170.市場
本日二話目です
フェルゼンハントに行くためには歩いて一日分の距離を進む必要がある。人間は急いで歩いても時速九キロぐらいなので、大体五十キロから七十キロぐらいの距離だ。
前世なら車で一時間半と言うところだろう。
そして、この世界ではドラゴンで十分の距離だった。
実質、大通りを歩いただけでフェルゼンハントの町並みが見える。スーとタルの出会いを聞く暇もなかった。
「スー、どこか目立たない場所ある?」
フェルゼンハントもフリーデンの町だけあって森の中にあった。海岸部へ続く東側は開けているようだが、それでも林程度の木々が見える。
「町の北側は人通りが少ないので、そちらの森に降りてください」
『承知した』
ドーラはゆっくりと上昇し、太陽を背に高い位置から町の北側に移動する。太陽と町の線上に位置取りをすると、町の人からは見えにくい。ドーラがお忍びで町に遊びに来ているのではないかと思った。
そのわりにはブラウヴァルトの町に入っておおはしゃぎしていたけど。
町の北に降りるとドーラは人間の姿になり、僕たちは町の北の入り口に向かった。フェルゼンハントはビルネンベルク王国のような城塞都市と言った感じだ。町の周囲に簡易ではあるが土手と柵で壁が築かれている。
「フェルゼンハントの回りには獣や魔物が多いのでこうやって入ってこないように守りを固めているんです。特に北側は魔物が多いので滅多に人は来ません」
あれ、それは僕たちが北側から入ったら目立ってしまうということではないのかな?
「我らが北側から入ったら目立ってしまうではないか?」
「目立ちます。でも、目立った方がいいんですよ。商人たちは何か目新しい情報がないか常に目端を聞かせています。私たちが目立てば商人はなぜ?と思って近寄ってくるでしょう」
「さすれば、話が聞きやすくなるというわけじゃな?」
「ご明察です」
スーもよく考えているんだなあ。頭いいんだろう。
北の門に着くと、兵士らしき人が二人立っていた。門は開けっ放しだ。恐らく魔物や獣が来たら門を閉めるのだろう。そのとき、兵士が食い止めるのかな……?
町の防衛体制を疑問に思いつつも、兵士たちに挨拶して町に入る。
ここでも人のチェックは緩いようだ。
フリーデンに来て町の警備がそこまで厳重ではないのが不思議だったが、恐らく全国民がいざとなれば戦える状態にあることがそれを可能にしている理由だろう。
領地を治める上で重要なことは、色々あると思うけど、フリーデンではそれがさまざまな機会に確認できる。よく考えられていると思う。
僕が読んでいた異世界転生小説は、ヨーロッパ中世時代をモデルにしているせいか、色々な面で未熟なことが多い。魔法というオーバーテクノロジーがあっても全然有効活用されていなかったりする。
かと言えば冒険者ギルドのように高度な横断組織があったりと、ちぐはぐだ。それが異世界転生小説の面白さでもあるんだけど、僕は読んでいて悶々とした思いを抱えることもあった。
「ちょうど町の中心に市場があります。大抵毎日開いていて、いつも賑わっていると思います」
へえ。この世界では人口が少ないのもあるけど、普通は毎日売るものはないし、買うものはない。ブラウヴァルトのような観光客がたくさん来る町は例外で、大抵は一週間に一度とか決まった日に市場が開かれる。
「ビルネンベルクの町から海産物が入ってくるので、毎日市場を開いていた方が都合が良いそうです」
スーの解説に納得した。
日保ちがするように加工されているとはいえ、商人としては状態が悪くなる前に売りたいのだ。特にフェルゼンハントは湿気が多く、森のせいで風もない。
カビが生える条件が揃っているのだ。
「市場に並んでいてもあまり状態がよくないものもありますから、買うときは声をかけてくださいね」
スーに見てもらえば安心だ。カビも菌の一種だしね。
しかし、海産物か……心踊るね!
鰹節とかあるかな? 無くても乾燥させた海藻や佃煮とかはありそうだよね。
いやあ、ホウトウを食べたときに思ったけど、出汁が少し違う感じがしたんだよね。
どちらかと言えば金華豚の中華出汁のような感じで、干し肉からとった感じだった。
あとはニガリを手に入れれば豆腐もつくってもらえるかもしれない。
そうすれば、ワカメと豆腐の味噌汁という王道の味噌汁が飲めるかも?
「ねえ、スー」
「なんですか?」
「ここでお味噌汁の材料揃えたらお味噌汁作ってくれる?」
「い、いいですけど……」
赤くなってしまった。今のかいわのどこに恥ずかしいところがあるというのか僕にはわからない。
「ふむ。早速結婚の申し込みをしおったのじゃ」
今のが?
「フリーデンでは、『毎日お前の作った味噌汁が飲みたい』という結婚の決まり文句があっての」
それって毎日の話でしょ? 僕は毎日なんて言ってないよ。そりゃ毎日飲みたい気持ちはあるけど、作り方を覚えたら自分で作るし!
「そろそろ覚悟を決めたらどうだ? 毎回カルラに後押しされるのも格好つかないだろう?」
ドーラまで!
なんでみんなして婚約者を増やしたがるのか。
「こういうのはスーの気持ちも大事でしょ? 周りがとやかく言っちゃだめだよ」
「私ならもう結婚適齢期だし大丈夫だよ?」
スーはすでにこっちの世界に毒されていたようだ。
「いやいやいや、ちょっと待って。スー。落ち着いて考えて!」
「大丈夫。私は落ち着いているよ。それよりヴォルフが落ち着いて。私がヴォルフ以外と結婚するより、ヴォルフと結婚した方が良いと思わない?」
言い方はタルたちにばれないようにしているが、これは遠回しに「異世界転生者同士でくっついた方が面倒ないよね?」と言われているのだろう。
「ね?」
スーは小首を傾げる。
確かにスーの言うとおりだ。いくら凄いチート能力ではないと言っても、異能力は目立ってしまう。そのとき、異世界転生者同士でつるんでいればお互いにお互いを守れる。メリットばかりだ。
でも、婚約者である必要は……あるか。無人島に戻るんだもんなあ。婚約者でないと着いていく理由にはならないよね。
「そうだね」
僕は首を縦に降るしかなかった。
「おお、ヴォルフが折れたのじゃ」
「カルラ以外にヴォルフを言いくるめられるものがいたとは!」
ふたりとも驚きすぎだから。
味噌汁が飲みたかっただけなのに凄い話になってしまった。
「と、とにかく、市場を回ってみようよ!」
僕は誤魔化すように先頭を歩き始める。目の前にはあまり広くはない路地が続いている。
一本道なので迷うことはないだろう。
「まだこの辺は町の端ですから、倉庫が並んでいるだけなんです」
「結構広いんじゃな」
フェルゼンハントは上空から見たときは、東側が尖っているいびつな卵のような形をしていたけど、実際に歩いてみると大きいと感じる。
「でも、あと少し歩いたら着きますよ。さすがにブラウヴァルトの大通りよりは長くないです」
スーの言葉通り、道は広くなり、左右にそびえ立つように続いていた建物はなくなっていた。
広場というのにふさわしい場所があり、そこに簡単なテントのようなものが並んでいる。まさに市場というのにふさわしい。
ブラウヴァルトと決定的に違うのは、魚の匂いがするということだ。塩の香りとは違う独特の匂い。
「懐かしいなあ」
おもわず呟いてしまったが、誰も聞いていなかったようだ。よかった。突っ込まれなくて。
スーが異世界転生者とわかって気が緩んでいるようだ。
「市場は大きく二つにわかれています。東側がビルネンベルクから運ばれたもの。西側がフリーデンから運ばれたものになります」
それはとても分かりやすい。
「じゃあ、東側から」
僕はすぐに東側に足を向ける。
「わしはフリーデンから運ばれたものに興味があるのじゃ。ドーラを借りていくぞ」
「え?」
「ヴォルフとスーは東側を回ってくるとよい」
タルとドーラはさっさと西側へ行ってしまった。
「行っちゃったね」
「うん」
これはスーと二人で行動しろということだろうか。
「ふふふ。デートだ」
スーは前世でどんな女の子だったんだろうか。少なくても僕よりはコミュニケーションスキルあったんだろうね。
僕はこの世界でも片手に満たないほどしか、デートをしたことがない。
「緊張する」
「ここは私の地元ですからデートコースは任せてね」
頼もしい限りだ。
「じゃ、お言葉に甘えてもいいかな?」
「いいとも!」
若干古い気がするので、スーは前世では少し年上かもしれない。女性の年齢を聞けるほど、僕はコミュニケーションスキルないので、確かめられないけど。
僕とスーはビルネンベルクから運ばれたものを売っている市場に繰り出していった。




