人気が出ても困ります
ただの思いつきでノエリアに愚痴の聞き役をしてもらったスランだが、客には思った以上に好評だった。
適切な相づちを打てるほど頭が回らないのが返って良かったようで、聖母のように微笑みながら、ただ黙って話を聞いているノエリア相手に毒を吐き出すことにより、客は癒やされて帰っていく。
客は明らかに増えてきた。しかし、客の相手をしなくてよくなったスランは、それほど忙しくはなっていない。
『給金を奮発しないとな』
スランはそう思っていたが、ノエリアは微笑むだけのこんな簡単な仕事をするだけでは借金を返すどころか、豪華な部屋に住まわせてもらい、三食の美味しい食事付きなので、逆に借金が増えてしまっていると感じていた。
毎日が順調だった。
ある日、テーブルを拭くことができるようになった。
その次の日には、グラスを割らずに運べるようになった。
そして、床もきれいに掃けるようになる。
スランの役に立てることが、何より嬉しいノエリアだった。
それでも良いことばかりではない。
スランの店に女がいると聞いて、柄の良くない男たちがやってくるようになったのだ。
そのため、馴染客が減ってきていた。
今夜も三人の一見の客がやってきた。
「お前は西地区の娼館にいたノエリアじゃないか。何回か通ってやったから覚えているよな」
ノエリアの顔を見るなり一人の男がそう言ったが、ノエリアは客の顔など覚えていない。多い時は日に三人の客を相手していた。一々覚えてなどいられない。
「いいえ、知りません」
ノエリアの答えに客は激高した。
「売女のくせにお高く止まってるんじゃねえ! どうせ、ここでも男の相手をしているんだろう? 俺たちは安い娼館がなくなって困ってるんだ。相手してくれよ」
骨が折れそうなほどの力でノエリアの腕を掴む客。残りの二人は久し振りに女が抱けるとの期待で、薄笑いを浮かべながら見ていた。
「そこまでだ。ここはそんな店じゃない。女が抱きたければ、認可娼館へ行くか、嫁でももらえ」
スランは客の手首を掴んでねじ上げる。客の手がノエリアの腕から離れると、すかさずスランは彼女を後ろに隠した。
「おっさん、怪我したくなければ退けよ!」
男は虚勢を張って意気がるが、手首を掴まれて動きが取れない。連れの二人が男を助けようと立ち上がろうとするが、その前にスランが片手で剣を抜き一人の首筋に当てる。
「動くと殺すぞ」
スランが低い声で男たちを脅し、三人は動きを止めた。
「お、俺たちを殺せば、し、死刑になるぞ」
客は震えながらそう言うが、スランは口角を上げてせせら笑った。
「俺の店に勝手に飛び込んで来た害虫を始末するだけだ。それで死刑になるのならそれでもいいさ。俺には守るものはないからな」
スランの言葉に一番驚いたのはノエリアだった。
「そんなの嫌だから。スランが死刑になったら嫌だから」
スランの上着の裾を引っ張りながら、そう言うノエリアの声は震えている。
「ノエリアがお前らを殺さないでくれってさ。感謝するんだな。お前らに出す酒はないから、俺の気が変わらないうちにさっさと帰れ!」
スランが剣を鞘に収めながら、客の手首から手を離す。
「覚えていやがれ」
小物臭い捨て台詞を残して、三人は転げるようにして店を出ていった。
「ノエリア、大丈夫か? 怖い思いをさせたな。あれはただの脅しだからな。俺もいい年をしているんだから、そこまで短慮じゃない。ああいう輩は下手に出るとつけあがるから……」
スランが振り返ってノエリアを見ると、目に涙が溜まっていた。
「私はスランがいないと、生きていけないよ」
スランが守るものがないと言ったことが、ノエリアにとってとても辛かった。
ノエリアが無銭飲食をしたので働いて返しているだけ。スランにノエリアを守る義務も理由もない。そんなことはわかっているけれど、ノエリアはやはり悲しい。
「俺が悪かった。今度からもう少し穏便に撃退するから」
スランはノエリアの頭をポンポン軽く叩いた。
元騎士のスランは女性の涙に弱かったが、女性の気持ちがわかっておらず、スランが剣を抜いたのでノエリアが怯えたのだと思っていた。
柄の悪い客はスランが追い返すようにしたので、一ヶ月も経つ頃には元の静かな酒場に戻っていた。喧騒が嫌で足が遠のいていた常連客も戻ってきていた。
今夜もノエリアは愚痴を聞く。平和な日々が続いていた。
そんなある日、スランが給金だと言ってノエリアに銀貨五枚を渡した。
「一か月分の給金だから、ノエリアの自由に使っていいぞ」
スランはかなり少ないと思ったが、ノエリアに金の管理は無理なのではないかと思い、残りはスランが預かることにした。ノエリアが辞めることになったら退職金として渡そうと考えている。
「こんなにいっぱい貰えないよ。私はあんまり働いていないし、いい部屋を使わせてもらっているし、三食も付いているのだもの。おまけに変な客が増えて迷惑をかけたし」
「部屋代と食事代はもう引いている。客の愚痴を聞くのも立派な仕事だ。ノエリアに接客を任せたのは俺だから、変な客が増えたのは俺のせいだ。だから、心置きなく受け取っておけ」
ノエリアが見上げると、スランが大きく頷いたのでノエリアは銀貨を受け取った。
「これから仕入れに行くんだが、市場まで一緒に行ってみるか?」
「行きたい!」
外で買い物など初めての経験なので、ノエリアは子供のようにはしゃいでいた。
「あまり遠くへ行くなよ。お金は落とさないようにしっかり持っているんだぞ。迷ったら中央にある女神像のところで待っていろ」
人の多い市場なので大丈夫かと思い、スランはノエリアと別れて買い物をすることにした。
娼館の狭い中で長年生きてきたノエリアは、初めての買い物に舞い上がっていた。
貰った給金でスランに何か買いたいと思い、様々な店を見て回る。
いつしか、ノエリアは人通りの少ない場所までやってきてしまっていた。
「お前はノエリアじゃないか。あの酒場では世話になったな」
きょろきょろしながら呑気に歩いていたノエリアの腕を掴んだのは、先日スランが剣を抜いて店から追い出した三人の男たちだった。
「離してください。買い物をしないといけないから」
スランへの贈り物を買いたいノエリアが手を振りほどこうとする。しかし、男の手の力が増しただけだった。
「俺たちの相手をしてくれよ」
「嫌よ! 無認可でお客をとったら、捕まってしまうのよ」
「自由恋愛なら問題ない。俺たちが金を払わなければいいんだ。それならば、俺たちは客じゃない」
安い娼館がなくなり、気軽に女を抱けなくなっている。男たちは昼間から苛ついていた。
「なぜ、只で寝なければいけないのよ。絶対に嫌」
スランが望む相手以外と寝てはいけないと言った。だから、ノエリアは絶対に寝たくはない。
「娼婦のくせに、口答えするんじゃない。どうせ、あの酒場のおっさんともやっているんだろう。あんなオヤジより俺たちの方がいいに決まってるぜ」
「スランとはそんなことはしていない」
首を振って否定するノエリアの腰に手を回し、男は軽々と持ち上げる。
「あの空き倉庫まで行くぞ。そんなに暴れなくても、俺達が満足したら帰してやるよ。娼婦でも殺してしまったら後が面倒だからな」
「嫌! 私は望まない相手とは寝ないから」
「黙れと言っているだろう」
大きな音がして、ノエリアの口の中に血の味が広がる。頬をぶたれたのだとノエリアはしばらくして気がついた。