151.銭湯
藁人形の黒タルには「クロ」という名前をつけてあげた。
「そうやって何にでも名前をつけるのは感心せぬ」
ドーラに怒られてしまった。というのもクロと名付けたら、瀕死だった淀みは自我を確立してしまったからだ。それでも、藁人形なので黒タルの時のような力はなく、単に歩いてしゃべれる程度でしかない。
「ヴォルフ、悪く言う、ダメ。ヴォルフ、優しい。わし、必要ない、でも助けた」
なんか僕の信者になったようだ。藁人形が憎めない変な表情がついているため、なんかかわいいペットを見ているようだ。
タルに確認したところ、神域は正常に戻ったということだった。あとの処理をタルに任せて僕たちは宿に戻ることになった。
バルドは神官長たちと会う必要があるため、タルの手伝いをしながら、神殿にいるらしい。話が終わったらそのまま自分の陣地へ帰ると言っていた。
ちなみにビルネンベルク軍は僕たちが思ったよりも進軍しているらしく、もうブラウヴァルト目前なのだそうだ。
それなのにブラウヴァルトの人たちは焦っているように見えないのは、僕たち外国人にはわからない秘密兵器があるのだろう。
ふと思ったけど、秘密兵器って、タルじゃないよね?
宿に帰るともう夕食の準備が整っていた。
また美味しそうな中華料理だ。
シャルやサリーたちにも何か持たせてやれば良かったなあ。
「では、みんなで食べましょう。いただきます!」
カルラは元気よく挨拶をすると、北京ダックの食べ方を聞いていたにも関わらず、丸かぶりした。確かそれはパリパリに焼けた皮を楽しむための贅沢な料理だったはず……。
今日は色々あって凄い疲れた気がする。藁人形のクロが僕のために遠くにあるご馳走を少しずつ取って来て、目の前に並べてくれる。盛り付け方もよく、とても美味しそうだ。
「ありがとう、クロ」
「わし、役に立つ」
僕は「そうだね」と言いながら頭を撫でた。藁人形なのに少し赤くなった気がする。クロは全体的に黒く煤けており、普通の藁人形より色が黒い。
僕はちょっとカッコいいと思っていた。
僕はクロに料理の名前を教えながら、少しずつ食べていると、アイリが側に寄ってくる。
「ヴォルフ。お酒は飲まないのか? な、なんならあたしがお酌をしてもいいのだが……」
どうしようか。今日は疲れたので早めに寝たい。でも、多分アイリと一緒に寝る日なんだろうなあ。すぐに寝てしまってアイリがすねてしまわないだろうか。
「お酒は寝る前にするよ。今日は疲れているし」
「そうか。あ、ならばお風呂に入るのはどうだ? 実はお風呂屋さんというのを見かけたのだ」
「それは素晴らしい!」
「ふふふ。流石に混浴ではないと思うぞ」
僕がすぐに反応すると、アイリはクスクスと笑った。
でも、僕の記憶が確かなら公衆浴場って大抵混浴だった気がするんだよね。男女別々になったのは結構あとの時代だった気がする。
それは倫理観の発達もあるのだろうけど、はだかがそれほど意味を持っていないというのもある。
フリーデンがどういう倫理観かわからないけど、効率の面から言っても混浴のほうがいい。
例えば、区切りが少ないので、材料が少なくてすむ。利用者が均一化されるのでデッドスペースが無くなるなど、性別を理由に色々分けるのは現代になって余裕ができたからというのが実際のところだ。
「アイリ、もし混浴だったら一緒に入る?」
アイリは少し驚いたようだったけど、赤くなってコクンとうなずいた。
本当に混浴だったらどうしよう。
いや、一緒に入るんだろうけど、アイリのあの胸を他の男に見せるのはあまりよろしくない気がする。独り占めにしたいと言うつもりはないのだけど、なんとなく納得できないのだ。アイリも嫌だと思うし。
ドーラに頼んで浴場を貸し切りにできないかな。
「混浴は恥ずかしいですが、ヴォルフと一緒に入れるなら我慢します」
なんか、アイリがしおらしい。かわいい。
いつもは騎士としてのアイリばかり見ているから、こういう女の子らしい反応は対処に困る。かわいいと思うのに、かわいいといっていいものだろうか。
「アイリ、ずるい」
ドラゴンぬいぐるみの状態になったドーラが藁人形を背中に乗せてアイリの頭の上にとまった。
「ずるくないです。お風呂はみんなで行きましょう」
ドーラとクロは「アイリ、よくやった」などと誉めている。クロとドーラは波長が合うようですっかり仲良しになっていた。名付けをされた仲というのもあるみたいだ。
名前をつけると僕に忠誠を誓うようになるらしいし、もはや、名前つけられるもの全部に名付けしてヴォルフ軍団を作ればいいんじゃないか。
あ、もしかしたら、それが僕の異世界特典なのかもしれない。
「ヴォルフ、顔がいやらしい」
クロに指摘されて僕は「ぐふふ」と気持ち悪い笑い方をしていることに気がつく。妄想にのめり込みすぎて思わず笑いが漏れていたらしい。
「混浴がそんなに楽しみなんですね」
「ち、違う!」
断じて混浴が楽しみで、笑っていたわけではない。
「お風呂で何をするつもりなのだ?」
ニヤニヤしながらドーラが聞いてくる。このショビッチめ……今に目に物言わせてやる。
「お風呂でエッチなことはいけません」
カルラが真面目な顔して注意してきた。
僕には全くそんなことをする気はないのに理不尽だ。
「ヴォルフはたまっておるのだろう? 少しぐらい許してやるのが妻の務めではないか。今夜はアイリに慰めてもらうがよい。アイリはよい乳房を持っているしな!」
ドーラはあとでくすぐりの刑に処す。
「そ、そうだな。あたしにはこれがあるし……」
などと言いながら両手で重量感のある乳房を持ち上げる。今は鎧など着ていないので、やわらかな乳房に指がめり込んでいた。
前世でもこの世界でも童貞の僕には刺激が強い。
「アイリ、そういうことは人前でしちゃだめ」
平静を保ち、真面目な顔して注意するのが精一杯だ。自分でもわかるぐらい顔が熱い。恥ずかしいわけではないが、興奮してしまっているようだ。
「カルラは肉を食べ終わったのか? ならば皆で混浴しに行こうではないか」
まだタルとバルドが戻ってきていないのだが、一旦食事は終わりということになった。
僕はタルとバルドのために食事を用意してくれるようにタイレンに頼んでおく。あの二人は疲れて帰ってくるだろうし、すぐに食事をしたいだろう。
「ところでアイリ。何か持っていかなくていいの?」
「大丈夫なようだ。みな何も持たずに入っていた」
アイリが見たのはお昼なんだろうけど、お昼からお風呂に入るのか。ブラウヴァルトの人たちはますます日本人のような風俗をもっているんだな。まあ、お昼から入ったり、毎日入っとりするのは、日本人でもお風呂好きな人だけだとは思うけど。
アイリの先導で、僕、ドーラ、カルラ、クララが続く。クロは藁人形が動いていると周囲がびっくりするだろうから、お留守番ということになった。
カルラはすっかり有名人のようで、「どこ行くの?」とか「あめちゃんいる?」とか声をかけられている。
見た目が凄い美少女だし、物腰は柔らかでお姫様みたい、というか本物のお姫様なので、万人に受けるようだ。カルラも無下にはせずに丁寧に返事をしているため、お風呂屋さんに着く頃には貰ったもので大変なことになっていた。
「凄い貰いましたね。流石、カルラです。自分の国だけではなく異国でもいかんなく発揮されるそのカリスマ性。もはやカルラだけの国を建国できそうですね」
クララが大袈裟に誉めるのでカルラは苦笑いだ。でも、国譲りの神様がいるから強ち間違いではないよね。その気になればできちゃいそう。
お風呂屋さんは番台があるようは銭湯形式ではなく、スーパー銭湯のような大きな休憩所やたくさんの種類のお風呂があるタイプだった。
「お客様は初めてですか?」
お祭りで着る法被のようなものを来たお姉さんが話しかけてくる。ブラウヴァルトでは女性がお店の店員や経営をしていることが多いので女系社会なのかな。
「はい」
アイリはそう言いながら預けていた割り府を見せた。
「あら、これはサリー様の割り符。サリー様の関係者のかたでしたか。いつもサリー様にはご贔屓にしていただいています。専用の浴場がありますので、こちらへおいでください」
フリーデンではお金よりも割り符の方が力というか信用があるようだ。サリーありがとう。でも、その割り符って僕のだよね。あとで返してもらわないと。
「専用浴場は男女混浴ですが、かまいませんか」
「かまいません」
即答するアイリ。
さっきまでの恥じらいはどこへいってしまったのだろうか。凄い男らしい。
「では、お召し物はこちらで脱いで、奥の浴室へお入りください」
この辺は旅館の大浴場といった感じだ。僕にとっても馴染み深い。
「あと、お風呂でお酒を嗜む方がいらしたらお教えください。お持ちします」
「たくさんくれ!」
あ、ドーラ。ドラゴンのままで話しかけたら……。
「か、かしこまりました」
しかし、お姉さんは流石にプロと思われる反応をした。驚きつつも表情を変えなかったのだ。
「では、最初に人数分お持ちします。お風呂ではお酒は回りやすいので、お気を付けてくださいね」
マニュアルでもあるのかという見事な対応。この現代的な施設はやっぱり異世界転生者の影響なんだろうなあ。
僕はこの世界で十六年生きてきて異世界転生者にはあっていないけど、フリーデンにはやけにその痕跡が見つかる。
あまり長居はしない方がいいのかもしれない。味方になってくれればいいけど、敵として見たときには勝てる気がしない。
僕のようにこの世界へ与える影響がカルラだけに片寄っているのと違って、ひとつの国に多大な影響を与えている。
更に言えばフリーデンの政治体制から女性である確率は高く、年齢はわからないが年上のような気がしている。色々なものに造旨が深く、人を動かすのに長けている。
前世では政治家や官僚をしていた人なのかもしれない。
「では、ヴォルフ。覚悟はいいか?」
僕がぼーっとしていると、いつの間にか人間形態になったドーラが指をわきわきと鳴らしながら近づいてくるところだった。




