天使が上、人間が下
「ほ~ら、なでなで……良い子ですわね……」
膝枕と聞くと、どんなものを想像するだろうか。
恋仲の者が距離を縮めるため。母親が幼子を慈しむため。怪我人の苦しみを少しでも和らげるため。
俺の偏見でいくつか例を挙げてみたが、あながち間違いでもないと思う。
少なくとも、マイナスなイメージは湧かないんじゃない?
やっぱり男女共に、膝枕って憧れるシチュエーションだと思うんだよ。うん。
だからさ……。
「あと何分保つんですの……?クスクス……♪」
膝枕って殺人動作じゃないと思うんだよー!!
死因=膝枕って何!?
笑えないよ!洒落にならないよ!
嫌だぁ……っ、何とか抜け出さないと……!
「ぬ、ぐぐっ……!」
「耐えますわね……それにしてもあなた、天使でもないのに何故これ程のマナを……あら?」
ふと、ラファエリが顔を上げた。
その間も俺の頭を撫でる手の動きは変わらない。
脳がしびれるような感覚を受けながらも、どうにかラファエリの視線を追い、頭を傾ける。
「神田さんを、離して下さい……!」
「ミーチャさん……」
そこには救世主……天使が降臨していた。
ミーチャさんはボロボロだった。
庇うように片手で腕を抑えながら、荒々しい呼吸を繰り返す。
ワンピースにはぬめった泥が付き、所々擦り切れている。穏やかな流水を連想させた水色の髪も、濁った河川のように変色していた。
特に痛々しいのは純白だったその翼。
翼の本来の柔和さは影を潜め、触れる者を傷付けてしまいそう。
翼を動かす度に羽々が落ちていく姿は、苦しんでいる彼女の心境を代弁しているように思えた。
「ラファエリさん、彼を解放して下さい……!」
「解放?今正に解放していますわ。穢れた魂の昇天を」
「神田さんから離れて下さいと言っているんです!」
あっけらかんと答えるラファエリに、ミーチャさんは尚も言及する。
普段から謙虚でお淑やかな彼女からは、想像も出来ない大声だ。
しかしラファエリは、彼女の勢いにも全く怯まない。
寧ろその反応を楽しんでいるようだ。怖いですわ、と心にも無いことを口にしている。
その態度に、ミーチャさんは憤慨した。
「彼は私たちの部署に配属された……“主”に認められた人間です!あなたはそれをご存知ないから、このようなことを!」
「いいえ、知っていますわ」
「!?」
「執行部の人間に対する接し方の改善……でしょう?彼を起用することで人間との距離を縮めようと……」
情けない話ですわね……と、流れてもいない涙を拭うように目元を軽く抑えた。
「つまり……承知の上で、このようなことを……?」
「考え無しに行動するほど、私は愚かではありませんの」
「……そうですか。それならば……っ!」
ミーチャさんは軽く深呼吸し、荒れていた息を整える。諦めた……いや、覚悟を決めた静閑な顔付きだ。
彼女の周りの空気が変わったことは、俺にもはっきりと分かった。
そして……。
「うわっ、眩しっ!」
「あらあら、軽率で穢れた思考ですわね……」
彼女を眩い光が包み込んだ。
それは暖かみのあるものではなく……まるで見る者を威圧し、屈服させるような覇気のある輝きだ。
「神への反抗として、今この場で断罪します!」
輝きが消え、最初に目を引いたのは赤。
滾る炎を連想させる紅色の鎧が彼女を覆う。
無駄な装甲は一切無く、俊敏性を最優先に考慮した軽装備に近い防具だ。しかし頭や胸、膝などの急所は厚い装甲で固められている。
そして両手には、彼女の身長と同等ほどにある大剣が。
目立った装飾は無いものの、それ一つだけでも十分な存在感だ。
どう見ても彼女には不釣り合いな武器に見えるが、その大剣を両手で構えるミーチャさんの姿勢に一切のぶれはない。
今朝の可愛らしい女の子の姿から、何とも頼もしい女戦士に……。
「……あれ?」
今ミーチャさんは鎧を着てるよね?
じゃあ、元々着ていた服はどこいったの?鎧の下に着ている……なんてことはないよね。
え、あの輝きの間に着がえたってこと?魔法かなんかで?
それってつまり、あのミーチャさんが野外ではだk――――
「ぶほぁっ!!」
「神田さん!?」
「……汚らわしい」
「神田さんに何をしたのです!もう許しません!」
「いや今のは私ではなくあなたの責任……聞いてませんわね」
……不純な戦闘理由を与えて申し訳ないです、ミーチャさん……。
俺のダメージ(自滅)を見たミーチャさんが、ラファエリとの距離を詰めようと肉迫した。
可憐な少女が大剣を持って疾走する……その姿を正面から目の当たりにした俺は圧倒された。
しかしそれでも、ラファエリは柔和な表情を崩さない。俺を膝枕したまま、引く気配すら見せない。
「この人間がいる以上、大剣の軌道は限られる……重量を利用した横凪でもしますの?」
「今気づいても遅い……です!」
両腕に力を込め、引きずるようにしていた大剣を思い切り振り回す。
大剣の勢いに流されぬために体の重心を後ろに引く。上半身が仰向けに倒れていくが、作用点である踵は決して地面から離れない。
大剣はそのリーチを生かし、剣先は彼女の喉元を狙う。
大剣が空気を切る音が聞こえた。
次はお前だと、断頭の刃が俺の頭上を越えていく。
死がラファエリの喉元を撫で……俺はその光景に目を見開いた。
ラファエリは命を刈ろうとする死の鎌を見て、笑っていたのだ。
「楽園の微風」
「っ!?」
ラファエリの喉元に迫っていた大剣が、不自然に跳ねた。
剣先が夜空へと向き、弾き飛ばされる。
身体を持っていかれぬよう、後方に重心を傾けていたのが裏目に出てしまった。
弾かれた大剣を制御する術など無く、ミーチャさんの体は大剣に連れられて浮いてしまう。
そして、大剣はそのまま重力に従って落下。
地面を抉り、大きな金属音を響かせた。
ミーチャさんも地面に叩きつけられてしまうと思えたが、ぎりぎりの所で両手を離していたようだ。
空中で華麗に一回転。片手と両足で衝撃を和らげつつ、着地した。
「くっ!」
「あら、翼も無いのに見事な着地……誉めてあげますわ」
「裁きの光明!」
ミーチャさんは屈んだ着地姿勢から、間髪入れずに次の攻撃を仕掛ける。
彼女が突き出した両手から放たれたのは、荒々しい光の弾。
残光の尾を引きながら、曲線状にラファエリを付け狙う。拳大の光弾数十発がラファエリの顔に狙いを定めた。
「囲い風……ん」
しかしラファエリを囲うように吹いた風により、全て掻き消されてしまう。
ラファエリに届く前に、光弾は強い光を発して露散してしまった。一瞬、視界が白一色となる。
俺もラファエリも、その白い世界に目を潰されないよう、反射的に目を細めた。
俺はガッツリ目を閉じたけどね。
「もらいました!」
ミーチャさんはその隙を見逃さない。
いつの間にか回収していた大剣を持ち、一気に距離をつめる。
初撃と同じように、ラファエリの首を撥ねようと大剣を横に大きく振りかぶっていた。
しかし……。
「向かい風」
「きゃあっ!」
今度は大剣を振り切る前にラファエリの風を受けてしまった。先程と違い大剣ではなく、ミーチャさんの身体を直接狙ったようだ。
弾かれるように投げ出され、鎧と鎧が擦れ合う不快な音を発しながら地面を転がった。
ミーチャさんに巻き込まれ、地面から引きちぎられた草々が空中を舞う。
「くっ……流石ですね……」
「マナを消費する聖法の耐性が強力な私に物理攻撃を仕掛ける……それなりに理にかなった戦法ですわ」
「……」
「しかし馬鹿の一つ覚えのように同じ事を繰り返し、挙げ句目眩ましとは……小汚い手を使いますわねぇ」
「神田さんを救うためです。なり振りかまっていられませんので」
「ミーチャさん……」
なり振りかまっていられない、その言葉に嘘は無いだろう。
事実ラファエリは、あれだけの猛攻を座って受け流している。俺の頭を穏やかに撫で続けながら。
というか、あまり撫でられると禿げちゃいそうだから、マナを吸うだけで勘弁してくれないかなぁ……。
……いやいやダメだろ!?
死んだら禿げる何も無いんだから!しっかりしろ俺!
「……一つ、お聞きしてもいいですか?」
「ふふっ、余裕ですわね?これのマナが減って構わないのなら、何でもお答えしますわ♪」
「っ……」
ラファエリの挑発にミーチャさんは眉をひそめたが、グッとこらえて質問を続けた。
「何故町の人々に洗脳をかけたのですか?やはり私の能力を警戒して……?」
「まさか。あなた如きに警戒など不要ですわ。人間に洗脳を仕掛けたのは、もっと別の……機関への貢献のため」
「今正に神の教えに背いているあなたが、貢献?」
「あの人間らは我らが主への説得材料、貢ぎ物なのですわ」
説得材料。貢ぎ物。抽象的な表現ばかりで、ラファエリが何をなさんとしているのかさっぱりだ。
だけど、膝枕され、至近距離で彼女の顔を見ている俺には分かる。
自分の考えに陶酔した目、興奮冷め止まぬ熱い吐息……。
何か、危険で恐ろしい考えを持っていると。
「洗脳を施し、私たち天使と主に従順な人間へと作り替えるのですわ」
「そんなことをして何になると言うのですか!?主はそのような蛮行など求めていません!」
「いいえ、心から欲しているに違いありませんわ。この人間が気高き神の意志の表れ……」
「だから彼は、私たち天使と人間の関係良好を図るために……」
何度同じ事を言わせるんだと、ミーチャさんは苛立ちを露わにした。
しかし、その言葉も勢いを失ってしまう。
何か恐ろしいことを目の当たりにしたような表情を浮かべて。
「あなた……まさかっ……!?」
「私の貢ぎ物を、主は嬉嬉として受け入れて下さいますわ……」
「私たちに意見しない、転生するためだけの人間が出来るのですから♪」
ゾクリと、背筋が凍る。
転生するためだけの人間。天使の言いなりであり、操り人形。
そんな人間ばかりなら、関係向上など必要ないだろう。
支配と従属。一辺倒でシンプルな関係になるのだから。
俺とミーチャさんは絶句した。
信じられない、それだけが俺たちの思考を埋め尽くす。
「……あなたは……人間を何だと思って……」
「私たちよりも格・格・格下の存在ですわ。命尽きてなお、私たちに穢れた己が欲望を押しつけてくるとは……救いようもありませんわね」
ミーチャさんの掠れた声に対しを押し潰すように、ラファエリは彼女の疑問に答えた。
ラファエリの笑みは慈悲深く、それだけで見る者を癒すものだろう。
だけど今の俺には、悪魔を超えた、化け物の歪んだ狂笑にしか見えない。
「異世界を救う……転生者にはその目的だけを遂行させればいいのです。自由?冒険?感情?恋愛?一体何を求めているんですの?死んだ後の、ただの死体が」
「っ……!」
「人間は私たちに従っていればいいのです。そう、私が人間を浄化する。それにより人間は欠点も汚点も無くなり、完璧に――」
「もういいっ!黙りなさい!」
張り裂けるような大声がラファエリの口を止めた。
不愉快窮まりない。これ以上聞きたくない。
肩で荒い呼吸を繰り返し、脂汗を流したミーチャさんの顔がそう物語っていた。
大剣を杖代わりとし、ラファエリの攻撃によるダメージとはまた違うものに抗い、起ち上がる。
「人間を浄化する……?自分の考えを押しつけて満足しているようなあなたに、浄化なんて出来るはずもない。そんなことする権利もあなたには無い!」
「何ですって……?」
「人間が各々持っている汚点や欠点は、彼らが生きていく中で……自分たちで改善していくものです!!だから……!」
「……」
「あなたが勝手に浄化していいものではないのです!!」
地面に突き刺さった大剣を残し、ラファエリに駆けていく三度目の正直。
墜落で傷付いた翼を出し、大剣が無い分、今までの二回とは比べ物にならない速度でラファエリに接近する。
地面と平行に飛行し、右腕を引いた。
「やああぁぁっ!!」
右拳を思い切り突き出し、笑みの消えたラファエリの顔面を捉えた……かに思えた。
「生まれたての大天使が、偉くなったものですわねぇ……私に説教とは」
「う……ぐぅ……!」
「綺麗事を抜かしても、実力が無ければそれも虚言となります」
「ミーチャさん……!?」
「精密に風を操れれば、こんなことも出来ますのよ?」
ミーチャさんの拳は、ラファエリの目前で止まっていた。
それだけで無く、彼女の身体は不自然に宙を浮いている。髪は乱れ手足をばたつかせて、一切の自由がないようだ。
強力な風により、言葉も発せない。
ラファエリは冷たい視線を向ける。
「人間に絆された天使など必要ありませんわ……せめてもの救いに一瞬で終わらせます」
「うぅっ……!」
「や、やめっ……!?」
ミーチャさんの額に人差し指が宛がわれる。
一瞬で終わらせる。それだけで彼女が何をするのか察しがついてしまった。
ラファエリの視線は何処までも冷たいまま。
ミーチャさんは強く目をつぶった。
俺は……何も出来ない。
「昇天……」
ラファエリの口から、終わりの一言が発せられた。
その時。
「閑暇」
「!?」
一筋の風が吹いた。
それは、ラファエリの指先から放たれた死の風ではなく……。
「……無事ですか?ミーチャ?」
「あ、あぁ……はいっ、はいっ……!」
「このタイミングで来ますの……」
女神が靡かせた救いの微風。
ミーチャさんを抱えた大きな天翼が地上へ降り立つ。ミーチャさんをゆっくりと下ろし、ラファエリへ向きなおった。
……朝寝坊といい、本当に時間に甘い女神様だ。
登場の仕方が格好良すぎるでしょ。
「……ちょいと遅くないか?エルリア」
「すみませんね。見たいテレビの録画をしに、少し家へ戻っていました」
そう言って苦笑する。
自分勝手な女神様が降臨した。




