりました。
村でこの熊について相談した結果、売ることにしました。
売ったお金は息子のために使いました。
この大きく獰猛な熊は、息子が命をかけて仕留めた熊です。
どうか、この熊を大事に使ってください。
ここまで手紙を読んでくれた貴方なら、この熊を大事に使ってくれると信じます。
だからこの手紙を包んでいるハンカチを差し上げます。
私が、息子の誕生日にプレゼントしたものです。
息子は帰ってきませんでしたが、ハンカチは戻ってきました。
熊と一緒に使ってください。勇敢だった息子が、使われた熊が悪さをしないように、見張ってくれるに違いありません。
お願いです。どうかその熊を大事に使ってください。
最後まで読んでくれてありがとうございました。さようなら。
――私は手紙とハンカチを白いカウンターに置いて、店主を見た。
「どうだ、気に入っただろう。栄誉あるコートだ」
店主はカウンターに肘をついて、私を覗き込むように言った。その顔は、私の取る行動を見透かしたように微笑んでいた。
「あぁ、気に入った。これはとても価値あるものだ。勿論もらって帰りたい。ところで一つ聞きたいことがある、何故コートにしたんだい?」
私は、店主へ熊のコートの相場の数十倍ものお金をカウンターに置いた。店主は満足そうに「毎度」とつぶやき、そして、カウンターに置いたハンカチに、手を丁寧に伸ばした。
「このハンカチは、コートの胸ポケットに似合うと思ったからだ。ポケットチーフに使うのがいいだろう」
店主は、熊皮のコートの胸ポケットへハンカチを入れなおした。ハンカチが少し見える程度にはみ出たソレは、まるでそうなることが運命のように美しく、そして鈍く輝いていた。
(了)
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