107.航路
ウサギを焼いている時だった。
カルラがウサギに集中している姿をほほえましく見ていると、カルラの背後に船が見えた気がした。
「カルラ、あっちに船がいない?」
カルラの探索を使ってもらおうと指をさす。
「調べてみます」
カルラはすぐに目を閉じてトロポを唱えた。
「確かに話声のようなものが聞こえます。でも、だんだん遠ざかるみたい」
どうする? どうすれば気が付いてもらえる?
大声で叫んでも無駄なことはわかる。あそこまで声が届かない。
どうにかして、ここに人がいることだけでも気が付いてもらえたら……。
そうだ。
「声を船の人たちに聞かせることができないかな? 声を風に乗せて運ぶんだ」
イメージとしては声の振動を空気が増幅させるような感じだ。
「やってみます」
カルラが呪文を唱えると僕に合図をくれる。
「助けてくれ!」
ありったけの大声で叫んでみた。
「遭難している!」
ありとあらゆることを叫んだ。
カルラは同時に船の様子も伺っているようで、目を閉じている。だが、結果は芳しくなかったようで、首を横に振った。
「ダメか……」
僕はがっくりした。ここへ漂着してまだ2日目で船が近くを通ったのは幸運だ。しかし、その幸運をものにできなかった。
「あれは私たちを助けに来てくれたわけじゃないですよね?」
「そうだね。ちょっと早すぎる。たまたまこの近くを通っただけだろう」
「……それにしては私を探していたような」
気落ちしていた僕はカルラがつぶやいた意味を考える余裕はなかった。
「気を取り直してウサギを食べましょう! はやくしないと焦げちゃいますよ!」
カルラは僕の手を強引に引っ張っていく。
「ちょっと食欲がわかないんだ。先に食べてていいよ」
「わかりました」
カルラは僕を頬って焚火で焼いていたウサギの肉を食べ始めた。
アチチといいながら食べている。
「やっぱり、塩味が足りないなぁ……」
塩がないので海水で洗ってから焼いてみたが薄味だったようだ。
「でも、油がおいしい!」
バクバク食べている。カルラもショックだろうが、僕が気落ちしているからワザと気丈にふるまっているのだろう。
「僕も食べるよ」
と言って近づいてみてわかったが、半分以上食べられた後だった。
「あ……要らないかと思って……」
「い、いやいいんだ。久々のお肉だろうし、たくさん食べて。カルラが獲った獲物だしね」
さばいて料理したのは僕だが。
「そしたら、もう一匹取ってきます!」
慌てて森に行こうとしていたので、それは止めた。
「森は危ないから行くなら二人で。夜の分も調達しなければならないから、これを食べ終わってから行こう。ほら据わって」
僕は残りの半分をカルラに渡す。
「で、でも」
「大丈夫。ちょっと良いことを思いついたんだ。これを食べて魔力を回復してもらわないと」
魔力の残りは腕に付けられたブレスレットでわかる。カルラの魔力は多いが、さすがに常時発動している魔法が多くなると消費が激しい。
先ほどの船へ声を届けた拡声の魔法がカルラの魔力を大きく削ったようで、船までの距離はかなり遠かったということがわかった。たぶん、蜃気楼的な現象で本来だったら見えない位置にあった船が見えたのだろう。
「じゃあ、遠慮なく」
カルラは僕の手からウサギの足を受け取ると食べ始めた。なんか、子犬に餌付けしているみたいだ。
僕が考えた良いこととは、水系の魔法に関することだった。
カルラは今のところ土系、風系の魔法に対して適性があった。残りは水系と火系の魔法だ。もし全属性が使えることになれば、複合系の魔法も教えていきたい。
複合系の魔法が使えるようになると、各属性が複雑に絡んでいる生物も操れるようになるはずだからだ。複合系の魔法は魔力の消費も多いので、魔力がどこまでもつかわからないが、宙に浮いたり、空を飛んだりできるようになる。
もし飛べるようになれば今回のように船が近くを通ったときに飛んでいけば船までたどり着けるかもしれない。
僕は食べ終わると、穴を掘って骨を内臓と一緒に埋めた。
「じゃあ、お腹もくちたことだし、カルラにはちょっと働いてもらいます」
「はい」
僕はちょっとくぼんだ流木を用意すると、そこに水を汲んで入れた。
「水系の魔法を練習してもらいます。そして、最終的には塩を作ります」
「塩!」
カルラはうれしそうだ。
「そう、船が近くを通ることはわかったけど、呼び寄せる手段がないので、しばらくはここで暮らすことが決定しました。なので、食生活を豊かにするため、基本的な調味料である塩を作りましょう」
「呪文を、はやく呪文を教えてください! 塩を作ったら、お肉を取ってきます!」
カルラはいいところのお嬢様だと思っていたが、二日目にして違うと思い始めた。今着ている高級そうな服は何かの間違いなのではないだろうか。
「水を真水とそれ以外に分ける魔法『分離 』を授けよう」
「トレナン」
カルラは待ってましたとばかりに早速唱える。流木の中に溜まっていた海水は丸くなって空中に浮かんだ。
「ヴォルフ……」
カルラの言いたいことは分かった。塩がないと言いたいのだろう。
「その水をなめてごらん」
首をかしげて舌を出した。そして、丸い水の玉をなめる。
「水」
その通り。僕ものどが渇いていたので、カルラの前に浮いている水に口をつけて飲んだ。
元々少なかったので、水はすぐになくなる。
「ここに水があるということは?」
僕の問いにカルラはすぐに気が付いたようだ。流木の中を除く。わずかに白く何かが残っているのを見つけると指で押さえ付ける。
カルラは指についたそれをなめ取る。
「塩! ヴォルフ、量は少ないですが、これは塩です!」
「そう。このトレナンは塩と水という人間が生きていくのに必要なものを2つも同時に作れる超便利魔法なんだ」
「でも、料理に使えるほど作るにはどうしたらいいんですか?」
「本当なら水がたくさん入る瓶が2つあればよかったんだけど、今はないのでこの流木にためた海水を分離していくしかないんだよね。1回分離したら、そのまま新しい海水を入れてもう一度分離する。それを繰り返すとまとまった塩ができるというわけ」
「大変そうだけど、おいしいお肉のために頑張ります」
「じゃあ、任せるね。僕はウリ丸の様子を見てくるよ」
「ウリ丸? ヴォルフ、もしかして非常食に名前を付けたの?!」
やばい、つい脳内設定を漏らしてしまった。
「うん。猪の子供みたいだし、なんか丸っこいから『ウリ丸』でいいかなって」
「非常食に名前を付けたら愛着沸いて食べられなくなるよ?」
カルラは純粋な気持ちで疑問を呈しているのだろう。
「そうなんだけど、これから毎日の食料探しで精神的に追い詰められたりすると思うんだ。そういうときにウリ丸のような癒しが必要かなって……」
言ってみて思うが苦しい言い訳だ。
「とにかく、ウリ丸は食べちゃダメ! ペットにするの!」
もう駄々をこねるしかない。16歳にもなって駄々をこねるのもどうかと思うが。
「うーん。納得はできませんがわかりました。今は食料集めに困るような状態じゃなくなりましたし」
カルラが多めの魔力を持っていてよかったと思う。
「塩を作り終わったら呼びに行きますので、ウリ丸と遊んできていいですよ」
もうどっちが年上かわからないな。カルラはしっかりし過ぎている気がする。お肉以外では。
僕はカルラの言葉に甘えて、ウリ丸が入っている檻を見に来た。
ウリ丸は起きているようで、檻の中をウロウロと歩いている。僕は檻から出してあげると、ウリ丸を自由にしてあげた。たぶん、逃げないだろうなと思ったけど、ウリ丸は僕のそばによると、身を摺り寄せてきた。
僕が助けたと勘違いしているようだ。
「檻の中に入れてごめんね。そういえばウリ丸はお腹空かない?」
というと、ウリ丸は近くにあった葉を食べ始めた。草食なのかな。
猪は雑食で、主に木の根やどんぐり、小さな虫なんかを食べると思っていたが、葉っぱを食べているところを見ると、猪ではないのかもしれない。
「それ食べたら体洗ってやるからな」
西の森にいったら一度体を洗おうと思っていた。海水で髪がガビガビになってしまったし、カルラも海水でべとべとすると言っていたのでちょうどいい。
こうして僕はカルラが塩を作り終わるまでウリ丸と遊んでいたのであった。