『異端者』認定された俺の異世界夢物語
「ははっ。どうだ! 俺って天才じゃね!? 普通、こんな残虐なこと思い付かないだろ?」
俺はノートにペンを走らせながら息を荒くする。
A4サイズのキャンパスノート。
大学なんて行ったことないけど、そんなことは知ったことか! 本来であれば勉強した内容を纏めて記載することが一番の用途なのだろうが、俺はゴチャゴチャと黒線で埋めていく。
ゴチャゴチャと染まっていくページ。
これは俺の頭の中でしか分からない復讐だ。
漫画家になれるほど絵の上手くない俺は、自分の脳内で保管させて自作の漫画を楽しむ。
今回描いたのは、史上最年少で三倍段だかを取ったという中学生将棋棋士を妬みの対象にした物語だ。
「将棋棋士だか知らないけど、自分が駒になった戦争に巻き込まれて死んじまえ!!」
ネットで呟けば批判の声で燃え続くであろう自分の醜い感情も、自分専用のオフラインのキャンパスノートになら、いくら書き出しても誰も文句は言わない。
会ったことも顔すらもハッキリと覚えていない天才少年をノート上で遊び回す。
「…………」
そんなことは一時間もすれば直ぐに飽きる。
そして、その後にやってくるのは虚しい自己嫌悪だ。
妬む相手は別に天才少年将棋棋士でなくても良かった。夢を叶えて成功している人間が俺はただ妬ましかった。
「はぁ……」
大学に行ったことがないというのは、俺は高校までしか学校には通わなかったから。
高卒である。
これからは学力社会になるという親は大学に行くように進めてきたが、俺はとある理由を胸に偉大でその有難いお言葉を跳ね除けた。
『夢を叶えたい』
そう言って俺は大学に行くことを拒んだのだ。それどころか、親が用意してくれていた大学資金を使って、敵いもしない夢に飛び込んだ。
俺の夢。
それはアクション俳優になることだった。
高校生の頃、それまで馬鹿にしていたヒーローものを親戚の子供と一緒に見たことがあった。そこで俺はドはまりした。
自分もあんな風に戦ってみたいと思った。
作られた世界でも、自分の動きが映像となる感動ばかりを妄想するようになった。
そして――その熱は冷めることなく専門学校にへと通うことになった。
だが、俺はそこで驚愕する。
開脚180度を当たり前にする人々。
剣道初段。
柔道黒帯。
ボクシング経験者。
自分よりも若く、才能に満ち溢れていた人間が大勢いた。今だからこそ冷静に分析できるのだが、その時の俺は、あの人にはここが勝ってる。あの人はあそこが劣ってる。と、自分に有利な面だけを見て、いい気になっていた。
だが、高校でハマっただけの俺の熱意は、一年もせずにへし折られた。
夢を叶えるために都会で暮らしていた俺は実家に戻り今に至る。
そう。
引き籠りだ。
引き籠ってネットを騒がす有名人や天才を見つけては、ノート上で酷い目に遭わせる。他人の挫折の呟きを見つけては、挫折を突きつけたのは自分だと妄想する。
「こんな生活続けてても意味ないって分かってるんだけどさ」
でも、自分に才能がないと分かったからか、社会で暮らす人々が怖かった。
そんな現実に戻りかけた意識を反らすようにテレビの電源を入れる。録画していたアニメが多数溜まっていたはずだ。
「アニメはやっぱり一気見に限るぜ」
何を見ようか悩んだ俺は、最近流行りだという異世界アニメを再生した。
なんの努力もなく力を手に入れ、英雄となりハーレムを作る。
まさに俺が理想とする主人公だった。
「ヒロイン可愛いなー。俺もこんな素直で照れやな彼女と出会いてー」
ああなればいいな。
こうならないかな。
理想ばかりを並べて実際に行動に移さない俺は時間だけを無駄に消費していた。
「はっ!! そうだ!! この俺の逞しい想像力を使って異世界モノを作れば瞬く間に人気が出るんじゃないのか!?」
アニメを流したまま、右手にスマホ、左手に炭酸飲料を掴んで検索を始める。
ふむ。
どうやら異世界アニメの大元はどうやらネット小説に辿り着くらしい。素人でも簡単に投稿でき、人気が出ればアニメ化か。
これこそ俺が求めている場所じゃないか?
自分にしか分からない禁断のノートを使えば人気が出るのは間違いない!
俺は設定を考えながら眠りについた。
◇
「ふぅ……。ふっふっふ。まだ、設定しか公開してないのにアニメ化だなんてー。え、実写化、映画化も視野に検討したい? 映画はいいけど、俺の作品は実写には向いてませんよー。……ん? あれ? マネージャー?」
公開した作品を数多の制作会社が求めていると説得をしていた敏腕美人マネージャが、眼を開けるとどこにもいない。
「って、夢か……」
腹の上に乗ったノートを閉じて瞼を擦る。眼鏡が知らぬ間に脇に落ちてしまっていた。
設定だけでそんな話が広がる訳はないし、大体、まだ、ネットで公開すらしていないのだ。そんな話題になるかって。
我ながら調子のいい夢だとソファから降りる。
ジャリっと小石と小石が俺の体重で擦れ、ぶつかった音と共に微かに土煙が舞った。
「……うん?」
土煙?
砂利?
俺は家の中で眠ってたはずだけど?
疑問を感じ手に持っていた眼鏡をかけて辺りを見回す。
「……え? 森!?」
俺の部屋が薄暗いのはカーテンを閉めて電気を消していたから。
だが、今の暗さは生い茂る木々が太陽を遮っていたから。
どんよりとした空気は一度気付けば、安心するマイルームとは想像もできないほどかけ離れていた。俺はこんな場所で呑気に夢を見ていたのか。
「いや、待てよ? 実は今が夢ってことはないか?」
覚えはないが、寝る前に俺はネットに設定を公開し、僅か半時で人気になったとか?
……。
ないか。
となると、次に考えるのは、引き籠っている俺を両親が無理やり引き釣り出したかだ。普通に考えればこっちの案を最初に考えるべきなのだろうが、この辺の順序の入れ替わりが俺が俺でありダメ人間である理由なのだろう。
「取り敢えず、現在地を調べてみるか……」
よくもまあ、こんな場所まで来たのに起きなかったものだ。自分の睡眠の深さには驚かされるぜ。自分で自分の睡眠欲を称賛しながらスマホを手に持つ。
どうやら、俺が寝る前に身に付けていたものは奪えなかったようだ。流石の俺もそれをされれば目覚めるだろう。
多分。
ともかく、スマホがあれば両親からのメッセージや今俺がいる場所を確認できる。遠い場所に放置されていたら嫌だが、まあ、移動できない距離じゃないはずだ。
「……つかないんだけど?」
何度も電源ボタンを押すが電源が入らない。
「電池切れか?」
いや、それはない。
俺は引き籠りなので大概がスマホの充電器はつけっぱなしで操作している。その証拠に住ま斧お尻から白い線がくっついている。
その先にあるコンセントはなく、するどい刃物で切断されたかのように、すっぱりと先が無くなっていた。
「なにも切らなくても……」
こうなったら、両親に新しいスマホごと請求してやる。
じゃなくて、充電していた筈なのに電源が入らないことを問題視しなきゃ。俺に請求する以前に会えなかったら意味がない。
何度も試すが結果は同じ。
液晶は真っ黒なままだった。
「マジかよ……」
寝巻のままの俺はお金も持っていない。
今の俺にあるのは妄想ノートと飲みかけの炭酸飲料。それに電源の入らないスマホだけだった。これでどうやって我が家に戻れというのだ。
「うん……?」
迷子になった時はその場を動くなと言うが、それは子供に限った話だろう。いい年した大人が助けを待って動かないなんて情けなさすぎる。
俺はぐっと力を入れて大きく前に踏み出した。
眠っていたソファはその場に置いていくことになるが、こんなひどい目に遭わせた罰だ。両親に後で買って貰うとしよう。
「…………」
最初の数分は、冒険をしているような高揚感があったが、一時間も経つとすぐに飽きてしまう。森なんて景色が同じだから、方向感覚が狂ってしまう。
あの場を動かない方が良かったのではないか。
近くに人里を無いのではないかと負の方向にばかり思考を巡らせる。それでも、何度か休憩を挟みながら歩いて行く。
「……くそ、こんなことなら腕時計を買っておけばよかった」
スマホで日時の確認をしていたが、使えない今となっては正確な時間を図れない。空を隠すほど生い茂った木々。それでも日が暮れていることはなんとなくわかった。
「夜の森って危険なんだよね……」
猛獣や害虫がいつ現れるかも分からない。
闇が濃くなり俺の身体に巻き付いてくるようだ。
恐怖でその場にしゃがみ込み悲鳴を上げてしまいそうだ。悲鳴を飲み込みはしたが、口から出てきたのは助けを求める声だった。
「おーい! 誰か。誰かいないのか!!」
俺の声に反応する相手はいない。
「くそっ……」
のども乾いたし腹も減った。
疲労、恐怖、空腹から俺は歩く気力をなくして地面に横たわる。もういいさ。こうなったらここで死んでやる。
息子を放置して殺したと話題になって炎上しろ。
「……」
そんなことを考える余力はまだ残ってるか。
ならば、気を紛らわすために妄想ノートに逃げ込もう。ノートを開いて挟まっていたペンを手に取りぐしゃぐしゃとペンを走らせる。
今回は出来の悪い親の元に生まれた天才の話だ。
醜いアヒルの子をモデルに妄想を膨らませていく。
駄目な子供と怒られ続けたが、実はすごい才能を持つ天才だった。開花した才能を使って一躍有名になると、甘い蜜を啜ろうと態度を変える。
そんな両親に小さいころに受けた虐待の復讐をして、殺してしまうという物語だ。
「ふぁ……。なんだか眠くなってきた」
日ごろから外に出歩く習慣がなく、部屋の外に出る時はコンビニに通う時だけ。それも徒歩十分の距離を一週間に一度だけ。
舗装されていない足場で何時間も歩いたのだから、どれだけ状況が悪くても睡魔はやってくる。休憩のつもりで横になったのが失敗だった。
「俺は寝ない、こんな森の中で寝てたまるか!」
頭の中で大見得を切った俺の瞼は――この時には既に閉じられていた。
◇
「おーい。化け物もどき。掛かって来いよー!」
元気に叫ぶ子供の声が聞こえてきた。夢の中で俺は秀才として両親に溺愛されていた小学生の姿だった。そして、俺が化物と呼んだ相手は――未来の俺。
つまりは今の俺だった。
ひげも体形も「こんな大人には絶対になりたくない」と馬鹿にしていた姿。
確かにこれでは化物だ。
「…………」
硬い地面と夢によって一番悪い寝起きだった。
「う、いたたた」
固まった体を解しながらゆっくり立ち上がる。
夢の中に居た小学生の言葉がああ間に残る。
「はっ。お前みたいな奴が夢を叶えらえるわけないじゃんか!!」
ああ。
まさにその通りだ――って、あれ?
俺、もう目覚めているよな?
それとも夢の中で目を覚ます夢を見てるってことか? でも、この体の痛みは実際に感じているし。
不審に思いながら耳を澄ますと、どやら茂みの向こうから子供の声が聞こえていたようだ。
「ああ。テレビつけながら寝ると、その音声が夢に影響を与えるってことか」
とは言え、その台詞を言ったのか小学生の俺だという事は、内心、自分で今の自分を嫌っているという揺るがない事実ではある。
「ここに柔らかい布団があったら不貞寝してるよ。でも、今はそんなことしてる場合じゃないな」
声が聞こえてきた。
昨日はテレビをつけたまま眠ってしまったが、ここにはない。ならば、何故、声が聞こえるのかというのであれば、それは、ここに人がいるという証だ。
俺は軋む身体に鞭を売って茂みを掻き分ける。
掌を丈夫な草で切ってしまい血が出るが、気にしない。すぐそこに人がいるのだ。声がより近くになったところで俺は動きを小さくする。
人を見つけた嬉しさに任せて飛び出したいが、人見知りである俺は、知りもしない人にぬか喜びする姿を見せたくはなかった。
そっと顔がのぞけるだけのスペースを作り、どんな人物か確認する。
「え……っと?」
そこにいたのは4人の子供。
1対3の構図で向かい合っていた。一人でいる子供はどうやら女の子のようだ。年齢はそれこそ俺が夢で見ていた自分と同じくらいか。
小学生くらい。
眼はパッチリと開いており、可愛い人形さんのようだ。
だが、少女が一番目を引くのは淡いピンクの髪の中に、黒髪が斑に映えていることである。ピンクの髪というところに、まずは疑問を抱くが、しかし、向かい合っている3人の子供達も赤い髪だったり、青かったりと黒髪は一人も居なかった。
最近の子供はお洒落だというがここまでとは。
子供たちのセンスに時代を感じていると――、
「おら、おら! 死ね、化け物!!」
3人の子供たちが斑髪の女の子を棒きれで殴り始めた。鈍い音が離れた俺の場所まで聞こえてくる。冗談や遊びではない力で、少女一人を叩いているようだ。
頭を抱えて丸くなる少女。
そんな恰好になっても殴る手を止めない。
「あ、え……ちょっと!」
一人の少女を三人で虐めるような状況で、人見知りだからと言って何もしないほどに俺は人でなしではない。
「やめろ、やりすぎだろ!」
茂みから飛び出した俺に、「誰だ邪魔するのは」みたいな視線を向けてきたが、少年たちの表情は直ぐに青ざめていく。
「何があったか知らないけど、流石に駄目でしょ」
顔を引きつらせて硬直する少年たち。ひとまず俺に殴り掛かってくることはないようだと安心する。
このまま、なんとか説得しようと言葉を選び、いざ、口にしようとした時――、
「うわー。『異端者』だ!」
少年三人は、手に持っていた棒きれを放り投げて、蜘蛛の巣を散らすように逃げていった。なぜ、そんな勢い良く逃げるのだ。
『異端者』……?
まあ、良く分からないが少女を助けられたと思っていいだろう。頭を抱えるようにして丸くなっていたからか、何が起こったか分からず、ずっと同じ姿勢でいる少女。
もう大丈夫だと、俺は優しく肩を叩いて笑顔を向ける。
「少年たちは逃げて行ったよ? 怪我とかしてない……?」
少女は自分を襲っていた少年たちがいなくなったことに、ようやく気付いたようだ。顔を上げて俺の顔を見ると――、
「いやーー!」
大きな声を上げて意識を失うのだった。
……。
あれ? 俺の顔って子供たちが逃げ出して気絶するほど酷かったのかな?
かなり深い傷が心に刻まれたのだった。
◇
「ん……。う、ん……」
「あ、目覚めた?」
意識を失った少女をその場に置いていくことも出来きないし――というのは建前で合って、本音は、ここがどこで、他に人がいないかを知るための手掛かりを手放したくなかった。
子供たちがいるということは、近くに人が住む街があるということなのだろうけど、闇雲に歩き回って見つけられるのか。
少女はまだ、意識が曖昧なのか俺の顔を見て、眼を見開く。油の切れた機械のような動きで首を動かして周囲を見る。
森の中。
俺と少女しかいないことを確認すると――、
「キャアーー!!」
再び悲鳴を上げた。
そうくるだろうなと覚悟はしていたけれど、傷は増えていく。何度も傷付く俺とは違い、少女は俺の姿になれたのか、今回は意識を失うことはしなかった。
それどころか、少女は近くに落ちていた棒きれ(武器として使えるのではないと拾ってきていた)を手に取り先端を俺に向けた。
「折角、助けてあげたのに物騒じゃないか?」
「う、うるさいです。こ、この『異端者』!! 私を掴まえて何をしようとしているのですか!」
丁寧な口調で声を震わせながら「ぶんぶん」と力なく棒切れを振るう。
俺は両手を上げて害を加える気がないことを示して言う。
「『異端者』って、初対面の人間に言うにはちょっと酷くないかな?」
自分で弁解しつつも、そう言えば、最近床屋に行っていないから髪は目を隠してるは髭は濃くなっているはず。そんな原人みたいな姿で、森にいれば勘違いされることもあるかも知れない。
そう気づいた俺は、
「あ、いや。これは違うんだ……!」
髪を持ってただ伸びっぱなしになっているだけだと少女に言う。
だが、少女は俺の持ち上げた髪をみて、より一層、棒切れを振るう手に力を込めた。
「なにが違うっていうんですか! 全然、違くないじゃなですか!!」
「だから、これは伸びてるだけで!!」
「長さなんて関係ありません!」
「え?」
ここでようやく俺は少女は伸びきった俺の髪を見て怪しんでいるのではないと理解した。かみ合っていない歯車が少しずつハマっていく。
「その闇の如くに黒い髪。それこそが『異端者』の証じゃありませんか!!」
「ええ!?」
髪の色って、確かに染めたこともないから真っ黒いままだ。でも、それを言ったら殆どの人間が『異端者』になるのではないか?
あまり子供たちのセンスを指摘したくないけれど、むしろ、目の前にいる少女の方が奇抜な色ではないか。
俺が少女の髪を見ていると、
「わ、私は偶然、こうなってしまっただけです。『異端者』の血は一滴も入ってないもん!」
じわりと目に涙を浮かべて握っていた棒切れを地面に落とした。どうやら俺は触れてはいけないところに触れてしまったらしい。
こうなったというのは恐らくは淡いピンクの髪に混じった黒髪のことだろう。
ただ、髪が黒いだけで少年たちは逃げ出し、少女は意識を失ったのだ。
「それなのに、皆には虐められるなんて……」
堪え切れなくなったのか、ボロボロと留まることなく少女の瞳から涙が流れていく、地面に落ちる雫を見ながら考える。
黒髪が混じっているだけで少女は、数人の少年たちから殴られた。つまり、ここでは黒髪は迫害されるということか。
そして『異端者』の血は入っていないと少女は言った。
そこから、『異端者』とは日本人のことなのかとも思ったが、少女と俺は会話がかみ合っていなかったとはいえ、成立はしていた。勿論、俺は外国語なんて英語すら話せない。
駄目だ。
何が起こっているのか理解できなくなる。
それでも、思いついた質問を泣きじゃくる少女にした。
「あのさ……。ここって日本なんだよね?」
黒髪が虐げられるのは、昔ながらのしきたりで、俺は山奥の村に連れて来られたのだ。
全く。不便な所に置いてかれたものだ。
早く我が家に帰らないと。
だが、そんな俺の思いを砕くように少女は涙を拭きながら首を傾げた。
「に、にほん……? な、なんですかそれは?」
「なんですかって、俺達が暮らしてるこの国じゃないか?」
もう、日本も知らないほど閉鎖された村なのかな?
混乱する俺に、追い打ちをかける少女。
「や、やっぱり、『異端者』の言うことは意味が分からないです。ここはディシティミ王国。にほんなんて、国どころか街にも存在していません」
「……マジか」
どうやら俺は知らない世界に連れて来られたらしい。
03
「お、落ち着きました……?」
「あ、ああ……」
俺と少女は互いに息を切らしながら、言葉を交わした。この世界が俺の知らない世界――つまりは異世界だと知り、本当かどうか様々なことを、一気に質問した。
少女――マリノも俺のペースに付き合うようにしてハイペースで答えてくれた。
と、言っても答えてくれた質問は、極わずかではあるが。
例に俺がした質問をいくつか取り上げてみよう。
まず、一つ目。ここが違うならば、なんで会話が成立しているのか。世界が違ければ言葉も違う方が自然ではないか。何故、日本語が通じるのかという俺の質問に対するマリノの答えは、「知りません」の一言だった。
そんなこんなで俺が得た情報は、ここがディシティミ王国のトツザキ村という、王国で一番の田舎町だということ。
あとは精々、マリノの名前を知れただけだった。
結局何も分からないまま、俺は大の字で地面に倒れた。
ここが異世界だと言われてみれば、空を隠す森の木々も初めて見る種類のように思えてきた。俺は植物に詳しくないので、判別することなんてできないのだけれど。
引き籠りを外に出すとは言ったって、家どころか世界の外に出さなくてもいいじゃないか。年下のマリノが居なければ、年甲斐もなく大泣きしていたことだろう。
涙を堪えて空を見上げる俺に、
「あ、あのー」
マリノが遠慮がちに聞いてきた。
「うん?」
「わ、私からも質問をよろしいでしょうか」
「……あ、うん。どうぞ」
散々付き合って貰ったのだから、俺だって答えられる質問位には答えるさ。
「あ、あなたは、『異端者』なのに、私を襲ったりしないのですか? そ、それとも私をな、仲間だと……?」
『異端者』という言葉を聞いて、俺はまだ、そのことについて聞いていなかったとゆっくり上体を起こした。異世界と聞いてそこまで頭が回らなかった。
マリノは最初から『異端者』と俺を警戒していた。
もし、俺が警戒される対象ならば、今のうちに情報は手に入れて置いたほうがいいだろう。
「質問を質問で返して悪いんだけど、その……、まずは『異端者』ってなにかな?」
「……そこからですか?」
「うん。ほら、俺、この世界に来たばっかりだから」
「本当におかしな人ですね……。いえ、きっと記憶をなくすほど恐ろしい目にあったのですよね」
マリノは何かに納得したのか、俺に強かな眼差しを送って説明してくれた。
「『異端者』というのはあなたのように闇に染まった髪を持つ人間のことを言うんですよ」
マリノは言う。
『異端者』は黒い髪と特別な力を持った悪魔なのだと。
「特別な力……?」
「はい。例えばこんな風に――」
マリノがそう言って目をつぶる。一体何をしているのかと目を細めると、すぐにマリノに起こる変化に気付いた。
淡いピンク色の頭から、小さな三角形が二つ飛び出してきた。黒いふさふさとした耳だ。そして、手首足首からも同じく黒い毛皮と鋭い爪が。
その姿はまるで猫と人の半獣人のようだ。
「え、え……?」
困惑する俺に、マリノは直ぐに黒い毛皮と耳を引っ込める。
そして自虐するように笑う。
「気持ち悪いですよね……。変なの見せてごめんなさい」
「……いや、あのさ、それってこの世界の人間は誰でも出来るわけじゃないんだよね?」
この世界が半獣人の世界だとしたら、それは普通のことである。しかし、俺はまだ、この世界に来てからマリノにしか合っていないので、「変なの」の基準が分からないのだ。
俺の問いかけに、マリノは口を大きく開けて固まったのちに、「あはっはっはっは」と、初めて少女らしく笑った。
「やっぱり、『異端者』はおかしいですね」
「そう、かな……?」
「そうですよ。私はこの力のせいで、ああやって皆から意地悪されてきたんですから」
「なるほど。でもさ、別にそれだけなら、迫害される理由にはならなくない?」
髪が黒いだけ。
不思議な力があるだけ。そんなの上手く使えば人の役に立てるのではないか。引き籠りで自分の世界しか持ってなかった俺はそう考えてしまうのだけれど、マリノたちは違うのだろうか?
「『異端者』であること。それだけで、忌み嫌われるのは十分なんですよ」
「悪しき伝統ってやつなのかな」
そうか。そう考えれば日本でも似たような問題はかなり存在する。
なにかのスポーツでは女性が試合会場に入ることを良しとしなくて炎上したり、政治家が癒着した財団と土地の売買について問題されていた。
伝統だから。
今までがそうだから。
それだけで、人は繰り返す。
この世界では『異端者』だからという理由で迫害する理由には十分らしい。
「そっか。それはまあ、いいか。マイナス面をいくら考えても仕方ないもんね。なら――」
物事はいい方向に考えれば、自然とプラスに進んでいく。
引き籠りの癖にプラス思考に俺がなれるとすれば、それは『異端者』が持つという特別な力にテンションが上がるからだ。
「その力ってどうやって分かるの? 頭に声が響いてくるとか? スキルボードが見れるようになるの? それともやっぱり、神様が教えてくれるのかな!!!」
声を荒げてマリノの身体を揺すって問いかける俺に、「え、え、えええ?」と困った声を上げる。マリノとしては、『異端者』と分かりながらも、なおも元気な俺が理解できないのだろう。
だが、忌み嫌われるだけで『力』が手に入るのだ。
どんな力か分からないが、等価交換と考えれば悪くない。
「どんな力かなー! やっぱり、時を止めたりとかがいいよなー」
俺は待ちきれずに頭の中に居るであろう声に問いかけたり、スキルボードオープンと叫んでみたりするが、何をしても俺の力を示す言葉はどこにもなかった。
「あ、あの。力は自分で見つけてくしかないですよ? 誰も教えてくれません」
マリノ曰く、『異端者』だから力が必ず発症するとは限らないと言うことらしい。最悪、黒髪だからと忌嫌されるだけの『異端者』も多くないと。
「え、じゃあ、もしかしたら、俺も力がない可能性あるの……」
「それは……。その……。分かりません」
「…………」
異世界に来たのに力がないってこと?
なにそれ?
俺はじゃあ、一体、この世界で何をすればいいのだろうか?
ショックを受ける俺にマリノは言う。
「と、取り敢えず、『異端者』はこの世界で生きて行くには厳しいと思います。ですから、まずは、『アムカ街』に向かった方がいいと思います。あそこは、『異端者』のような弾かれた人間が集まってますから――」
マリノも自分が『異端者』と認定された時のために、情報は集めているのか、俺にどこに行くべきかの道筋を示そうとしてくれる。
だが、その言葉を最後まで言う前に、無数の足音でかき消された。
「な、なんだ……?」
どんどんと近づいてくる振動に、マリノが「あ、そんな……」と声を漏らす。
木々を掻き分けて現れたのは馬に跨った三人の騎士だった。
全員が鎧に身を包み、剥き出しの剣を持っていた。着ることよりも叩きつけることに優れた厚みのある刃。
騎士と思わしき男たちの後ろから、
「こ、こいつらです」
と指差す赤い髪の少年がいた。
この少年は見覚えがある。マリノを殴っていたうちの中心人物だ。どうやら彼が、武装している物騒な男たちを連れてきたようだ。
◇
「『異端者』一人と――もう一人は『半端者』ですね」
重苦しい鎧の面をした男の一人が言う。
騎士の鎧姿というと、美化したイラストばかりが溢れているからか、キノコの根元に近い形をした鎧は酷く不格好に見える。いや、現実的にはこういう鎧が俺達の世界でも多いんだろうけどさ。
「違います。あいつは『異端者』なんですよ!」
赤髪の少年がマリノは立派な『異端者』だと、鎧姿の三人に告げる。マリノのような黒髪が混ざった様な姿をしている人間は『半端者』として、『異端者』とはまた違うらしい。
ならば、彼女だけでも助けられるかも知れない。
この世界の『法則』を把握したわけではないのだけれど、俺は空気が読めない訳じゃない。
俺は中心にいる男に一歩近づく。この男がリーダー格なのだろう。
他の二人と僅かに鎧の形状が違っていた。仮面の額の部分に青い宝石が埋め込まれていた。
鎧で目は見えないが、俺に向けられている差別的な感情が痛いほど突き刺さる。
マリノだけなら赤髪の少年に虐められて終わったことだろう。だが、俺が現れたことで、少年はこの武装した男たちに助けを求めたのだ。
マリノは俺に巻き込まれただけ。
助けられる可能性があるのであれば、俺は彼女を助けたい。
「いや、この子は違うよ。力なんて持ってない」
だから、『異端者』は俺だけだ。
マリノのことを知っている赤髪の少年は、「嘘を吐くな」と唾を飛ばして喚くが、リーダー格の騎士が片手で制した。
「なるほど――そうか」
騎士たちの反応に、
「良かった。どうやら分かって貰えたんだ」
と俺は胸を撫でおろす。
『異端者』は忌み嫌われる存在とは言っても、文字通り半端な『半端者』を、好きこのんで差別する気はないようだ。
これで取りあえずマリノは助かるだろう。
いろいろと教えて貰った恩は返したい。
だが――俺の考えは、あくまでも平和な日本で培われたものでしかないのだとすぐに痛感した。
「そいつも『異端者』か」
リーダ格の騎士が言う。
マリノは『異端者』だと。
それに同調するかのように、背後に並ぶ二人の騎士たちが頷いた。
「は? 違うって言ってるだろ! 彼女は関係無いって!」
俺が必死にマリノは無関係だと、力なんて持っていないとアピールするほど彼らの空気が冷えていく。
食ってか掛かる俺に我慢できなかったのか、中心に立つ男が腰に付いていた剣を引き抜き、
「完全なる『異端者』が庇うような発言をした。それで殺す理由にはなる」
馬上から斜めに剣を振るった。
「……っ」
俺は反射的に胴体を僅かに後ろに傾けた。殺陣を経験したことがどうやら異世界で役に立ったらしい。だが、それでも完全に躱しきれなかったのか、視界が一様に明るくなる。
どうやら、目を隠していた前髪を切り落とされたらしい。
「……『異端者』の分際で」
斬撃を躱されたことが頭に来たのか、剣を握る拳が震えていた。
「いや、今のは偶然なんだけどな」
前髪だけとはいえ、剣が本物だと理解してしまった。
刃物なんて包丁すら触らない俺の身体を竦ませる。
「ま、今のは殺さなくて良かったじゃんか。久しぶりの『異端者』なんだから、遊んでから殺そうぜ? 男も女もな」
リーダーだと思っていたが、後ろに控えていた男は軽口で言う。馬上に乗っていても背丈が低いのが分かる。下手したら赤髪の少年と同じくらいか。
彼の言葉に、
「口を慎め。斬撃を交わしたんだぞ? 警戒すべきではないか」
隣に並ぶもう一人の騎士が堅苦しい口調で答えた。
彼らの関係がどうであれ、俺を殺す意思に違いはないようだ。
この世界では、黒髪を持つ『異端者』は庇うこともできない。
『半端者』は疑わしいから殺される。
それが法則らしい。
マリノも殺されることが決まっていい気になったのか、赤髪の少年が言う。
「どうだ? 憧れの『四聖剣』に殺される気分は!! お前みたいな奴は、どんだけ憧れてもなれねーんだよ!」
俺にはなんのことか分からない。
だが、マリノと騎士たちには伝わったようだ。背の低い騎士は大声で「面白い冗談だなー」と笑い、マリノは下唇を噛んで呟いた。
「……私は、まだ、諦めない」
赤髪の少年の言葉が覚悟を決めるきっかけになったのか、俺の前に出ると、マリノは獣人の姿になる自身の――『異端者』の力を使った。
マリノの姿を見て、堅物の騎士が分析する。
「なるほど、『獣の異端』ですか。肉体強化に牙と爪。厄介な相手です……」
『異端者』の力を見た騎士たちは、馬から降りて戦闘態勢を取る。馬上で相手するには獣人のマリノを相手にするには足場が悪いと判断したのか。
取り残された赤髪の少年は、「お、お前……力を持ってたのかよ」と、震えて馬から落ちて行った。どうやら、彼はマリノを力を持たない『半端者』と決めつけて虐めていたらしい。
マリノは『異端者』にならないために力を隠して暮らしていたのか。
「……うん?」
俺はそこで気付いた。
そうか。こいつらは俺が力を持っていないことを知らないのだ。だからこそ、こうして直ぐに襲ってくる真似をしないんだ。
もしかしたら、応援が来るのを待っているのか。
ならば、相手の警戒を使わない手はない。
「やれやれ。本当は力を使って無駄に人を殺したくなかったんだけどなぁ」
俺が目指していたのはアクション俳優だ。
動ける俳優だ。
演じることも――もちろん学んでいた。
俺の『台詞』に、騎士たちが微かに退いた。
「私も戦う……! 必ず『白桜姫』みたいになるんだから!!」
マリノの叫びは更に騎士たちを怯ませる。
俺のはったりに気付いたのか、それとも力が使えないことを忘れたのか分からないが、騎士たちの隙を作った。
「逃げるぞ!!」
俺はマリノの腰を掴んで森の中に逃げ込もうとした。どれだけ隙を作ろうが俺達が勝てるわけがない。いや、『異端者』として力を隠すことを辞めたマリノであれば勝機はあるか?
でも、少女一人危険な目に遭わせるなんて……。
そう考えての逃走だったのだが、俺がマリノに触れた途端に眩い光が周囲を包んだ。
視界を奪うほどに眩い光。
直ぐに光は収まり、眼を開くと――俺の前には巨大な猫が映っていた。
身体を丸めて眠る黒猫。
「なんだよ、これは……?」
俺がマリノに触れたことが原因なのか?
騎士たちも黒猫を確認したのか、
「『猫の魔物』!? だが、こんな巨体な相手は……初めて見た。まさか、こいつは『魔物使い』か?」
剣を黒猫に構えながら喚く。
さっきまでの余裕が感じられない。
「これ……、あなたが?」
マリノが俺に聞くが、魔物すら知らない俺が一番驚いているんだ。とにかく、この状況を利用して逃げようと、少女の手を握って森の奥に走った。
◇
「なんだよ……。異世界ってもっとイージーな世界じゃないのかよ? いきなり悪者扱いで殺されそうになるなんて、俺、聞いてないんだけど!!」
無事に逃げ切れた俺達は、森を抜けてマリノが暮らしているという村にやってきていた。トツザキ村は藁で出来た家で生活しているようだった。
俺が思っている以上に田舎である。
いや、現代に藁の家で暮らす人っているのか?
異世界の暮らしに驚きつつも、人に見つからないように、落葉で頭髪を隠しながら村を抜けた。『半端者』は『異端者』ほどではなくても嫌われているのは確かなようで、マリノの家は、藁の家が集まった集落から、かなり離れた場所にあった。
一軒だけ隔離された場所で、マリノは1人暮らしていたらしい。
「ど、どうぞ……」
ボロボロの陶器に水を注ぎ差し出してくれた。この世界に来て初めて口にする飲料は格別に美味しかった。
「くそ……。なんなんだよ、あいつら」
受け取った水を一口飲んで悪態をつく。『異端者』だからと言って殺しに来やがって。斬られた前髪を触りながら、俺は一気に水を飲みほした。
マリノが俺の正面に座って言う。
「彼らは『四聖剣』の一振り――『ダモクレス』です」
「『ダモクレス』……?」
「はい。『異端者』と『魔物』から人々を守る剣です」
この世界で『四聖剣』に憧れない人はいませんとマリノが続ける。『魔物』とは光に包まれて現れた猫のことだよな……。
でも、なんでいきなり現れたんだ?
そのお陰で逃げられたんだけど。
俺らにとっては幸運だったが、あの騎士たちにとっては悪いのか。
「あー、『異端者』と『半端者』だけで理解が追いつかないのに、更に増えたらもうパンク寸前だっつーの!」
自分で作った小説の設定ならいくらでも暗記できるのに、いざ、本物の異世界を前にして混乱するばかりだ。
両手で頭を掻きむしる俺を見て、
「……あの、もしかして記憶をなくしたわけでは?」
マリノが恐る恐る聞いてきた。
「なくしてないって。俺は違う世界から来たんだよ」
記憶はばっちり覚えている。日本で暮らしていた引きこもりの記憶。引き籠っていろんなジャンルの知識を蓄えていた――ならば、良かったのだが、俺はただ、人が作った作品を見て、音楽を聴いて偉そうに評論していただけの人間に過ぎない。故に、この世界に来た所で使える記憶など一つも持っていないかった。
くそ。
なんだよ、異世界って神様と交渉できるんじゃないのかよ。
ステータスと共に音声案内してくれるナビがいるんじゃないのかよ。そんな都合のいい異世界は所詮、異世界モノの中にしかないのだろうか。
目の前でちょこんと正座する桃と黒のまだら模様の髪をした少女は、苛立つ俺を心配そうに見つめる。
「ところで、あの……、あなたの名前を教えて貰えませんか?」
「あれ? 言ってなかったっけ?」
「はい……」
「えっと、俺は――」
待てよ?
この異世界に来たんだからご丁寧に本名をなのらなくてもいいのではないか? ゲームやSNSで使うハンドルネームを使ったほうが、むしろ気分はいい気がしてきた。
「俺はタイガだ」
悩んだ末、俺はハンドルネームを名乗った。
因みに本名は大路 雅。
大きな道を進んでもいないし優雅でもないが、まあ、生まれた時はこんな引き籠りになるとは両親も思っていなかっただろうから仕方ない。
因みにタイガは単純に大と雅をとってくっつけたシンプルなモノだ。それでも、単純だからこそ気に入っている。
「タイガさん……ですか」
「あー、タイガでいいよ。マリノにはお世話になったし」
「は、はい。分かりました」
ペコリと丁寧に頭を下げる。
そして、俺の様子を伺うように言った。
「あの、ひょっとして、タイガの『異端』って――、『魔物を生み出す異端』じゃないんですか?」
「え……?」
「だって、それしか考えられなくないですか? あのタイミングで、いきなり『魔物』が現れるなんて都合がよすぎます」
「そう……なの?」
都合がいいって言われても、俺からすれば『魔物』がああやって現れると言われれば信じるしかないんだけどな。
でも、どうやら、マリノの反応を見る限り、普通はあんな風に現れるモノではなないらしい。だからこそ、マリノは俺の持つ『異端』が『魔物を生み出す異端』だと考えた用だ。
「でも、何で出来たのかよく分からないよ?」
「……な、なるほど。ち、因みになんですけど、現れた『魔物』を操ったりできるんですよね?」
「……?」
出来るわけがない。
そもそも俺の『異端』で生み出されたのかも、まだ信じ切れていないのだ。なのに、あんな化け物と意識を通わして操れるわけがない。
首を傾げる俺を見て、正座したまま高速で飛び跳ねて距離を取った。よく見ると『獣の異端』を発動しているではないか。
「と、取り敢えず力は使わないで下さいね……。こ、こんな場所で『魔物』出されたら、私達――死にますよ?」
「そんな大げさな」
「大袈裟じゃありません。『魔物』は、あの『四聖剣』ですら、一人で勝てる人間はそうはいないのですから!!」
「だから、そんなこと言われても使い方が分かんないんだって――」
どんなに注意するように言われてもどうしようもない。だったら、『異端』の使い方を俺に教えてくれとマリノに頼もうとするが――、
『グオオオォォォ!!』
と、獣の方向が集落の方から聞こえてきた。
マリノと互いに顔を見合わせる。
「まさか……、さっきの『魔物』がここに……?」
マリノが家から飛び出していく。
なにしに行くんだ?
さっき、自分が一人では『魔物』に勝つのは難しいっていったばかりではないか。
「なんで、行くんだよ!」
俺はマリノの後を追うようにして家を出た。本当はあんな化け物がいる場所には近寄りたくもないが、もし、俺の『異端』で生まれたものだったのなら、俺がなんとか出来るかも知れない。
俺は自分に与えられた力を、意味を求めてマリノを追う。
「……なんだよ、これ」
マリノは『半端者』として集落から離れて暮らしていた。それが原因だったのか、集落に付いた俺達の前には、爪で引き裂かれ食いちぎられた人間達の姿が無残に転がっていた。
全員、髪の色が明るい。
だが、それよりも目につくのは血の赤だ。
「『魔物』の仕業です」
マリノが指差すのは村の中心に居座る猫の化け物。
黒と白の縦縞模様も相まってホワイトタイガーのような印象だ。だが、仮にこの『魔物』を虎としたところで巨体であることには変わりない。足一本がこの集落の家と同じ大きさなのだ。じゃれるように引っ掻いただけで藁の家は吹き飛んだことだろう。
俺達が跡形もなく消し去られた命たちに息を呑む。
その時――、
「わ、私は『ダモクレス』の剣として、人々を守る! 『魔物』よ、この村の命を奪った罪は重いぞ!」
さっきまで俺達を殺そうとしていた騎士たちのリーダーが剣を杖代わりにして歩いてきた。見栄を切った声は、激痛と口内の怪我からくぐもっていた。
俺が見ても立っているだけで限界だと分かるが、本人は戦う気だった。
地面に突き刺して支えていた剣を抜き取り構える。
巨大な『魔物』に向かってゆっくり、足を進めていくが――、
『プチリ』
人が潰れたとは思えないほど軽々しい音で、『ダモクレス』の騎士は命を落とした。あれほど傲慢で自信に満ちた男が、呆気ない死を迎えた。
「う、うわあああ!」
「き、きゃああああ!」
俺とマリノの悲鳴が重なる。俺達の叫びを聞き取ったのか、『魔物』が首を動かしてこっちを見る。
モノクロの身体に浮かぶ赤い瞳。
それは殺した人々の血を吸い取ったかのごとく赤かった。
「が、がぁ……、う、おぇ……」
生々しい死を前に、俺は胃の中を吐き出した。
さっきマリノの家で飲んだ水しか出てこない。
血流を伴う死を初めて見た。見たことがあるとしても精々、道端で車に惹かれてしまった狸や猫をみたことがあるくらいだ。
なのに、いきなり、人が獣に潰された。
「タイガさん、だ、大丈夫ですか?」
マリノが俺の身体の下に入って体を持ち上げようとする。どうやらマリノは少女ながらにも死を乗り越えたようだ。
少女に助けられてる場合じゃないと、俺は唾を飲みこみ足に力を込めて立ち上がる。
「大丈夫……。あの、『魔物』をどうすればいい?」
「逃げるしかないです。私達じゃ文字通り足元にも及びません」
「……そうなんだ」
俺とマリノは『魔物』に背を向けて全力で駆ける。デカい図体ならば動きが遅いという可能性に賭けるが、猫の見た目の通り俊敏だった。
軽々と俺の頭上を飛び越えると、柔らかな動作で着地をした。
「くそ……」
逃げることすら出来ないのか。
ただ、『ダモクレス』の騎士たちから逃げたかっただけなのに、何故、こんな目に遭っているのか。休む間もない理不尽に、俺の眼には涙が浮かんでいた。
地面に着いた『魔物』が、俺達を試すように前足を振るった。『魔物』からすれヴぁ、じゃれるような力加減だったのだろうが、直撃した俺とマリノは数メートル吹き飛んだ後に地面を転がった。
「ああ……」
痛みで頭に霧がかかったようだ。痛みを越えて感覚がマヒしてくる。なんでこんな目に遭わなきゃいけないんだよ。
引き籠って働くということを拒んだ俺に対する罰だろうか。
なら、ならば、せめてマリノは助けてくれ。
祈るように手を重ねて祈る。
異世界にも神はいるのだろうか?
俺を転移させたのが神ならば、ここで助けてくれないだろうか。
だが、何も起こらない。
弱った俺を踏みつぶそうと『魔物』が右足を振り上げて叩きつける。
「あぶない!」
マリノが俺の腰に掴んで滑り込む。間一髪で『魔物』の腕が空を切った。
「な、なにをぼーっとしてるのですか!」
俺を庇う幼い少女の瞳には諦めはなかった。
力でも勝てない。
逃げることもできない。
それなのに、なんで、そんな目で俺を見るのか。
「諦めたら、死ぬんですよ? それでいいのですか!!」
もう、それでいいや。
俺にもう叶えたい夢もない。日々の生きがいが成功者を侮辱して、妄想内で殺すだけの男だ。アクション俳優という夢に破れた時から、既に俺は死んだんだ。
「夢がどうしたんですか!!」
口に出したつもりはなかったのだけど、どうやらマリノに聞こえていたらしい。自分の声のボリュームも分からなかった。
「私は『四聖剣』に入ることを諦めません。例え『半端者』として生まれても、『魔物』が前に現れようとも、夢のために戦います」
マリノは『獣の異端』を使って『半獣人』の姿になる。
「逃げることもできないなら、戦うしかありません!」
「でも、勝てないんでしょ?」
マリノが言ったんだ。
俺達じゃ足元にも及ばないと。それを知っているのに戦おうとするマリノ。
「はい。ですけど、タイガさんが逃げる時間くらいは作れると思います」
「そんな……。俺だけなんて」
少女を置いて逃げるなんて……。本来なら俺が「マリノを守るために囮になる」と言わなければいけないのに。
それどころか――マリノが囮になると言ってくれてどこか安心してる自分がいた。
卑屈なのは妄想だけではないじゃないか。
ここは俺の世界じゃない。
異世界だ。
よく考えろ――自分が助かるために少女の救いに、むざむざ手を伸ばした人間がいたか? ここで言えばなれるんだよ。
異世界の主人公に。
この場で命を落とすにしても――犬死よりはマシだ。
「いや、俺が――」
マリノが生きるべきだと言おうとしたが、「ツっ」と手を伸ばして言葉を遮った。
「いいんです。『四聖剣』の真似事だとしても、人を助けて死ねるなら、私としては悔いはありません」
俺よりも先に覚悟を決めたマリノの意思は固い。『獣人』となった肉体を使って軽々と跳躍して『魔物』の顔に飛び掛かった。
「今のうちに逃げて下さい!!」
『魔物』の顔を引っ掻きながら叫ぶ。
くそ。
なんでだよ。俺は異世界の主人公になるつもりだったのに、なんで体は勝手に逃げ出してるんだよ。
転びそうになりながらも全力で走る。
引き籠っている間も、夢の呪いは続き身体だけは鍛えていた。息を切らしながら背後を見る。『魔物』もマリノの姿もいなくなっていた。
「……」
現実逃避で見ていたアニメの主人公に憧れなんてしなかった。
自分を奮い立たせる嘘は脆く、少女の一言で砕け散った。いや、砕け散ることを前提で言ったんだ。
「卑怯だな……俺は」
人生全てが卑怯だ。
アクション俳優になりたいからと、高校卒業して働きながら資金を集めると親を説得した。
仕事でミスすれば俺は家で練習して疲れてるんだ。他の奴らとは違うと仕事のミスを誤魔化して、そして、家に帰れば仕事をしたんだから今日は休もうとアニメや漫画ばかりを見ていた。
言い訳だらけの人生は異世界に来たからと変わるわけはない。
世界が変わっても人間は変わらない。
「いや、違う。変えるんだ」
変わるのを待つんじゃない。
自分で変えるんだ。
異世界に来た。そんな最高な環境を与えられたのだから――動き出すべきだ。コロコロと自分の中で思いが動いていく。
まるで、哲学書や自己啓発書を読んだときみたいだ。なにかに影響されているかのように、自分とは思えないほどやる気が湧きあがる。
「うおおおおお!」
俺は気合の叫びをあげて全力でマリノの元へと戻った。
◇
俺が戻るとマリノは『魔物』に咥えられていた。『魔物』と同じく『獣の異端』で猫の姿に近づいているからか、仲間だと思われたのか。
咥えたままゆっくりと歩いて行く。
破壊した集落には興味がないと言わんばかりに、死体と残骸を踏みつけながらだ。俺は『魔物』の背に向かって叫ぶ。
「待てよ!」
声に反応するように足を止めた。
「タイガさん!? な、なんで戻って来たんですか!?」
マリノが俺の姿に目を見開いた。命を賭けて助けたはずの俺が、再び命を捨てようとしたのだから当然か。
「なんでって、そりゃ、俺もマリノを助けたいからだよ」
言い訳をするのはもうやめた。
助けたいなら助ける。
力の差なんて知ったことか。
『魔物』はマリノを放り投げると、雄叫びを上げた。そして勢いよく俺に飛び掛かる。鋭い牙をむき出して齧り付こうとする獣に、勇ましく飛び込んだ俺は両手を顔の前に掲げて目を閉じる。
どれだけ覚悟を決めようとも、俺に出来ることなんてない。
願わくばこの隙にマリノが逃げてくれることを祈るばかりだ。
死を覚悟した俺の心はどこか落ち着いていた。だが、どれだけ待とうとも痛みも衝撃も襲ってこない。
何が起こったのかと目を開くと――、
「やれやれ。『異端者』は何を考えているのか分からないな」
そこには一人の騎士が立っていた。
透明度の高い白髪が風邪に靡いて揺れる。『ダモクレス』の騎士たちとは違い、必要最小限の鎧しか付けていない騎士は――女性だった。
機動性を重視するためなのか、鎧どころか布面も少ない。髪と同じく白く柔らかい肌が惜しげもなく晒されていた。
だが、なによりも目に付くのは――首が落ちた『魔物』だった。彼女の持つ剣で切り落としたのか。
「は、『白桜姫』……?」
マリノが彼女の名前を呼んだ。
『白桜姫』?
そう言えば、マリノがなりたいと言っていたな。それにしても『白桜姫』という言葉は彼女に相応しいな。その美しさは『魔物』の死体が背にあるにもかかわらず、まるで桜が舞っているかの如くに彼女は優雅で美しかった。
美しさと強さを見せつけた彼女は言う。
「ああ。その通り!! 私こそ『四聖剣』が一振り――『トツカ』の頂点で在り象徴。更にはウィンドガル家が次女――アオイ・ウィンドガルドだ!!」
胸を張って自身の所属している『剣』と一族を名乗った。名乗られたところでそのすごさは俺には伝わらないが、マリノは恭しくお辞儀をした。
そんなマリノに、
「仲間を守るため、『魔物』に一人で挑むその心意気は見事だったぞ」
「あ、ありがとうございます! 『半端者』(わたし)なんかにはありがたい言葉です」
「優れた人間ならば、『半端者』だろうと『異端者』だろうと関係はない。それに、私は前々からお前のことは知っていたぞ? マリノ」
自分の名前を知られていることに小さく跳ねて喜ぶ。
『半端者』と侮辱されながらも『四聖剣』に入るために努力をしていたことが、どうやら『トツカ』に伝わっていた、という話らしい。
「ありがとうございます! で、でも、なんであなたのような人がここに?」
後で聞いた話なのだが、ウィンガルド家というのはこの世界でもっとも財力を持つ一族らしい。その一族でありながら、人々を守るために『トツカ』の頂点に立つアオイは、かなりの有名人だということだった。
そんな彼女が、何故、こんな田舎にいるのかとマリノが聞いた。
「いや、ちょっと噂を聞きつけてな。ここに『『魔物』を生み出す異端』を持った人間がいると」
ちらりと俺を見る。
確かにマリノもそんな疑いを抱いてはいたが、そもそも噂が流れるにしては早すぎる。マリノしか知らないし、まだ、この世界に来て一日だ。
それとも、『魔物』に殺された『ダモクレス』が報告したのだろうか? 呑気にそんなことを考えていた俺に対して、憧れの人に在って浮かれていたマリノが俺を庇った。
「ちょっと待ってください。タイガは『異端者』でも悪い人じゃ――」
「分かってるさ。じゃなきゃ、ここに戻ってきたりはしない。もしも、見捨てるような人間ならば、あの場で即刻、『異端者』として殺していた」
「な……」
じゃあ、ひょっとして叫び声を上げながら走っていた所を見られていたのか?
恥ずかしいな。
どちらにせよ、俺を殺すつもりはもうないという意志を示すためなのか、剣をしまって話を続ける。
「人を救う意識があるお前だからこそ、私は頼みがあるのだ」
「頼み……?」
この世界でなにもできない俺に頼み?
ま、まさか――!
主人公っぽいしたことでヒロイン攻略ルートに入ったのか? マリノを助けに戻った俺を見て惚れたのか?
ようやく、異世界らしいことが起こるじゃないかと、命が助かった安心感も相まって浮かれ始める俺にアオイが言った。
「私のために『魔物』を生み出し続けてはくれないだろうか?」
「はぁ?」
俺の舞い上がった気持ちは、どこに辿り着くこともなく消えて行った。
『魔物』を生み出し続ける?
いや、仮に俺にその力が会ったとしても、何故、そんなことをしなければいけないのだろうか? この集落の惨状から見るに――『魔物』なんていない方がいいだろう。
「な、なんでそんなことをするのですか?」
マリノが聞いた。自分が暮らしていた村が滅んだ直後なのだ。例え憧れだった人間の発言でも聞き逃せなかったのか、少し強い口調になっていた。
「『始祖の異端者』」
アオイが短く言う。
その言葉にマリノの表情が固まった。まるで名前も存在も思い出したくないと強張っているようだ。
「奴が活動を始めたらしい。それが影響なのか、全国各地で『半端者』が生まれ、『異端者』が徒党を組み始めた」
「そんな……」
マリノが更に落胆していく。
どうやら、どこの世界でも情勢は厳しいのだろう。
「だからこそ、この男の力が必要なのだ。『異端者』たちと戦うには装備が必要だからな」
そして、この世界で装備に使われるのは『魔物』の素材だと、『魔物』の死体を見つめるアオイ。
なるほど。
あ、いや、なるほどと心の中で頷きはしたけど、全てを理解した訳ではないが、アオイの言いたいことは理解できた。
つまりは、安定した供給を望んでいると言うことか。『ダモクレス』が一匹の『魔物』に三人がやられた。『四聖剣』だから、必ず勝てるという訳ではないのだろう。
更には『魔物』を探す手間もある。
それに対して供給をする人間がいれば、アオイのような力のある人間の近くで出現させることが可能だ。
手間も人が死ぬ危険性も減少すると言いたいようだ。
「勿論、唯でとはいわん。この首輪を付ければ、ウィンガルド家の公認ということになる。『異端者』でもまあ、最低限の行動は約束できる」
真っ白な首輪。
中央にはウィンガルド家の家紋なのだろうか。翼を持った獅子が天へ駆け上るようなエンブレムが黄金で作られていた。
「……」
最低限の行動というのは、理不尽に命を狙われなくなると言うことだろうか? 髪が黒いからといきなり騎士たちに殺されそうになることはないのか。
「そ、それは……! 絶対貰った方が良いですよ!! タイガさん!!」
マリノが興奮した口調で俺に近寄ってきた。
そして俺の服を掴んで速く受け取ってくださいと体を揺らす。
「なら、それマリノに上げるよ。俺は別に興味ないし」
俺の言葉にマリノが、
「なに言ってるんですか! あれがあれば自由に買い物が出来るんですよ! 門前払いされることもないんですよ! 街に出ていきなり殴られたり、物が飛んでくることもないんですよ!」
「そんな目にもあうんだ……。うーん、でも、俺、多分外に出ないしな」
元が引き籠りだから外に出るという行為に魅力は感じられなかった。そう言えば、この世界にネットってあるのかな?
異世界ネットとか誰か作ってないかな?
マリノの家にはそれらしきものはなかったけど、それはこの集落が田舎だからだと思いたい。いや、だが、こちとら数年間引き籠りやってるんだ。
言うなれば引きこもりのプロだ。
ネット環境がないというだけで、外に出るほど甘い時間を過ごしてきたつもりはない。
……実際には甘い時間だったんだけど。
ぐっと、ガッツポーズを取り、直ぐに首を落とした俺を見て、アオイが笑う。
「ふむ。ますますお前のことを気に入ったぞ。分かった。その少女にもこれを渡そう。それでいいか?」
アオイが二つ渡すことでいいかと俺に確認してくる。うーん、別に俺はマリノだけ貰えればいいんだけどな。でも、まあ、マリノがいいならそれでいいかと、「それでいい?」と聞いた。
「え、その……私もいいんですか?」
俺に聞かれたマリノが今度はアオイに聞く。
一周してしまった。
無駄な行為ではあるが、人の意思を尊重することは大事だ。
「本当に無欲な『異端者』だな。では、準備はしておこう」
こうして俺はアオイと手を結んだ。髪が黒いと言うことで『異端者』扱いされた俺は無事にこの世界でやっていけるだろうか。
心強い二人の女性と共に――俺の異世界生活は始まっていくのだった。