155.妖精
「ここが妖精界……」
回りを見回しながら誰もとなく呟く。
もといた世界となにも違わない風景がそこに広がっていた。
唯一違うことと言えば遠くに大きな木が見えることだ。大きな木と言っても山より大きいので、あれはいわゆる世界樹なんではないかとおもう。
多分、アカシックレコードが書き込まれていて、エルフが管理しているのではないだろうか。いや、オベロンやティターニアかもしれない。それどころではないのだが、ちょっとワクワクしてしまう。
クララも興味深々で周囲を観察していた。
「さて、わしが知っているのはここまでじゃ。この近くにノームの里があると聞いている」
「あ、私が大体の行き方を聞きました。確か大きな木に向かって三百歩歩いたらノームを呼べばいいと行ってました」
なんとも曖昧な行き方に僕はゲオルグが言っていたことを思い出す。
「それを正しくしないと迷うとか?」
「その通りです。多分、妖精の結界のようなものをすり抜ける手続きになっているのでしょう」
「なんとも難儀な世界じゃな」
人間界ほどほどだと思うよ、神様。
「我も人間の姿になった方が良さそうじゃの」
ドーラもドラゴンの姿から人間の姿になった。結界を抜けるための手続きにほすうがはいっているから、人間になったのだろう。
「間違えないようにみんなで数えながら歩こう」
「はい。ではヴォルフが掛け声お願いします」
「わかった。いーち……」
僕はゆっくり数えながら歩みを進める。ここで急いで間違えてしまうと、多分やり直しで結界の外に戻されるだろう。ゆっくりでも確実にした方が結果的に短くてすむ。
「待ってください」
二十歩ほど歩いたところで、クララに呼び止められて足を止める。
「皆さん、違う方向に歩いています」
見れば確かにみんな違う方向を見ていた。
「本当にそちらに大きな木が見えてますか?」
僕は自分の進んでいる方角を確認すると確かに山より大きな木があった。多少霞がかっているものの木に間違いない。
「わしの向いている方も大きな木が見えるのじゃ」
タルまでもが影響を受ける結界なんだ。凄いな。でも、もしかしたら妖精界ではタルの力は制限されるのかもしれない。
「どれ、我が飛んで見てこようか」
ドーラがぬいぐるみドラゴンになって上空に舞い上がろうとすると、虚空で光に包まれて消えてしまった。
「ドーラ!」
叫んでも声は届いていないようで、返事はない。
手続きを知らないものを侵入出来ないようにする結界だとはわかっているけど、姿が見えないと不安だ。そして、この結界はうまくそういう人の心理をついている。
「みんな、これから先はどんどん離れるだろうけど、絶対に今見えてる大きな木へ向かうんだよ。多分ノームの里へ行けば会えるから」
ドーラもそこに気がついてやり直してくれればいいけど。
「わかったのじゃ」
「はい」
タルもクララもちゃんと理解しているようだ。ドーラも理解はしていたのだろうけど、わすれたんだろうなあ。
みんなが各々で数えながら歩いていく。僕も数えながら歩き始めると、すぐに景色が変わってきた。
鬱蒼と生い茂る木が意思を持っているかのように左右に別れ、木漏れ日が僕と大きな木を結ぶ直線を照らす。
僕を導いているようだ。
最後まで気を抜かず歩こう。あと十七歩なのでゆっくりと歩を進める。
最後の三百歩目を歩いたとき、風が吹いて、光が景色を塗り替える。
「ようこそ、人間様」
目の前には背中に大きな蝶羽を背負った女の子が立っていた。目も髪も金色に光輝き、明らかに人間ではない。緑色のドレスは体の線に沿ってぴったりとくっついていた。
「私はこの妖精界を修める妖精王の娘。人間様。私にどんなご用?」
にこやかに僕を招き入れる。僕は招きに応じて妖精王の娘と名乗った女の子の前に来た。
「僕はヴォルフ。ここへはゲオルグという人間を探しに来たんだ。ノームと雪の妖精の結婚式に招待されているはず」
「あら、それは残念。妖精王がその結婚式に行ってますの。もう少し早かったら一緒に連れていってもらえましたのに」
「僕は雪の妖精の里に行きたいんだ。そこに行ったはずの僕の婚約者たちが行方不明になっていて、雪の妖精の話を聞きたい。君は雪の妖精の里を知らない?」
「知っています」
それはラッキーだ!
「しかし、教えるのには条件がありますわ」
僕は妖精がどんなやつらだったのか思い出した。イタズラ好きの王様の娘……。悪い予感がする。
「ヴォルフは私に名前を授けてくれるかしら」
「妖精王の娘に名前がないの?」
名前をつけるのは割と好きなのでやぶさかではないのだけど、妖精王の娘に名前がなくて不便ではないのだろうか。
「妖精同士は自分と他人をあまり区別しないのです。だから名前は意味がなく誰も使っていないのです」
「あれ、僕の婚約者になった雪の妖精はユキノという名前があったけど」
「それは変な妖精ですね……」
ユキノは妖精界でも変なのか……。
「確かに名前がないのは不便なので、名前をつけてあげるけど、どんな名前がいい?」
「そうですね。私は夏が好きなので夏を感じるような名前がいいですね。あ、でも、女性らしさというか、おしとやかさを具現化するような、百合の花のようなしなやかな名前でお願いします」
僕は安請け合いしたことを後悔し始めた。これは絶対に面倒なやつだ。下手に意味とかわかるやつをつけると、絶対に決まらないぞ。
「まだ要望ある?」
僕は要望を全部聞いた上で「ウメ」と名付けようと思った。前世で無くなったひいおばあちゃんの名前だけど、これなら一周回って格好いいのではないだろうか。この世界では意味のない言葉だし。
「そうですね。ヴォルフに好きと言ってもらえるような、そんな名前がよいです」
なんだ? その条件は。人間に好かれることが妖精たちの間ではステータスなのかな?
「なら、ウメという名前はどう?」
僕は話に聞くひいおばあちゃんのことは好きだったし、凄い人だったと聞いているし、問題ないのではないかと思った。
「ウメ……それが私の名前なのですね」
名前が認識された瞬間、光が生まれる。
ウメはその光を胸に抱くように両手でそっと包んだ。
胸に吸い込まれるようにして光が消えると、ウメの髪や目も光を失って黒くなっていく。
「大丈夫!?」
驚いて声をかけると、ウメは「心配いりません」と答えた。
「前の肉体が失われてから何年たったことでしょう。こうして再び肉体を得たのはヴォルフのお陰です。この肉体が再び肉体土にかえるまで末永くお願いしますね」
「なんのこと?」
まるで嫁入りする女の子みたいな台詞じゃないか。
「妖精に名をつけて受肉させたのです。その妖精と結婚するのは当たり前のことではないですか」
聞いたことないんだけど、僕がこの世界の常識に疎いからなあ。
「妖精王の許可とか必要ないの?」
「もう受肉してしまいましたし、後戻りはできません」
ウメの話に頭を抱える。またやってしまった。
「だからいったではないか!」
空からドーラの声が降ってきた。
「そうやって考えもなしに名前をつけるからこうなるのだ」
途中で人間の姿に変身して飛び降りた。
「よりにもよって妖精王の娘だと? ヴォルフは妖精界と戦争でもする気か?」
なにその大事。
「妖精王の娘と言えば五千年前に妖精界から連れ出され、それを連れ出した神と妖精とで大戦争になったのだぞ?」
それってハルマゲドン級の話なんじゃ?
「そこなドラゴン。いきなりやって来てヴォルフに説教とは何様のつもりですか」
ウメがドーラと僕の間に立つ。先にドラゴンと妖精の死闘が始まりそうな雰囲気だ。
「我はドーラ。ヴォルフに名を貰ったドラゴンだ。そして、婚約者でもある」
「なるほど。すでに婚約者がいたとは予想しておりませんでしたが、婚約者がふたりになったところで問題ないでしょう?」
ウメの台詞に僕とドーラは顔を見合わせた。
「ヴォルフの婚約者は我を含めて八人じゃ。そなたを含めれば九人目になる」
ウメは開いた口が塞がらないようだ。
「驚いただろうが、その八番目は神様だぞ。それより上は言わなくても分かるだろう?」
「神様より序列が上の婚約者が七人も……」
ドーラはさりげなく自分の方がお前より上だぞ!というマウンティングをかます。
しかし、待て。
まだ婚約者にしたわけじゃないぞ!




