171.嫌人
市場の東側は僕の想像に反して生の魚も売っていた。そのどれもが氷付けになっており、前世でいう築地市場のようだ。
「なにこれ!」
俄然テンションが上がる。
「氷魔法を使う魔法使いを雇っている商人も多いの」
サリーがテンションが上がって変になっている僕の後ろから小走りでついてくる。
「先に言っておくと『嫌人症』と呼ばれる女魔法使いが大半の氷を供給してるんだけど、私と仲が悪いの」
「その人って嫌人症というぐらいだから人間嫌いなんでしょ?」
「まあ、そうなんだけど、特に私は嫌われていると言った方がいいかな? とにかく出会ったら私は逃げるね」
「有無を言わさず攻撃してくるとか?」
「それに近い。私がフェルゼンハントを出たのはミザンスロピーがその立場を利用して追い出したという方が近いから」
パッと見てスーは人当たりもいいのに、そのまで関係が拗れるとは、何があったのか逆に気になる。
「わかったよ。ミザンスロピーを見掛けたら市場から離れよう」
大体、これだけ人が多い市場に人間嫌いの人が来ることもないだろうし。
「今日は味噌汁の材料を集めたいから、鰹節とニガリ、ワカメか昆布を買いたいなあ」
僕は自分の欲望丸出しで買い物リストを作成する。
「うーん。鰹節に当たるものはないかも」
「時間はあるし、ちょっと歩きながら探してみようよ。ついでにお昼御飯になりそうなものでも探しながら」
鰹節がないのは残念だけど、昆布があれば出汁は取れるし上品な美味しさのお吸い物も作れそうだ。
ブラウヴァルトで料理器具は一式買ってあるし、ここで乾物を買っていけば無人島に戻っても美味しいものが食べられそうだ。
でも、人数増えたから大量に買わなきゃならないんだよね。鞄は大きいのを持ってきたけど、入るかな?
「あ、あそこに焼き魚があるよ」
指をさした先にはシシャモのような小魚を焼いて塩をふっただけの魚が売っていた。周囲には魚の焼ける香ばしい匂いが漂っている。
確かにおいしそうだ。これでマヨネーズがあればいうことないんだけど。材料はこの世界でも手にはいるし、あとで作ってみよう。
「じゃあ、まずはおやつがわりに買いますか」
今回の買い出し、もとい偵察任務に伴って軍資金はたっぷり貰ってきた。いつもはお金を婚約者たちに払ってもらって情けない思いを今日は奢れるぞ!
「はい。どうぞ」
「あ、ありがとう。お金どうしたの?」
「サリーがヴォルフにお金を出させないようにとたくさんくれまして」
なぜ婚約者の方々はこうも気が利くのだろうか。そして、どうしてそこまでして僕にお金を使わせないのか。謎だ。
「まあ、そんなに無駄遣いする気はないし、気にしないで」
僕個人としては気になるのだけど、お金の出所がすべてドーラの宝物なので、気にするようなことではないのな確かだった。
「さて、奥の方へ行って大きな魚でも見ましょう」
手に持ったシシャモを行儀悪くも齧りながら歩いていく。
「大きな魚って何があるの?」
「たまにマグロとかカジキとかあがってるんだ。腐りやすいし、すぐに食べないとならないから人気ないみたいだけど、私はこっそり大トロとか分けてもらって食べてるよ」
大トロ!
「マグロあるといいなあ」
醤油もあるようだし、あとはワサビなんかあれば最高だ。こうなると、包丁を持ってくればよかったと欲が出てくる。
今度来るときはカルラを氷魔法を覚えてもらって来よう。
市場の東の方は比較的腐りやすいものを取り扱っているらしく、時々腐った臭いが混じるようになってきた。氷で冷やすと言っても巨大な市場全体を冷やせるほどではないので、日が高くなると氷も役に立たなくなってくる。
「あ、あそこにマグロあるね」
ちょっと小さいのでキハダマグロかな。キハダマグロはマグロ属じゃないんだけど、もう美味しければなんでもいい。
「あ、だめだ」
スーの視線の先をおってみると、そこには氷魔法と思われる魔法を行使する魔法使いが大量のキハダマグロを冷やし直すために氷を作っていた。
スーの反応からあれがミザンスロピーだと分かる。キハダマグロは惜しいが余計な揉め事を避けるためにも別の場所へ移った方がいいだろう。
「あれがミザンスロピーだよね? 一回広場まで戻ろう」
「うん。ごめんね」
「気にしないで」
誰にだって苦手なものがあるし、それを無理強いしてもあまりいいことは起こらないことは知っている。スーを庇うようにミザンスロピーとスーの間に入った。
「あら? そこにいるのはスーじゃないの?」
後ろから高慢な喋り方が聞こえる。僕はそれに応じないようにスーを促して歩き始める。
「ちょ、ちょっと! あなたの永遠の宿敵が声をかけているのですよ! こっち向きなさい!」
背中に雪玉が当たったので、流石に振り向くと、フードをおろしたミザンスロピーが立っていた。
煌めく青色をした髪の毛が印象的だ。白い肌に小さな体はまさにゆきんこと言った印象を受ける。
ここまでの僕の感想。
この子、絶対にスーが好きだよね? 嫌人症とか嘘じゃないの?
「そこのあなた。スーを今すぐに解放なさい。嫌がっているわ」
スーは僕に向かって「違う違う」と言っている。
「どちらかと言うと、スーは君のことが嫌いなようだけど」
「な! そんなことないわ!」
「ごめん。正直、苦手」
スーの正直な告白に目を丸くするミザンスロピー。
「……なるほど」
この「なるほど」は事実を事実として受け止められないときに、他者へ責任転嫁するときのなるほどだよね。
「あなたがスーをかどわかしているのですね! 待ってなさい、スー。今助けてあげるわ!」
僕はミザンスロピーに対抗する手段を持ち合わせていないので、事が起こってしまったら一度引いてタルやドーラを呼びにいくしか方法がなくなってしまう。
「大丈夫。ヴォルフの手間は取らせないわ」
スーはなにか呟いたかと思うと、ミザンスロピーが突然ぴょこっとはね上がった。
「き、今日はここまでにしてあげるわ!」
そういっておしりを押さえながら、路地裏へ逃げていった。
僕がいぶかしがっているとスーは「ちょっとね」と言ってウインクした。
スーの能力に関係あるんだと思ったけど、怖くて何をしたのか聞けなかった。おしり押さえていたけど、あれはどういう意味なんだろう。
「スーってもしかして強い?」
「あの子限定だけど」
ミザンスロピーはキハダマグロを冷やしている氷の量から見てもかなり多い魔力の持ち主だということが分かる。
それに一方的に勝てるスーは一体。
「後がひどいからあまりやりたくなかったんだけど、ヴォルフを守るためだから仕方ないよね」
僕を守るためにミザンスロピーはひどい目にあったのか。ごめんね。ミザンスロピー。
復活したミザンスロピーが来るかもしれないので、僕たちはキハダマグロは諦めて西側を回ることにした。
「それにしてもスーは菌が見えるだけじゃないんだね」
「うん。黙っていてごめんね。菌にお願いすることが出来るんだ」
菌にお願い……。
ミザンスロピーがなぜおしりを押さえていたのか、そして、あとがどうひどいことになるのかわかった気がした。スーの能力ヤバい!
「ミザンスロピーは元々お腹弱くて、私がヨーグルトのビフィズス菌にお願いしてお腹の調子を調えてあげたんだ。それ以来、ライバルだとか、運命の相手だとか、付きまとわれるようになってて。逃げるようにブラウヴァルトに来たところで、ミザンスロピーが『スーを取り返さないとこの仕事辞める!』と雇い主を脅して私を連れ戻しに来た人たちに教われているところをタル様に助けられたの」
そういう流れだったのか。
「ミザンスロピーが嫌人症なのは単にお腹が緩いからだけなんだよ。だから、私のお願いが利いている今は私に執着する必要はないんだけどね」
だけど、ミザンスロピーの気持ちも僕はよく分かるな。カルラと出会って僕はカルラに依存している。
魔法を教えるだけなんだから、カルラ以外でもいいんだけど、カルラ以外に魔法を教え始めると、カルラとの関係が壊れてしまうような気がしている。
「ミザンスロピーも初めて優しくされて嬉しかったのかもね。それでつきあい方というか、何をしたら喜んで貰えるのかわからなくなっているのかも」
「なるほど。ヴォルフは女の子の扱いになれてないだけで、人の気持ちは分かるんだね。確かにその通りかも」
「次に会ったら普通に友達として接してみたら」
「そうだね。そうしてみる」
そんなことを話ながらフリーデンのものを売っている市場の西側に入っていく。こちらは氷を使っているようなものはなく、キノコとか、木材とか、炭等を売っていた。
特に目を引くのは変な形の器だ。
茶碗というか、織部焼というか、よく国宝とか高級な料亭で使われているようなお皿だ。
釉薬も発達しているのか、そこそこカラフルなお皿があって目にも鮮やかだ。こういうお皿で食べたら色々おいしそうだ。
「このお皿ってどこで作っているんですか?」
僕はお店のおじさんに聞いてみる。
「ブラウヴァルトの山向こうにガーベルングという町があってそこで焼いているんだ。ビルネンベルクの人たちに人気があるんだよ。これで食うと飯が旨いって」
僕がザッカーバーグにいたときはこういうお皿を見たことがなかったからそこそこの値段がするのだろう。あと割れやすいだろうし、長距離輸送には向かないのかもしれない。
「ほしいの?」
「あとでいくつか買おうかと。今はご飯が先かな?」
おじさんにお礼を言ってあとで買いに来ることを約束すると、再び市場の見学に戻った。




