楠の教育係
「一体どういうことですか本部長!私たち天使が生きた人間と直接関わることは禁じられている、あなたもよくご存知でしょう!?」
「あぁ、もちろんだ」
「しかも関わるどころか同じ職場で働くなんて、一体いくつの禁則事項に背いているか、お分かりですか!?」
「あぁ、もちろんだ」
「私の給料を大幅にアップして頂けますよね!?」
「あぁ、もちろんだ…って、そんな訳にいくか!」
執行部に人間新入社員が入るという突然の宣告。
当然、エルリアを含めた天使たちは納得がいかず、この話を持ち掛けたヴァルキリーへ意義申し立てる。
そもそもの話、転生機関では生身の人間と天使が関わりを持つことは許されない。
会合するのはあくまで肉体を失った精神体のみ。
エルリアたちが転生させる転生候補者たちも、見た目こそ肉体をまとっているが、既に生を失った精神体なのだ。
話の中心であるはずの楠はカルエルにオフィスの案内をされていたが、エルリアたちにそれを気にする余裕はない。
禁則事項を破ってしまえば、どんな罰則があるか分かったものではないからだ。
「だあぁ、いったん落ち着け!これは特例で、お前たちに罰則もないから心配するな!」
執行部の激しい追及(主にエルリア)を大声で鎮める。
「それに、あいつは精神体だ」
「純粋な精神体ではないのでしょう?彼はまだ死んでいない、地上には彼の生きた肉体があるはずです」
ザルドキエの指摘に、ヴァルキリーは驚いたのか、目を少し見開いた。
「ほぅ、分かるのか」
「……伊達に天使、やってませんから」
「……兎に角、全て上からの指示だ。安心しろ」
しかし、彼女たちの顔から不安の色は消えない。
「何故私たちの部なのですか?人間を配置する目的が、私には解りかねます」
「そうっすよ。転生者ノルマも毎月達成してるし、ペナルティって訳でもないんすよね?」
ミーチャとジョイフィルの質問に対し、ヴァルキリーは大げさに溜息をつく。
眉間に少ししわを寄せたその顔はまるで、分かっていないのかとでも言いたげだ。
「…小耳にはさんだのだが、お前たち執行部の天使は人間に対して、それはそれは大きなストレスを抱えているそうじゃないか」
「「え」」
「どっかの女神さまに関しては雄叫びを上げたらしいな?やってられるかー!……と」
「ギクッ!」
ヴァルキリーの笑顔が“深く”なっていく。
……この表現が正しいのかは少々微妙だが、そう表さざるを得ない、恐ろしい笑顔だ。
そしてヴァルキリーは首だけを回し、あらぬ方向を見ているエルリアへと、その笑みを向けた。
「私の言いたいこと、分かるよな?」
「私の給料アップですね、分かります」
「減給ものだバカタレがぁ!!」
「ぐはぁっ!!ぱ、ぱわーはらすめん……と……」
ヴァルキリーの拳がエルリアの脳天を直撃。
女神が地に伏した瞬間である。
「まったく!転生機関の中で特に転生者と関わるお前たちが、人間嫌いになっては元も子もないだろう!」
「た、確かにおっしゃる通りですが、それとあの人間は関係が……ありますねハイ」
ヴァルキリーの睨みを受け、ザルドキエは瞬時に自分の意見を変えた。
「ど、どういうことっすか?ザルドキエ?」
「……心中っていうのは、気を抜いた時や予想外のことが起きた時に、ポロッと口から出てきちゃうもんよ」
そこで寝てる女神がいい例ね、とザルドキエは未だにダウンしているエルリアを、さり気なく足で小突く。
「??」
「私たちの中に人間への嫌悪感があったら、いつ転生者たちの目の前でそんな本音をぶちまけちゃうか分からない。主にエルリアが。だから……」
「人間と仕事を共にし親密になることで、人間に対する悪感情を無くそうということだ。主にエルリアの」
「ちょっと!何で先程から私だけなのですか!」
復活したエルリアに、ミーチャたちは怪しむような、意味ありげの視線を送る。
皆、思い当たる節々があるのだろう。
「これは転生執行部だけの話に留まらん。下手をすれば、機関の存続に関わる。それを忘れるな」
「……分かりました」
「話は終わった~?」
エルリアが渋々納得したのと同時に、カルエルのオフィス案内も終わったようだ。
転生執行部のオフィスはそう広くない。
部屋に入って一番奥に、部長であるエルリアのデスク。
入り口から見て左右に地球課に所属するミーチャたちのデスクが均等に並べられるという、シンプルなものだ。
常日頃から多忙を極める彼女らにはこれぐらいシンプルでないと、逆に仕事をしづらいのかもしれない。
「私が案内できたのは皆の名前とデスクの位置くらいだから、後はエルちゃん、お願いね~」
「わ、私ですか?普通、新入社員の面倒は担当の者がやるはずでは……」
エルリアは首を左右に振り、ヴァルキリーを含めた天使の面々を見渡す。しかし、名乗り出る者はいない。
それも当然だ。
なぜなら……。
「そんな人、うちの部にいないじゃん」
「ここは代表である、エルリア様が指導すべきかと」
「よ、よろしくお願いします。エルリアさん」
全会一致でエルリアが楠の担当に決まってしまった。
すでに楠もエルリアに教わる気満々らしく、深々と彼女に頭を下げる。
ここまで事が進んでしまえば、今更文句を述べて話を掻き回すのも野暮である。
エルリアは認証するに他なかった。苦笑いで。
「あの~、これって追加報酬とかは……」
「ある訳ないだろう。これはお前たちの身から出た錆、自業自得だ」
「ですよね~……」
ダメ元でエルリアはヴァルキリーに対し、給料アップの要望を出すが、軽くあしらわれてしまった。
「おっと、もう業務開始時刻から三十分も経ってます。そろそろ仕事を始めましょう」
部屋の壁掛け時計を確認すると、九時三十分を過ぎていた。
そろそろ他の部から電話や連絡が来てもおかしくない。
「そうだ、あと最後に一つだけ」
「まだ何か?」
ミーチャの提案に皆が賛同し、各々のデスクへ向かおうとしたところを、ヴァルキリーが再度止める。
朝一から仕事が増えたことにより疲労度が増したのか、エルリアは覇気のない声で尋ねる。
「これだけは決めとかないと、私も仕事に戻れんのでな」
「だから何です?」
するとヴァルキリーは緊張した面持ちで、手持ち無沙汰に立っていた楠を指す。
「彼は、誰の家に泊まるんだ?」
その発言に、全員が固まった。
「……今なんと?」
「彼は誰の家に泊まるんだ?」
エルリアの質問に対し、一言一句儀綺麗に繰り返すヴァルキリー。
同じ言葉を聞いてもなお、彼女らは言葉の意味を理解できなかった。
「は、え?まさか、私たちの家に泊まるんですか!?」
「当然だろう。彼は今、帰る場所が無いのだから」
「いや、今更そんな衝撃の事実を明かされても」
確かに、考えてみれば彼は精神体。
実際は生きているとはいえ、肉体の方は良くて植物状態だろう。そんな彼を放置するわけにもいかなかった。
「じゃあ、あなたの自宅に連れて行けばいいのでは?」
「彼も転生執行部の一員だろう。同部の者が面倒を見てやるのが妥当ではないか?」
ここで彼女の意見を否定してしまえば、まるで転生執行部の天使全員が、よってたかって新入社員を嫌っているように思われてしまう。
そうなれば、人間への評価改善を目的としたこの処置も、何の意味も持たない。
転生執行部の誰かが、お招きするしかない。
「で、では……誰の家が相応しいか……」
「エルリア様(部長・エルちゃん)が良いと思います」
「おいお前ら!?」
「部長、しゃべり方変わってるっす……」
これまた全会一致でエルリアが指名された。
ザルドキエやジョイフィルならまだしも、ミーチャとカルエルに見捨てられたことが、エルリアは地味にショックだった。
……ここで、彼女らの思考を少し覗いてみよう。
(ごめんなさい、エルリア様。さすがに見ず知らずの人を家に上げるのは、ちょっと……)
↑ミーチャ
(いや無理。下着とか出しっぱだし無理。プライベート、無理)
↑ザルドキエ
(うちのマンション、ペット禁止なんすよねぇ……)
↑ジョイフィル
(残念だけど~、イタズラしちゃうかもしれないからなぁ♪)
↑カルエル
ミーチャ以外にましな言い分が見当たらない。
ジョイフィルに至っては楠の人権が認められていないひどい理由だ。
「よし、決まりだな。部下から厚い信頼を持たれているなんて、幸せ者じゃないか」
「本部長には一度“信頼”を辞書で調べることをお勧めします」
エルリアは渋い顔を楠へと向ける。
エルリアの意思に関係なく物事が進むことに遠慮があるのか、楠は申し訳なさそうに彼女の様子を窺っていた。
彼女には、この中で唯一エルリアの身を案じている楠が、ほかの誰よりも天使をしているように思えた。
エルリアだって腐っても天使だ。
目の前で見るからに困っている人間を無下に扱うほど、彼女も落ちぶれてはいない。
「……とりあえず、よろしくお願いしますね」
「は、はい!こちらこそ!」
こうして転生執行部に、特例中の特例である人間が配属された。
果たして彼に、転生者によって衰弱しかけている天使たちの心を癒やすことはできるのか。
「あなたにも当然働いてもらいますからね。ほら、呆けてないで自分から指示を仰ぎなさい!」
「はい、すいません!」
……彼も当分の間は、仕事内容を覚えることに専念する他なさそうだ。