105.恐怖
「ど、どうしよう! ドラコンが近くにいるなんて!」
カルラはパニックになっているようで、せっかくうまく操れていた小石はすべて地に落ちていた。
僕も内心穏やかではないが、カルラを落ち着かせるために傍に抱き寄せる。
「大丈夫。まだ遠い。それに今は森の中にいるから空からは見えない」
ドラゴンが空を飛んでいたかどうかまではわからないが、少なくとも森の中にいれば空からは見えにくいだろう。
この世界では人間が作った都市の近くには魔物は居ない。まあ、これは逆で魔物が居ないところに都市を作ったとも言える。
だから、ドラコンどころか魔物を見たことがない人がほとんどだ。
「でも、ドラゴンが居たんじゃ……」
「しばらく息をひそめていよう」
ドラゴンが居たのでは救助を待つのも難しいと言いかけたカルラに被せるように言った。
ドラゴンがこちらに気が付いているかどうかなんて全然わからないが、周囲には緊張した空気が張り詰めている。ドラゴンらしき咆哮を聞いて森にいる危険な魔物や獣が動き出していたら、不意の遭遇があるかもしれない。
空気が落ち着くまではじっとしている方が無難だった。
「カルラはドラゴン見たことある?」
僕は明るい声で尋ねた。
「い、いえ」
「僕もないよ。でも、一度は見てみたいよね」
たぶん出会ったら死が確定する魔物だとは思うが、どうせ死んでしまうなら一度は見てみたい。それは本心だった。
「そういえば、王都にはワイバーンの頭蓋骨が飾ってありました」
ワイバーンと言えば異世界転生小説は竜の亜種という扱いをしているが、この世界では二本足の竜をワイバーン、四本足の竜をドラゴンと呼び分けている。強さはワイバーンもドラゴンもどっちも人間と比べたら比較にならないほど強いとしか言いようがない。
この世界でもワイバーンとドラゴンはいろいろな本に登場するが、どちらも倒された記述は数えるほどしかない。それも人間を大きく超えた英雄の力をもってしても相打ちだったり辛勝だったりする。
「メテオーアが当たれば倒せるかもしれないなぁ」
「当たればですね……」
カルラはそれがどんなに難しいことかわかっているようだ。
「ドラゴンがいたとしてさ、もしかして僕たちを乗せて王都まで連れていってくれるかもしれないよ?」
なんと言ってもドラゴンである。僕の知っている元の世界のドラゴンは頭がよくて話が通じる。そして、大抵は主人公と仲良くなって背中に乗せてくれるのだ。
僕が妄想に耽っていると、カルラが呆れた顔で見上げてきた。
「そんなこと考えてるの、ヴォルフぐらいだよ……」
前世でもこんなことを考えている人は少なかったけどね。
「前に読んだ本ではドラゴンも普段は寝ているだけらしいし、多分寝ぼけて大声出しちゃっただけなんじゃないかな?」
「ふふ。そうだったらいいですね」
カルラの震えもだいぶ収まってきた。
「じっとしているのも暇だから少し魔法の練習しようか」
人間は自分ではどうにもならないことをどうにかしようと考えてしまう性質がある。それは強いストレスを産み、ストレスから逃げ出そうとして判断を誤る。
今は違うことをしてストレスを逃がしてあげることが大切だと僕は前世の経験から思った。
「小石を操るのは一旦やめて、次は風を操ってみよう」
土系とは真逆の風系を、カルラがどの程度扱えるかと言うのも知りたかった。
「風?」
「風と言っても『結界』みたいなものだけどね。僕たちの回りの空気を風上に流さないようにする魔法だよ」
実際は球状の範囲の中の空気を対流させる魔法なんだけど。
「やってみます。呪文は?」
「対流だよ」
「トロポ」
魔法のイメージを具体的に説明する前にカルラが呪文を唱える。
すると、周囲の緊迫した空気が薄れた。穏やかな風が先程とは別の方向から流れてくる。
成功したようだ。カルラの才能はなぜ放置されていたのか謎なレベルだな。真面目に育てていたら今頃は宮廷魔導師見習いぐらいにはなっていたんじゃないか?
「うまくいったようだね」
「そうみたいです。なぜか空気の流れが手に取るようにわかります。これがトロポという魔法なんですね」
僕にも魔力の流れとして空気が対流していることがわかった。半径三メートルと言ったところだろうか。
「でも、この呪文は何の意味があるんですか? グラビィタは小石を操ることで防御や攻撃に使えることはわかりましたが、空気を回しても意味があるようには思えないです」
これは単なる練習なのだが、グラビィタと同じように直接な効果は期待していない。しかし、トロポは風系の魔法を覚える上で基礎となる呪文だ。
ここで意味がないと思われて興味を無くされるのも困るな……。
「トロポは逃走したり、あと狩りをしたりするときに自分たちの気配を感じさせないようにする呪文なんだ。先手を取るために相手へ情報を与えないのは重要だからね」
例えばこれがルールを守ることで勝敗にお互いに納得するような騎士の決闘だったら不要なんだろうけど、今は生き残ることがルールよりも重要な場面だしね。
「そういう意味があったんですね。じゃあ、逆に相手の気配を感じることも出来るかも?」
カルラは目を閉じて集中しはじめる。その間もトロポは発動したままだ。もう無意識下で制御できるようになったらしい。
「ちょっと遠いのでうっすらとしかわかりませんが、痛がっているようですね……」
僕には何が感じられているのかわからない。
「山の方にいるドラゴンがなぜあんな声をあげたのか気になってその回りの空気を感じてみたのです。うっすらと痛がる声がしました」
な、なるほど。確かに空気は音を伝達する。空気を操れるということは、空気が伝える情報も感じ取れるということだ。
僕はそこまで考えて呪文を構築した訳じゃなかったけど、これは隠密系の職業ではエクスガリバーにも匹敵する魔法じゃないだろうか。
同時に命を狙われやすくなる魔法でもあるな。この魔法を使えば秘密の会談なんかないも同じになるし。
「あ」
目を閉じていたカルラが声をあげる。まさかドラゴンに魔力の流れを気づかれたとか?
「小石が」
小石?
「ドラゴンにあたったみたいです」
「なんで分かるの?」
見えてないはずなのに、なぜそこまで分かるのか不思議だった。
「一番最初の小石覚えてますか?」
「うん」
「それがドラゴンの近くにありました。まだ私がコントロールできる状態だったみたいで、位置がわかります」
僕は黙るしかなかった。なんという偶然なのだろうか。
「小石は回収しないほうがいいですよね?」
「そ、そうだね」
回収する意味もないし、小石に気づいてドラゴンが来ても困るからね。
「ふふふ」
カルラが笑った。
「ドラゴンて怖いイメージでしたけど、声だけ聞くと可愛いですね」
いや、ものすごい高高度から小石がぶつかってきたら人間だったら死んでるからね。ドラゴンもかなり痛かったんじゃないかな?
「ちょっと安心しました。ドラゴンがきても倒せそうな気がします」
メテオーア撃っても当たらないドラゴンをどう倒す気なのか聞かないようにしようと思った。
「あと、この周囲には危険そうな魔物や獣は居ないみたいです」
あ、そうか。ドラゴンのいる山のように遠くの情報を得られるのなら、周囲の情報は容易に集められるのか。
なんというか、カルラには応用力があるな。魔法使いだけあって頭もいいのだろう。
「じゃあ、葉っぱ持って帰ろうか。もうお腹ペコペコだしね」
「そうですね」
僕たちはまた砂浜まで戻った。
◆ ◆ ◆
砂浜で消えかけていた火を起こし直すと昨日と同じように海水で百合の根を洗い、濡れた葉で包んで焚き火の下に埋めた。
出来上がるまでの間、カルラは小石を操って魚が取れないか試しているようだった。海は比較的穏やかで魚も多くいた。
しかし、海面の上から見る魚の位置と、実際に泳いでいる魚に小石を当てるのはかなり難しいようだ。当たっても海水の抵抗で小石の速度が減衰し、大した威力になっていないらしい。
速度が上がると細かな制御が難しくなるため、単発では埒があかないようだった。何時間か練習すればできるようになるんじゃないのかな、と思っていたら、意外に気が短かったようでカルラは50個ほどの小石を一気に海へ突入させた。
すごい水しぶきがあがり、びしょ濡れになるカルラ。少し考えればそうなることはわかるだろうに、よほど頭に着ていたらしい。
しかし、大漁に魚が浮いてきた。
「大漁だね……」
「はい!」
カルラはにっこり笑って答えた。日の光が濡れたカルラに反射して、きれいだった。
この地域の魚には詳しくなかったが、内臓やヒレを除けば毒がある魚はほとんどいないはずだ。新鮮なうちならヒスタミン中毒は避けられるし、少し食べてから時間をおいて大丈夫そうなら食べられるだろう。
適当な流木を洗い、まな板代わりにして丁寧に内臓を取り除く。
白身の魚のようだ。刺身にして食べたい欲求にかられるが、やめておく。
そういえば、この世界に来てから刺身食べてないなぁ。回復魔法があればよかったのに……。
食べられそうな魚は5匹あった。
適当な枝に指して焼いてみた。よく焼いて身に火が通ったところで少しだけ食べる。
「あとは30分後に食べよう」
簡易の日時計を作り、30分後の部分に線を描いた。魚はよく洗った葉にはさみ火にあたらない場所へ移動しておく。
「百合の根はもう食べられるから、そっちを食べようか」
「そうですね。魚をおかずにしたい気もしますけど……」
カルラは食いしん坊のようで、これからの食糧調達が困難になりそうだと思ったのだった。
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