天使流の口移し♡
「随分と自由勝手に動いてくれましたね、ラファエリ?」
「主体性があると、褒めて下さるの?」
「主体性を通り越して、あなたのはただの独断専行ですよ……」
「他の見せかけ天使と共にいては、私まで穢れてしまいますわ♪」
エルリアの登場に形の良い眉をひそめたが、それも一瞬のこと。
相も変わらず俺をナデナデ。そして俺のマナをちゅうちゅうと吸っている。
あーあーおいちーでしょーねー俺のマナは。
だから一気に吸わず、ゆっくりちゅうちゅうすることをおすすめしますよー。
……表現が子供っぽいって?
そりゃそうだ。絶命が刻々と近づいてきてんだもん。ヤケにでもなるでしょ。
まあ冗談は置いといて……割と本気で危険な状態だとは思う。
身体に重りでも付いてるんじゃないかってレベルで怠いし、動かせるのも瞬きが精一杯。
声も出せないけど、エルリアは俺の緊急性を理解してくれてるかな……?
「エルリア様!私には構わず、早く神田さんを……!」
「何を言いますか。あなたの方が重傷でしょう。ほらこんなにも髪が汚れて……」
「いえ、あの……髪は後回しでけっこうですから……」
「安心なさい。私の全マナを使って元に戻しますので」
ちょっとー!優先順位考えてー!?
いやミーチャさんを助けるのは間違ってないと思うよ?女性にとって髪は命の次に大事だと言うし……。
でも全マナを使うのは違うんじゃないかな?
少しぐらい、俺のために残してもいいのよ?むしろ推奨するよ?
「相変わらずふざけた女神ですわね……あんな者が女神とは、世も末ですわ」
いやあなたが天使ってのも、信じたくないんだけどね?
「……この位適当な方が、人間も肩肘張らずに向き合えるものですよ?」
「その前提が間違っているのですわ。人間は無条件に私たちを崇拝し、従えばよいのです」
ミーチャさんの治療を終えたエルリアが、改めてラファエリと対峙する。
エルリアの調子はいつもと変わらない様に見えるが……。
彼女の目は、しっかりとラファエリを捉えていた。
ラファエリも、そんな彼女の視線から決して逸らさない。
ミーチャさんの時とは明らかに違う。相手を警戒すべき敵対者と認めているのか、彼女の聖母の面持ちは消え去っていた。
そしてゆっくりと、まるで言葉を選ぶかのように会話を続ける。
「エルリア……候補者の醜態を間近で見てきたあなたなら、分かるでしょう?人間は、私たちが願いを聞き入れるに値しない。いっそ従順な人形にした方が、異世界攻略も効率的に進みますわ」
「……」
「候補者の態度には散々苦しめられてきたでしょう?力ある者が弱者に指図されるという、世の理を外れたこの構図を、今こそ覆しましょう!」
「……」
「エルリアなら、それも叶いますわ……!」
ラファエリの言葉は説得か、洗脳か。
どちらにせよ、エルリアは彼女の言葉を黙って聞いていた。
ラファエリはその様子を好機と見たのか、両手を空に掲げ、言葉と動作で一気に畳みかける。
「私と行きましょう……?神と天使の尊厳を取り戻すのですわ……!」
「耳を貸してはなりません!エルリア様!」
ミーチャさんの叫びが、ラファエリの口を間接的に閉じさせた。
邪魔をするな。
それを意味するラファエリの言葉も、同じように掻き消されてしまう。
「主も私たちも人間も、そんな関係は望んでいません!人間から心を奪って……何が天使ですか!」
「あなたこそ、天使に何を夢見ているんですの?天使とは古来から人間を導いてきた絶対的存在。むしろ今の緩い関係性こそが間違いなのですわ」
「今の人間はもう、私たちが導く必要が無いほどに強いのです!なのにまだ下らない主従関係に固執して……この……!」
傷が癒えても体力的は戻っていないのか、ようやく立ち上がった彼女の足は震えている。
何度も何度も膝を叩いて……膝が赤く腫れ始めた。
それでもラファエリを強く睨みつけ……。
「時代遅れなんですよ!お局さん!!」
……。
……決定的な一言を口にした。
……ここでお局の用語解説。
主に職場を仕切る古参の女性OLに対し、『口うるさい』『意地悪』と意味を込めて使われる。
尊敬される先輩女性社員には、まず使われることのない侮辱言葉だ。
他にも婚期を逃した女性を意味したりもする……。
因みに局とは本来、日本江戸時代や宮中に使われていた古語だ。
局という仕切りで隔たれた個室を持つ女性を指すだけで、侮辱の意は無かったのだが……今はそれもどうでもいい。
覚えておいてほしいのは、決して言ってはならない“死語”であるということ。
まあ、上の解説を見れば分かるよね?
つまりめちゃくちゃ失礼なんだよ。この言葉。
「私が……つぼね……?つぼねが、私……?」
ほら、ミーチャさんの猛攻に怯みもしなかったラファエリがこの表情。
頬の筋肉が釣り上がって、ピクピクと継続的に動き続ける。
特定の女性には効果抜群のパワーワードになるんだよね……。
……しかしさっきも言ったけど、これは死語だ。
最初は面食らって、放心状態にもなるんだろうけど……その後はもちろん……
「この、小娘がぁっ……!!!」
余程心が広くなければ、ブチ切れるだろう。
整った歯を不快な音が聞こえるまで擦り合わる。聖母の面影など全くない。
その姿は鬼か、悪魔か……お局か。
杖がミシミシと悲鳴を上げる程に握り締めて、耳がおかしくなる大風が吹き荒れる。
それはまるで竜巻。そして俺とラファエリはその目の中にいた。
「もう許さない……!歴史を冒涜する新参天使め!誰が、誰が……!」
そして風が鋭い刃となって、我先にとミーチャさんに飛びかかった。
「誰が“生き遅れ”ですのー!!?」
いやそんなこと誰も言ってねぇー!!
声が出ないから心の中突っ込みになってしまったが……突っ込みをしている場合でもない!
ミーチャさんは疲労困憊だ。
取り囲むように襲いかかる疾風を避ける術もなく……。
「っ……!」
余波で生まれた爆風がザワザワと草木を騒がせる。
いつもは人知れず流れている河川も、嵐が来たかのように荒波を立てた。
ラファエリの攻撃は寸分狂わず命中した……
「……」
「くっ、また邪魔を……!」
……ミーチャさんを庇うように広げられた、エルリアの純白な翼に。
「エ、エルリア様……」
「ミーチャ、あなたの言い分は正しいとは思いますが……少しだけ静かにしていなさい。楠を助け出した後でも、話し合いは出来るでしょう?」
「わ、かりました……すいません……」
ミーチャさんは無事だったが……。
二度もエルリアに救われたのだ。エルリアは彼女の軽はずみな行動に少し怒っているようで、有無を言わさぬ口調でミーチャさんを座らせた。
「さて……ラファエリ、あなたの言い分ですが……私にも理解は出来ます」
「……!」
「新たな生を受け、現世とは全てが異なる異世界での人生に対する意識の低さ……何度嘆いたか分かりません」
猛攻により怒りが収まったのか、それともエルリアの賛同に気を良くしたのか……。
打って変わって、ラファエリは微笑を浮かべる。
「ふふっ、そうでしょうね。理解してくれて嬉し……」
「ですが」
エルリアを説き伏せたと確信。
ラファエリは彼女に手を差し伸べかけたが、エルリアの反語にピタリと動きを止める。
「あなたは……私の大切な部下を傷付けた。いや殺しかけた……今も殺そうとしている」
エルリアは俯いている。エルリアの翼がザワザワと揺れている。エルリアは拳を握り締めている。
……ラファエリは、一瞬でも説き伏せたと考えてしまった。
そんなこと、勘違いも甚だしい。
「私はね……怒っているんですよ……!」
エルリアは憤慨していた。
「……そうですの。やはり、分かり合えませんの……天使エルリア……!」
ラファエリは差し伸べた左手を夜空に掲げる。
彼女の顔が物語っていた。
それなら仕方がない、諦めよう。そんなあなたは、ただの邪魔者だから……。
消えてくれ。
「天法・神か……」
ラファエリの左手に異様な力が集まり、振り下ろす直前……。
「物理攻撃に弱い……」
「……!?」
「私の翼は、見た目に反して堅いですよ……!」
彼女の首元には、エルリアの翼が迫っていた。そして。
「翼の天罰っ!!」
「かっ……!はぁっ……!?」
ラファエリの首が拉げ……勢いで、背中から後頭部が地面に叩きつけられた。
「あっ……か……」
反動でラファエリの膝が跳ねないよう、エルリアは器用にも両手で押さえ付けていた。
……呆気ない。
……突然の、本当に一瞬のことで、言葉が出てこない。
体調が万全で、例え声が出せたとしてもだ。
ここからでは見えないが……ラファエリは大層苦しみに満ちた歪んだ顔をしていることだろう。
エルリアはゆっくりと身を引き、バサリと、翼を一度はためかせる。
苦笑顔のエルリアと目があった。
「……待たせましたね、楠」
「……あぇ……」
あ、声出た。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「大丈夫ですよ楠っ!すぐに助けますから!」
先程までの冷静さは何処へやら、焦燥感溢れる励ましをかけ続けるエルリア。
ラファエリの拘束(膝枕)から解放されたが……俺の命が風前の灯火であることは変わりなかった。
……マナを吸われすぎたのだ。衰弱死寸前である。
「……私たちのマナ供給では間に合わないっ……!」
「どうしましょう……このままでは……」
ああ、視界がぼやける。
俺は地面に寝転んでいるはずだけど、まるで雲の上にでもいるかのようだ。
何か、死ぬって実感がわかないなぁ……いや、この場合は消滅かな?
エルリアとミーチャさんが何かしているようだけど、上手くいかないみたいだ……。
「も……い、よ……。ありが……と……」
「っ、バカなこと言わないで下さい!」
「……まだ、最後の手段があります」
エルリアがおもむろに立ち上がった。
そして屈み込んだのは、未だに伸びているであろうラファエリの頭元。
気絶している彼女に何をするというのか。エルリアは数回深呼吸すると、翼を大きく広げて……。
「……起きなさい起きなさい起きなさい起きなさい起きなさい起きなさい!!」
……ラファエリに往復ビンタをかまし始めた。
うわ、もう音が痛々しい。
バチンバチンって、本来は柔らかい翼からしていい音じゃないでしょ。
「起きなさい起きなさい起きなさい起きなさい起きなさい起きなさい!!」
「っ……」
「おぉ起きなさい起きなさい起きなさい起きなさい起きなさい起きなさい!!!」
「痛っ、痛い痛いっ!?痛いですわぶほっ!?起きてまんぐっ!起きてますわ起きてますわぁ!!!」
流石に目が覚めたのか、涙声で止めるように懇願する。
喉元を殴打されたというのに、よく生きているものだ。天使だから身体が強靭なのか?
「痛った……もう、無意識の相手に何を……ひぃっ!?」
「単刀直入にお願いします。楠にマナを返しなさい」
首を潰されかけ、寝起きに往復ビンタをかますような相手だ。
襟首を掴まれてビビらないはずが無かった。
しかしラファエリは肝が据わっていた。
自分がまだ優位な立ち位置にいる。そう瞬時に理解した彼女は、脂汗をかきながらもニヤリと笑う。
「……フフッ、嫌だと言ったらどうしますの?」
「あなたも大切な部下の一人です。私は信じています……!」
「……残念。お断りしますわ♪」
「……そうですか」
「エ、エルリア様!?」
エルリアの必死の懇願を、ラファエリは一蹴した(襟首掴んでる時点で懇願も何もないけど)。
余りにも呆気なく諦めた?エルリアに対し、ミーチャさんも驚きの声を上げる。
……しかしエルリアは覚悟を決めたような、清ました顔をしていた。
何だ?何をしようとしている?
「でもどうしてもと言うのなら……」
「仕方がありませんね」
「条件付きで考慮してあげなくも……え?」
「え?」
……え?何この状況?何この絵面?
何でラファエリの顔が、俺の目と鼻の先にセッティングされてんの?
「エ、エルリア?何をしようとしていますの……?」
「無理にでも、楠のマナを吐き出してもらいます……口から」
「「マウストゥーマウス!!?」」
何だその無茶苦茶な方法は!?
え、まさかあれか!?マナ料理を食べる要領でマナを戻そうとしてんの!?
「だ、誰がそんな不潔極まりないこと……!あ、あれ?身体が動かない……!?」
「軽く洗脳させて頂きました。精神も掻き乱しますので、早くゲロって下さい……!」
「悪魔ですかあなた!?う、うぷっ……」
うわ絶対嫌だ!
嘔吐物の口移しなんて死んでも嫌だ!!
え、何で勝手に口が開いて……まさか俺にも洗脳をかけたのか!?
ちょ、まじで!ミーチャさん助け……何で顔赤らめてんの!?
違う違う!全然ときめかないから!顔真っ青になるところだから!!
「エ、エルリアいいって!ほら、たった今ラファエリさんにマナ返してもらったから!!元気元気超元気!!」
「嘘つきなさい!嫌がらなくとも、雛鳥と親鳥も同じようなことをしますし、吐き出すのはマナだけです!安心なさい!」
「いや俺人間!?」
「うぷっ、おっ……」
ラファエリの顔が見る見るうちに真っ青になっていく。
俺の顔も色んな意味で青くなっているだろう。
そしてついに。
「も、限界……」
「あ……」
「うぐごああぁァァぁァああぁァァっ!!!?ゴポっ……がっ……」
……結論から言うと、俺は一命を取り留めた。
命の恩人であるエルリアには感謝しかないはずだけど……。
しばらくの間、エルリアのご飯はエナドリのみとさせて頂きます。




