173.分裂
ちょっと奥まったところにあった路地に入ると、ミザンスロピーをおろした。ここまで来れば野次馬もいない。
「ヴォルフの婚約者になるのー」
まだ泣いている。そこまでトラウマになっているのかな。
「スー、お腹が絶対に緩くならないように出来ないの?」
「それは無理だよ。菌は自然に排出されちゃうし、私のお願いした菌は世代交代で居なくなるから」
そうなると、ミザンスロピーはまたお腹に悩まされることになるのか。氷の魔法でお腹を冷やしているんじゃないかな。
「ヴォルフ、ミザンスロピーも婚約者にしてくれない?」
だから、なぜ婚約者にこだわるのか。
「ミザンスロピーはこれでも有名な魔法使いなんで、婚約でもしたと言わない限りこの町を離れられないと思うの」
ミザンスロピーはスーの言葉にウンウンと頷いている。
「でも、僕が戻るのは無人島なんだよ。何もないし、割と退屈だと思うよ。それでもいいの?」
「退屈にはなれているから大丈夫!」
心が痛い。忘れていた前世のさみしい記憶が甦る。
僕も孤独な子供だったから、退屈にはなれていた。それでも異世界転生小説がなかったら、たくさんある暇を無駄に寝て過ごしていたかもしれない。
お腹が弱いミザンスロピーはなかなか家から離れられなく友だちも一緒に行動できないから、友達が出来なくて孤独に育ったのだろう。
そう考えるとなんか他人事じゃなくなってきたなあ。
「ミザンスロピーは僕が婚約者でいいの? 優秀な魔法使いなんだからお腹が弱くても結婚相手には不自由しないんじゃない?」
「私の魔法が目当ての男と結婚したいとは思わない! お腹のせいでみんなと行動できないのはもうごめんなのよ!」
そこまでか。
スーをフェルゼンハントにおいておくわけにもいかないし、これはミザンスロピーも婚約者として迎え入れるしかなさそうだ。
スーを婚約者にしたことで、さらに婚約者が増殖しているような気がする。まあ、スーとしても知り合いがたくさんいた方が寂しくないだろうけど。
「わかった。ミザンスロピーも婚約者として迎え入れるよ。よろしくね」
「最初から素直にそういえばいいの!」
まだ目は潤んでいたが、顔は笑っていた。どうやら安心したようだ。
「ところで、ミザンスロピーって本当の名前は何て言うの?」
「ミーだ。呼び捨てでいいぞ!」
これが「ピー」とかじゃなくてよかった。
「一応、ミーの雇い主にも話を通しておいた方がいいよね?」
「雇い主などいない」
「え? でも氷をいっぱい出していたよね?」
それにスーを取り返すのを手伝った人いるんじゃないの?
「あれで報酬は貰っていないから大丈夫なの!」
じゃあ、ただで手伝っていただけなのか。しかも市場の大半の氷を供給しているんだっけ。
「スー、知ってた?」
「知らなかった。あれってボランティアだったんだ……」
これはもっとひと悶着ありそうだなあ。下手をするとフェルゼンハント全体を敵に回しそうだ。
僕としてもフェルゼンハントを出入り禁止になるのは避けたい。まだ海産物を一つも買っていないし。
「それじゃ、親御さんには挨拶しなきゃ」
「親は放浪の旅に出てる。どこに行ったかわからない」
ミーは十二歳ぐらいに見えるのに、ひとりで置いていったの?!
「じゃあ、親代わりの方は?」
「バカにしてるの? 私は九十六歳だよ? いくらお腹が弱くてもひとりで暮らせるって」
どう見ても百歳近いとは思えないんだけど。
「私はハーフリングと雪の妖精の合の子だから、人間の寿命よりずいぶん長いんだ」
スーも知らなかったようでびっくりしたようだ。
「九十六歳にもなってあんな子供みたいな泣き方するの……」
あ、そっち?
大好きなスーから精神的な未熟さを指摘されてミーはまた泣きそうになる。
精神的な成長というのは他者との関係性の中で生まれてくるものなので、ミーが精神的に幼いというのは仕方ないと思う。
かくいう僕も前世と合わせれば三十歳を越えているのに、精神的な年齢は十六歳に届くかも怪しい。
そう言えば、三十歳を越えても童貞なら魔法使いになれるという話があったけど、僕はまだ魔法は使えない。騙したな!
「ミーは外に出ることも少なかっただろうし、精神的な年齢が幼いのも仕方ないよね」
「そうなの!」
僕がフォローするのを見てスーはニヤリと笑った。
「婚約者になるとヴォルフが守ってくれるんだねえ」
そりゃ、守るよ。普通でしょ。確かに僕も精神的な年齢が幼くて頼りないかもしれないけどさ。
「ヴォルフとスーがいれば私は幸せになれそう! ずっと一緒にいてね」
ミーもこうしてみると中々に可愛い。どこかの女神さまみたいだ。
「では、そろそろ任務に戻りましょうか。はやくしないと買い物する時間がなくなるよ」
そうだった。いや、買い物はついでなんだけど、ここで買い物を済ませておかないと、次はいつ来れるかわからない。
うーん。
「どうしたの?」
「いや、フリーデンに住もうかな、と考えてはじめまして」
よく考えたらここまでの情報で宰相派がビルネンベルクの実権を握ったのは確実なんだよね。でも、かなりの強硬手段だろうから、ビルネンベルク国内をまとめるのに手こずるのは確実で、カルラの暗殺どころか、暗殺の必要性すらない状態でフリーデンまで手を出してくるとは考えにくい。
そうなるとわざわざ無人島に引っ込む必要もなく、ブラウヴァルト辺りに居を構えて美味しい食事を食べながら今後の策を練った方がいいだろう。
「ダメだね」
薔薇色の未来を夢見ていたらスーに断られた。
「なんで?」
「フリーデンに来たら婚約する理由がなくなる人たちがたくさんいるから」
それって僕にとっては割といい方法なんでは? 婚約しなくても仲間になってくれれば僕はいいんだし。
「ソニアとか自殺するかもよ?」
「まさかあ」
といいながらもソニアのことを考えると実際にやりそうな気がしてくる。僕のせいで自殺されたりしたら寝覚めが悪いなんてものじゃない。
「やっちゃうかな?」
「やるよ、確実に」
「じゃあ、この案はダメかあ……」
とてもいい案だと思ったんだけどなあ。
「でも、フェルゼンハントのビルネンベルク側の隣にある町を手中に納めちゃえばいいんじゃない?」
「スーは簡単に言うけどさ」
「簡単だよ? 私は必要がないから今までやらなかっただけ」
怖い。スーが魔王のような笑みをたたえてる。
「私の力ってミーのお腹をなおすだけじゃないんだよ?」
仮にスーの力で軍隊を無効化したとしても、そのあとどうするんだろう?
「町に謎のカビを発生させて、それを一掃できる魔法使いとしてミーを売り込めば一気に救世主扱いになるし、そうなれば実権を握ることは容易いでしょう?」
どう考えても暗黒サイドです。
「そ、それは……」
僕は倫理的に抵抗があった。
「ミーも救世主としてみんなからちやほやされたいでしょ?」
「されたい!」
みんなと仲良くなる方法を知らない無垢なミーを抱き込む暗黒話術使いがいる。
「スーはミーをたきつけないように」
「でもさ、実際、ミーは適役だよ。人間じゃないし、傀儡になると甘く見てくれるし」
そして、実際は僕たちが傀儡にするんでしょう?
「それでうまくいったとしても、南北をビルネンベルクに挟まれちゃうよ」
「そこはヴォルフに頑張ってもらって南ビルネンベルクを手中に納めてもらうということで」
スーは何も知らないふりして、結構な情報を集めていたんだね。これって僕が考えていた対宰相派の戦略そのものだよ。
「とりあえず、情報を集めるだけ集めたら、ブラウヴァルトに戻ってみんなに相談してみよう」
「そうだね。ヴォルフの婚約者たちにも会いたいし」
「婚約者たちって何人いるの?」
そう聞かれたミーの問いに、すぐに人数が出てこなくなっていることに気がついて僕は愕然とした。何人になったんだっけ?




