167.隣町
ブラウヴァルトの神殿に着くと、東隣にある街、フェルゼンハントのことを聞くためにサリーを呼び出そうと思ったら、カーリーがいた。
「ヴォルフ様。サリーならこの度の戦いで出た被害を確認しに行っております。ご用件なら私がお伺いします」
サリーも神官長としての職務を遂行しているようだ。子供ながらも役に立つサリーを連れていってもいいんだろうか。
「ヴォルフ様には感謝しているんですよ」
僕が黙っていると、カーリーが言葉を続ける。
「サリーは若すぎる神官長です。経験が浅いことで失敗が続き、悩んでいたところなんです」
失敗が続いたら、どんなことでも嫌になる。それを押して頑張っているサリーは偉いなと感じる。
「仕事もしない老がいが働いているサリーを失敗したと避難するんですからブラウヴァルトも一度滅びればいいんですよ。仕事しないんだから失敗しないのは当たり前じゃないですか」
カーリーがボソボソと毒を吐いた。あまりにも笑顔で喋るものだから、ユキノもウルドも毒を吐いたことに気がつかなかった。
「サリーをブラウヴァルトから連れ出してもカーリーは平気なの?」
妖精王オベロンの件で思ったが、親が子を思うということは僕が思っているよりも大変なことじゃないんだろうか。
「願わくば、私も一瞬につれていってもらいたいぐらいです」
「まあ、ではヴォルフの婚約者になればよいではありませんか?」
ウルドが何かを言っている。僕には意味が分からない。
「ヴォルフ様がよろしければ……」
カーリーも満更ではない様子。
確かにカーリーは若いけど、サリーのお母さんだし、何より結婚してるんだよね?
「カーリーは結婚しているんじゃないの?」
「ああ、ヴォルフ様は外国人だから知らないのでしたね。巫女は代々養子を取って子となすのです。私は二十歳ですから、ヴォルフ様と結婚してもおかしくない年齢です」
え? 何歳から養子を持ったの。計算できないよ。
「ふふふ。サリーは五歳のときから面倒を見ています。娘というより年の離れた妹といつ感じですね」
なんという衝撃の事実。
「なら何の問題もありませんね。ヴォルフ、この際ですから親子共々婚約者にしたらいいではありませんか」
ウルドが捲し立ててくる。
「ヴォルフ様のことだから、親子の仲を割くようなことはなさらないですよね?」
カーリーが念押しで聞いてくるが、僕は断るつもりだ。
「アテはヴォルフに言うより、カルラに言った方が婚約者になれると思います」
ユキノが余計な入れ知恵をする。あとで覚えてろ、ダメ妖精め。
「では、あとで宿の方へご挨拶へ参ります。それでご用件は?」
カーリーは悪のりし始めたウルドとユキノを嗜めるように話題を変えた。
「隣町のフェルゼンハントのことを聞こうと思って。そこで撤退していくビルネンベルク軍の様子を聞きたいんだ。誰に負けたのか、そして、なぜ撤退していくのか」
「そのようなことを聞いてどうなさるんですか?」
「次の侵攻がいつあるかを知る手がかりになると言うのもあるけど、僕たちは逆にビルネンベルクへ攻めいるかもしれないんだ」
「まあ、ヴォルフ様は軍隊をお持ちなのですか?」
「僕が持っている訳じゃないよ。持っている人にお願いすることになると思う」
「それはフリーデンですか?」
「フリーデンかもしれないし、ビルネンベルクかもしれない。まだそこまでは決めてないよ」
本当は決めているんだけど、ここではそこまで話せない。
「それならフリーデンを乗っ取ってはいかがでしょうか? フリーデン宗教国の権威は神殿長が握っております」
「でも、神殿長になるには神官長の多数の推薦とかが必要になるんじゃないの?」
前世のローマ法王もコンクラーベで決められていた。
「いえ、神様が指名するのです。だから神官長は関係ありません」
「それってもしかして?」
「そうです。タル様がヴォルフ様を神殿長に指名すればいいのです」
そして、なぜか僕が指名される話になっている。こういう場合、余計な軋轢を避けるために外国人は選らばないんじゃない?
「カーリーがやればいいと思うけど」
「私がやったら数ヵ月はこの国が機能しなくなります」
何をするつもりなんだ。
「私はこの国の神官長たちに恨みがありますから」
なるほど。最高権威は神殿長だけど、実務は神官長たちがやっているというところなのだろう。
しかも神官長のほとんどは老人で実際には若い神官長にやらせて失敗したら怒るだけということのようだ。
「この国は建国した人が頭がよく、長い時を耐えられる体制を作ったので今まで持っていましたが、この辺で改革しなければダメなんです!」
カーリーって名前はなんとなくヤバい気がしていたけど、この人も血の気の多い女性だったか。
「僕がこの国のトップになるかどうかはさておいて、フリーデンを乗っ取りするための素晴らしいアイデアをくれてありがとう」
いざとなればフリーデンを使ってビルネンベルクを攻めることができる。ビルネンベルクを手中に納めるのは無理でも、ビルネンベルクを南北に分かつ、橋頭堡を築くことはできるだろう。
「ヴォルフ様がフリーデンの神殿長になられたらいつでも協力いたします」
「うん。そのときはお願いするね」
「では、フェルゼンハント出身の巫女を紹介しますね。フェルゼンハントのことならスーに聞くといいでしょう」
「その方も婚約者候補ですか?」
ウルドは何を考えているんだろう。
「ふふふ。スーも若くて綺麗で働き者ですから許嫁にしてもいいかもしれませんね」
「今頃スーは醤油の仕込みをしているでしょう。案内しますので、着いてきてください」
「もしかして、スーは醤油を作れるの?」
僕にとって重要なのは調味料のことだけだ。
「はい。スーは醤油も酒も味醂も味噌も作れます。フリーデンでは何かひとつ作れる人は多いのですが全部作れるのはスーだけです」
僕は俄然スーを婚約者にする気になってきた。
「スーは付き合っている男性とかいないの?」
「なにせ巫女ですから」
フるリーデンにおける巫女をよく知らないが、前世における尼さんのようなものなんだろうか。
「じゃあ、スーと僕が結婚することは出来ないんじゃ……」
「もちろん、ヴォルフ様の許嫁になるときは巫女を辞めます。サリーはヴォルフ様がこの街を離れるときに神官長を辞します。もし、私もヴォルフ様の許嫁にしていただけるのでしたら巫女を辞して着いていきます」
そうなんだ。
フリーデンからは、神様を二人に神官長一人を婚約者にしているし、さらに巫女を二人も連れていったら、僕が恨まれそうだ。
しかし、スーは連れていきたい。婚約者とは言わなくても調味料作りを一通り教えて欲しいなあ。
「さて、作業場につきました。スーを呼んで参りますので、少々お待ち下さい」
カーリーが中に入っていくと同時に女の子が部屋から出てきた。
「あ、お客様でしたか」
女の子は僕と同じ十六歳ぐらいで右目に黒い眼帯をしていた。黒い髪はアップで結われ、清潔な印象を受ける。白いマントのようなエプロンを着ていて体型はよくわからないが、多分スレンダー。身長も僕と同じぐらいだった。
「スーという方をさがしています」
ウルドが女の子に伝えると、女の子はウルドを見て眉をしかめた。
「スーはあたしだけど、何で神様がこんなところに?」
今度は僕たちが驚く番だった。なにか色々おかしい。
「スーは今どこから出てきたの?」
「どこって、この戸からだけど?」
「そこにはカーリーが君を探しに入っていったばかりなんだ」
僕が気をつけてスーの表情を観察していると、スーの瞳孔が僅かに開いた。
「じゃあ、中ですれ違いになったのね」
嘘だ。この子は何かを隠している。
すれ違いになるようなタイミングじゃなかった。
どうする? この子は僕たちになにか隠しているのは間違いないけど、特殊な能力があるかもしれない。
出来れば逃げられたくない。僕はそう直感した。
「ヴォルフ様。スーの言うとおりです」
僕が逡巡していると、戸が開いてカーリーが出てきた。
「中ですれ違いになったのです。スー、この方はヴォルフ様です。前の戦いで妖精王の軍勢を退けた、ブラウヴァルトの恩人です」
「え? じゃあ、彼がタル様の」
「そう。タル様の許嫁です」
「それは失礼しました!」
スーは勢いよく頭を下げた。
「き、気にしないで」
あまりの態度の代わりぶりに僕はさっきまでしていた警戒心を解いて、スーに声をかけた。




